旅三昧&ときどき読書+映画

私は小泉牧夫。英語表現研究家という肩書で『世にもおもしろい英語』『アダムのリンゴ 歴史から生まれた世にもおもしろい英語』(IBCパブリッシング刊)という本を書いています。2018年4月に 出版社を退職し、41年にわたる編集者生活を終えました。いま世界中を旅しながら、本や雑誌記事の執筆とともに、旅先ではこのブログを書いています。お金はありませんが、時間だけはたっぷりある贅沢な旅と執筆と読書と映画の日々を綴っていきたいと思います。

旅三昧&ときどき読書+映画

私は小泉牧夫。英語表現研究家という肩書で『世にもおもしろい英語』『アダムのリンゴ 歴史から生まれた世にもおもしろい英語」(IBCパブリッシング刊)という本を書いています。2018年4月に出版社を退職し、41年にわたる編集者生活を終えます。それからは世界中を旅しながら、本や雑誌記事の執筆をする予定。お金はありませんが、時間だけはたっぷりある贅沢な旅と執筆と読書と映画の日々を綴っていきたいと思います。

ワシントンの邸宅、そしてバス運転手の魔法

地下鉄のYellow Lineで(ワシントンDC中心部ではなく)南の郊外へ。ハンチントンという終着駅で降り、アメリカ初代大統領ジョージ・ワシントンの邸宅「Mount Vernon」に向かう。駅で降りた時Smartripのカードでタッチしても改札の扉が開かない。乗る時は大丈夫だったのに。駅員に「1週間有効のカードを買ったんです。エリア外なんですか?」と聞き、カードをチェックしてもらうと「問題ない。OKだ」と言う。もう一度やってみたが、やはり扉が開かない。「じゃあ、ここから出ていいよ」と駅員が詰めているブースの横の扉を開けてくれた。

長いエスカレーターで地上に出ると、バス停がひとつだけあるだけで、それ以外には何もない。もちろん人はひとりもいなくて閑散としている。ガイドブックには101番のバスに乗ればいいと書いてあったが、表示を見てもよくわからない。すぐにバスが来たが番号が違う。扉が開いたので「マウント・バ―ノンに行きたい」と言うと、「Mt. Vernon Highwayか、Visiting Areaか?」と聞くので、「Vsiting Areaだ」と応えると、「じゃあ、これに乗れ」と言う。

運転手の横の機械にカードをタッチするが、やはり使えない。「じゃあ2ドルここに入れて」と言う。1ドル札を2枚挿入しながら「カードはまだ3日間使えるなずのにもう使えないのか? ちゃんとしたカードに交換してもらえるのか、払い戻してはしてもらえるのか?」と思って運転手に聞こうとしたが、バスがもう走り出してしまったので、帰りに地下鉄の駅員に聞くことにする。磁気がおかしくなったのかとも思い、小銭入れとホテルのカードキーとは違うポケットに入れてみる。

40分ほどのバスの旅。アメリカの田舎の風景に心がなごむ。村上春樹がエッセイで「アメリカのドライブというはなぜこんなに楽しいのだろか」と書いているが、まったくその通りだ(この場合はバスだが)。マウント・バーノンが近づくと、それまでの閑散としていた風景が一変する。道の端にはスクールバスはじめ観光バスが十数台停車し、駐車場に入る車で渋滞し始めた。さすがはアメリカ有数の観光地だ。

降りる時にドライバーが「帰りはこのバス停で待つと良い。101番のバスがショートカットするので一番早い」と教えてくれた。いかつい顔をしていても、本当に親切だ。

「チケット」と表示されている矢印に沿って進むと、前方にものすごく多くの人たちのかたまりが見えた。近くにいた係員に「あの人たちはチケットを買うために並んでいるのか」と聞くと「いいえ団体で入場する人たちです」と応えたので、ひと安心。ここまで来てチケットを買うのに1時間も並ばされたんじゃ、たまったもんじゃない。

窓口でOne adult.と言ってから、Sorry, one senior, please!と言い直す。どうも自分が老人だという自覚がなくて困る。チケットと地図を渡され「12時45分にこの地図の⑥と表示されているところに行って並ぶと、mansion(邸宅)の内部が見学できる」と説明を受ける。邸宅は英語でmansion、日本のマンションはapartmentとかイギリスならflatと言う。だからアメリカ人やイギリス人に「私はマンションに住んでいる」と言うと、大きな誤解を受けることになる。

最初にワシントンが賓客をもてなした居間に入る。ポイントポイントにガイドがいて説明してくれる。2階にはいくつものベッドルームがあり、最後の突き当りの寝室はワシントンが息を引き取ったというベッドがそのまま置いてあった。1階に降りると書斎があった。彼は毎朝5時に起きて、ここで洗顔した。隣には召使の小部屋があり、ここで食事を用意したといいう。

渡り廊下を通って隣の建物に行くと、そこはキッチンだった。火を使うので、火事にならないように母屋から少し離れたところに新しく建てたのだと言う。その一角が1メートルほど低くなっている、そこで豚や羊をぶら下げてさばいたようだ。ひっかけた鉄の鉤も残っている。

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マウント・バーノンの邸宅


外に出てワシントンの墓まで10分ほど歩く。さすがに多くの人が群がっていた。さらに15分ほど歩くとSlave Cabinがあった。ワシントンは何人かの奴隷をやとっていたのだが、その家族が住んでいた粗末な小屋だ。

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ワシントンと婦人が眠る墓

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粗末なSlave Cabin。邸宅との落差に驚き

その小屋の前から入口近くまで行く無料のシャトルがあったのでそれに乗り、入口近くのEducational Center(教育センター)へ。ワシントンに関する展示を見る。まず彼は「フレンチ・インディアン戦争」で司令官として頭角をあらわす。これはイギリスとフランスの領地争いだったのだが、双方に複数の違うインディアンの部族がついて、かなり錯綜した戦いになった。きっとイギリスもフランスも「こちら側につけば、あなたたちの土地は守ってやる」とか言って懐柔したのだろう。勝利したイギリス側から見て「フランス+インディアン」との闘いだったので、そのような名前が付いた。戦功のあったワシントンだったが、イギリス本国からは全く無視されたのだった(このあたりの歴史は『アダムのリンゴ 歴史から生まれた世にもおもしろい英語』を執筆した時に必死で勉強した)。

そしてイギリスからの独立戦争では総司令官となって、アメリカ独立の立役者になる。そこには自分をスルーしたイギリスへの恨みがあったのかもしれない。今度はこの前の戦争で敵だったフランスが味方になって一緒に戦い、アメリカはイギリスからの独立を勝ち取るのである。当時は戦争の司令官として能力ある者は政治家としても力を発揮すると考えられていた(古代ローマで言えばカエサルもそうだが)。ワシントンが初代大統領に選ばれたのには、そんな理由もあったのだ。

こんなクイズもあった。ワシントンと名のつく地名、通り、学校の数は? メモを取らなかったのでうろ覚えだが、地名がワシントンDCやワシントン州イチローのいるシアトルがある)を含め30、通りが500、学校が300台だったような気がする。

全部見終わって外に出た時は、5時を過ぎていた。停留所で待っていると、バスが来たが101番ではない。でも「ハンチントン・ステーション」と言う表示があったので、寒空で待っているよりはいいと思い乗ることにする。相変わらず、機械にカードをタッチしてもビー!と音がして拒否されてしまう。しかたなしに1ドル紙幣を2枚入れると、運転手が「もう一度カードをタッチしろ」と言う。言われた通りにすると「これでOKだ」と言うが、何がOKなのかわからなかった。今度は駅まで50分もかかったが、アメリカの広大な田舎の風景が好きなので全然苦にならない。

そして駅の改札でカードをタッチすると、今度は何の問題なく扉が開くではないか!  地下鉄も改札を出る時も普通に改札が開いた。あの運転手はいったいどんな魔法を使ったのだろうか?  料金不足だったのでチャージしただけなのか? でも払った2ドルはバス運賃だ。私は確かに1週間有効のチケットを買った記憶があるし、明後日まで有効なはずだ。今朝だって、地下鉄の係員が「カードはOKだ」と言っていたではないか? 謎は深まるばかりだ(2日後にカードで地下鉄に乗ったが、何の問題もなかった)。