旅三昧&ときどき読書+映画

私は小泉牧夫。英語表現研究家という肩書で『世にもおもしろい英語』『アダムのリンゴ 歴史から生まれた世にもおもしろい英語』(IBCパブリッシング刊)という本を書いています。2018年4月に 出版社を退職し、41年にわたる編集者生活を終えました。いま世界中を旅しながら、本や雑誌記事の執筆とともに、旅先ではこのブログを書いています。お金はありませんが、時間だけはたっぷりある贅沢な旅と執筆と読書と映画の日々を綴っていきたいと思います。

旅三昧&ときどき読書+映画

私は小泉牧夫。英語表現研究家という肩書で『世にもおもしろい英語』『アダムのリンゴ 歴史から生まれた世にもおもしろい英語」(IBCパブリッシング刊)という本を書いています。2018年4月に出版社を退職し、41年にわたる編集者生活を終えます。それからは世界中を旅しながら、本や雑誌記事の執筆をする予定。お金はありませんが、時間だけはたっぷりある贅沢な旅と執筆と読書と映画の日々を綴っていきたいと思います。

憧れのモンセラットでパニックに

417日、船には乗船客が何千人も乗っていて、みな一人ひとりスケジュールが違う。私のように今日バルセロナで降りる人もいれば、そのままローマやギリシャまで行く人もいる。一昨日の夜、各部屋に書類が配られ、船をどのような形で降りるのかを記入した。前夜のうちにスーツケースを部屋の外に出しておいてポーターにターミナルまで運んでもらい、下船してからターミナルで受け取る人が一番多いようだ。その人たちの多くは、そのまま空港に行って飛行機に乗る。

私はスーツケースを自分で運んで降ろす「Self Service Disembarkation」という方法を選んだ。スーツケースをバスの荷物室に入れて、そのままモンセラートへのツアーに行くからだ。

今朝は、同時にスペインへの入国(通関手続き)もしなければいけない。ツアー参加者はクラウンプリンセス劇場の入口の前で、行き先ごとに番号と色のついたバッジを胸に貼る。私は今日は「オレンジ12」。モンセラットに行く人はオレンジ、11~13まで3つの組に分かれていた。車輪の壊れたスーツケースを引きづり、階段では持ち上げて運びターミナルへ向かう。今まではルームカードさえ持っていれば降りられたが、今日はパスポートが必要だ。ターミナルの広大な部屋にはたくさんのスーツケースが並んでいた。私のように自分で持って船を降りる人は緑。番号もその人が下船後どう行動するかによって違ってくる。その色と番号ごとに整然と分けられている。

同じツアーの人たちと列をつくり歩いて行くと、前方に簡単な机があった。制服を着た入国審査官らしき人が立っている。列の前の方の人たちは、みんなそこを通り過ぎて行くが、私はスーツケースを持っていたので、その係官に「船をチェックアウトするんですね?」と聞かれた。「はい、そしてスペインに入ります」と言うと、彼は「スペインへようこそ」とスペイン語で言った後、私のパスポートを開いてつくづく眺め、「日本のパスポートは初めて見ましたよ」と言いながらポンとスタンプを捺してくれた。

アーバスの運転手に「今日ここに戻ってきたら、荷物を降ろしてタクシーでホテルに行きます」と言い、「荷物をピックアップするのを忘れないようにしなければなりませんね」と付け加える。運転手も「くれぐれも忘れないようにしてくださいよ」と言いながら、重いスーツケースを荷物室に入れてくれた。

バスは市街地を抜けて、郊外に出た。しばらくすると山地に入り、右側にモンセラットの異様な山並みが見えてきた。何と譬えればいいのか? 頂上が丸くなった縦に細長い岩がいくつも並んでいる。ガウディがサグラダファミリアなどの設計をする時にインスピレーションを得たと言われている山だ。彼の建築は、四角いコンクリートを組み合わせたような無機質なものではなく、丸い素材を合わせた、あたかも自然の中にいるような温かみを感じさせるものが多いが、その発想の基にはこの山があったと言われている。

バスは1時間半ほど走って駐車場に着いた。目の前に丸い岩山に抱かれるように修道院があった。『地球の歩き方に』には、「モンセラットに行くには、ふもとの駅まで列車で来て、その先はロープウェイか登山列車に乗る」と書いてある(それ以外の交通手段は、私のようバスで来るか車で来るかだ)。駐車場の先の展望台からは、その両方の駅が見える。

 

 

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モンセラットと修道院

修道院の教会には12世紀のものとされている木彫りの「黒いマリア像」が祀られている。教会の先の岩山に、急な斜面を昇って行くもうひとつのケーブルカーも見えた。垂直に上に上がっている。まるでエレベーターだ。ツアーガイドの後について修道院や教会に関する説明を聞いた後、自由時間になった。ガイドは「午後2時にバスに集合してください」と言う。

私は、以前TVBSの「ヨーロッパ空中散歩」という番組でこの山を見て、ぜひ行ってみたいと思い始めたのだが、その時には山のてっぺんに何人かの人がいた。そこには、きっとこのエレベーターのように垂直に昇るケーブルカーで行くのだろう。時計を見ると12時。まだ2時間ある。ガイドに聞くと、「ケーブルカーで片道7分くらい」だと言う。「チケット窓口でかなり並ぶようでしょうか?」と聞くと、「その時々で違うのでわからない」と言う。

垂直ケーブルカーの駅に行くと、私の前に4人が並んでいた。どういう訳か一番先頭の人が窓口でチケットを1枚買うのに時間がかかっている。中には3人の係員がいるが、何もしていない。販売機の故障だろうか? 私の後ろにもどんどん長い列ができていく。10分ほど待って、やっとその人はチケットを手にすることができた。その後は私も含め、みんなすぐにチケットを買うことができた。

1230分のケーブルカーに乗ることができた。青梅の御岳山のケーブルカーで慣れ親しんでいる私も、これほどの急勾配は初めてだ。何年か前に比叡山延暦寺に行った時、帰りは琵琶湖側の坂本というところまでケーブルカーで降りたが、そこが日本で一番傾斜がきついと言っていた。だが全く比べ物にならない。

ちょうど真ん中で上から降りてくるケーブルカーとすれ違い、何分かで頂上駅に着く。駅を出ると、「サント・ジョン教会跡まで15分」という標識があったので、そこまで歩くことにした。私は3年前にふくらはぎの部分断裂をしているので歩くのも遅い。道は広かったが、本格的な登山のよう。道の片側は崖になっている。落ちたら確実に命を落とすだろう。20分ほど歩いたが、まだ教会跡には着きそうもない。道はどんどん狭くなってくる。人ひとりが通れるように崖を削ってつくった狭い道もあった。ちょっとでもバランスを崩すと真っ逆さまだ。前方には垂直に昇る狭い階段も見える。そこに行くまでには、もっと危険を伴う狭い道を通らなくてはならなかった。若い頃なら何の不安も感じずに行っただろう。とにかくあともう少しなのだ。だがもう歳だし、自分のバランス感覚にも自信がない。バスに間に合わなかったら大変だし、いろんな人に迷惑をかけると自分を納得させ引き返すことにした。

駅に戻り、時計を見ると130分。これなら大丈夫だ、問題もなく1時45分か50分にはバスに戻れるだろう。下りケーブルカーに乗ると、すぐに扉がしまった。ところが扉が閉まってから、2分たっても3分たっても動き出さない。何かあったのだろうか? このままケールブルカーが故障して、降りられなくなったら大変なことになる。どうやって桟橋まで帰るのか? その時、私のスーツケースはどうなるのか? 船の方でも私がバルセロナで泊まるホテルは把握していない。

扉が閉まって5分も過ぎただろうか? やっとケーブルカーは下り始めた。ホッとした。これで荷物と一緒に桟橋まで帰れる。そしてタクシーでホテルに行ける。

帰りのバスでは、ミネソタから来たという夫婦と親しくなり、いろいろ話をした。私が朝スーツケースを持って船を降りたので、「このツアーが終わったら、そのまま空港に行くのか?」と聞いてきたのだ。「いいえ、市内のホテルに泊まって5日間滞在します」と応える。先ほどケーブルカーで上まで行き、教会跡にたどり着く途中で引き返してきたこと、下りケーブルカーが山頂駅で5分止まったまま動かずに、パニックになったことを話した。

奥さんが言った。「もしケーブルカーが動かなくなったら、下まで歩いて降りてくるのは大変ですよね」。私は「その後も大変ですよ。このツアーのガイドや皆さんにも迷惑がかかるし、ロープウェイや登山電車で帰って夜遅くに桟橋に着いてもう船は出てしまっているし、スーツケースと私は離れ離れになってしまう訳ですから」。以前、日本人のフリーのツアーガイドに聞いたことがあるが、空港にお客様を迎えに行って、もし会えなかったら、もうクビになってしまうのだと言う。

バスは無事に桟橋に着いた。バスを降りる時に、そのご夫妻に「良いクルーズを続けてください」と言うと、「ありがとう。あなたもバルセロナで楽しく過ごしてくださいね」と言ってくれ、握手をして別れた。

バスの運転手がスーツケースを荷物入れから降ろしてくれたので、チップの5ユーロ札を渡す。何と750円だ。私はこれまで1ユーロのコイン2枚か2ユーロ・コイン1枚をチップとして渡していたのだが、ツアーガイドの手の平を見るといつも札が握られていた。米ドルなら1ドル紙幣があるが、どうもユーロでは5ユーロが札としては一番安いようだ(違っていたらごめんなさい)。私はいつも(レストランのウエィター・ウエィトレスやタクシーの運転手のように料金の15%程度を払う場合を除き)、200円相当を基準にしてチップを渡していた。アメリカでは1ドル札が2枚ない時は、クオーター(25セント硬貨)を8枚渡したこともある。札がないのだから仕方ない。でも、アメリカに住む娘には「コインでは余った小銭を渡しているようで失礼だ」と言われたことがある。

以前、私の本の著者・イギリス人のブライアンさんにチップについていろいろ尋ねたことがあるが、彼でさえも「チップというものには正解がないので、なかなか難しい」と言っていた。ブライアンさんは、その後「To Tip Or Not To Tip, That Is the Question」(チップを払うか払わないか、それが問題だ)というタイトルで英語の原稿を書いてきた。もちろんシェークスピアTo Be Or Not To BeThat Is the Question生きるべきか死ぬべきか、それが問題だ)のもじりだ。

桟橋からタクシーに乗って、港の近くのフランサ駅の前のホテルに着いた。11ユーロ50セントだった。20ユーロ渡して、8ユーロ50セントのお釣りをもらった。スーツケースも積んでもらったので、少し多めのチップを払った方が良かったのだが、私はそのお釣りの中から2ユーロと1ユーロのコイン、計3ユーロを渡した。運転手は「ムーチャス・グラシアス」と言って受け取った。料金の25%だからチップとしてはちょっと高いのだが、コイン2枚だった。