旅三昧&ときどき読書+映画

私は小泉牧夫。英語表現研究家という肩書で『世にもおもしろい英語』『アダムのリンゴ 歴史から生まれた世にもおもしろい英語』(IBCパブリッシング刊)という本を書いています。2018年4月に 出版社を退職し、41年にわたる編集者生活を終えます。それからは世界中を旅しながら、本や雑誌記事の執筆をする予定。お金はありませんが、時間だけはたっぷりある贅沢な旅と執筆と読書と映画の日々を綴っていきたいと思います。

旅三昧&ときどき読書+映画

私は小泉牧夫。英語表現研究家という肩書で『世にもおもしろい英語』『アダムのリンゴ 歴史から生まれた世にもおもしろい英語」(IBCパブリッシング刊)という本を書いています。2018年4月に出版社を退職し、41年にわたる編集者生活を終えます。それからは世界中を旅しながら、本や雑誌記事の執筆をする予定。お金はありませんが、時間だけはたっぷりある贅沢な旅と執筆と読書と映画の日々を綴っていきたいと思います。

母が「行って来い」と送り出してくれた海外旅行

ジムに行こうと思ったのだが、ちょっと頭の奥が痛かったので、大事をとって家で過ごした。佐藤優著『十五の夏』という本を読み始める。43年前の1975年、高校1年だった著者が、両親から入学のお祝い代わりにお金を出してもらって行った「東欧・ソ連」の旅行記だ。この時代で、しかも初めての海外で共産圏に行ったというのだから凄い。この旅が、その後の彼の人生を決めたのだだろう。上巻の帯には「『何でも見てやろう』『深夜特急』につづく旅文学の新たな金字塔」というキャッチコピーがある。

この当時、海外旅行に行くというのはおおごとだった。私が出版社に入社したのが1977年。その年の秋に上司がフランクフルトブックフェアに行くというので、羽田空港まで見送りに行ったことがある。大きな部屋で「壮行会」が開かれ、見送る方も送られる方も代表が何人か挨拶をしたことを覚えている。それこそ「万歳三唱」でもしそうな雰囲気だった。

そういえば、私も大学2年の時に初めて海外旅行に行った。1974年だったと思う。佐藤もそうだが、私もこの時「海外に行くのはこれが最初で最後だ」と信じ込んでいたので、何度も海外に行ける数次旅券ではなく1回限りの一次旅券を取得した。この時、旅行会社の人から「一度行くと、また行きたくなるんですよね」と言われたことをはっきりと覚えている。一次旅券は1989年に廃止され、いまでは5年と10年のどちらかのパスポートを選べるようになっていると言う。

この私の海外旅行は、母が私に「行ってこい」と言ってくれたことで実現したものだ。「これからは、会社に入っても海外に出張に行ったりすることが多くなる。だから、その時に恥をかかないように一度くらい学生のうちに行っておいた方がいい」と。父は公務員だったが、ボーナスと同じくらいの金額のお金を職場で「教育目的」という名目で借りてくれて、私はイギリスとフランスに1か月行くことができた。

母はとても保守的な人だったし、ケチで小遣いもほとんどくれなかった。学費や本や参考書など勉強に使うものについては何も言わずにお金を出してくれたが、それ以外はびた一文くれなかった。「もう戦後ではない」と言われた時代だったが、私はいつもツギ(今の若い人にわかってもらえるだろうか?)のある服を着ていた。小学校の時、家庭科の時間に先生が「今ではもうツギのある服を着ている人はいませんが、ツギを当てる方法は習っておいた方がいい」と言った時、クラスメイトの1人が「まだいるよ」と言って私を指さしたことがあった。

その徹底したケチというか倹約家の母に勧められて行った海外旅行が、その後の私の人生を変えた。出版社に入社し海外担当になり、毎年NYやフランクフルトで開催されるブックフェアに行き、外国の出版社の人たちと英語で商談をした。毎年、暮と正月の休暇には家族でヨーロッパやアメリカをドライブした。『世にもおもしろい英語』と『アダムのリンゴ 歴史から生まれた世にもおもしろい英語』という英語表現に関する本も書いている。娘はアメリカ人と結婚しフロリダに住んでいる。2人のハーフの孫たちも完全なバイリンガルだ。そして私はこれからの人生を海外旅行と本の執筆で生きて行こうと思っている。そのすべてが、母の一言から始まっている。

『十五の夏』は佐藤優の旅の回顧録だが、同時に私の旅や人生も回顧しながら読んでいる。いま上巻の半分まで。これからの展開が楽しみだ。

もうひとつ、この本を読みながら思い出したことがある。8月中旬に予定しているイギリス・フランス旅行のホテルを予約していないのだ。8月後半のエジンバラからスコットランド湖水地方を廻るドライブについてはレンタカーもホテルも予約したのだが、前半の旅はまだ全く予約していない。

イギリスの南部を廻ってからフェリーでフランス・ノルマンディに渡り、またイギリスに戻るというコース。まずネットで船の予約をする。Pooleという小さな町からシェルブールへの便がある。1日に1往復だ。その1週間後にまた同じ船で戻ってくる予定で考えていたのだが、フランスに渡る日がどうしても画面に表示されない。日曜日でもう予約が一杯なのかもしれない。でも、私は車をフェリーに乗せるわけではない。このネット上の表記でいうところの「on foot passenger」なのだ。人間をひとり乗せるくらいどうにかならないのだろうか?

いろいろ考えたあげく、コースを変更する。ポーツマスから船に乗ってフランスのカーンに行き、そこからシェルブールに行って、また船でイギリスのプールという町に戻るというコースにするとうまくいくことがわかった。ノルマンディの行程が逆になるが、そのことで1日余裕が出て来たので、イギリスのBritonにも寄って1泊することにする。

フェリーの予約を済ませてから、とにかくイギリス側のホテルを予約。まず値段を見て当たりをつけてから地図を見る。私はバックパックを背負ってスーツケースで転がして、電車で移動する予定なので、駅から近いホテルにする必要がある。次に口コミをチェックする。ほとんど英語で、日本語はたまにあるだけ。口コミをチェックしている時ほど英語が読めてよかったと思うことはない。

そんな風にじっくり吟味すると、ホテルをひとつ予約するのに30分から1時間かかる。同じ部屋でも「キャンセル不可」と「無料キャンセル可」という表示がある。「可」の方が数百円高いが、念のためそっちを予約する。

結局、往復のフェリー(行きと帰りでコースは違うが)とイギリス側のホテルを予約するだけで3時間かかってしまった。でも、自分でネットで簡単に予約できる時代になったのはありがたい。

『十五の夏』を読むと、著者は何度も何度も旅行代理店や大使館に足を運ばなければならなかった。その時代と比べると天国と地獄ほどの違いがある。