ファレーズ村に行けなかった! 痛恨のミス
8月20日、フランス・ノルマンディのカーンという街の真ん中には、海の向こうのイングランドを征服したノルマンディ公国の王ギヨーム(ウイリアム征服王)が1060年頃に建てたお城がある。いまは城壁だけが残っているが、その中には博物館や美術館がある。
今日もホテルでスーツケースを預かってもらい、城壁の門の入口をくぐってすぐのところにある建物でチケットを買う。博物館と美術館の共通券だ。「城壁の中にレストランがあるか」聞くと、今日は月曜で閉まっているという。仕方なしに、またホテルの近くに戻り、カフェでサンドイッチを食べながらコーヒーを飲む。フランスのサンドイッチは四角いパンではなく細長くて硬いバゲットにハムやチーズを挟んだものだ。
それを食べながら、ふと以前フランス語のテキストの編集長をやっていた時のことを思い出した。校正段階でサンドイッチとクロークムッシュというパンのイラストが入れ替わっていることに気づいたのだ。担当者がサンドイッチを日本と同じ四角いものと勘違いしたことで生じた間違いだった。私は言った。「フランスではチーズやハムを細長いバゲットで挟むのがサンドイッチで、四角い方がクロークムッシュなんだ。日本的感覚で判断してはダメだよ」と。私がフランスをひとりでバックパックを背負って歩き廻っていたから気がついたが、他の人が編集長だったら、そのままミスとして世に出てしまったかもしれない。
サンドイッチを食べ終わると。また城壁の中に戻り博物館に入る。私が40年前に見た記憶のあるフランスとイギリスの領土争いの推移を解説したパネルはもうなかった。歴史というよりノルマン人の生活様式や農業や酪農の推移に焦点が当てられていた。おもしろかったのはノルマンディの馬の分布図だ。ノルマンディはサラブレッドの産地なのだが、東側半分では競走馬が飼育され、西側では農耕馬がより多く育てられている。競馬好きの人が見たら興味深いのかもしれない。
博物館から出て、城壁の上を歩きながらのんびりと街の風景を見降ろすと、いくつもの教会や修道院の建物が見える。美術館はサッと見て終わりにしようと思っていた。もう40年も前のことだが、ここには入った記憶があるし、午後には駅からバスでウィリアム征服王が生まれたファレーズという村に行こうと思っていたからだ。
ところが美術館に入ると、前にここに来た時の感覚が蘇った。今とは正反対の真冬だった。降りしきる雪の中、この美術館にたどり着いて中に入った時に、ものすごく暖かなものに体中が包まれたような気がしたのだ。外の雪と寒さをものともしないような厚い壁に覆われて、心からの安心感を得ることができたのだった。
絵を見始めるとすぐに「あと10分で12時30分です。午前中の公開時間が終わります」というアナウンスが流れ、現実に引き戻された。近くにいたスタッフに「午後は何時に開くのか」尋ねると「2時からです」と言う。
今日の夕方には世界記憶遺産である「ノルマン・コンクエストの様子を刺繍したタピストリー」のあるバイユーという街に行き、そこのホテルに宿泊する。だが明日の朝早く起きてここに来れば、絵が見られるではないか。私はスタッフに「今日はこれからファレーズに行きますが、明日午前中にまた戻ってきます。このチケットで再入場できますか?」と聞くと、「入れます」と言う。日本だと前日のチケットでは、再入場はできないだろうが、さすが芸術の国フランスだ。
バスの時間までは、ゆっくり時間がある。そうだ、この街のもうひとつの名所である男子修道院をサッと覗いてから、駅に行って2時のバスに乗ろう。ところがこの判断が大きな間違いのもとだった。歩いても歩いてもなかなか男子修道院に着かない。いろいろな人に道を聞きながら、やっとのことで目の前に修道院が見えてきた時にはすでに1時20分になっていた。
駅に急がないと、午後に1本だけのファレーズ行きのバスに間に合わない。ところがまた道に迷い、バスに乗ろうかとか、タクシーが来ればすぐにつかまえて駅まで飛ばしてもらおうなどと考えるが、バス亭の場所もわからないし、ましてやタクシーなど通りそうもない。
焦って駅に向かって歩いていたが、そのうちに1時45分になってしまった。日本的感覚ならば、ギリギリでバス停に行けばどうにか間に合うと思うかもしれないが、ここはフランス。バスのチケットを買うにも行列に並ばなければならない。
この時点で私はファレーズに行くのを完全に諦めた。先ほどの美術館にまた戻ることにしたのだ。残念! 男子修道院に寄ろうなどと考えずに、そのまま駅に向かっていれば、ファレーズに行くことができたのに・・・。
美術館の入口に着いたのは1時55分。自宅に戻り昼食と休憩を終えたスタッフたちが三々五々戻って来る。やはり彼らの生活には余裕がある。「働き方改革」など必要ないのだ。
私はそれから午後4時まで、ゆっくりとこの美術館に収蔵されている作品を堪能することができたのだった。
こんなことを思い出した。日本の絵では空はあくまでも風景の背景でしかない。だが、ヨーロッパの絵画では青空や雲がことさらに美しく描かれている。別の表現を使えば「力が入っている」のだ。それは、空というものが、人間の住む地上と神がいる天国とを結ぶ非常に重要な場所であるからだ。そんなことを美術の専門家に話して感心されたことがあった。
それを実感したのはもう40年も前、そう、ここカーンの美術館でのことだった。