旅三昧&ときどき読書+映画

私は小泉牧夫。英語表現研究家という肩書で『世にもおもしろい英語』『アダムのリンゴ 歴史から生まれた世にもおもしろい英語』(IBCパブリッシング刊)という本を書いています。2018年4月に 出版社を退職し、41年にわたる編集者生活を終えました。いま世界中を旅しながら、本や雑誌記事の執筆とともに、旅先ではこのブログを書いています。お金はありませんが、時間だけはたっぷりある贅沢な旅と執筆と読書と映画の日々を綴っていきたいと思います。

旅三昧&ときどき読書+映画

私は小泉牧夫。英語表現研究家という肩書で『世にもおもしろい英語』『アダムのリンゴ 歴史から生まれた世にもおもしろい英語」(IBCパブリッシング刊)という本を書いています。2018年4月に出版社を退職し、41年にわたる編集者生活を終えます。それからは世界中を旅しながら、本や雑誌記事の執筆をする予定。お金はありませんが、時間だけはたっぷりある贅沢な旅と執筆と読書と映画の日々を綴っていきたいと思います。

ギヨームはバルフルールから出港していなかった!

8月22日、フランスのシェルブールはフランス・ノルマンディのコタンタン半島の先端にある港町だ。この不思議な名前の半島は、モンサンミッシェルのすぐ横にあるというとても理解されやすい。私がこの街を訪れた理由は映画「シェルブールの雨傘」の舞台地となったからではない。毎日書いている「ノルマン・コンクエスト」において、重要な意味を持つ場所に近いからだ。

シェルブールから西に20キロほど東に行った半島の突端に「バルフルール」という人口600人の漁村がある。1066年ノルマンディ公国の王ギヨームとその軍隊が、この港からブリテン島を目指して船を繰り出したとされている。つまり「ノルマン・コンクエスト」はこの港から始まったのだ。

以前よく「ヨーロッパ空中散歩」という斉藤由貴がナレーションをやっているBSの番組を見ていた。その番組で、この村の風景が上空と地上から映し出された。その時、私は「将来、自分は絶対この村に行く」と思いこんでしまった。その番組のコメントでも「イングランドを征服したノルマンディの王様ギヨームは、この港から出港してイングランド征服をなし遂げました」と紹介されていたのだ。

昨日の夕方、シェルブールの駅から歩いて20分ほどのホテルに着いた私は、さっそくフロントで「明日バルフルールに行きたいんですが、バスがありますか?」と尋ねたのだった。彼女は「ウイ」と応え、「駅の横のバスターミナルから午前中と午後に1本ずつバスがあるはずです。バス会社はManeoと言いますから、詳しい時刻はウェブサイトで調べてください」と親切に教えてくれた。私は「日本でネットをいくら調べてもシュルブールからバルフルール行きのバスに関する情報はありませんでした。ですからレンタ・サイクルかレンタ・オートバイで行こうと思っていたんです」と言うと、その女性は驚いたような顔をしていた。

部屋に入ってパソコンを出し、ネットでManeoのホームページでチェック。なぜ日本ではネットに表示されなかったのかわかった。フランス語のサイトだからだ。「出発地シェルブール・目的地バルフルール」と入力すると1日に5本あることがわかった。だが、そのうち2本がバルフルールまでの55分の特急バスで、それ以外は1時間40分もかかる。よく見ると、特急バスは村までの直行便、遅い方はシェルブール駅から電車に乗り、どこかの駅で降りて、そこからバルフルール行きのバスに乗り変えるというコースだった。バス会社のホームページなのに、鉄道とバスを組み合わせて目的地へ行く方法も表示される。日本ではちょっと考えられない。

私は1230分のバスに乗った。料金は2ユーロ50セント。300円ほどだ。バスにはもうひとり、バックパックを背負ったいかにも旅人と言った風情の中年男性が乗っていた。さらに途中のバス停で、紺のジャケットと白いワイシャツをきちんと着こなした若い青年の二人組が乗り込んできた。

バスは緑濃い真夏のノルマンディの森や田園の中を走った。この時「自転車かオートバイをレンタルして、バスでバルフルールに行こうと思っていた」と言った私に対して、フロントの人がなぜ驚いたのかがよくわかった。地図を見ると一直線の道になっている。だから私は、そのまままっすぐに行けばいいと思っていた。ところが途中にはフランス語でrond-point(ランド・ポワン)、英語ではround-aboutと呼ばれる「ロータリー」がいくつもあった。そこに入ると出口が3つ4つもあり、ひとつ間違えばとんでもないところに行ってしまう。全てのロータリーに「バルフルール」をいう標識が出ている訳ではない。自分の行く方向にある小さな町の名前を知らないと、そのサークルのなかをぐるぐる廻ることになる。レンタカーに乗っていて助手席に誰かがいれば、その間にGPSや地図で調べて、どの出口で出たらいいか、つまりどの道に進むか教えてもらえるが、1人で自転車やバイクに乗っていたらそれは無理だ。何十もあるロータリーで毎回ストップして、いちいち地図を見ていたら、いつまで経っても目的地には着かない。もちろん道を聞きたくても、ロータリーの近くに人がいる可能性はゼロだ。

私はとんでもない無謀なことを考えていたのだ。走りなれているバスのドライバーが運転しても50分もかかる道を、全く土地勘のない私がバイクを走らせたら、とてつもなく長い時間がかかっただろう。場合によっては道に迷って、その日のうちにシェルブールに戻って来れなかったかもしれない。

バスは村はずれのバス停に着いた。一緒に降りた若い女性に村の観光案内所の場所を聞くと、「この道をまっすぐ行くと港に突き当たるので、そこを左に行くと教会があります。その隣です」と親切に教えてくれた。

観光案内所が開くのは午後2時からで、まだ30分も時間があった。12時30分から2時まではきちんと休むのだ。それはこれまで訪れた美術館や博物館のスタッフも同じだった。隣にある教会の中を覗き、港の周辺をほっつき歩いた後、観光案内所のドアの前で待っていると、スタッフらしき女性が25分前にやってきて中に入りカギを閉めた。そして2時ちょうどになると、中からカギを開けた。

私は真っ先に入って、その女性に話しかけた。「私はフランスからとても遠い日本から来ました。ノルマン・コンクエストにとても興味があり、ギヨームがこの港からイングランドに船で渡ったということで、はるばるやって来たんです」。彼女の最初の言葉は「Unfortunately…」(残念ながら・・・)だった。「実はギヨームがバルフルールの港から出港したというのは事実ではありません」と言ってフランスの地図を取り出し「船を出したのはこの小さな港です」と言いながら〇をつけてくれた。それは聞いたこともない地名だった。ルーアンとかルアーブルよりももっと先にある。バルフルールとは100キロも離れた場所だ。

彼女は言った。「確かに木を切って船を作ったのはここなんですが、ギヨームはここからイングランドに行っていません」。私は「でも、日本のテレビでもそう言ってましたし、私が読んだ本でもみんなそうなっていましたよ」と言うと、「それはlegend(伝説)でしかないのです」と応え、彼女は最後にまた「unfortunately」と申し訳なさそうに言った。ショックだった。でも気にしてもしょうがない。現地に来て、新しい事実がわかっただけでも大きな収穫だと気持ちを切る変えることにした。私はその女性スタッフに「真実を知ることができて良かったです」とお礼を言い外に出た。

中世から残る村の中を私はまた歩き始めた。家々の壁はつながっていて、外敵の侵入を防ぐための外壁の役割も持っていることもわかった。

その時、途中から同じバスに乗ってきた2人の青年が、ずっと同じベンチに腰かけて話し込んでいるが見えた。手には何かの本を持っている。何かの勉強に来た学生だろうか? はるばるこの村にやってきて観光しないのだろうか? 中世からそのまま抜け出たような村の風景に興味はないのだろうか? そのまま前を行き過ぎようと思ったが、勇気を絞りって話かけた。「Excuse me?  Do you speak English?」と。ひとりが「Yes, we are American」と応えた。何と「アメリカ人に英語ができるか」と聞いてしまったのだ。私は尋ねた。「おふたりは私と同じバスに乗っていましたよね。でも観光もされずに、ずっと話し込んでいるので、とても興味を持ちました。村を歩かれないのですか?」

「私たちはクリスチャンのミッショナリー(伝道師)なのです。ある人と会うために、このベンチで待っています」と言う。私は失礼かと思ったが「Are you Mormon?」(モルモン教の方ですか?)と尋ねた。彼らは「Yes!」と応えた。

「私は日本から来ました。日本でもモルモン教の人が熱心に布教活動をしています。ちょうどあなたたちと同じように紺のジャケットを着ているので、そうかと思いました。私も電車の中でモルモン教の人に声をかけられたことがあります。その人の日本語は完璧でした」と言った。

ひとりが応えた「私の母は昔、日本で布教していました。今はすっかり忘れていますが、その当時は日本人と同じように日本語が話せたと言っています」。

「おふたりともユタ州の出身ですか?」と聞くと、ひとりが「私はテキサス州のダラスですが、彼はそうです」ともうひとりを指さす。「私はダラスに行ったことがあり、JFケネディが暗殺された場所も訪ねましたよ」と言った。それから話がはずみ20分も話し込んでしまった。

彼らと別れ再び村の中を探索をした後、5時半にシェルブールへ戻るバスの停留所に少し早めに行くと、彼らはもうそこにいた。「どうでしたか? 待っていた人に会えましたか?」と聞くと「残念ながら、その方は現れませんでした」と言う。「そうですか? それは残念です」と私は言い、「実は、もしよろしかったらカフェにでも行って、コーヒーでもご馳走したいと思ったのですが、コーヒーは飲んではいけないんですよね」と言うと、申し訳なさそうに「もうそのお気持ちだけで、とてもありがたいです」と応えた。

モルモン教では酒もコーヒーも飲むことを禁じられている。そのせいかわからないが、ガンで死ぬ人は驚くほど少ないという話を聞いたことがある。

バスがやって来た。シュルブールから来た時に乗っていたバックパッカーの中年男性も一緒に乗り込む。私はバスでも彼らの近くに座り、モルモン教の戒律について不躾にもいろいろ質問してしまった。「結婚ではできると思うんですが、離婚はできるんですか?」「はい、両方ともできます」「ミッションの派遣先は自分で選べるんですか? それとも強制的に決められてしまうでんすか?」「以前ハワイに行った時、ポリネシアン・カルチャーセンターというところでショーを見ました。そこはモルモン教がやっているんですよね? 南太平洋の島々ではモルモン教を信仰する人が急激に増えていると聞いてます」「そうです。ハワイには教団が運営する大学があるんです」・・・そんな話を彼らがバスから降りるまで延々と続けた。

彼らも私との会話を心から楽しんでいるような表情に見えた。本当にそうならいいのだが・・・。