旅三昧&ときどき読書+映画

私は小泉牧夫。英語表現研究家という肩書で『世にもおもしろい英語』『アダムのリンゴ 歴史から生まれた世にもおもしろい英語』(IBCパブリッシング刊)という本を書いています。2018年4月に 出版社を退職し、41年にわたる編集者生活を終えました。いま世界中を旅しながら、本や雑誌記事の執筆とともに、旅先ではこのブログを書いています。お金はありませんが、時間だけはたっぷりある贅沢な旅と執筆と読書と映画の日々を綴っていきたいと思います。

旅三昧&ときどき読書+映画

私は小泉牧夫。英語表現研究家という肩書で『世にもおもしろい英語』『アダムのリンゴ 歴史から生まれた世にもおもしろい英語」(IBCパブリッシング刊)という本を書いています。2018年4月に出版社を退職し、41年にわたる編集者生活を終えます。それからは世界中を旅しながら、本や雑誌記事の執筆をする予定。お金はありませんが、時間だけはたっぷりある贅沢な旅と執筆と読書と映画の日々を綴っていきたいと思います。

英語学校はサウジアラビア人でいっぱい!

8月24日、イギリス・ボンマスの「チョコレート・ボックス・ホテル」は実際はB&Bで、部屋も驚くほど小さかった。日本の基準で言えば、畳6畳くらいのスペースにベッドからシャワーからトイレまでを詰め込んでいると言えば、一番わかりやすいだろう。シンク(洗面台)はなど私の顔より小さく、もちろんPCを広げるデスクもなかった。

妻の最後の授業が1230分に終わるので、1階の食堂で朝食を食べ、支度をして学校に向かう。

学校の玄関の前で待っていると、授業を終えた生徒たちが続々と外に出てくる。頭に布をまとった女性や顔が浅黒くヒゲをたくわえた青年などイスラム系の学生も多い、もちろん白人の男性や女性もいる。彼らはスペインやイタリア、フランス、スイスなどの近隣から留学している生徒だろう。あるいは中南米の国々からか?

妻が出てきた。先生や他の生徒とお別れをして来たので、遅くなったという。

妻の話によると、サウジアラビアからの学生がものすごく多いと言う。だが最近までこの国はとても保守的で、外国人が入国したり国民が外国に出たりするにも厳しい制限があった。女性が車の運転をしたというだけの理由で逮捕されたのは、ほんの2年前ほど前のことだ。その女性は海外で免許を取得し、何度も車を運転していたし、きちんと国際免許も持っていた。

昨年だったと思うが、サウジラビアの新しい王様が日本に来て安倍首相と会い、サウジの企業を東証一部上場に上げてほしいという会談をしたのを覚えている。その時のニュースの論調は、「石油はいつか枯渇してしまう。その次のことを考えないと、このままでは国の将来が危うい」とものだった。

新しい王様は、これまでのような保守的な社会を変えて、国をどんどん新しく変えていくことを真剣に考えているようだ。その一端が若者の教育、特に英語教育だ。もともとアラブの国民は、みんなオイルマネーのお陰でとてつもない大金持ちだ。自分の子供をイギリスに留学させて英語をマスターさせるなどは、たやすいことで、懐も全く痛まない。そのあたりは、私とは全く違う。

妻が2か月生活していたレジデンスは学校から10分くらいの街の中心にあった。ベッドとシャワー・トイレと勉強机と小さなタンスがあるだけのシンプルな部屋だったが、勉強するには申し分ない環境だ。部屋の外には、キッチンや談話室なども完備されていた。

夜は、ブライアン・ポールさんのお友達のグラハム夫妻の家にお邪魔する。私の著者『世にもおもしろい英語』と『アダムのリンゴ』を渡すと、ページを開いて英語の部分を声を出して読み上げる。「私でも読める本ですね」とうれしそうに言い、サインを求められる。

車で海辺の豪華なレストランに連れて行ってもらいディナー。特にシーフードがおいしかった。

妻は、この街の英会話学校と先生が素晴らしかったこと、いろいろな国の友人がたくさんできたことを話した。奥様と妻はもう何度も会っている。「本当に英語が上手になったわね」と喜んでくれる。私は、イギリス南部からフェリーでノルマンディに渡りノルマン・コンクエストの跡をたどってきたことを話した。

「ヨーロッパから遠い日本にいて、なぜノルマン・コンクエストに興味を持ったんですか?」とご主人に聞かれる。「『アダムのリンゴ』という本のサブタイトルは『歴史から生まれた世にもおもしろい英語』です。中世にノルマンディの王様が船でイギリスに渡り、王を倒してイギリスの王様になってしまい、数多くのフランスが英語に入ってきたというダイナミックな歴史の流れにとても興味を持ちました」と説明する。

そしてもうひとつこんなことも。「私はヨーロッパの風景画が大好きなんです。特に深い森があって、そこを通る一本道などが描かれていると、どうしょうもなくノスタルジックな気持ちになります。きっと私は前世では、フランスあたりで馬車の御者をしていたんじゃないかと思うんです」