旅三昧&ときどき読書+映画

私は小泉牧夫。英語表現研究家という肩書で『世にもおもしろい英語』『アダムのリンゴ 歴史から生まれた世にもおもしろい英語』(IBCパブリッシング刊)という本を書いています。2018年4月に 出版社を退職し、41年にわたる編集者生活を終えました。いま世界中を旅しながら、本や雑誌記事の執筆とともに、旅先ではこのブログを書いています。お金はありませんが、時間だけはたっぷりある贅沢な旅と執筆と読書と映画の日々を綴っていきたいと思います。

旅三昧&ときどき読書+映画

私は小泉牧夫。英語表現研究家という肩書で『世にもおもしろい英語』『アダムのリンゴ 歴史から生まれた世にもおもしろい英語」(IBCパブリッシング刊)という本を書いています。2018年4月に出版社を退職し、41年にわたる編集者生活を終えます。それからは世界中を旅しながら、本や雑誌記事の執筆をする予定。お金はありませんが、時間だけはたっぷりある贅沢な旅と執筆と読書と映画の日々を綴っていきたいと思います。

シェーンブルン宮殿と軍事歴史博物館

613日(木)、地下鉄Uバーンの「8日パス」の使い方がわからない。細長いペラペラの紙に縦に数字が1から6まで並んでいて、その間には線が引かれている。駅にある機械でどうやって日時を印字すればいいのか? 検札の時に、毎日きちん打刻されていないのが見つかると、何と1万円の罰金になるという。

フロントで聞いてみると、その線のところで折って、一番に手前の日にちのスペースに打刻すればいいと言う。なるほど! 『地球の歩き方』には、そんな細かなところまで書いてなかった。

駅でパスに打刻して、昨晩コンサートがあったシェーンブルン宮殿に向かう。もう地図がなくても地元の人のように地下鉄も乗れるし宮殿にも行ける。ここではヴィエーナパスをチケットに代えてもらうため、長い行列に並ばなくてならない場合もあるという。でも行ってみたら、パス専用の窓口があり、そこですぐにチケットをもらうことができた。「10:45」と打刻されている。決められた時間ごとに入場できるのだ。

まだ15分待たなければならない。起きてからバナナ1本食べただけで、お腹がすいていた。チケットのチェックをして見学者をさばきながら入場させている女性スタッフに「breakfastを済ませて、打刻された時間より後に入ることができるか」聞いたら、「Yes, you can have breakfast.」と言う。

入口の手前にあったレストランでブランチ。シーザーサラダ、ソーセージ2本のセットにコーヒーを頼む。ウェイターが「本当にサラダとソーセージを一緒に持ってきてもいいのか?」と聞くので「Yes!」と答える。すぐにその理由がわかった。そのシーザーサラダの量が半端ではなかった。もうこれだけで十分だったが、ソーセージも2本、おまけにパンも付いていて量が多い。仕方なしに時間をかけてゆっくり食べる。支払いの時に「28ユーロ」と言われ驚いた。何と3,700円ではないか! 仕方なしに、チップ3ユーロ足してカードで払う。こんなにお金を使っていたら大変なことになる。70歳になる前に自己破産してしまうかも……と反省。年金生活者でも金使いが荒ければ、当然自己破産になるんだろう。今夜の夕飯はバナナ2本にしよう。

入口でチケットを見せて入ろうとすると、先ほどの女性スタッフが「ちょっと待って」と言う。「15分待って」と。私は10:45と印字されているチケットを見せて「いま11時ですよ」と言うと、「ああそうね。OKよ」と言う。あんたが食事をして、その後で入ってもいいって言ったんじゃないか。でも入口ではたくさんの人が押し合いへし合いしているので、彼女には11人の事情など考えていられない。

日本語のオーディガイドを受け取って、最初に部屋に入る。各部屋の入口の上には番号がある。ガイド機のボタンで番号を押して緑のマークを押すと解説が聞ける。豪華絢爛というには、こういうことだろう。ハフスブルク家の富がいかにすごいものであったか、よくわかる。その富と名声を保つために、何人もの娘が他の国の王に嫁いでいった。フランス王と結婚したマリー・アントワネットもそのひとりだ。

ナポレオンもオーストリアに攻め込んだことがあった。フランス皇帝ナポレオンに嫁いだ女性もいたが、これも明らかに政略結婚だったのだろう。

しばらくすると、昨晩にコンサートが開かれた細長い部屋に入った。この宮殿では一番広い部屋で、昔は夜ごとに演奏会や舞踏会が開かれたと言う。モーツアルトも、幼少の頃この部屋で演奏したことがあったそうだ。

途中でコースは2つに分かれていた。私のチケットには「グランドツアー」と印字されていたので、そちらに向かったが、もう一方は短時間の駆け足で見学する団体客の短いコースなのだろう。

フランス革命ナポレオン戦争後のヨーロッパの秩序回復のために開かれたウィーン会議が行われたとされる部屋、ソ連フルシチョフアメリカのJFケネディが緊張緩和に向けての会談をしたという部屋もあった。まさに多くの歴史が刻まれた宮殿であることがわかる。

ゆっくり2時間半かけて、オーディオガイドの解説を聞きながら部屋をまわる。きっとツアーでは駆け足なので、こんなに深く知ることはできないだろう。日本に帰ったら、オーストリアの歴史をじっくり学んでみようと思う。

広い庭園に出て、向かいの丘の上にあるグロリエッテという白亜の記念碑に向かう。私の脚で30分。くねくねと曲がった急坂を昇って行くと、横長の大理石の建物があった。ヴィエーナパスを自分でスキャンして螺旋階段を昇り屋上に上がる。遠くウィーンの街並みを望むことができる。少しベンチに座ってくつろいでいたが、これからまた宮殿まで歩いて戻るのかと思うと気が重くなってきた。確かグロリエッテと宮殿を結ぶトラムがあったはずだと思い、『地球の歩き方』を確認すると、「30分に1度巡回する」とある。もうそろそろ、このあたりに着く頃かもしれないと、身を乗り出して下を覗くと、左の方にトラムが停まっているではないか。すぐに螺旋階段を駆け下り行ってみると、もうほとんどの座席が埋まっていた。係員は「まだ座席が1つだけ空いている」と、パスにスキャンして乗せてくれた。トラムはすぐに出発になり、宮殿の入口前に到着した。

目の前にはオランジェリーという建物。シェーンブルン宮殿オーケストラの本拠地で、本来はここでコンサートが開かれる。映画「アマデウス」にあったモーツアルトとライバルのサリエリとの音楽対決があったのもこの建物だ。いまリノベーションをしているらしく、そんな理由で宮殿内部でコンサートが行われているらしい。一昨日、路上でチケット買った時にも、売り子の若者が「いつもは違うところでやるんだけれど、今回は特別なんだ」と言っていたっけ。

宮殿を出て、地下鉄の駅に向かおうとすると、バス停があり、そこには黄色いヴィエーナパスのマークがあった。そうだ、これに乗れば、街の中心のオペラ座まで行ける。そうすれば歩く必要がない。待つこと5分ほどで黄色い2階建てのバスが来た。

入口のところに黄色いイヤフォンが積んであったので、それをもらい、2階の座席について、前の座席の背もたれの裏側にある穴に差し込む。日本語はチャンネル5だという表示があったので、その番号に合わせると解説が聞こえてきた。今バスが走っている場所についていろいろ説明してくれる。次のバス停は「ウィーン中央駅」だと言う。そうだ、確かその駅の近くに「軍事歴史博物館」があったはずだと思い、中央駅で降りることにした。

iPhoneの地図を頼りに道に迷いながら歩くこと30分。昔のお城のような建物が見えてきた、それが目指す博物館だった。

ここには第一次世界勃発のきっかけとなった「サラエヴォ事件」で、暗殺されたオーストリアの皇太子フェルディナンドが乗っていた自動車や着ていた服も展示されている。服の胸のところには銃で撃たれた穴が残っていた。それだけ見て帰ろうと思ったが、2階にも展示があるようだ。上がってみると、17~18世紀にかけてオーストリアが参戦した戦争にまつわる膨大な展示があったので、駆け足でみてまわった。

外に出て、また中央駅まで戻ろうとしたが、ここから歩くのは大変なので、何か他の手段がないか、いろいろパンフレットを見てみた。ヴィエーナパスを買った時にもらった英語の小冊子を捲っていると、先ほど乗ってきたバスがこの博物館にも来ることがわかった。何だ、中央駅で降りずに、次までくればそのままここに来れた。あんなに歩かなくもよかったんだ。なぜこんな勘違いをしたか? それは、この「軍事歴史博物館」がドイツ語でHeeresgeschichtlichesだったからだ。これではわかるはずがない。

念のために入口のところで待っていた男性に聞くと、「黄色いバスはここに来る。自分も待っているんだ」と言う。ドイツ人だと言う。「これからザルツブルグプラハに行って、その後ベルリンに行く」と言うと、首をひねっている。ドイツ人なのに「ベルリン」がわかってもらえない。そうだ、英語では「バーリン」と発音するんだと思い直し、もう一度発音するとわかってもらえた。私は英語では「バ―リン」でもドイツ語では「ベルリン」と発音すると思っていた。

私が「これからドナウ川で観光船に乗ろうと思う」と言うと、「今朝乗ったけど、面白くなかたった」と言う。私は「アメリカのシカゴやニューオーリンズアムステルダムバンコクでも川で船に乗ったけど、とても面白かったですよ」と言うと、「緑の水面が見えただけだよ」と言う。いい情報をもらった。今日はもうホテルに戻ることにしよう。

私はやって来た黄色いバスでオペラ座まで行き、そこからU1の地下鉄でホテルに戻った。