旅三昧&ときどき読書+映画

私は小泉牧夫。英語表現研究家という肩書で『世にもおもしろい英語』『アダムのリンゴ 歴史から生まれた世にもおもしろい英語』(IBCパブリッシング刊)という本を書いています。2018年4月に 出版社を退職し、41年にわたる編集者生活を終えました。いま世界中を旅しながら、本や雑誌記事の執筆とともに、旅先ではこのブログを書いています。お金はありませんが、時間だけはたっぷりある贅沢な旅と執筆と読書と映画の日々を綴っていきたいと思います。

旅三昧&ときどき読書+映画

私は小泉牧夫。英語表現研究家という肩書で『世にもおもしろい英語』『アダムのリンゴ 歴史から生まれた世にもおもしろい英語」(IBCパブリッシング刊)という本を書いています。2018年4月に出版社を退職し、41年にわたる編集者生活を終えます。それからは世界中を旅しながら、本や雑誌記事の執筆をする予定。お金はありませんが、時間だけはたっぷりある贅沢な旅と執筆と読書と映画の日々を綴っていきたいと思います。

ベートーベンとフロイトの足跡を訪ねて

614日(金)、ウィーンの北の郊外「ハイリンゲンシュタット」へ。地下鉄Uバーンの終点だ。ここには、一時期ベートーベンが住んでいた。耳が聞こえなくなったベートーベンが遺書を書いたというこの家が、今はベートーベン記念館になっている。近くには、散歩しながら曲想を練ったという「ベートーベン・ガング」もあると言う。「ガング」とは「道」のことらしい。

さて、どちらに先に行こうか? この2つが近いのか、遠いのか? 歩ける距離なのかもわからない。『地球の歩き方』には、記念館へは「A3」というバスで、散歩道には路面電車「D」の終点からすぐと書いてあった。

駅前にA3のバスが停まっていたので、それに飛び乗る。運転手に「このバスはベートーベン記念館か、ベートーベン・ガングに行くか?」と聞くと、「両方へ行く」と言う。

iPhoneマップで「ベートーベン・ガング」の場所に印をつけ、バスがそこに一番近づいたところで降りようとしたのだが、これが大きな間違いだった。

iPhoneマップが使えるようになって、ずいぶん便利になった。以前はバスの運転手に一番近くのバス停で降ろしてもらうように頼んでいたが、オーストラリアのケアンズで「ノー」と言われたことがある。そこまでは保証できない、自分は運転に集中したいので勘弁してほしい……ということだったのかもしれないが、それがトラウマになって、降りる場所は自分で判断するようにしている。

ベートーベン・ガングまで「車で」3分のところまで来た。もうそうそろだろうと思っていると、どんどん遠ざかっていくではないか! 運転手に聞くと、最寄りのバス停はもう通り過ぎてしまったので、降りて道の反対側のバス停で待っているようにと言われた。

バス停で『地球の歩き方』をじっくり読むと、ミュージアムに行くには「駅から5つ目のバス停で降りる」とちゃんと書いてあるではないか! バスに乗り込んだ時に、瞬間的にiPhoneに頼ろうとしたのが間違いのもとだった。

15分ほど待つと、さっきのバスが戻って来た。乗り込んでしばらくすると、そのバス停名がスクリーンに表示された。ストップボタンを押して、降りようとすると、運転手が「次だ」と言う。でも、スクリーンに表示されているではないか。私は、その言葉を振り切って降りた。

降りてから、やはり違っていたことに気づいた。どうも私は「言葉」より「文字」を信用する傾向にある。特に海外では。

バスのスクリーンの仕組みがわかった。その上の方には、いくつかのメインのバス停が表示されるが、これはあくまでも「メイン」であって、その間にはいくつかのバス停がある。一番下の赤い文字が、次に停まるバス停だったのに、メインのバス停が一番先に表示されていたことで、勘違いしてして降りてしまったのだ。

仕方なしに、歩いて「次のバス停」を目指す。iPhoneマップにミュージアムの住所を入力し15分ほど歩くと「次のバス停」があったが、まだまだ先のようだ。時刻表を見ると、バスは10分に一本ある。こんな田舎なのに、なぜこんなに本数があるのだろうか。

隣でバスを待っていた女性に「ベートーベン記念館に行きたいのですが……」と言うと、きれいな英語で「ここから3つ目です」と教えてくれた。聞くとフィリピン人で、近くの南アフリカ大使館に勤めていると言う。「だから、そんなに英語がお上手なんですね」と言うと、「でも、ドイツ語は少しなんです」と言う。

彼女に教えてもらってバスを降りた。時間を見ると午後1時。お昼休みも終わった時間で、ちょうどいいなと思いながら歩いて記念館に到着。ドアを開けようとするが閉まっている。あれ? 今日は休みなのか?と思って表示を見ると、「1000130014001800」となっている。ちょうどお昼休みに入ってしまったばかりだった。

しかたなしに、先にベートーベン・ガングに行こうと考え、iPhoneマップで確認すると「歩いて15分」だった。私の脚でも20分でいけるだろう。

坂を上がり切ると、そこが目指す「ガング」だった。『地球の歩き方』には、ここに来るには「Dという路面電車の終点」で降りるといい、と書いてあった。バスに乗らずに、最初からハイリンゲンシュタットの駅前で路面電車に乗っていれば、もう1時間も前にここにたどり着いていた。

散策の前に、その「路面電車の終点の駅」を見ておこうと思った。私の感覚だと、東京中心部からの路面電車が、例えてみれば狭山丘陵あたりまで延びているような感じで、とても不思議に思えたからだ。

なんの変哲もない普通の路面電車の駅だったが、近くにレストランがあったのでお昼を食べる。ボリュームのあるサラダとパン、アップルジュースで12ユーロ。これが普通だ。昨日の朝食はシェーンブルン宮殿のレストランで食べたが、シーザーサラダとソーセージの盛り合わせとコーヒー、それにチップも入れて3,300円も取られた。あれが異常だったのだろう。

また「ガング」に戻って散策。緑が溢れ、左手には小川が流れる。頑丈にセメントで固められた遊歩道だが、ベートーベンがここを歩いていた時から、こんなしっかりした造りになっていたのだろうか? 

往復で40分。散策を終え、またミュージアムに戻る。ここでもパスが使える。2万円分の高額なパスの代金も、もかなり消化している。

ここでは交響曲「田園」などを作曲したと言う。耳が不自由になったベートーベンが使ったというピアノがあった。鍵盤の上方に金属でできた覆いがあり、そこに頭を突っ込んで音を確認しながら作曲したのだという。

 

f:id:makiotravel:20190616110600j:plain

 

バスに乗って、ハイリンゲンシュタット駅に戻る。路面電車に乗ってウィーン方面に向かい、途中の駅で降りて、今度は「フロイト記念館」へ。ここは規模も小さく大した展示もなかったが、ただひとつ、フロイトの生涯年表のパネルに「1911年、アルフレッド・アドラーがウィーンに心理分析協会を辞める」という表記があった。

私は、10年ほど前に岸見一郎先生の『アドラー 人生を行く抜く心理学』という本を編集した。京都駅のホテル「グランビア」で初めて会って、打ち合わせをしたのだが、この時に「先生はいつか大ベストセラーを出して、ビッグネームにならなければいけない人なんです」と、年上ということもあって気楽に言ってしまった。何かつい昨日のことのようだ。

アドラーは当時、アメリカでこそフロイトユングと並んで三大心理学者と呼ばれていたが、日本では誰も知らなかった。企画編集会議でも「日本でアドラーが知られていないのは、こんな心理学者のことを本にしても面白くないからだろう」などと散々なことを言われたが、その3年後に『嫌われる勇気』が出て大ベストセラーとなった。いまは200万部を超えているのではないだろうか?

ウィーンに「アドラー記念館」を作ったら、アメリカ人や日本人が数多く訪れるかもしれない・・・などと考えながら、また路面電車に乗ってオペラ座に戻り、地下鉄に乗り代えてホテルに戻った。