旅三昧&ときどき読書+映画

私は小泉牧夫。英語表現研究家という肩書で『世にもおもしろい英語』『アダムのリンゴ 歴史から生まれた世にもおもしろい英語』(IBCパブリッシング刊)という本を書いています。2018年4月に 出版社を退職し、41年にわたる編集者生活を終えました。いま世界中を旅しながら、本や雑誌記事の執筆とともに、旅先ではこのブログを書いています。お金はありませんが、時間だけはたっぷりある贅沢な旅と執筆と読書と映画の日々を綴っていきたいと思います。

旅三昧&ときどき読書+映画

私は小泉牧夫。英語表現研究家という肩書で『世にもおもしろい英語』『アダムのリンゴ 歴史から生まれた世にもおもしろい英語」(IBCパブリッシング刊)という本を書いています。2018年4月に出版社を退職し、41年にわたる編集者生活を終えます。それからは世界中を旅しながら、本や雑誌記事の執筆をする予定。お金はありませんが、時間だけはたっぷりある贅沢な旅と執筆と読書と映画の日々を綴っていきたいと思います。

旧王宮とキュリー夫人博物館へ。そうだ、私の編集者人生はポーランドブームの中で始まった

630日(日)、いつものように朝7時までブログを書き11時まで寝る。12時にホテルを出て、今日こそワルシャワの旧市街へ。旧王宮を中心としたこの地区は、第二次大戦でナチスにより徹底的に破壊された。だが戦後、市民たちは「ヒビの1本にいたるまで」と言われるほど忠実に町を復元し、何年か前に世界遺産になった。

ワルシャワの地下鉄は縦に1本、横に1本あるだけで、あまり使い勝手が良くない。ホテルから旧市街までに行くには、まず中央駅まで西の方角に歩き、地下鉄で北に行き、また東の方に戻ってこなければならない。つまり「コ」の字を逆にしたような行程になる。だったらホテルからそのまま北に上がって行っても、歩く距離はほとんど変わらない。

おしゃれなブテッィクやカフェが並ぶ「新世界通り」を北に歩くと寿司屋があった。朝も昼も食べていなかったので、お腹がペコペコ。メニューの中から「クラシック寿司」と日本茶を注文。食べている時に味気がなくなり、味噌汁まで頼んでしまった。店主らしき人が日本語で話しかけてくる。こういう店を出すだけあって、かなり上手な日本語だ。

会計が何と90ズウォテイ。日本円にすると2700円だ。チップを入れて100ズウォテイも散財してしまった。日本のコンビニなら800円くらいで同じものが食べられただろう。もっと節約しなければと反省しながら旧王宮に向かう。

雲ひとつない晴天。パリでは45度の最高気温を記録したというが、そこまでの暑さではない。街はカラフルで明るい。これまで私はワルシャワと言えば、何か薄暗くて荒廃したイメージだった。それはやはりロマン・ポランスキー監督の「水の中のナイフ」やアンジェイ・ワイダ監督の「地下水道」「灰とダイヤモンド」「大理石の男」などモノクロ映画によって植え付けられたものだろう。「鉄の男」ではカラーになっていたが、かなりのモノトーンだった。他の監督の「ブリキの太鼓」という映画もあった。カラーだと記憶しているが、何か不気味な映画だった。

「水の中のナイフ」はストーリーは忘れてしまったのだが、なぜか手の指の間にナイフを次々に突き刺していくというシーンだけは鮮明に覚えている。親指の外側、次に親指と人差し指の間、また親指の外の戻って今度は人差指と中指の間・・・というふうに素早くナイフを動かしていく。指を刺してしまったら危ないと思っていたら、「これは難しそうだが、練習すれば誰でもできるようになる」というせりふがかぶさった。私も真似をして練習したら、すぐにできるようになった。ショーケン桃井かおりが共演した「青春の蹉跌」にも、同じシーンがあった。あれはポランスキー監督へのオマージュだったのだろう。

出版界でも一時ポーランドブームがあった。ポーランドは日本とソ連という広大な森を挟んで隣同士。憎き抑圧者ロシアにも戦争で勝っているから、なおさら日本と日本人には好意を抱いているという、そんな風潮があった。

ワルシャワ大学の日本語学科で教授を務めていた工藤幸男さんの『ワルシャワ7年』、奥さん久代さんの『ワルシャワ猫物語』という本もヒットした。私が出版社に入ったすぐ後だから1980年頃だったと思う。ワルシャワでは、今では普通に寿司もあるし味噌汁も飲めるが、当時は大変だった。久代さんの本だったと記憶しているが、ポーランドで「味噌」や「豆腐」をつくるための涙ぐましいまでの努力が詳しく描かれていた。その成分を化学式に当てはめて調合し、ビーカーやフラスコで量をはかって完成させたというのだ。

その工藤幸男先生が奉職していたワルシャワ大学の前を歩き、旧市街へ向かう。大きな広場があったが、なかなか王宮らしきものが見えて来ない。しばらく行くと、赤字レンガの門が見えてきた。

f:id:makiotravel:20190702113237j:plain

その先には少し小さめの広場があり観光案内所があった。と言うことは、ここが旧市街の中心なのだろう。でも、今日は日曜で閉まっている。おかしい。王宮らしきものが見えない。犬を散歩させていた地元の人がいたので聞いてみたら、もう旧市街を通り過ぎて新市街に来てしまっていると言う。

元来た道を戻り、赤レンガの門をくぐると、先ほどの広い広場の前に大きな宮殿があるではないか。何度もテレビで見たあの赤茶けた王宮だった。

f:id:makiotravel:20190702113342j:plain

もう245分。途中で食事もしたが、ホテルを出てからここにたどり着くまでに2時間45分もかかっている。チケットを買い、日本語の音声ガイドがあるか尋ねると「Not yet.」(まだありません)と言う。「No」ではなく、「今はないけれどいつか日本語ガイドも入れますよ」というニュアンスを含んだ、うまい否定の仕方だ。

数多くの部屋に入り、パネルの英語の解説を読みながらゆっくり進む。「玉座の間」には、広い部屋の一番奥に王様が座る立派な椅子が置いてあった。隣の部屋は面会する人たちの待合室になっていた。壁が緑の「緑の間」に続いて、薄い黄色の「黄色の間」もあった。なぜかこの部屋が気に入ってしまった。とても落ち着ける。椅子が2つあったので、そのひとつに腰掛ける。これまでは椅子には紐がかかっていて、座れないようになっていたが、その紐がこれにはない。ゆっくり座って部屋の雰囲気を味わっていたら、係の人が飛んできて「この椅子には座らないでください」と注意される。「座るのはプラスチックの椅子だけにしてください」。

f:id:makiotravel:20190702113430j:plain

全部の部屋を見終えて、外に出るともう5時になっていた。観光案内所の先に「キュリー夫人」の博物館があるはずだ。夜8時までやっているから、そんなに焦る必要はないのだが・・・。地図を見ながら注意深く歩くが、どうしてもみつからない。また新市街の広場まで来てしまった。また地元の人らしき人を探して尋ねる。犬の散歩をさせている人か、乳母車に赤ちゃん乗せている人。手当たり次第、人に聞いても「私も観光客なんです」と言われるのが落ちだ。「ここをまっすぐに行けば、左にあります」と言う。また戻るがどうしても見つからない。ポーランド料理のレストランのビラを配っている人がいたので尋ねると、目の前の建物を指さして「ここだ」と言う。「運が良かったよ。明日は休みだ」。

もう5回も6回も前を通り過ぎたところだ。よく見ると、壁には「Muzeum Marii Sklodowskiej Curie」という青銅のプレートがはめ込まれている(ちなみに旧王宮も地図には「Rynek Strego Miastra & pl. Zamkowy」とある)。これではわからない。せめて英語を併記してほしい。

中に入って受付で入場料を払う。日本語のパンフレットが向かいの部屋にあると言うので手に取って見ていると、何と日本語で書かれた市街地地図もあるではないか。観光案内所に行けばもらえたものなのだろう。

2階でキュリー夫人に関する展示を見る。彼女はノーベル賞2度受賞していている。最初は「放射線現象」についての研究で夫と一緒に物理学賞。3年後に夫が馬車に轢かれて死亡するが、失意の中で研究を続け、今度は「ラジウム」の研究に関してノーベル化学賞を受賞した。それだけではない。何と娘夫妻が「人工放射能」の研究で化学賞を受賞している。全部で5つ、まさにノーベル賞一家だ。

キュリー夫人に関する書物は多い。世界中で数多くの本が出ているはずだが、ショーケースにはなぜか日本語の本ばかり展示されている。後になってその理由がわかった。受付の前の小部屋に大きな芳名帳があった。いろんな国の言葉で、名前や感想が書かれている。それを読んでいたら、日本語で「2019.6.30  日本から皇嗣ご夫妻のご訪問に同行」と書いてあり、その人の名前もあった。そうか皇嗣ご夫妻、というより秋篠宮様紀子様がいらしてたんだ。

受付の女性に「今日、日本からどなたかVIPがいらっしゃったのですか?」と聞くと、「はい、午前中に日本のprinceprincessにご訪問いただきました」と言う。「皇嗣」は英語ではcrown princeになるという新聞記事が読んだ。英語になると意味がとりやすくなることがあるが、これもその良い例だろう。

外に出ようと思ったら、2人の日本人の男性が入ってきた。「今日、秋篠宮様がここにいらしたらしいですよ」と言うと、「そうなんですか。今晩はワルシャワにご宿泊されるんでしょうか」と言う。スロバキアにある日本企業の駐在員だと言う。恐らく明日の月曜日にワルシャワで仕事があって前乗りし、少し時間があったので旧市街に来たのだろう。

旧王宮から裏手に廻り、ヴィスワ川のほとりの遊歩道をゆっくり歩いて、ホテルに戻った。