旅三昧&ときどき読書+映画

私は小泉牧夫。英語表現研究家という肩書で『世にもおもしろい英語』『アダムのリンゴ 歴史から生まれた世にもおもしろい英語』(IBCパブリッシング刊)という本を書いています。2018年4月に 出版社を退職し、41年にわたる編集者生活を終えました。いま世界中を旅しながら、本や雑誌記事の執筆とともに、旅先ではこのブログを書いています。お金はありませんが、時間だけはたっぷりある贅沢な旅と執筆と読書と映画の日々を綴っていきたいと思います。

旅三昧&ときどき読書+映画

私は小泉牧夫。英語表現研究家という肩書で『世にもおもしろい英語』『アダムのリンゴ 歴史から生まれた世にもおもしろい英語」(IBCパブリッシング刊)という本を書いています。2018年4月に出版社を退職し、41年にわたる編集者生活を終えます。それからは世界中を旅しながら、本や雑誌記事の執筆をする予定。お金はありませんが、時間だけはたっぷりある贅沢な旅と執筆と読書と映画の日々を綴っていきたいと思います。

ブダペスト発ウィーン行き列車。途中で降ろされたけれど、とても楽しかった

78日(月)、今日は午後240ブダペスト発の列車でウィーンに戻る。これで中央ヨーロッパ1周したことになる。1030分にホテルをチェックアウト、スーツケースを預かってもらって作曲家リストの記念館へ。

3日前に購入したブダペスト・カードの有効期限は72時間、あと2時間で切れてしまう。写真家のロバート・キャパの記念館も近くにありパスが使えるようだが、『地球の歩き方』にも解説が載っていない。ということは、それほど大々的な展示はないのかもしれない。日本に帰って、沢木耕太郎のキャパに関する本を読むことにして、私はリストの方を選んだ。

この街に3日いるので、もう地図を見なくとも地下鉄で行けるようになった。世界で2番目に古いとされるイエローラインの駅で降り、リスト記念館を探すが、なかなかたどり着かない。iPhoneの地図では記念館と私の位置が重なっているのだが・・・。買い物袋を下げたおばあさんを初め何人かの人に尋ねてやっと到着。日本のように大きな看板はない。建物入口の上部に小さなプレートがあるだけで、外から見ても見分けがつかない。

受付でブダペスト・カードを見せると、「ここではそのパスは使えません」とのこと。キャパ記念館は確実に使えるので、そっちにすれば良かったかもしれないと思ったが、もう遅い。入場料と日本語の音声ガイドの料金をクレジットカードで払う。

私の前で日本人らしい若い女性がチケットを買っていた。なんとなく日本人だとわかる。動きがおっとりしていて、おしとやかなのだ。日本の音大の学生だろうか? ピアノではないかもしれないが、何か専門的に楽器をやっていそうな雰囲気を醸し出していた。

リストはハンガリー出身で広くヨーロッパで活躍した作曲家でピアニストでもあった。世界でも日本国内でもフランツ・リスト呼ばれているが、ハンガリーでは日本と同じように苗字・名前の順になる。だから自分自身ではリスト・フランツと名乗っていたと言う。

たった3部屋だが、彼が実際に使った数々のピアノや机、祈りを捧げる小祭壇、家具、肖像画など20の展示品に関してじっくり解説を聞く。日本人らしき女性も私が音声ガイドを聞いているのを見て、受付に行ってガイドを借りた。だが、彼女は他にも行くところがあったのか、20分もガイドを聞くと出て行った。私のようにじっくり全部解説を聞くことは、一過性の旅行だと難しいのだろう。1泊や2泊の滞在だと、どうしても大急ぎでその街を代表する観光地だけを見ることになる。

リストは身長も高く、手がとても大きかったことでも知られている。石膏でかたどった実物大の手の模型があったが、私の指の15倍はある。その大きい手で超絶技巧を駆使しなければ弾くことのできない難曲を作曲し演奏したと聞いたことがある。1時間半ほどリストの世界に浸り、記念館を後にした。

地下鉄に乗りホテルに取って返すと、スーツケースを受け取ってまた地下鉄でブダペスト東駅へ。列車発車時刻の1時間前に着いた。イギリスの諺だったか、「遅すぎるより早すぎる方がいい」というのがあった。

例によって、駅のコンコースで電光掲示板にプラットホームの番号が出るのを待つ。まだ、ハンガリーフォリントのコインが余っていたので、全部使ってお菓子を買い食べながらさらに30分。発車15分前になってやっと表示された。何と目の前の8番線。もっと遠くのホームなら10分もかかる場合もある。駅ではスーツケースを引っ張りながら猛ダッシュしている人の姿をよく見かける。

ファーストクラスは先頭の1両だけ。4人掛けのゆったりしたコンパートメントの車両だった。私がスーツケースに脚を乗せてリラックスしていると、2人の大柄な青年が入ってきた。「スーツケースは邪魔だから通路に置いておきます」と言うと、「ノー・プロブレム」と言って筋骨隆々とした腕でスーツケースを上に押し上げて棚に載せてくれる。

列車はハンガリーの田園風景の中をのんびりと走る。ウィーン到着は520分。2時間半の列車の旅だ。実は私はあえてゆっくり走る列車を選んでいた。この旅の最後をじっくりと味わおうと思ったのだ。ECという国際長距離列車でも料金は同じだが、アッという間に着いてしまう。そうはしたくなかった。

iPhoneの地図で確認すると、国境が近づいて来たことがわかる。その時、車掌が突然コンパートメントのドアを開け、何事か青年たちに話している。2人は驚いたような顔をした。2人にどうかしたのか聞くと、英語で「この列車はここまでで、違う列車に乗り換えなければならない」と教えてくれた。「なぜ?」と聞くと、「よくわからない」と言う。ひとりが棚から私のスーツケースを降ろしてくれた。

乗客はみんな列車から降りている。私もそれに従うしかない。アジア系の顔をしたカップがいたので、「あなたたちもウィーンに行くんですか?」と聞くと「Yes」と言い、「何があったんですか?」と私に聞く。私に聞かれてもわからない。香港人で、昨日飛行機でブダペストに着いたと言う。

ホームでは鉄道会社の職員らしき人が大勢の人に囲まれ、ドイツ語で何やら説明している。近くにいた品の良い女性が私たち3人に英語で説明してくれた。「この先オーストリアで電気系統のトラブルがあって、このハンガリーの機関車では走行できないので、違う列車に乗り換えてほしいと言っています」。ルーマニア人だと言う。今日も困った時に手を差し伸べてくれる“旅の神様”が現れた。

私が「日本ではこんなこと考えらない」と言うと、香港から来た女性が「えっ、日本人だったんですか?」と驚いている。「去年に日本に行ったんですが、まったく英語が通じなくて本当に驚きました。あまりにも自然に英語をしゃべっていらしたので、日本人ではないと思っていたんです」と言う。喜んでいいやら悲しんでいいやら。「でも日本は素晴らしい国です」と一生懸命カバーする。男性も「京都、奈良、大阪、それから北海道にも行きました。北海道が一番好きです」と言う。

私はルーマニア人の女性に「英語がお上手ですね。国内で勉強されたんですか?」と聞くと、父親が先見の明がある人だったので、共産主義の時代にもかかわらず英語を学ばせてくれたんです」と言う。私が「チャウシェスクの時代ですね」と言うと、「そうチャウシェスク独裁の時です」と言う。チャウシェスクと夫人が処刑されてから、もう30年くらいになるだろうか? 「ルーマニア人で一番よく知られているのはコマネチです。私の世代の日本人では知らない人はいません」と言うと、女性は嬉しそうに頷く。彼女がカップルの2人に「コマネチって知ってますか?」と聞くと「No」と言う。私は世界的に有名な北野監督のギャグについて話そうと思ったが、くだらないのでやめた。

香港の女性が「Holidayなんですか?」と私に聞く。いつものように、去年の4月に東京の出版社を定年退職して、いま中央ヨーロッパ1か月かけて旅行していることを説明する。「611日にウィーンに着いて、ザルツブルグ、チェスキー・クルムロフ、プラハ、ベルリン、ワルシャワ、クラコフ、ブダペストと歩いて、またウィーンに戻り、明後日モスクワ経由で日本に帰ります」と説明した。男性が「僕たちもチェスキー・クルムロフに行って1泊するんです」と言う。「そうなんですか。もし時間があったら、お城の裏側に広々とした庭園がありますから行ってみてください」と“先輩”としてアドバイスする。

なかなか次の列車はやってこない。鉄道会社の係員が「あと25分待ってください」と言ってまわっている。カップルの女性に「東京では渋谷に行きましたか? スクランブル交差点があったでしょ?」と聞くと、「行きました」と言う。「私が勤めていた会社はそのすぐ近くにあったんですよ」と説明した。暇に任せて「忠犬ハチ公」の話もしたが、知らないようだった。いまハチ公の前は写真を撮る外国人旅行者の長い行列ができて大変なことになっている。

「今は旅行だけをしているんですか?」と彼女が聞くので、「本を書いています。そうだ、最初に書いた『世にもおもしろい英語』という本は中国語にも翻訳されているんですよ。残念ながら台湾の中国語ですが・・・」と言うと、「台湾と香港の中国語は同じなんです」と言う。そうか、広東語というのかな? ネット検索すると『世にもおもしろい英語』中国語版の紹介が出てくるはずだと思い、iPhoneで検索すると小泉牧夫という名前と中国語の書名に加えて私の略歴も出てくる。彼女はその中国語を読んで「Great!」と言う。男性は「You are famous!」と言う。私は「No, infamous(悪名高い)」と言うと、4人で大笑いになった。「もう1冊『アダムのリンゴ 歴史から生まれた世にもおもしろい英語』という本も、もうそろそろ中国語版が出来上がりますので、ぜひ買って読んでください」と宣伝する。

香港の2人は「明日1日だけウィーンに滞在する」と言う。ずいぶん駆け足の旅だ。ルーマニア人の女性が「ウィーンではザッハートルテというケーキを食べるといいですよ。どこで食べられるかわらないけれど」と言う。私は「オペラ座の近くにザッハーというホテルがあったので、そこで食べられると思います。ザッハーという料理人が考案したウィーンを代表するデザートです」と説明した。女性は「ずいぶん詳しいですね」と言う。私は20年ほど前に『ヨーロッパお菓子紀行』という本をつくった。本当にいろいろな分野の本を編集したものだ。

列車を降ろされてから1時間になる。もうとっくにウィーンに着いている時間だ。「列車がすぐに来る」と言うアナウンスがあった。私はてっきり今ホームにいる私たち乗客たちのために特別に用意された列車が来るのだと思っていた。ところが、単に次のウィーン行の国際急行列車が来るだけで、それに乗ってほしいと言う。その列車が満席だったら通路や連結部分に人が溢れることもあり得る。全員乗り切れるのだろうか?

幸いなことに列車には空席もあり、私と香港人の彼女は座ることができた。彼の方は連結部分に立っている。列車がオーストリアに入るとどんどんスピードを上げた。ハンガリーの列車がのろのろと走っていたのとは大違いだ。何とあと35分でウィーンに着くと言う。20分ほど座って彼に席を譲った。最初は遠慮していたが、無理やり座ってもらった。

立って車窓の風景を眺めていると、車掌がやって来た。話のタネに「予約券の払い戻しはしてもらえないのか?」と聞いてみた。予約券を見せると、「それはこの列車のものではない」と言う。そんなことはわかっている。だから問題なんじゃないか! 私はこの前のウィーン行きの列車から降ろされた、この予約券は座っていけることを保証するものなのに、後半は座れなかったということを力説したが、「他の列車のことは私にはわからない」という想像した通りの返事だった。確かにこの急行列車はQBBというオーストリア国鉄の列車で、私がブダペストで乗ったのはハンガリー国鉄の列車。JR東日本と東海とは訳が違う。

列車はウィーン中央駅に着いた。“旅の神様”のルーマニア人女性は遠く離れた席に座ったらしく見当たらなかったが、香港から来たカップルに「Have a nice trip!」と言うと、男性は「You, too!」と言い、彼女は「It’s a great honor to have met you!」(お目にかかれてとても光栄です)と最大限の敬意を示してくれた。やはり著者があるということは、すごいことなんだ。

25日ぶりのウィーン中央駅。何か故郷に戻ってきたような懐かしさが心に溢れた。