旅三昧&ときどき読書+映画

私は小泉牧夫。英語表現研究家という肩書で『世にもおもしろい英語』『アダムのリンゴ 歴史から生まれた世にもおもしろい英語』(IBCパブリッシング刊)という本を書いています。2018年4月に 出版社を退職し、41年にわたる編集者生活を終えました。いま世界中を旅しながら、本や雑誌記事の執筆とともに、旅先ではこのブログを書いています。お金はありませんが、時間だけはたっぷりある贅沢な旅と執筆と読書と映画の日々を綴っていきたいと思います。

旅三昧&ときどき読書+映画

私は小泉牧夫。英語表現研究家という肩書で『世にもおもしろい英語』『アダムのリンゴ 歴史から生まれた世にもおもしろい英語」(IBCパブリッシング刊)という本を書いています。2018年4月に出版社を退職し、41年にわたる編集者生活を終えます。それからは世界中を旅しながら、本や雑誌記事の執筆をする予定。お金はありませんが、時間だけはたっぷりある贅沢な旅と執筆と読書と映画の日々を綴っていきたいと思います。

ガソリン給油口が開けられないレンタカー、部屋に入れないホテル

818日(日)、朝10時にオタワのホテルを出発。カナダの首都に来たというのに、国会議事堂も国立博物館も見ないで車を走らせる。今日はケベック・シティの北の郊外、サンカトリーヌという湖畔の村のホテルに宿泊する。その途中でトロワ・リビエール(フランス語で「3つの川」の意味)という街の近くNicolet(フランス語読みで「ニコレ」)という村の女子修道院に立ち寄る予定ことになっている。

このあたりは完全なフランス語圏。妻は50年上も前、短大でフランス語を勉強していた。その時にフランス語の先生だったシスターがその修道院で生活されている。彼女の通った高校・短大はカナダのフランス語圏にあるこの地の女子修道院によって創設された。だから高校1年からフランス語が必修で、妻はそのまま短大に進みフランス語科で学んだ。短大の学長をされていたシスターも何年か前に他界されていて、この修道院の墓地で眠っている。その方のお墓参りもしたい旨のメールを送っていた。「3時頃までには行けると思います」と。だが慣れないカナダでのドライブだから、果たしてたどり着けるかわからない。3時を大幅に過ぎてしまうかもわからない。修道院の夕食は午後5時からだから、「もし4時までに伺えなかったら、今回はお伺いするのを断念しますが、お許しください」と連絡をしていた。

昨日は12時から400キロの道を走った。もうガソリンもタンクの半分近くになっていた。アメリカやカナダでのドライブの鉄則は「ガソリンが半分になったら必ず給油する」こと。だが、それを守っていたにもかかわらず、もう少しでガス欠になりそうになったことがある。

LAからアリゾナに向かってルート66を走っていた時のことだ。途中の小さな町でガソリンを入れようと思ったのだが、まだ半分以上あったので給油しなかった。地図と見ると、アリゾナ国境の街ニードルスとの間に1か所だけガソリン・スタンドのマークがある。そこで入れればいいだろうと安心していたのだが、ところがそこはガソリン・スタンドがあるだけの人口1人の村で、しかも肝心のスタンドの店主がクリスマス休暇らしく閉まっていたのだ。それからは、ひたすらガス欠にならないよう祈りながら運転するだけだった。真っ暗闇の中にニードルスの町の明かりが見えてきた時には、もうタンクはほとんど空だった。

そんなことがあったから、妻は給油には本当に神経質になっていて、ホテルを出たら最初にあったスタンドで給油することにした。ガソリン・スタンドの多くはコンビニを兼ねている。自分でガソリンを入れてから、コンビニのレジに行き番号を言ってお金を払うのが一番簡単な方法だ。

だが、4つの種類のガソリンを選ぶようになっていたものの、どれがレギュラーなのかわからない。レギュラーはRegularでもいいし、あるいはunleadedと言う場合もある。だがそんな英語は表示されていない。恐らくいちばん安い値段のガソリンでいいのだろうが、そこにはOctaneとある。これは日本でいうところの「ハイオク」ではないのか? 妻がコンビニに入りレジ係の女性を呼んでくる。ガソリンについては素人だが大丈夫だろうか? 私がWhich is unleaded?(どれがレギュラーガソリンですか?)と聞くと、そのOctaneでいいと言う。そういう呼称はメーカーを越えて、国を越えて統一してもらいたいものだ。

ガソリンを入れようと思い、Octaneのボタンを押しノズルを上げたが、妻が「ちょっと待って、タンクの開け方がわからない」と言う。「シートの下とかハンドルの横とか、どっかにタンクのマークがあるだろう」と言うと「可能性がある場所を全部見たが、どこにもない」と言う。日本の車なのだから、そんな突飛なところにはないはずだ。

また係の人に来てもらった。その人もいろいろ探すが、なかなか見つからない。すると、いつの間にかガソリン・スタンドに給油に着ていた人たちがみんな集まってきた。

妻は「レンタカーを借りる時に、ガソリンタンクの開け方を確認しなかったは手落ちだった」と悔しがっているが、そんなことをいちいち確認する人がいるのだろうか? コンビニのレジの女性はダッシュボードからマニュアルを取り出し読み始める。お客さんのひとりは「運転席に近くにあるはずだ」と言って、ハンドルの周囲を入念にチェックしている。弱った! 給油口がわからないために。ドライブもここで断念か?! カナダ人のフランス語の先生にも会えないのか? 

その時、別の男性のお客さんが「I got it!」と大声を出した。「運転席のシートの前のマットをどかしてごらん。そこのドアに近いところにあるはずだ」と言う。妻がマットをどかしてみると、そこに細長いスイッチがあるではないか? その人に「どうやってわかったんですか?」と聞くと「いまiPhoneでネット検索をした」と言う。妻はその人にハグをして、感謝の意を表している。

集まってくれた人たち一人一人に心からお礼を言った。みんな「良かった、良かった」と言う。妻などは全員とハグをしている。

コンビニに入って、レジの女性にまたお礼を言った。係は2人しかいなので、1人が別のことにかかずらわってしまうと仕事が滞ってしまう。本当に申し訳なく思って、たくさんお菓子を買ってガソリン料金と一緒にお金を払う。この三菱の車は、ガソリンタンクの開け方がわかりにくく、自分で購入して乗るならいいが、多くの人が乗るレンタカーには不向きなようだ。

車はまたケベック目指して走り始めた。途中でお墓に備える花を買う必要があったが、みつからないまま修道院の近くまで来てしまった。何人かの人に尋ねるが、みんな答えはフランス語。だが妻は(私も少しは)フランス語ができるので、花を売っていそうなスーパーマーケットにたどり着く。丈の長い大きな花しかなかったが、もう仕方なかった。

340分、予定を少し遅れてNicolet修道院に着いた。入口の手前の屋根のあるパティオがあり、椅子に座って本を読んでいたのが妻の50年前のフランス語の先生だった。日本で妻にフランス語を教えていた頃は30代、今81歳だと言うが本当に若々しい。

妻はトロント英会話学校に行っていたので、いつもの調子が出ず、みんな英語になってしまう。シスターは微笑みながら、「フランス語でお願いします」と言う。私もフランス語で挨拶。いつものように「以前は喋れたんですが、今は英語ばかりなのでなかなかうまく喋れません」とフランス語で言い訳する。「あなたのフランス語の発音はとても良いですね」と褒められる。そう、私と話したフランス人はみな一様に「発音が良い」と言ってくれる。英語では「英語うまいね。言ってることがすべて理解できる」と言われることがあっても、発音を褒められたことは一度もない。

修道院の部屋に入ってお茶とお菓子をご馳走になり、シスターが日本にいた時のことや、亡くなった学長先生のことなどを話す。それから車でお墓に行く。この修道院で亡くなったシスターたちの墓石が数多く並んでいた。花を供えると、「あなたのやり方で拝んでください」と言う。妻は日本語で口に出して先生にお礼を言う。私も一度だけだがお会いしたことがあり、その時のことを思い出しながら、心の中で祈りの言葉をつぶやいた。妻と先生はなごり惜しそうだったが、1時間半ほどで修道院を失礼して、ケベック郊外のホテルに向かう。

さらに1時間フリー・ウェイを走り午後7時にホテルに到着。湖の畔のリゾート村のようなホテルだった。フロントでチェックインしてカギをもらう。「坂を降り、右にカーブした先にELANという建物があり、その中の208号室だ」と言う。ところが、その建物に着いて、ドアを開けようと思ったものの、カギが開かない。ガラス張りの建物で中には大きな暖炉といくつかのソファーが見える。リビングルームのようだ。今晩の部屋はこんなに広いのか?

妻はもうくたくたで、目を開けることもできない言うが、部屋に入れないなら仕方ない。またフロントに戻り、カギが開かない旨を話すと、「いま担当を呼びますので一緒に行ってください」と言う。その男性の車について行き、その建物への階段を上がる。その担当はドアをサッと開けた。何とカギはかかっていなかったのだ。私と妻はそこに無理やり鍵穴にカギを突っ込んで回したり引いたりしていたのだ。その建物の入口を入ると、すぐに暖炉のあるリビングルームになっていて、建物の1階には4部屋、階段を上がった2階には10部屋があった。

私と妻がこれまで生きてきて身に付けた常識を使っても、そのガラス張りの建物の中に多くの部屋があることがわからなかった。アメリカ慣れ、カナダ慣れしている私たち夫婦にも、カルチャーショックの日々がまだまだ続く。