旅三昧&ときどき読書+映画

私は小泉牧夫。英語表現研究家という肩書で『世にもおもしろい英語』『アダムのリンゴ 歴史から生まれた世にもおもしろい英語』(IBCパブリッシング刊)という本を書いています。2018年4月に 出版社を退職し、41年にわたる編集者生活を終えました。いま世界中を旅しながら、本や雑誌記事の執筆とともに、旅先ではこのブログを書いています。お金はありませんが、時間だけはたっぷりある贅沢な旅と執筆と読書と映画の日々を綴っていきたいと思います。

旅三昧&ときどき読書+映画

私は小泉牧夫。英語表現研究家という肩書で『世にもおもしろい英語』『アダムのリンゴ 歴史から生まれた世にもおもしろい英語」(IBCパブリッシング刊)という本を書いています。2018年4月に出版社を退職し、41年にわたる編集者生活を終えます。それからは世界中を旅しながら、本や雑誌記事の執筆をする予定。お金はありませんが、時間だけはたっぷりある贅沢な旅と執筆と読書と映画の日々を綴っていきたいと思います。

地下鉄が途中駅でストップ、2時間遅れでレンタカーを借り一路オタワへ

817日(土)、夜中に起きて朝までブログを書いていた。頭がガンガンして咳も出始める。

今日は、トロント・ピアソン空港でレンタカーを借りて、カナダの首都オタワに向かう。最終目的地のPrince Edward Islandまで6日のドライブだ。海外ではいつも妻が運転する。妻は「地図が読めない女」。私はナビゲーターに徹し、直線で何十キロも道に迷わず走れる場合だけ運転する。体調が悪くても、どうにかなるだろう。もちろん運転する妻には、そんなことは言えないが・・・。

激しい雨の中、スーツケースを転がしてユニオン駅に向かう。地下鉄で3駅。私のスーツケースは15キロだが、妻の方は長期滞在していたので25キロ近いはずだ。最寄りの地下鉄のセント・パトリック駅にはエスカレーターがあるので、とりあえずホームまでは行けた。電車に乗り込む。だがその電車はユニオンの2つ手前の駅行き止まりだった。ホームで次の電車を待っていると、地下鉄職員が来て「午前中は、全ての電車がこの駅でストップします。地上に上がり代替のバスに乗ってください」と言う。

エスカレーターがあったので昇って行って、改札を出る。重いスーツケースを転がしていたので、エレベーターかエスカレーターに乗らないと地上に出られない。5分ほど迷いながら、やっとエレベーターを見つけ地上に上がる。見渡すと、通りの反対側にバスが停まっているのが見えた。歩道にいた警官に「ユニオン・ステーションまで行きたい」と言うと、「このバスに乗ってください」と言う。すぐに乗り込む。運転手に皮肉を込めて「ストライキなんですか?」と聞くと、「construction(工事)だと思いますが、私にはわかりません」と言う。バスはなかなか発車しない。しばらくして、もう一人の乗客が乗り込むとやっと発車。5分ほどで、ユニオン駅の手前の地下鉄の入口に着いた。「駅までこの階段を降りて行って欲しい」と言う。だが、重いスーツケースを持って階段を降りるのは無理。激しい雨に打たれながら、エレベーターがありそうなビルを探すが、今日は土曜日でみんな閉まっている。何人かの人に聞くが、みなユニオン駅に通じるエレベーターがどこにあるかわからない。結局15分ほどうろうろと地上を歩いていると、そのままユニオン駅まで来てしまった。身体もバックパックもスーツケースもびしょ濡れた。

駅舎に入ったはいいが、そこは迷路のよう。空港行きの「ピアソン・ユニオン・エクスプレス」の乗り場を探すが、どうしてもわからない。その間、何人かの人から「列車に乗りたいのだが、どこに行けばいいのか」と聞かれる。「私たちも空港行きのホームを探して迷っている」と答えるしかない。

そのうちに「ユニオン・ピアソン・エクスプレス」のイニシャルの「UP」というマークを辿っていけばいいことに気づく。だが、その印を辿って行っても、いつの間にか消えてしまい、また迷子になってしまう。何人かの人に聞きながら、やっと「UP」の乗り場にたどり着いた。電車がストップしていなければ、最初の地下鉄駅からここまでたった5分で来られたはずが、何と40分もかかってしまった。これだから、海外は何が起こるかわからない。日本なら地下鉄の駅に「お知らせ」を掲示するか、アナウンスがあるはずだ。これから飛行機に乗るんだったら大変なことになっていた。

レンタカーは一応10時から予約していたが、1時間くらい遅くなっても大丈夫だろうとたかを括っていた。だが、これでは車を借りる約束の時間を2時間近くオーバーしてしまう。もし「あなた方の到着が遅れたので、もう車は全て貸し出してしまいました。明日まで待ってください」などと言われたら、このドライブ旅行の計画がすべておじゃんになってしまう。

空港行きの列車がホームに入るのをジリジリしながら待つ。15分ほどで入線。それから25分、結局空港に着いた時には1140分を過ぎていた。「レンタカー」という標識を辿って、長い通路を進み、エレベーターで上の階に上がりして、やっとNational Rent-a-carのカウンター前に到着。もう12時になろうとしていた。

行列に並び順番を待つこと10分。係の女性に「トロントの地下鉄が工事のため止まっていて、こんな時間になってしまいました」と言い訳したが、あまり意に介していない様子だった。

パスポートと国際免許と日本の免許証を提示。しばらくコンピューターの画面をにらんでいたが、「大型車と中型車とどちらがいいですか?」と聞く。「値段は同じですか?」と尋ねると、「大型車だとエキストラ料金がかかります」と言う。「中型車でも、トランクにこの大きなスーツケース2個入れられますよね?」と確認すると、OKとのことなので、予約通り中型車にする。

次に保険だ。すでに日本で常識の範囲内で必要な保険には加入の手続きをしてきたが、「他に、車に乗っている人の死亡保険と救援のためのレスキュー代を補償する保険をプラスできますが、どうしますか?」と聞かれる。死亡保険はそれぞれの葬式代が出ればいい。棺を飛行機に乗せて日本に運ぶと100万円以上の金額が必要になる。だから、娘には「遺体は海外で焼いて遺灰を骨壺に入れて日本に持ち帰るように」と言ってある。「もし海外で誘拐されても身代金は払わなくていい」とも言い残している。「もちろん日本政府に支払わせるなんて絶対にダメだ」と。救援レスキュー代の方は、そうなったらそうなったで、救援費用を払うことにする。山で遭難しヘリに救助されるのとは訳が違うのだから。

日本の三菱の車だった。中型車といっても、日本的な感覚ではかなり大きい。妻が運転席に座り、ライト、ウィンカーの点け方、ワイバーの動かし方を確認。エンジンをかけると、ライトが点きっぱなしになり消せない。「サイドブレーキもどこかわからない」と言う。係の人に来てもらって確認する。「ライトはエンジンがかかっていれば常に点した状態になります」と言う。広い荒野の一直線の道路ではライトを点灯していないと停車しているように見えて、周りの車に誤解を与え危険なので「運転中は必ず点灯するように」と言われたことがある。だから、エンジンがかかった状態では常にライトが点くようになっているのだ。それとサイドブレーキだが、係員に「サイドブレーキって何?」と聞かれたので、説明すると「パーキングにすると、自動的に車にブレーキがかかるようになっている」と言う。

以前、ロンドンに出張した時に、レンタカーを借りてストーンヘンジまで行ったことがある。レンタカーを動かす前に、一緒に行った先輩に車の前に立ってもらい、ライトやウィンカー、ワイバーがちゃんと動くか、私の操作が間違っていないかを確認してもらった。ワイパーの動かし方がわかるまで5分以上かかった。彼はジリジリして「そんなことはどうでもいいから、とにかく車を走らせろよ」と言う。だが、昔は日本車と外国車では全く違う発想でつくられていて、とんでもない操作方法をする場合もあった。だから私は「もし急に大雨が降ってきた時に、即座にワイバーの動かし方がわからないと、前がまったく見えなくなり、とても危険なんです。ですから最初に全部確認しないと死活問題になるんです」と強い口調で言ったことがある。

車はレンタカー・プレースの出口を出た。だが、いつも空港の敷地から外に向う時がいちばん苦労する。iPhoneGPSもあるが、地名と道路の数字を3つも4つも続けざまに言われても、まったく記憶できない。いくつもの分岐があり、正しい方向に向かう車線を走っていないと、とんでもない方へ行ってしまう。ナビゲーターの私もお手上げ状態だったが、妻はとても感がいいので、どうにか空港サイトから脱出することができた。車は一路カナダの首都、オタワに向かう。

私は紙の地図なら絶対に間違わない自信があるのだが、Google Mapなどではその地理的感覚の鋭さを発揮できない。車だけでなく歩いていても、うまく目的の場所にたどり着くことができない。だが、運転手の妻の勘の良さに助けられて、どうにか「オタワ」という標識が見え始めるところまで来た。この道をまっすぐ行けばいい。だが、ちょっと違う車線を走行していると、そのままとんでもない方へ行ってしまう。

一度、間違って違う側道に入ってしまい、GPSに指示されるままにもとの道に戻ろうとした。それがとんでもなかった。5車線もある広い道路に合流したのだが、たくさんの車がものすごいスピードで突っ込んでくる。合流地点から100m進むうちに一番右の車線から5車線をまたいで一番左に行き、その先でUターンするという無謀な命令をGPSにされたのだ。いったいGPSは人の命を何だと思っているのか!

ひたすらフリー・ウェイを走る。高速料金はなく無料だから「フリー・ウェイ」なのだ。昔アメリカが赤字で苦しんでいた頃、日本並みの高速料金にしてガソリンに日本と同じ税率を課したら、すぐに赤字は解消できるだろう、だが同時に大暴動が起こるだろうというブラックジョークを言った人がいた。

オタワまで350キロ。4時間半の道のり。10時に走り始める予定が12時になってしまったから、かなり出遅れてしまった。途中で1度フリー・ウェイを降りてレストランで食事をし、ウォールマートで水と夕飯のパンを買った以外はひたすら走り続ける。

午後7時にオタワ郊外のホテルに到着。地下の駐車場に車を入れ、フロントでチェックイン。ランドリー・ルームがあるか聞くと、一番上の15階のプールやジャグジーの隣にあると言う。

私は風邪で激しく咳き込み頭がガンガン痛いので、すぐにベッドで横になる。助手席に座っていた私がこれほど慰労困憊しているのだから、運転していた妻の疲れはどれほどのものだろうか? だが、彼女はすぐにランドリー・ルームに行き、洗濯をし乾燥機にかけている。いやはや大した根性だ。