旅三昧&ときどき読書+映画

私は小泉牧夫。英語表現研究家という肩書で『世にもおもしろい英語』『アダムのリンゴ 歴史から生まれた世にもおもしろい英語』(IBCパブリッシング刊)という本を書いています。2018年4月に 出版社を退職し、41年にわたる編集者生活を終えます。それからは世界中を旅しながら、本や雑誌記事の執筆をする予定。お金はありませんが、時間だけはたっぷりある贅沢な旅と執筆と読書と映画の日々を綴っていきたいと思います。

旅三昧&ときどき読書+映画

私は小泉牧夫。英語表現研究家という肩書で『世にもおもしろい英語』『アダムのリンゴ 歴史から生まれた世にもおもしろい英語」(IBCパブリッシング刊)という本を書いています。2018年4月に出版社を退職し、41年にわたる編集者生活を終えます。それからは世界中を旅しながら、本や雑誌記事の執筆をする予定。お金はありませんが、時間だけはたっぷりある贅沢な旅と執筆と読書と映画の日々を綴っていきたいと思います。

湖水地方の青い空と緑の平原

829日(水)、朝Whetheralという村のホテルを出発、近くのカーライルという町まで車を走らせ、カーライル城へ。「ハドリアヌスの城壁」がイングランドスコットランドの境界だとされるが、この地に紀元2世紀にローマ軍により砦が築かれた。おそらく「ハドリアヌスの城壁」の建設基地という意味合いもあったのだろう。

その後、11世紀のノルマン・コンクエストの後にウィリアム2世によりこの地にお城が築かれた。敵対するスコットランドと戦いの最前線でもあった。16世紀にはスコットランド女王メアリーが幽閉されている。城の城内には「国境部隊博物館」も併設されていた。第1次・第2次大戦でもイギリス軍の重要基地となった。ここなら敷地も広いし、古びてはいるが頑丈な石の建物があるので、新たに軍事基地や兵舎を建てるより、はるかに経済的だったのだろう。

 

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午後1時、The Lake District湖水地方)へ向かう。これまでのドライブで一番の近距離。昔から湖水地方を訪れることが夢だった。ピーター・ラビットの物語が誕生し、詩人のワーズワースがこの地の美しさを称える数多くの詩を書いたことでも知られる。もう30年も前だが、当時、法政大学教授だった田嶋陽子先生から「ドライブするなら、イングランド湖水地方が最高です。もう空の青さや自然の緑の色が違うんですよ」と勧められていたところだ。その通りだった。空の青さ草原の緑がものすごく濃く感じられる。理由はわからないが、この土地特有の気候のせいなのかもしれない。

車はウィンダミアの町に入った。ものすごい人出だ。昨年、世界遺産になったばかりだという。夏休みの最後を楽しもうとする観光客が世界中から訪れているのだろう。右にベアトリクス・ポターの博物館や湖の観光ボートが発着する桟橋を見ながら進むと、駐車場の標識が見えた。そこは満車で、その先の別の駐車場に入る。ところがそこも一杯。やっと1台の車と茂みとの間に、ぎりぎり駐車できるスペースを見つけて、何分もかかってそこに車を入れる。近くでは、1台の車の前に別の車が停まっていて、そこから出られず、運転手が警察を電話で呼んでいた。ものすごいことになっている。

湖の桟橋はものすごい数の人で溢れている。その前のカフェでお昼を食べ、ベアトリクス・ポター博物館へ。ここも長い行列に並ぶこと30分、やっと入場できた。とにかく子供が多い。ピーター・ラビットが大好きな子供たちにとっては、きっと夢のような世界なのだろう。

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日本国内では福音館という出版社が、ピーター・ラビットの絵本の日本語翻訳権のみならず、文や絵の著作権をすべて統括している。穂積さんという人が、まだ若い頃、社内の大反対を押し切って、著作権権利代理契約を結んだものだ。それが現在もこの出版社の屋台骨を支えている。

この穂積さんは、その後この出版社を離れ、韓国の画家のマネジャーとなり、世界各地で絵画展を開催している。もう15年も前に「冬のソナタ」という韓流ドラマが大ヒットしたが、主人公の二人が高校生時代にデートした南怡島という島があり、そこが一大観光地となった。その島には遊園地もあったりするが、一角に「アンデルセン美術館」というのがあった。画家は、その博物館のオーナーなのだと言う。

夜はウィンダミアの町中にあるB&Bに泊まる。

ハドリアヌスの城壁を目指して

828日(火)、昨日ホテルに着いたのが深夜になってしまった。その反省にたって朝8時にホテルを出発する。Clydebankというその町から橋を渡ってハイウェイに入り、それをグラスゴー方面に行って、そのまま南下すればいいだけなのだが、またもや、どうしてもその幹線道路に出られない。ロータリーで間違って、違う道に入ってしまった。するとGPSには、その先のロータリーまで行って、また元に戻るような表示が出る。ホテルを出てすぐに渡った橋を逆方向に走っている。その先でもまた道を間違えしまう。グラスゴーからはどんどん遠ざかっていく。そんなことを繰り返すこと40分、何と出発点のホテル近くに戻ってしまった。もう一度スタートから出直し。

20分後、どうにかハイウェイに入ることができた。運転し始めてから1時間が過ぎていた。

そのハイウェイの運転も難しい。妻には「とにかくエジンバラ方面に行かないよう。エジンバラという標識が見えてきたら、そっちではない方に行くように」と伝えたが、3つの方向に行く標識が出てきた。8車線もある広い道路で、エジンバラ方面以外に2つの道があった。普通だったら運転手はパニックになってしまうだろうが、妻はアメリカやカナダでも運転をしているので、どうにかそれを乗り切った。凄い!

このスマホGPSは本当に役に立たない。というか、GPSの見方がわからない私がいけないのか? 紙の地図だったら、私は絶対に間違えない自信がある。昔ずいぶんアメリカやカナダの道をドライブしたが、紙の地図を見ていた私が道を間違えたことは一度もなかった。かなり方向感覚は良い方だ思っていたのだが、iPhoneの地図アプリでどこかに行くと、歩いていったとしても必ずといっていいほど、道を間違えてしまう。

もう30年も前だが、海外での初めてドライブしたのがイギリスだった。車も左側通行だし、日本と同じで運転しやすいと思ったからだ。ヒースロー空港からウインザー、オクスフォード、ストラスフォードアポンエイボン、バースと来て、ヒースローに戻るというコース。その時には、大きな1枚のイギリス全土の地図と、本になっている詳細地図を見て、私がナビゲートしたのだが、何度か道に間違ことはあったものの、今回のように頻繁に迷うことはなかった。

はやりiPhoneの地図アプリは、私のような古い人間には合わないようだ。だいたい指で地図を伸ばして拡大しているうちに、その周辺が画面から消えてしまう。そうすると、もともと全体の中で自分がいる場所がわからなくなる。「ITネイティブ」という言葉がある。若い人が何の苦労もなく地図を見て、目的地に行けるのが不思議だ。

南へ行くハイウェイは、イギリスを縦断する幹線道路で、道に迷うことはなかった。ドライブインで少し遅めの朝食を済ませ、午後2時頃にはお昼を食べた。さらに2時間ほど走るとハイウェイを左に外れ、カーライルという町の北側に来た。

コンビニにあるガソリン・スタンドで給油を終え、妻は何かお菓子を買って車に戻ろうしたら、Helloと声をかける男性がいた。「日本人ですか?」と聞くので「Yes!」と応えると、「私はバングラデッシュ人で、何年か日本に住んでいたので、本当に懐かしいんですよ。日本人だと思い、思わず声をかけてしまいました」と言う。「船の船長をやっていて、日本からホンダの車を運んでいました」と言う。話が弾んで20分も話し込んでしまった。

「で、今はイギリスに住んでいらっしゃるのですね?」と私が聞くと、「はい、いまはグラスゴーに住んでいます」と言う。「私も今朝グラスゴー郊外のClydebankのホテルを出発して、これから「ハドリアヌスの城壁」を見に行くんです。昨日はネス湖に行ったんです」と言うと、「昨日、私はネス湖の南の端のFort Williamにいました」と言う。「私たちも、昨日その町を通りました。通りを車で運転していただけですが、素敵な町だとわかりました。でもその後が、大変でした。通行止めがあって、また元の道に戻って迂回しなければなりませんでした」と言うと、「Oh, you too!」(えっ、あなたもですか!)と驚いたような顔をした。「私もなんです。元来た道を戻ってものすごい遠回りをしました」。What a coincidence!(何という偶然なんだ)とお互いに言い合っていると、何だか昔からの友人のように思えてきた。「バングラディシュから両親がやってきて、イギリス中をドライブしている」と言う。「Drive safely!」「Enjoy your travel!」と声をかけあって、私たちは別れた。

私は運転している妻に「ハドリアヌスの城壁」について説明した。「ローマ帝国が紀元2世紀に建設した全長100キロ以上の長い城壁なんだ。その時の皇帝ハドリアヌスから、こんな名前がついた。北からのピクト族の侵入を防ぐためにつくった、いわば中国の万里の長城のイギリス版だね。衛星写真でもわかるらしいよ」

20分ほどで「ローマン・アーミー博物館」に着いた。5時半だったので、もう30分しかない。中にはローマ兵の鎧・兜、戦いの様子、長い城壁の拠点拠点に誕生した村での生活ぶりを紹介する展示や映像もあり、大急ぎで見学する。受付で「ハドリアヌスの城壁を実際に見ることができますか?」と聞くと、「15分歩いたところにあります」と言う。「外に出ると駐車場があるので、そこを通ってから左に行ってください」と親切に教えてくれたのだが、いくら歩いてもそれらしきものはない。

どうやら「その駐車場」がこの博物館の駐車場ではなく、さらにその先にある広い駐車場のことだったようだ。岩の崖の上にかろうじて見える「ハドリアヌスの城壁」らしきものを写真におさめる。急坂を昇って、行ってみようとも思ったのだが、昨晩、暗闇の中を闇雲に車で走ったトラウマが蘇ってきたこともあり、もう暗くなりそうだったので近くのWetheralという村のホテルに向かうことにした。

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ネス湖の水は黒かった

827日(月)、ネス湖にほど近いDingwallという村のホテル。朝食を終えて外に出ると、雄大な自然が広がっていた。

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小さなフロントにオーナーらしき男性がいた。「昨日ここにいた少年はあなたの息子さんですか?」と聞くと、「このホテルのスタッフのお孫さんです」と応えた。私は「とてもsmartで将来が楽しみな少年ですね」と言うと、「Thank you!」と礼を言う。

大自然に囲まれたこのホテルも素晴らしい。いつホテルを始めたんですか?」と聞くと、「30年前です。でも、もう売ろうかと考えています。あなた、このホテルを買いませんか?」と真顔で言う。冗談とは分かっていたが、私も「日本から遠すぎるので、ちょっと難しいですね」と応えた。

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「これからどちらへ行きますか?」と聞かれたので、ネス湖で遊覧船に乗って、それからグラスゴーに行きます」と応えると、「ネッシーに会えることを祈っています」とほほ笑んでくれた。

朝9時、GPSネス湖の遊覧船が出るClansman 桟橋 にセットして出発。30分でいけるはずだったのだが、妻がヒースロー空港で捨てられた化粧品や化粧水類を買うために途中でスーパーマーケットに寄ったり、例によってまた道を間違えたりして、その桟橋に着いたのが11時を過ぎてしまった。何と2時間以上かかってしまったのだ。

遊覧船は毎正時に桟橋から出港する。だから次は12時ということになる。30分でアーカート城に着き、1時間後にまた迎えに来てくれる。さらに桟橋に戻るのが30分。ということはここで2時間の時間が必要となる。今晩はグラスゴーの手前の町のホテルに泊まることになっている。かなり距離があるし、まだ明るいうちに着けるだろうかとちょっと不安になってくる。私の心づもりでは、朝9時にホテルを出て、10時に遊覧船に乗り12時にはネス湖を離れたいと思っていたのだが、もう2時間も遅れてしまっている。

ネス湖は、思ったよりはるかに小さな湖だった。Lake NessではなくLoch Nessと呼ぶ。Loch とはスコットラン語で「湖」のことだ。細長い川のような湖で対岸がすぐ近くに見える。1150分、桟橋で待っていると、遊覧船がたくさんの乗船客を乗せて戻ってきた。スピーカーから大音響でバグパイプの「蛍の光」のメロディが流れてくる。そう、この曲はもともとスコットランド民謡だ。

船に乗り込むと、すぐに出発。湖水が驚くほど黒い。これはpeatという炭状の泥が溶けているからだという。だから日に光る波頭の反対側の影は異様に黒く見える。確かに何かそこに黒い生き物がいるようだ。

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ボートは20分でアーカート城に到着。黄色い札を渡される。1時間後に乗船する際にそれを渡すのだと言う。人数確認と無賃乗船を防ぐためだ。

1時間の間じっくりと、今はもう廃墟になってしまったお城を見学する。1230年の築城だが、70年後にエドワード1世のイングランド軍に攻め滅ぼされたのだと言う。前は湖で見晴らしがいいし、後ろは急峻な山。城としてはとても良い立地だったと思うのだが・・・。

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2時に桟橋に戻り、車で20分ほどのところにある「ネス湖エキシビション・センター」へ。ネス湖ネッシーに関する様々な情報を、映像とナレーションとで解説してくれる。

次に隣にあるネッシーランドへ。ここには行かなくてもいいかな、と思ったのだが、何度も来れるところではないので入ることにした。受付にいたおばあさんが「16ポンドだが5ポンドでいい」と言う。一抹の不安を覚えて、中に入ってみると、その展示は日本の中学校や高校の学園祭のレベルで、模造紙にいろいろな説明書きがあるだけで中身が薄い。「エキシビション・センター」とは比べるべくもなかった。

もう330分、今晩はグラスゴーの郊外のClydebankという町のホテルに泊まる。もう私が朝に想定したスケジュールよりも、3時間も遅れている。どうにかして、明るいうちに着きたい。

妻はひたすら車を走らせる。このあたりにはネス湖だけでなく細長く、川と言ってもいいような湖がたくさんある。景色は素晴らしいが、それを楽しむ余裕はない。GBSには「午後8時の到着」と表示されているが、暗くなる前に着けるだろうか。

Fort Williamという町に入った。ネス湖観光の南の玄関口。車窓から、道路の両側に洒落た感じの家並みが見える。なんとなく私の心にしっくり来る雰囲気の良さそうな町だ。この時点で午後5時を過ぎていた。

その先、Ballachulishという小さな町で道路が2つに分かれていた。目的地までは、明らかに左の道を行った方が近い。さらに車を40分ほど走らせると進んでいくと、広大な草原の左右に高い岩山がいくつか見えてきた。あまり景色に感動しない妻が「こんな景色は日本にはない!」と驚愕している。そこで車を停めて、しばらく休憩。

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さらに先を急ぐ。運転している妻が「いま対向車線でバイクに乗った人が、右手の人差指をぐるぐる回していた。なんだろう?」と言う。今度は対向車線のトラックがライトを点灯させて上下にカチカチと動かしている。さらに先を行くと、何台もの車が停車しUターンしている。道路の前方からも、どんどん車が引き返してくる。車の窓を開けて戻ってきた運転手に「What Happened?」と聞くと、「この先が通行止めになっている」と教えてくれた。

先ほどのBalalchulishというところまで戻って、もうひとつ別の道に迂回しなければならない。でも、そこに戻るには50分ほど時間がかかる。何と1時間40分のロス。日本的な感覚では、他の道に迂回するのはそれほど大変ではないが、しスコットランドにはそれほど多くの道路があるわけではない。おまけに、この迂回路では目的地までものすごい遠回りになってしまう。そうすると、3時間以上余計に時間がかかることになる。日本なら「この先通行止め」とかの看板が必ず出ているだろう。本当に不親切だ。

いつの間にかあたりは真っ暗になった。日本の夜の暗さとは比べ物にならない。こういうのを漆黒の闇夜と言うのだろう。左側には細長い川のような湖があるらしく、黒々と水を湛えている。妻も怖かったと思うが、黙ってけなげに運転している。

やっとのことで、グラスゴーまで10キロの地点まで来た。よし、もうこれで大丈夫だ! 次のロータリーをグラスゴー方面に行けば、その手前の町にあるホテルに着けると思ったのだが、何とグラスゴー方面の道が通行止めになっているではないか! 仕方なしに別の道を行く。こんな細い道はスマホGPSには出ていない。ナビゲーターの私もお手上げ状態。それでも妻は真っ暗闇の中をどんどん車を走らせる。もはやどこをどのように走っているのか、皆目見当がつかない。私は「とにかくA82という道の方に向かって!」と言うしかないが、そんな標識は出て来ない。

だが、30分ほどすると、何と「A82左折」という標識が出て来たではないか。A82に入り10分ほどすると、Clydebankというホテルがある町に入ったことがわかった。

結局ホテルにたどり着いた時には、午後11時半を回っていた。

ハリー・ポッターとベアトリクス・ポター

96日にフランス・イギリス・タイの旅を終えて日本に帰ってきたのだが、NHK文化センターでの講義が控えていたので、そちらにかかりっきりになり、ブログを全く更新できないまま(まあ、このブログでは毎回長い文章を書いているので、他のことと同時並行的にできるはずもないのだが)、もう106日(土)になってしまった。

だが、来週の108日から13日までハワイに行くことになっている。もう次の「旅三昧」が始まってしまうのだ。だから8月下旬のスコットランド湖水地方のドライブのことを今日明日中に書いておかなければ、続きを書き始めることはできない。

故に、さかのぼって826日(日)から話を進めたい。

エジンバラのホテルから空港近くのレンタカー・プレースまでタクシーで行く。後から知ったのだが、ホテルの近くには空港と市街を結ぶトラムが走っていて、近くの駅から3駅でそこに行くことができたのだった。重い荷物を運ぶのは大変だったのかもしれないが、お金はかなり節約できたはずだ。ちゃんと調べておくべきだった。

広いレンタカー・プレースの一番端にオフィスがあり、そこにはいくつものレンタカー会社の受付カウンターが入っていた。私たちが車を借りるAvisには一番長い列ができていた。待つこと30分、やっと番が来た。レンタカーを借りる時がまたいつも大変なのだ。いろいろな保険や補償があったりして複雑極まりない。恐らく日本語で話を聞いても理解できないだろう。

対人・対物はもちろん、同乗者にかける保険もある。他にも、やれレスキューだ、レッカー車だ・・・と、多くの補償をつけていると、どんどん料金が高くなる。ほかにはcollision damage waiver(免責補償)というのがある。日本にもあると思うが、例えば事故を起こした場合、保険に入っていたとしても5万円は自己負担しなければならない。それが免責になるという補償制度だ。

まだまだある。ほとんど妻が運転するのだが、もうひとりの同乗者(つまり私)も運転する場合は、1日に15ポンド(2250円)かかるというのだ。6日だから計13500円。万が一、妻に何かあって急に私が運転しなければならなくなった場合、この保険に入らずに私が運転して事故でも起こしたら、全ての補償がおりない。保険が無効になってしまう。アメリカでは、同乗者の追加料金など聞いたことがない。国際免許さえ持っていれば、同乗者は誰でも運転することができるのだ。

今回の旅で一番問題だったのがGPSだ。イギリスのレンタカーには、ほとんどGPSがついていない。それも車に備え付けではなく、車を離れる時には取り外しするようになっている。盗難が多いからだ。そのGPSを借りると、さらに4万円を余計に払わなければならない。しかも予約していったとしても、必ず使えるという保証はないのだと言う。

GPSがないとなると、iPhoneの地図アプリを使うことになる。だが、私は普段海外に行ってもiPhoneroaming(その国の電波事業者に加入すること)しないし、WiFiも使わない(アメリカではソフトバンクの「アメ放題」というのがあるので、日本と同じように使っているが)。夜だけ、ホテルのWiFiを繋いでブログを書きアップするようにしている。それだけで十分なのだ。

ちょっと不便なのは、昼間にiPhoneの地図が使えないこと。だから、1人でフランスとイギリスを廻っていた時には、前の晩に翌日泊まる予定のホテルをPCで検索し、画面の地図を写真に撮っておくようにしていた。無駄なお金を使わないように、涙ぐましい努力をしてきたのだ。

1週間とか10日くらいの旅行だったらいいが、私の場合は25日間。ロミングは1日最高で3000円近くになることがある。すると7万円になってしまう。また「イモトのWiFi」は、日本の空港で借りて空港で返すことになる。するとこれも8万円くらいかかる。しかも1か国限定なのだと言う。日本ではあまりなじみがないが、シムカードというのもある。でも、これも同じように高額になってしまう。

私が昼間にiPhoneが絶対的に必要になるのは、826日から30日の5日間だけ。つまりレンタカー運転のためにGPSを使う時だけだった。そんなことで、妻がボンマスの携帯ショップでヨーロッパ中で使えるスマホ80ポンドで買ってくれていた。これなら、次にヨーロッパに来た時に、シムカードを入れればまた使うことができる。そのスマホと日本で買った大きな地図があれば、迷子にならずに運転できるだろうと思った。ところが、すぐにそれが大きな間違えだということに気づくことになる。

全ての保険や追加補償を決めると、受付カウンターの女性スタッフが「車はメルセデスベンツでいいですか?」と聞くので、「それだと、さらにもっと料金を払わなければならないのでは?」と言うと「料金は同じです」との応えだった。

ナンバーを照合しながら歩くと、その黒いメルセデスベンツがあった。まず大きなスーツケースをトランクに入れようと思ったが、トランクの開け方がわからない。妻がエンジンをかけてランプをつけようとするが、ライトの点灯の仕方がわからない。いろいろいじくっていたら、ワイパーが動き始めた。ハンドルの位置も高いので、直してもらう必要がある。それからギアーをパーキングからドライブにしてみた。最初「D1」と表示されていたが、いつの間にか「D2」になってしまう。この違いはなんなんだろうか? それからサイドブレーキの場所がわからない。

分厚い英語の運転マニュアルがあったのだが、それらの疑問の答えがどこにあるのか全くわからない。最初から読み始めていたら、日が暮れてしまう。

Avisの人に来てもらって全てまとめて質問する。まずトランクは、後ろのドアの真ん中を押せば開くことがわかった。ところがスーツケースが1つきり入らない。もう1つは後部座席に置き、妻のカート付きの小さ目のスーツケースをトランクに入れる。ランプの点灯の仕方を教えてもらい、ハンドルの位置も直してもらった。ギアの「D1」と「D2」だが、これは車が走行速度に従って勝手に変えるので気にしなくてもいいと言う。サイドブレーキは車が停止すれば、自動的にかかるので、これも気にしなくてもいいのだと言う。とても親切な黒人のスタッフだった。最近の車はみんな自分で勝手に判断してくれるらしい。日本で古い車に乗っている私と妻はついていけない。

まず、こちらに来て買ったスマホgoogle mapを頼りに、スーパーマーケットに行くことにする。昨日、飛行場の手荷物検査で妻の化粧品や化粧水やクリームを大量に捨てられてしまったので、それらを買わなければならない。イギリスには「TESCO」というスーパーがどこにでもあるので、私がスマホの地図でその店を検索すると10分で行けることがわかった。

妻は車を動かし始めた。イギリスには「ラウンドアバウト」と呼ばれるロータリーがあって、運転しにくいことこの上ない。そこに入ると、出口が4か所も5か所もあって、どっちに行ったらいいのかわらなくなる。だいたいまっすぐ行きたくとも、まっすぐがどの道なのかわからないのだ。

道を間違えて、違う方向に行ってしまう。すると、日本なら左折して細い道に入り、その先でUターンして元の道に戻ればいいが、対向車線との間には高い縁石がありそっちには行けない。その先もUターン禁止なので、何キロも先にあるロータリーでぐるっと回って戻ってくることになる。でも、また出口を間違えて違う道に入ってしまうと、またその何キロも先のロータリーまで行かなければならない。そんなことを何度も繰り返していると、目的地からどんどん遠ざかってしまう。

このスマホgoogle mapも、車がどっちの方向に見ているのかが正確に表示されない。だからどうしてもロータリーで違う道に入ってしまうのだ。

30分走っても40分たっても、そのスーパーにたどり着けない。何度かその地図にあるポイントには行ったと思うのだが、そこは大きな銀行の敷地で、近くにお店はありそうもない。

結局、スーパーに行くのは諦め、どうにかこうにかエジンバラの街を出て、インバネスネス湖)方面に向かうハイウエィに入ることができた。だがもうその頃には、1時になっていた。何とレンタカーを借りてから3時間が経過していたのだ。

ハイウエィはロータリーがないので道に迷うこともない。何度かドライブインで食事をしたり、カフェに入ったりして休憩して、インバネス10キロほど先にあるDingwallという村のホテルに着いた。午後7時を過ぎていたが、まだ明かるかった。雄大な自然に囲まれた、こぢんまりとしたホテルだった。ここも場所がわかりにくく、スマホの地図を最大に拡大して、かろうじてたどり着いたのだった。

ホテルの名前はKinkel House 。口コミを読むと、「入口の前にある小さなフロントには小学生くらいの子供がいる。とても気が利く子だった」と書いてあった。確かに10歳くらいの子供がいて、カギを渡してくれた。「夕飯はこのホテルのレストランで食べますか?」と聞くので、「どんな料理があるのか、メニューを見たい」と行くと、すぐに厨房に行って持ってきてくれた。

周りには何もありそうもなかったし、インバネスの町に行ったら、また道に迷って戻ってくることができなくなる可能性もあったので、ホテルのレストランで夕飯を食べることにした。その少年にその旨を伝えると、「時間は何時にしますか?」と聞いてきた。「少し休んで30分後でお願いします」と言うと、「わかりました」と言ってメニューを受け取る。確かに何をするにしてもそつがない少年だった。

レストランには、私たちの他に3つのグループ。隣のテーブルには老夫婦とまだ30半ばの夫婦、4人が座っていた。家族のようだ。そのテーブルにケーキが運ばれ「Happy Birthday」の歌を歌う。娘さんの誕生日のようだ。私も「Happy Birthday!」と声をかけた。

私たちが日本から来たこと、妻は2か月間ボンマスの英語学校に行っていたこと、昨日エジンバラに着いて、明日ネス湖に行って、南に下りハドリアヌスの長城を見て、それから湖水地方に行くことを説明したら「Lovely」と言う。「湖水地方はとても美しいところで、ピーターラビットの物語がそこで生まれました。ぜひベアトリクス・ポターの博物館に行くといいですよ」と勧めてくれた。

食事の後、妻は「ハリーポッターって、湖水地方の話なの?」と聞く。勘違いしているようなので説明する。「ハリー・ポッターではなく、ピーターラビットというウサギの話を書いたのが、ベアトリクス・ポターという絵本作家なんだ」。どこまでわかってくれたのか?

エジンバラまではプロペラ機で

8月25日、午後8時に妻とボンマスの街の中心の広場「スクエアー」前にあるタクシースタンドで待ち合わせ。タクシーに乗り駅前にあるバス・ステーションに行く。運転手は「妹の夫が日本人だ。いつか日本に行ってみたい」と言う。日本人が乗ってきて、しかも会話をすることができたので、とても嬉しそうだった。

「これからヒースローから飛行機でエジンバラに行って、明日からスコットランド湖水地方をドライブする」と言ったら、「それは絶対に楽しい旅になる」と言ってくれた。

30分ほど待ってバスに乗る。ロンドン・ヒースロー空港5番ターミナルまでは1時間で着いたので、「予定の1時間半よりもずいぶん早く着いたな」と思ったら、第4、第3ターミナルを廻って最後の第2ターミナルの中央バス・ステーションまでさらに30分がかかり、結局は予定通りの時間に到着した。

午後6時にFlybeというLCCの飛行機に乗ってエジンバラまで飛ぶのだが、ちょっとカウンターで確認しておきたいことがあった。一昨日この航空会社からメールが届いた。ネットでの事前チェックインのためだ。チェックインは簡単にできたのだが、その画面にはこんな注意書きがあった。何と「預け荷物は11個、15キロ以内」とある。妻は2か月近くレジデンス(宿舎)に滞在していたので、当然荷物が多い。それを話すと、「そういう大切なことは早く言ってほしい」と怒っている。重さをはかるといっても、体重計もないし、どのくらいなのか皆目見当はつかない。15キロ以上あることは確かだと思うが・・・。

2ターミナルにあるFlybeのカンターに行くと、カウンターに2人女性スタッフがいた。「今日の夕方630分の飛行機でエジンバラに行くのですが、預け荷物の重さを計ってもらえますか?」と頼んだ。私のスーツケースを重量計に載せると153キロ。ギリギリセーフだ。さて妻の方はと言うと、何と22キロ。明らかに重量オーバーだ。「機内持ち込みの荷物の方に移し替えるので、ちょっと待ってください」と言うと、女性スタッフは親切にも重量計があるところまで案内してくれた。

妻のスーツケースの中にある重そうなものを2人の手荷物の中に大慌てで突っ込む。一番重そうな洗顔石鹸やクリーム、化粧水などを大量に機内持ち込み手荷物に移し替えては重量計に載せる。まだ3キロもオーバーしている。今度は本やノートなどや電子辞書類を私のバックパックの中に入れた。

どうにか15キロ台になったのでカウンターに戻る。「全部手荷物に移し替えました。夕方630分の便なのですが、もう荷物を預けられますか?」と聞いた。彼女は「まだ12時です。なぜこんなに早く来たのですか?」と聞くので、「スーツケースの重量が気になったので、念のために早く来ました」というと「なるほど」と納得してくれた。

「それではいま手荷物のチェックインをしますね」と言うと、荷物をベルトコンベアーを動かして奥に送り込み、搭乗券と預け荷物のタグを渡してくれる。「これからどこへ行きますか?」と聞かれたので、「ロンドンの街を見て4時ごろまでには帰ってきます」と言うと、「5時までには戻ってきて、セキュリティチェックを通過してください。くれぐれも遅れないでくださいね」と言ってくれた。

私と妻はお礼を言って、1階下にある「荷物預かり所」に行った。スーツケースは無事にチェックインできたが、重い手荷物を持ってロンドンに行くことはできない。妻は大きなハンドバックと布の手提げ袋、そしてギリギリ客席に持ち込めるカート付きのスーツケースを持っていた。私もバックパックの中にPCと妻の教科書やノートが入っている。1階下に「left baggage」と表示された荷物預けコーナーがあったので、そこに預けることにした。荷物ひとつにつき3時間まで75ポンド(1100円)、3時間以上12時間以内が125ポンド(1800円)。これからロンドンに行って、早めに4時までに戻ってきたとしても完全に3時間は超えてしまう。荷物を3つ預けると5000円。仕方なしにPCや教科書やノートが入っている私のバックパックを預けるのをやめ、背負ってロンドンの中心地に行くことにする。

2ターミナル地下にはUnderground(イギリスでは地下鉄のこと。tubeとも言う。アメリカではsubway)の駅があり、妻は手自動販売機でロンドン版スイカともいうべき「オイスターカード」を買って地下鉄に乗り込む(私は2週間前に購入済み)。

行き先は「テイト美術館」。40分くらいで最寄りの駅に着く。歩いて10分で美術館へ。運よくイギリスを代表する画家ターナーの特別展をやっていた。5月のゴールデン明けの月曜日に新宿の東郷青児美術館で開催されていた「ターナー展」に行ったばかり。その会場で見た「難破船」の絵もこのテイト美術館にはあり、私は再会を喜んだ。この絵はテレビ東京の「美の巨人たち」でも取り上げられていた傑作だ。

大急ぎで館内を歩き回り4時前には地下鉄に乗る。当然5時前には空港に戻れると思っていた。ところが地下鉄が空港に近づくと、スピードが遅くなり何度も止まってしまう。駅での停車時間も長くなった。「この電車は5番ターミナル行に変更になります。第2・3・4ターミナルに行く人は、次の駅で向かいのホームに来る電車に乗り代えてください」というアナウンスがあった。日本なら成田でも羽田でも、空港に行く電車やモノレールは空港内の全ての駅に停まる。ところが、第5ターミナル行きの電車だと、第2、第3ターミナルには行かないらしい。他の人に聞いてみたら、みんな観光客で「よくわからない」と言う。

結局、空港に着いたのはギリギリの時間になってしまった。手荷物預かり所で荷物をピックアップしてセキュリティ・エリアまで大急ぎで走る。ところがセキュリティ・エリアの検知器のところでまた時間を食ってしまった。機内持ち込みの荷物に入っていた化粧水やクリームなど大きなビンやチューブに入っていたものは全て捨てられてしまったのだ。それだけではない。小さめの化粧品やチューブのクリーム類も、縦18センチ、横13センチほどのビニール袋1枚の中に納めなければならなかったのである。そこからはみ出したものも全て捨てられてしまった。高価な化粧水を捨てられた時には、妻は本当に残念そうだった。預け荷物にすれば何の問題にもならないことが、重量オーバーだったことで、機内持ち込みになった。そのために、こんな理不尽な目に遭ってしまった。海外旅行は何があるかわからない。

ゲートではもうボーディングが始まっていた。LCCなので、ゲートからはバスでタラップまで行く。飛行機に近づくと、何とプロペラ機ではないか。ヒースローからエンジンバラまで2人で片道3万円。そのからくりは夕方の乗客の少ない時間だったことと、飛行機がプロペラ時だったことで、値段が安くなったのだ。妻は「こんな危ない飛行機を選んで・・・」と文句を言っていたが、私は「プロペラ機に乗るなんて初めて海外旅行をした1977年以来だ」と大喜びしていた。

 

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飛行機は1時間半ちょっとでエジンバラ空港に着いた。タクシーでホテルに向かう。後から知ったのだが、空港から街の中心までトラムが走っていて、3つ目の駅で降りてから5分歩けばホテルに行けたのだった。ホテルをネット予約したエクスペリアにもそんな情報は載っていなかった。いちいちホテルに確認しなければいけなのか。

タクシーを降りる時、運転手から1枚のビラを渡される。それには「空港に戻る時には20%オフ」という文とともに、そのタクシー会社の電話番号もあった。このビラのせいで、私たちは6日後に大変な目に遭うことになる。

英語学校はサウジアラビア人でいっぱい!

8月24日、イギリス・ボンマスの「チョコレート・ボックス・ホテル」は実際はB&Bで、部屋も驚くほど小さかった。日本の基準で言えば、畳6畳くらいのスペースにベッドからシャワーからトイレまでを詰め込んでいると言えば、一番わかりやすいだろう。シンク(洗面台)はなど私の顔より小さく、もちろんPCを広げるデスクもなかった。

妻の最後の授業が1230分に終わるので、1階の食堂で朝食を食べ、支度をして学校に向かう。

学校の玄関の前で待っていると、授業を終えた生徒たちが続々と外に出てくる。頭に布をまとった女性や顔が浅黒くヒゲをたくわえた青年などイスラム系の学生も多い、もちろん白人の男性や女性もいる。彼らはスペインやイタリア、フランス、スイスなどの近隣から留学している生徒だろう。あるいは中南米の国々からか?

妻が出てきた。先生や他の生徒とお別れをして来たので、遅くなったという。

妻の話によると、サウジアラビアからの学生がものすごく多いと言う。だが最近までこの国はとても保守的で、外国人が入国したり国民が外国に出たりするにも厳しい制限があった。女性が車の運転をしたというだけの理由で逮捕されたのは、ほんの2年前ほど前のことだ。その女性は海外で免許を取得し、何度も車を運転していたし、きちんと国際免許も持っていた。

昨年だったと思うが、サウジラビアの新しい王様が日本に来て安倍首相と会い、サウジの企業を東証一部上場に上げてほしいという会談をしたのを覚えている。その時のニュースの論調は、「石油はいつか枯渇してしまう。その次のことを考えないと、このままでは国の将来が危うい」とものだった。

新しい王様は、これまでのような保守的な社会を変えて、国をどんどん新しく変えていくことを真剣に考えているようだ。その一端が若者の教育、特に英語教育だ。もともとアラブの国民は、みんなオイルマネーのお陰でとてつもない大金持ちだ。自分の子供をイギリスに留学させて英語をマスターさせるなどは、たやすいことで、懐も全く痛まない。そのあたりは、私とは全く違う。

妻が2か月生活していたレジデンスは学校から10分くらいの街の中心にあった。ベッドとシャワー・トイレと勉強机と小さなタンスがあるだけのシンプルな部屋だったが、勉強するには申し分ない環境だ。部屋の外には、キッチンや談話室なども完備されていた。

夜は、ブライアン・ポールさんのお友達のグラハム夫妻の家にお邪魔する。私の著者『世にもおもしろい英語』と『アダムのリンゴ』を渡すと、ページを開いて英語の部分を声を出して読み上げる。「私でも読める本ですね」とうれしそうに言い、サインを求められる。

車で海辺の豪華なレストランに連れて行ってもらいディナー。特にシーフードがおいしかった。

妻は、この街の英会話学校と先生が素晴らしかったこと、いろいろな国の友人がたくさんできたことを話した。奥様と妻はもう何度も会っている。「本当に英語が上手になったわね」と喜んでくれる。私は、イギリス南部からフェリーでノルマンディに渡りノルマン・コンクエストの跡をたどってきたことを話した。

「ヨーロッパから遠い日本にいて、なぜノルマン・コンクエストに興味を持ったんですか?」とご主人に聞かれる。「『アダムのリンゴ』という本のサブタイトルは『歴史から生まれた世にもおもしろい英語』です。中世にノルマンディの王様が船でイギリスに渡り、王を倒してイギリスの王様になってしまい、数多くのフランスが英語に入ってきたというダイナミックな歴史の流れにとても興味を持ちました」と説明する。

そしてもうひとつこんなことも。「私はヨーロッパの風景画が大好きなんです。特に深い森があって、そこを通る一本道などが描かれていると、どうしょうもなくノスタルジックな気持ちになります。きっと私は前世では、フランスあたりで馬車の御者をしていたんじゃないかと思うんです」

痛恨のミス!「シェルブールの雨傘」の撮影地を見逃す。

824日、今日はシェルブールからフェリーに乗って南イギリスのプールという港に行き、それから妻が留学しているボンマスという街のホテルまで行く。プールの港からボンマスまで、どのくらい距離が離れているのか? 電車がいいのかバスなのか? タクシーで行けるような距離なのかもわかない。

朝になってボンマスの、その名も「ホテル・チョコレートボックス」のホームページを見て場所を確認すると、街の中央のスクエアーという広場に近いことがわかった。他の情報をながめていたら、重要なことが表示されていた。「チェックイン時間が21時で終了」となっていたのだ。船がプールの港に着くのが、午後945分だから間に合わない。部屋どころか建物の中にも入れないではないか。

エクスペディアでホテルを予約していたので、ホームページ上にある「ホテルにメッセージを送る」という箇所をクリックし、「船がプールに着くのが午後945分なのでチェックアウト終了までにホテルに行けない」旨の英文メールを送る。30分ほどして電話してみると(一応フランスからイギリスへの国際電話)、ホテルフロントの人が出て「メールを受け取ったが、あなたのアドレスがなかったのでどのように連絡したらいいいのかわからず困っていました」と言う。「どのようにホテルの鍵を開けて中に入るのかをメールしますので、アドレスを教えてください」とのことで、アドレスを教える。

だが、アルファベットを正確に伝えるのは、これは同じ言語を喋る人でも意外と難しい。例えば「A」と言っても「E」に聞こえてしまうし、「G」も「J」に聞こえてしまうこともありあえる。「M」と「N」も勘違いしやすい。そんな時に「A for America」「B for Brazil」「C for Charlie」 などという伝え方がある。これを「フォネティック・コード」と言う。日本でも昔、電報を送る時に「あさひのあ」とか「いろはのい」「うえののう」などと言って正確を期した。電報だけではない。電話でニュース原稿を送っていた新聞記者や放送記者が入社すると真っ先に覚えさせられたもので、ジャーナリストにとってはまさに「いろはのい」だった(私が出版社に入社した頃にはすでにファクスが出始めていたので、覚える必要はなかったが・・・)。

アドレスを伝えて少し経った頃、メールが来た。そこには「ホテルの入口を右に回ると黒い箱があり、そこにボタンがある。・・・という番号を入力すると、それが開くので、その中にホテルに入るカギと部屋のカギが入れてある」と事細かに書いてあった。これで夜遅くなっても、どうにかこのBBスタイルのホテルに入ることができるだろう。

出港は午後620分なので時間はたっぷりある。いつものようにスーツケースをホテルに預けて、近くのショッピングセンターの中のレストランで朝食兼昼食のブランチを食べる。まず、近くに「雨傘博物館」があったので行ってみた。何とシェルブールらしい博物館でないか。1階が傘や洋服などを売る店になっていて、2階に傘の製造を見せる工房がある。1階の店はサッと見たが、工房にはあまり興味がなかったので、隣の観光案内所に入る。

スタッフの男性に「隣の雨傘博物館は映画『シュエルブールの雨傘』の前にもうあったんですか? それとも映画の後にできたんですか?」と尋ねると「できたのは、映画のヒットからかなりたってからです」と応えた。さらに「なぜこの街が映画の舞台に選ばれたんですか?」と聞くと「さあ、ちょっとわかりません」とのことだった。

桟橋には大きな「海に関するアミューズメント施設」があるらしい。船に乗るまでそこで時間をつぶすのもいいかと思い、中を見るのにどのくらいの時間がかかるのか聞くと「全部見ていたら4時間から5時間かかります」と言う。「海に関する映像だけでなく水族館、他にも数多くのアトラクションがあり、すごく広い施設です」と言う。早くに情報をつかんでいれば、朝早く起きていくことができたのに・・・。

仕方なしに、雨傘博物館の裏手にある美術館に入る。この街に住んでいた大金持ちが取集した絵画などが展示されている。チケットを買った後、受付の女性に「『シェルブールの雨傘』に関する映画博物館などはないのでしょうか?」と聞いてみた。彼女は「近くに『雨傘博物館』はありますが、特にそのようなものはありません」と応えた。私が「残念です。シシリア島のある村には映画『ニューシネマパラダイス』の資料館があるんですよ。この街にもそういう施設を作ったらいいのに」と言うと、映画のパンフレットのような小冊子を渡してくれたので、それを受け取った。

1時間ほど絵画を鑑賞してホテルに戻る。船に乗り遅れるといけないので、スーツケースを受け取り、フェリーの出る桟橋まで歩くことにする。フロントの女性に地図の桟橋を指さして「ここにフェリーに乗るターミナルがあるんですよね?」と尋ねると、「いいえ、この地図の外です。最近、その桟橋よりもっと右の方にフェリー乗り場が変ったんです。歩いたら50分はかかります。タクシーで行くことをお勧めします」と言う。しかし、まだ乗船時間まで3時間もあったので、歩いていくことにした。

その時、手に持っていた小冊子に目が行った。先ほどの美術館で「シェルブールの雨傘」に関する映画博物館はないのかと聞いた時、受付の女性が渡してくれたものだ。開いてみると、この映画のどのシーンが街のどこで撮影されたのかを示した地図だったのだ。なんだ! 博物館はないという話だったのに、こんなに興味深く大切な情報が入った冊子があったではないか! 

特に興味を引かれたのは、お互いに違う人と結婚した2人がガソリン・スタンドで再開する最後のシーンだ。私はあれはスタジオのセットで撮影されたとばかり思っていた。最後に雪の覆われたガソリン・スタンドだけにライトが当たって周囲が暗くなり、徐々にロングショットになる。そこだけが舞台の上のように浮かび上がるのだ。何とそのガソリン・スタンドが駅のすぐ近くの岸壁の前にあるではないか!

またスーツケースをホテルに預けて市街に戻るか、諦めてフェリー・ターミナルに行くか、しばらく迷ったが、やはりフェリーに乗り遅れてはいけないという思いが強く、私はスーツケースを転がして歩き始めた。

これが大きな間違いだった。「Car Ferry」と書いた標識に従って桟橋を目指し、突き当りを右に曲がったが、なかなかターミナルが見えて来ない。広大なペースの駐車場を左手に見ながら金網に沿って歩くと、遠くにターミナルらしき建物が見えてきた。そこに着いた時にはホテルを出て40分が過ぎていた。やはりタクシーに乗るべきだった。そうすれば時間ができた。ホテルからまた市街地に戻って実際に50数年前に実際に映画を撮影した現場を見ることができたのだ。痛恨の判断ミスだった。

ターミナルに着いたのだが、乗船が始まるまではまだ1時間半もあった。カンターで聞くと、「まず出国審査を受けてからバスに乗って船まで行っていただきます。ですが、まだ時間がたっぷりあります。アナウンスをするのでそれまで待っていてください」と言う。仕方なしにカフェでコーヒーを飲んで時間をつぶす。

フェリーがイギリス側のプールの港に着いた時には、もう午後10時が過ぎていた。到着が15分ほど遅れたのだ。車の人たちはすぐに下船を始めたが、歩いて乗船した「on foot passenger」は「しばらくそのまま待ってほしい」というアナウンスがあり20ほど待たされる。船に昇降機を取り付けたり、そこにバスを横付けしたり、入国審査官を配置に付けることなどが必要なのだろう。

やっと下船してバスに乗り込む。長い車両を2台つなげたバスだが、車以外でフェリーに乗った人たち全員が乗り込むことができる。あんなに大人数が船に乗っていたのに、on foot passengerはこんなに少なかったんだ。ところが、そのバスが10分経っても15分経っても発車しない。どうやら故障したようだ。別のバスが来て、それに乗り代える。バスを降りると入国審査だ。長い行列に並ぶ。私の番が来たが、入国書類を持っていなかったために、列から外され記入するように言われる。書き終えて窓口の女性に手渡そうとしたが「しばらく列を離れて待て」と言う。もう夜10時半、もう最終の電車はなくなってしまうかもしれない。私は「これでは私はボンマスまで歩かなければいけません」と少し大きな声を出したが、「とにかく待って」と言う。しばらくすると、別の男性の係官から呼ばれたので、パスポートを書類を手渡す。「妹が日本人と結婚して北海道にいるんです」と言いながらスタンプを捺してくれた。

私が最後になっていた。前の人についていくと、そこには駐車場があり、みんな自分の車に乗り込んでいる。歩いて乗船した人も、イギリス側の港の駐車場に自分の車を停めていたのだ。

ターミナルには明かりがついていて、たったひとりの女性がいた。「ここから駅まで歩いたらそのくらいかかるんですか?」と聞くと「20分」と言う。「もう最終の電車は終わってしまったんでしょうか?」と聞くと「わからない」と言う。駅まで歩いても、もう終電が終わってしまっている可能性がある。するとそこにはタクシーはいないだろう。人もひとっこひとりいないかもしれない。そこからまたターミナルに戻っても、誰もいなくなって電気も消えているかもしれない。そうしたら野宿だ。

ならば、このターミナルでタクシーを呼んだ方が確実かもしれないと思い、その女性に「タクシーでボンマスに行くと幾らくらいかかりますか?」と聞いてみたが、これも想像したように「わからない」という返事だった。

彼女は「ここに無料でタクシーを呼べる電話があるので、それでタクシー会社と話して値段を聞いたらどうでしょうか」と言う。その電話機にはダイヤルがなかった。受話器を取ると、そのままタクシー会社の人が出た。「いま港のターミナルにいるのですが、ボンマスまで幾らで行きますか」と聞いた。せめて日本円で8000円以内なら助かると祈るような気持ちだった。「およそ16ポンドくらいだと思います」と言う。日本円なら2400円くらいだ。助かった! 「それではお願いします」と言うと名前を聞かれ、「そこで待っていてください」と言われたので、「Thank you!」とお礼を言って電話を切った。これで野宿は免れた!

タクシーは15分ほどで来た。タクシーの運転手に事情を話して、「もしホテルに入るカギが見つからずに入れなかったら、他のホテルを探さなければならなので、私が無事ホテルに入るまで待ってください」とお願いする。料金は正確に16ポンド。ちょっと高いとは思ったが、20ポンド渡して「Keep the change!」(お釣りは取っておいてください)と言う。

カギが入っているはずの箱を探し当てた。運転手は箱の数字の部分にiPhoneの光を当ててくれ、私がメール文を読み上げると、その指示通りにしてカギを箱から取り出してくれた。そして私がドアを開けて入るのを確認してから、車に戻って行った。