旅三昧&ときどき読書+映画

私は小泉牧夫。英語表現研究家という肩書で『世にもおもしろい英語』『アダムのリンゴ 歴史から生まれた世にもおもしろい英語』(IBCパブリッシング刊)という本を書いています。2018年4月に 出版社を退職し、41年にわたる編集者生活を終えました。いま世界中を旅しながら、本や雑誌記事の執筆とともに、旅先ではこのブログを書いています。お金はありませんが、時間だけはたっぷりある贅沢な旅と執筆と読書と映画の日々を綴っていきたいと思います。

旅三昧&ときどき読書+映画

私は小泉牧夫。英語表現研究家という肩書で『世にもおもしろい英語』『アダムのリンゴ 歴史から生まれた世にもおもしろい英語」(IBCパブリッシング刊)という本を書いています。2018年4月に出版社を退職し、41年にわたる編集者生活を終えます。それからは世界中を旅しながら、本や雑誌記事の執筆をする予定。お金はありませんが、時間だけはたっぷりある贅沢な旅と執筆と読書と映画の日々を綴っていきたいと思います。

ザッハー・トルテを食べて、旅の最後に“旅の神様”になる

79日(水)、616日にウィーンを出て昨日また戻って来た。1か月にわたる中央ヨーロッパの旅も、今日が最終日。ウィーンで見逃したのはベルベデーレ宮殿Lower Palace(下宮)だけ。Upper Palace(上宮)にある博物館だけは見ることができたのだが、そこを出た時点で午後6時になってしまった。だから今日はベルベデーレ宮殿の下宮だけを見ればいい。そうすればウィーンの代表的な観光地のほとんどに行ったことになる。

また明け方までブログを書いて、12時に起きる。ゆっくり支度をしながら、ウィーンの地図やら観光パンフレットやらをもう一度見直していたら、「Time TravelMagic Vienna History Tour」というビラが出てきた。どこでもらったものか全く覚えていない。裏面の説明書きを見ると、この1時間のツアーに参加すると、街の誕生からハプスブルク家の繁栄、ペストの大流行、第一次、二次大戦時のことなどを映像で振り返ることができると言う。ヨーロッパでは古い遺跡や建物、歴史的遺物をそのまま見せることはあっても、このような人工的なアトラクションはとても珍しい。これはウィーンという都市を訪れた総決算というか復習として行ってみる価値があるのではないかと思い始めた。

どこにあるのか確認すると、地下鉄のシュテファン広場で降りてシシィ博物館に行く途中にある。急いで支度をして地下鉄に乗り、その「Time Tarvel」に向かう。

シュテファン広場はこの前と同じように多くの人で賑わっていた。カフェでもたくさんの人がくつろいでいる。人混みを抜けて細い路地に入ると、「Time Travel」というパンフレットと同じロゴの看板を見つけた。受付でチケットを買う。145分。ツアーのスタートは2時だと言う。ちょうどいい時間だ。

男性のガイドに案内されて30人ほどの人と一緒に階段を降り、地下の部屋に入る。この建物は修道院や戦争時には地下防空壕として使われていたものだと言う。スクリーンがあり、皇帝フランツ・ヨーゼフ、皇后のエリザベート(愛称シシィ)、モーツアル、ジムグンド・フロイトなどがいろいろな会話をしながら自分自身やウィーンの街の紹介を始める。これがイントロダクションだ。

次の部屋では椅子に座ってシートベルトを着け、スクリーンに映し出される映像を見る。椅子がガタガタと動き出し前につんのめり、タイムマシーンとなって時空を移動し始める。何だかユニバーサル・スタジオスター・ウォーズのアトラクションのようだ。有史以前の恐竜に始まって、街ができる様子、ペストが大流行した中世にワープしてネズミだらけになった街角も映し出される。椅子から脚のところに空気が噴き出し、あたかもネズミが触れているようで気持ち悪い。大きな大砲の音がして椅子が振動したかと思うと、今度はオスマン帝国と闘いの戦場になる。

次の部屋には、ウィーンを代表する作曲家モーツアルトとヨハン・ストラウスの人形があり、それぞれに自分の曲がいかに素晴らしいか自慢を始める。2人の生きた時代は100年離れている。その意味でライバルとは言えないので、悪口を言い合ってもそれほど険悪にはならないのだろう。

第二次大戦直前の映像もあった。オーストリアヒットラーのドイツに併合されたのだが、その時のナチスのやり方があまりにひどい。国境に多くの部隊を集結させ、併合を受け入れないのならすぐに攻め込むぞ、と脅しをかけたのだ。オーストリアは併合を受け入れざるを得なかった。その時の首相の悲痛な演説が映像となって残されていた。

最後に地下の防空壕に入った。「みなさんも空襲を体験してください」と言う。サイレンがなり、爆弾が落ちるたびに大きな地響きが起こる。一緒にツアーに参加している女の子が泣きそうになってお母さんの腕にしがみついている。本当にシミュレーションで良かった。あの頃は、同じくらいの女の子が本当にこんな恐ろしい体験していたのだ。

だが、どこの国の空軍がウィーンを空襲をしていたのか? 1時間のツアーが終了した時、私は男性ガイドに質問した。「イギリスやアメリカ、フランスの連合軍の爆撃機がウィーンを空襲しました」と言う。ちょっと混乱してわからなくなった。私は「ウィーン市民を助けるためにですか?」と聞くと、「いいえ、この時オーストリアはドイツに併合されてましたから」と言われて、やっと飲み込めた。そうだ、この時はドイツのオーストリア州だったのだ。そんなことは正常な頭ならすぐに考えられる。やはり1か月に及ぶ旅の疲れが出ているのだろうか?

戦後、オーストリアソ連アメリカ、イギリス、フランスによって分割統治された。領土が元のように回復され国家として独立するまで10年かかったと言う。日本にも戦後、北海道と東北をソ連、本州の関東から関西をアメリカ、中華民国が四国、イギリスが中国地方と九州というふうに分割統治しようとする計画があった。もしそうなっていたら、東西ベルリンや南北朝鮮のように家族も親戚も恋人も離れ離れになっていたかもしれない。

そんなことを考えながら外に出た。その時に全く違うことが頭に浮かんだ。ザッハー・トルテを食べてみたいと思ったのだ。「Time Travel」の最後のところでウィーンを代表する名物が映し出されたのだが、その中にこのザッハー・トルテがあった。あの世界的に有名なお菓子がどんなものなのか、ウィーンの最後の思い出に食べておきたい、いや食べなければいけないと思った。

確か近くにザッハー・ホテルがあったはずだ。iPhoneで確認すると、徒歩で10分。ホテルはすぐに見つかった。同じ建物に「モーツアルト」というオープン・カフェがあった。看板にあるメニューを見ていたら「ザッハー・トルテ」があるではないか!

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私はお昼も兼ねてザッハー・トルテを食べることにした。コーヒーとソーセージとパンも一緒に注文。すぐにチョコレート・ケーキが出てきた。横にホイップクリームが盛り付けてある。それがザッハー・トルテだった。私は本来チョコレート・ケーキがあまり好きではないが、チョコの甘さをクリームが包み込んで繊細で濃密かつしっとりした味になっていた。コーヒーと一緒に食べると、さらにおいしい。食べ終わる頃になってソーセージをパンも出てきた。普通は料理が先、デザートをコーヒーが後だ。でも、私が真っ先にザッハー・トルテを注文したので、ウェイターがまず最初にじっくり味わってほしいと気を遣ってくれたのだろうか? チップ込みで32ユーロ。日本円なら4000円を超えている。この旅最後の贅沢だ。

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近くの停留所からトラムに乗ってベルベデール宮殿へ向かう。午後5時。閉館までまだ1時間ある。以前入った上宮の博物館を横に見て、庭園を歩き下宮まで歩くこと10分。受付で「博物館には3週間前に入ったので、今日はLower Palaceだけ結構です」と言ってチケットを買う。「もう45分きりありませんが、よろしいですか?」と聞くので、「それでOKです」と答える。抽象的なオブジェと中世の絵画や像を見ていると610分前。またトラムに乗って中央駅に戻った。

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明朝、空港行きの列車に乗る。中央駅から15分だと言う。チケットを今晩のうちに買っておかないと大変なことになるかもしれない。もし長い行列ができていたら飛行機に遅れてしまう。日本なら数秒で買えるものが、30分も場合によっては1時間もかかる。券売機には何度かトライしてみたのだが、いろいろ複雑な路線を選んだり、途中からドイツ語になってしまったりして、私には買うことができない。路線図が上にあって、行きたい駅までの料金を入れボタンを押せばいいと言うような単純なものではないのだ。でも、なぜこんな複雑にしなければいけないのだろうか?

番号札を取って待つ。244番。自分の順番が来ると、札の番号と窓口の番号がスクリーンに表示される。夜7時を過ぎて一番すいている時間だが、まだ20人くらい待たないといけない。窓口は5か所空いているが、短くても230分はかかるだろう。だが、私はチケットを買ったら、後は駅前のホテルに帰って寝るだけだ。ゆっくり待つことにしよう。

15分ほどした頃、1人の男性が部屋の中をあちこちうろついていることに気づいた。番号札を手に、いらいらしたように同じところを何度もぐるぐる歩いている。きっとすぐにでも切符を買わないと、列車に間に合わないのだろう。しばらく、そのままその人の動きを見ていたのだが、私はその人のところに近づき、私の札を差し出して言った。

Are you in a hurry? You go first! I have a lot of time.」(急いでいらっしゃるんですか? 先に行ってください。私には時間があるので)

その人は一瞬驚いたようだったが、本当に嬉しそうに顔を輝かせた。その人の番号札は250番。6人早く順番が来る。私は彼の番号札を手から取ると私の札を手渡した。

その人は「救いの神に出会えました」とホッとした表情を浮かべた。「何とお礼を言ったらいいかわかりません。本当に本当に感謝します」。最大限のお礼の言葉を言い終わらないうちに、244という数字がスクリーンに出た。私が「Go ahead!」(さあ、どうぞ行ってください)とその人に言うと、もう一度頭を下げて窓口の方に走って行った。

今回の旅では窮地に陥るたびにいろいろな“旅の神様”が現れて、私を助けてくれた。最後は私が“旅の神様”になって、困っている人を助けることができた。

 

ブダペスト発ウィーン行き列車。途中で降ろされたけれど、とても楽しかった

78日(月)、今日は午後240ブダペスト発の列車でウィーンに戻る。これで中央ヨーロッパ1周したことになる。1030分にホテルをチェックアウト、スーツケースを預かってもらって作曲家リストの記念館へ。

3日前に購入したブダペスト・カードの有効期限は72時間、あと2時間で切れてしまう。写真家のロバート・キャパの記念館も近くにありパスが使えるようだが、『地球の歩き方』にも解説が載っていない。ということは、それほど大々的な展示はないのかもしれない。日本に帰って、沢木耕太郎のキャパに関する本を読むことにして、私はリストの方を選んだ。

この街に3日いるので、もう地図を見なくとも地下鉄で行けるようになった。世界で2番目に古いとされるイエローラインの駅で降り、リスト記念館を探すが、なかなかたどり着かない。iPhoneの地図では記念館と私の位置が重なっているのだが・・・。買い物袋を下げたおばあさんを初め何人かの人に尋ねてやっと到着。日本のように大きな看板はない。建物入口の上部に小さなプレートがあるだけで、外から見ても見分けがつかない。

受付でブダペスト・カードを見せると、「ここではそのパスは使えません」とのこと。キャパ記念館は確実に使えるので、そっちにすれば良かったかもしれないと思ったが、もう遅い。入場料と日本語の音声ガイドの料金をクレジットカードで払う。

私の前で日本人らしい若い女性がチケットを買っていた。なんとなく日本人だとわかる。動きがおっとりしていて、おしとやかなのだ。日本の音大の学生だろうか? ピアノではないかもしれないが、何か専門的に楽器をやっていそうな雰囲気を醸し出していた。

リストはハンガリー出身で広くヨーロッパで活躍した作曲家でピアニストでもあった。世界でも日本国内でもフランツ・リスト呼ばれているが、ハンガリーでは日本と同じように苗字・名前の順になる。だから自分自身ではリスト・フランツと名乗っていたと言う。

たった3部屋だが、彼が実際に使った数々のピアノや机、祈りを捧げる小祭壇、家具、肖像画など20の展示品に関してじっくり解説を聞く。日本人らしき女性も私が音声ガイドを聞いているのを見て、受付に行ってガイドを借りた。だが、彼女は他にも行くところがあったのか、20分もガイドを聞くと出て行った。私のようにじっくり全部解説を聞くことは、一過性の旅行だと難しいのだろう。1泊や2泊の滞在だと、どうしても大急ぎでその街を代表する観光地だけを見ることになる。

リストは身長も高く、手がとても大きかったことでも知られている。石膏でかたどった実物大の手の模型があったが、私の指の15倍はある。その大きい手で超絶技巧を駆使しなければ弾くことのできない難曲を作曲し演奏したと聞いたことがある。1時間半ほどリストの世界に浸り、記念館を後にした。

地下鉄に乗りホテルに取って返すと、スーツケースを受け取ってまた地下鉄でブダペスト東駅へ。列車発車時刻の1時間前に着いた。イギリスの諺だったか、「遅すぎるより早すぎる方がいい」というのがあった。

例によって、駅のコンコースで電光掲示板にプラットホームの番号が出るのを待つ。まだ、ハンガリーフォリントのコインが余っていたので、全部使ってお菓子を買い食べながらさらに30分。発車15分前になってやっと表示された。何と目の前の8番線。もっと遠くのホームなら10分もかかる場合もある。駅ではスーツケースを引っ張りながら猛ダッシュしている人の姿をよく見かける。

ファーストクラスは先頭の1両だけ。4人掛けのゆったりしたコンパートメントの車両だった。私がスーツケースに脚を乗せてリラックスしていると、2人の大柄な青年が入ってきた。「スーツケースは邪魔だから通路に置いておきます」と言うと、「ノー・プロブレム」と言って筋骨隆々とした腕でスーツケースを上に押し上げて棚に載せてくれる。

列車はハンガリーの田園風景の中をのんびりと走る。ウィーン到着は520分。2時間半の列車の旅だ。実は私はあえてゆっくり走る列車を選んでいた。この旅の最後をじっくりと味わおうと思ったのだ。ECという国際長距離列車でも料金は同じだが、アッという間に着いてしまう。そうはしたくなかった。

iPhoneの地図で確認すると、国境が近づいて来たことがわかる。その時、車掌が突然コンパートメントのドアを開け、何事か青年たちに話している。2人は驚いたような顔をした。2人にどうかしたのか聞くと、英語で「この列車はここまでで、違う列車に乗り換えなければならない」と教えてくれた。「なぜ?」と聞くと、「よくわからない」と言う。ひとりが棚から私のスーツケースを降ろしてくれた。

乗客はみんな列車から降りている。私もそれに従うしかない。アジア系の顔をしたカップがいたので、「あなたたちもウィーンに行くんですか?」と聞くと「Yes」と言い、「何があったんですか?」と私に聞く。私に聞かれてもわからない。香港人で、昨日飛行機でブダペストに着いたと言う。

ホームでは鉄道会社の職員らしき人が大勢の人に囲まれ、ドイツ語で何やら説明している。近くにいた品の良い女性が私たち3人に英語で説明してくれた。「この先オーストリアで電気系統のトラブルがあって、このハンガリーの機関車では走行できないので、違う列車に乗り換えてほしいと言っています」。ルーマニア人だと言う。今日も困った時に手を差し伸べてくれる“旅の神様”が現れた。

私が「日本ではこんなこと考えらない」と言うと、香港から来た女性が「えっ、日本人だったんですか?」と驚いている。「去年に日本に行ったんですが、まったく英語が通じなくて本当に驚きました。あまりにも自然に英語をしゃべっていらしたので、日本人ではないと思っていたんです」と言う。喜んでいいやら悲しんでいいやら。「でも日本は素晴らしい国です」と一生懸命カバーする。男性も「京都、奈良、大阪、それから北海道にも行きました。北海道が一番好きです」と言う。

私はルーマニア人の女性に「英語がお上手ですね。国内で勉強されたんですか?」と聞くと、父親が先見の明がある人だったので、共産主義の時代にもかかわらず英語を学ばせてくれたんです」と言う。私が「チャウシェスクの時代ですね」と言うと、「そうチャウシェスク独裁の時です」と言う。チャウシェスクと夫人が処刑されてから、もう30年くらいになるだろうか? 「ルーマニア人で一番よく知られているのはコマネチです。私の世代の日本人では知らない人はいません」と言うと、女性は嬉しそうに頷く。彼女がカップルの2人に「コマネチって知ってますか?」と聞くと「No」と言う。私は世界的に有名な北野監督のギャグについて話そうと思ったが、くだらないのでやめた。

香港の女性が「Holidayなんですか?」と私に聞く。いつものように、去年の4月に東京の出版社を定年退職して、いま中央ヨーロッパ1か月かけて旅行していることを説明する。「611日にウィーンに着いて、ザルツブルグ、チェスキー・クルムロフ、プラハ、ベルリン、ワルシャワ、クラコフ、ブダペストと歩いて、またウィーンに戻り、明後日モスクワ経由で日本に帰ります」と説明した。男性が「僕たちもチェスキー・クルムロフに行って1泊するんです」と言う。「そうなんですか。もし時間があったら、お城の裏側に広々とした庭園がありますから行ってみてください」と“先輩”としてアドバイスする。

なかなか次の列車はやってこない。鉄道会社の係員が「あと25分待ってください」と言ってまわっている。カップルの女性に「東京では渋谷に行きましたか? スクランブル交差点があったでしょ?」と聞くと、「行きました」と言う。「私が勤めていた会社はそのすぐ近くにあったんですよ」と説明した。暇に任せて「忠犬ハチ公」の話もしたが、知らないようだった。いまハチ公の前は写真を撮る外国人旅行者の長い行列ができて大変なことになっている。

「今は旅行だけをしているんですか?」と彼女が聞くので、「本を書いています。そうだ、最初に書いた『世にもおもしろい英語』という本は中国語にも翻訳されているんですよ。残念ながら台湾の中国語ですが・・・」と言うと、「台湾と香港の中国語は同じなんです」と言う。そうか、広東語というのかな? ネット検索すると『世にもおもしろい英語』中国語版の紹介が出てくるはずだと思い、iPhoneで検索すると小泉牧夫という名前と中国語の書名に加えて私の略歴も出てくる。彼女はその中国語を読んで「Great!」と言う。男性は「You are famous!」と言う。私は「No, infamous(悪名高い)」と言うと、4人で大笑いになった。「もう1冊『アダムのリンゴ 歴史から生まれた世にもおもしろい英語』という本も、もうそろそろ中国語版が出来上がりますので、ぜひ買って読んでください」と宣伝する。

香港の2人は「明日1日だけウィーンに滞在する」と言う。ずいぶん駆け足の旅だ。ルーマニア人の女性が「ウィーンではザッハートルテというケーキを食べるといいですよ。どこで食べられるかわらないけれど」と言う。私は「オペラ座の近くにザッハーというホテルがあったので、そこで食べられると思います。ザッハーという料理人が考案したウィーンを代表するデザートです」と説明した。女性は「ずいぶん詳しいですね」と言う。私は20年ほど前に『ヨーロッパお菓子紀行』という本をつくった。本当にいろいろな分野の本を編集したものだ。

列車を降ろされてから1時間になる。もうとっくにウィーンに着いている時間だ。「列車がすぐに来る」と言うアナウンスがあった。私はてっきり今ホームにいる私たち乗客たちのために特別に用意された列車が来るのだと思っていた。ところが、単に次のウィーン行の国際急行列車が来るだけで、それに乗ってほしいと言う。その列車が満席だったら通路や連結部分に人が溢れることもあり得る。全員乗り切れるのだろうか?

幸いなことに列車には空席もあり、私と香港人の彼女は座ることができた。彼の方は連結部分に立っている。列車がオーストリアに入るとどんどんスピードを上げた。ハンガリーの列車がのろのろと走っていたのとは大違いだ。何とあと35分でウィーンに着くと言う。20分ほど座って彼に席を譲った。最初は遠慮していたが、無理やり座ってもらった。

立って車窓の風景を眺めていると、車掌がやって来た。話のタネに「予約券の払い戻しはしてもらえないのか?」と聞いてみた。予約券を見せると、「それはこの列車のものではない」と言う。そんなことはわかっている。だから問題なんじゃないか! 私はこの前のウィーン行きの列車から降ろされた、この予約券は座っていけることを保証するものなのに、後半は座れなかったということを力説したが、「他の列車のことは私にはわからない」という想像した通りの返事だった。確かにこの急行列車はQBBというオーストリア国鉄の列車で、私がブダペストで乗ったのはハンガリー国鉄の列車。JR東日本と東海とは訳が違う。

列車はウィーン中央駅に着いた。“旅の神様”のルーマニア人女性は遠く離れた席に座ったらしく見当たらなかったが、香港から来たカップルに「Have a bice trip!」と言うと、男性は「You, too!」と言い、彼女は「It’s a great honor to have met you!」(お目にかかれてとても光栄です)と最大限の敬意を示してくれた。やはり著者があるということは、すごいことなんだ。

25日ぶりのウィーン中央駅。何か故郷に戻ってきたような懐かしさが心に溢れた。

 

ドナウ川の遊覧船と温泉でリラックス。お腹の具合も良くなった

77日(日)、まだお腹の調子が悪い。でもブダペストなんていうところには、もう二度と来ることはないだろう。頑張って外に出ることにする。この街の主だった観光地には行ってしまったので、今日はのんびりとドナウ川の遊覧船に乗ることにしよう。それが終わったら、ホテルに戻ってのんびり過ごしてもいいし、温泉に行って疲れを癒してもいい。ブダペスト市内にはいくつも温泉があると言うではないか。念のため水着もバックパックに入れてホテルを出る。温泉には水着を着けて入るのがハンガリー流だ。ドイツとは違う。

船にはドナウ河岸のマリオット・ホテル前の桟橋から乗れるらしい。15分ほど歩いてホテルの前まで来ると、その遊覧船の看板があった。12時の船がある。時計を見たら1140分。ちょうどいい時間だ。

手にチケットの束を持った男の人がいた。「船に乗らないか? 中州にある島を1周する1時間のコースだ」と言う。ハンガリーの通貨なら2300フォリント、ユーロなら8ユーロ。今日と明日で残っているフォリントをきれいに使い切ってしまいたかったが、財布にあったのは2000フォリント。10ユーロの札もあったので、とりあえずユーロで支払いお釣りをもらう。彼は「桟橋は10番だ。Enjoy!」と言う。

船に向かって川べり歩いていると、また大きなミスをしてしまったことに気づいた。私はブダペスト・カードを持っている。そのパスがあれば、遊覧船には無料で乗れたのだ。昨日も西洋美術館と恐怖の館で使えるはずのパスを使わずに入場料を払ってしまい、自己嫌悪に陥ってしまった。あれほど反省したにもかかわらず、また同じ轍を踏んでしまった。これで無駄なお金を3000円以上も使ってしまったことになる。またまた落ち込んでしまい、さらにお腹が痛くなった。

この旅では困ったことがあると、いつも誰かが手を差し伸べてくれた。だから、私には「旅の神様」がついているとさえ思えてくるのだが、「お金の神様」からはすっかり見放されているようだ。日本で間違ってチケットを買ってしまったなら、温情で払い戻してもらえる可能性もあるが、自己責任が徹底しているヨーロッパやアメリカでは100%無理だ。

ふと、40年以上も前の出来事が蘇った。パリのシャルルドゴール空港。前日に雪が降った寒い日だった。私が乗った成田行き日航機が滑走路に向かう途中、車輪がスリップして溝にはまってしまい、その日は運航できなくなった。乗客は降ろされ、その晩は飛行機会社持ちで空港近くのホテルに宿泊することになった。食事はもちろん、テーブルに運ばれるデカンタのワインも無料。ただ、部屋の冷蔵庫に入っている飲み物だけは自腹で払ってほしいと言われた。

朝になってホテルのスタッフが何か冷蔵庫の飲み物を飲んだかチェックに来たが、私は飲んでいないと答えた。支度を終えロビーに下りて行くと何か揉めている。大きな部屋に男性3人で泊まっていたらしい。誰も冷蔵庫の飲み物を飲んでいないにもかかわらず、お金を払ってしまったと言うのだ。ホテルのスタッフと日本人乗客の間に日航の職員が入って話をしていた。日航の職員はホテルのスタッフの言葉をそのまま通訳した。「お金を払ったということは飲み物を飲んだことを認めたことですから、払い戻しはできないと言っています」。日航の職員はさらに通訳した。「飲み物を飲んでいないのになぜ払ったんですか?」と。男性は「払えと言われたから払ったんじゃないか!」と言って、日航の職員に殴りかかったのだった。まさに日本とヨーロッパの考え方の違いのぶつかり合いだった。

そんな昔の記憶を思い出しながら10番の桟橋に向かって歩く。一応払い戻ししてもらえるかだけでも聞いてみようと思い、乗船口で聞いてみると「やはりダメだ」と言う。やはり、そうだろうなと納得してしまった。パスを使わなかったのは明らかに私のミスなのだから。

一応「船にトイレはありますよね」と確認して乗船。前方のデッキの椅子に座ると、すぐに出港。左側に一昨日行った王宮が見えてきた。鎖橋をくぐると、これも一昨日行った教会と漁夫の砦の丸く尖がった塔が現れる。

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長さ100メートルはあろうかという長い船が横に並び、どんどん追い越して行く。デッキには何人かの人がいて、こちらに手を振っている。恐らくこの船にはいくつものホテルのような部屋があり、そこに宿泊しながらドナウ川流域を旅しているのだろう。そんな旅もいつかしてみたいものだ。

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右側にはハンガリーの国会議事堂が見えてきた。なかなか洒落た芸術的な建物だ。みんな写真を撮っている。もう1本橋をくぐる。中州の島の緑が美しい。ジョギングしている人、自転車に乗っている人、ゆっくり散策している人、ベンチに腰掛けて川を眺めている人、みんな様々なかたちで日曜の午後を満喫している。 

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船は島の向こうでUターンすると、桟橋に戻った。1時間がものすごく短く感じた。あまりにもリラックスした気分で川からの景色を眺めていたからだろうか、お腹のゆるみも痛さもどこかに消えてしまった。

それにしても、パスを提示すれば無料だったのに、うっかりお金を払ってしまったことが悔やまれる。どうにかして、パスを買った料金分だけは取り戻したい。このパスで何か得することをしよう、何かないだろうか?と考えていたら、いいことを思いついた。

やはり温泉に行こう。手に入れたブダペスト・パスのパンフレットを見たら、「ルカーチ」という温泉なら無料で入れるらしい。本来3000円以上かかる。パスの料金は多少なりとも回収できるだろう。無駄なお金を使ってしまったという自己嫌悪感も少しは和らぐかもしれない。

iPhoneで確認すると、マリオット・ホテルの前から2番のトラムに乗って終点まで行き、そこで4番か6番のトラムに乗り換えて橋を渡った先で降り、10分ほど歩くとその温泉に行けるらしい。

実は、何もブダペストまで来て温泉に入らなくてもいいじゃないか、日本でいくらでも入れるし・・・とも思っていたのだが、自分のミスを挽回しようというリベンジにも似た気持ちが出てきたことで、温泉に行かなくてはならない状況を自ら作り出す結果になった。

2番のトラムは川沿いを走り短いトンネルを抜けると国会議事堂の前の駅に着いた。さっき川から見たのとは反対側だ。終点まではすぐだった。今度は46番のトラムに乗る駅で待っていたのだが、10分経っても20分経ってもどちらの方向もやってこない。その代わりバスだけは頻繁に行き交っている。バスの表示をよく見ると「46 Replacement」となっている。そうか、トラムが何らかの事情で走っていないので、代行バスを走らせているのか。また無駄な時間を過ごしてしまった。

停留所に行くと、すぐにバスが来た。橋を渡ったこところで降り、少し歩くとiPhoneマップの温泉の場所と私の位置が重なる。中庭を抜け建物に入り、受付でブダペスト・パスを見せて使えるか聞くと「1回目だけは無料になります」と言う。時計のようなリストバンドをもらう。

「タオルをレンタルしたいのですが・・・」と言うと、「キャップはどうしますか?」と聞かれた。「何のためですか?」と聞くと、「プールで泳ぐ時に必要だ」と言うので「いりません」と答える。「マッサージはどうしますか?」とも聞かれたが、これも「結構です」と断る。

タオルを受け取り、リストバンドをスキャンした上で、クレジットカードでレンタル料を払う。デポジットとして2000フォリントの現金を支払う。タオルを返却した際に戻って来るお金だ。

2階に上がると、ロッカールームがあった。小さな着替え室がたくさん並んでいる。カギをかけてその中で着替えるので、男女一緒でも問題はない。

水着に着替え温泉に向かおうとするが、どっちに行ったらいいかわかならい。表示がすべてハンガリー語になっている。何かの人に聞いて、やっと洞窟の中に幾つかある温泉を見つけた。温度はかなり低めなので、長時間浸かっていられる。サウナもあるようだが、そこは男女別になっていて水着を脱いで入るらしい。

私は何年か前に脳出血で入院しているので、サウナと水風呂は禁じられている。2か月に1度通院して血圧を下げる薬をもらっているが、脳外科の先生に「あまり熱くないサウナに入ってから、ゆっくりと慎重に水風呂に入ってはいけませんか? それが私の唯一の生きがいなんです」と言ったのだが、笑いながら「血圧を急激に上下させることが一番危険です。近くのスポーツジムからも何人もの人が救急車で運ばれて来ますよ」と言われてしまった。

ぬるい温泉に浸かっては、プールサイドに出て長椅子に寝転ぶ。もう7月だ。そよ風も暖かくて気持ちいい。そんなふうにして洞窟の温泉とプールサイドを何度か往復していたのだが、そのうちにイメージしていたブダペストの温泉とは何か違うと思い始めた。そうだ、テレビで見た時は広い露天風呂で、小さな魚もいて足の角質を食べてくれていた。魚はともかく、温泉は洞窟の中しかないのだろうか? ハンガリー語が読めないので、どこに何かあるかさっぱりわからない。洞窟の中の温泉もやっとのことで見つけたのだ。

結局、その温泉施設には3時間近くもいた。ロッカールームで着替え、タオルを返却してデポジット2000フォリトを受け取る。レンタル・カウンターから2階に上がり、他に何があるのかを“探検”しながら出口に進むと、プールとは反対側に何と大きな露天風呂があるではないか。たくさんの人が入っているが、広いのでそれほど密集している感じではない。

受付でリストバンドを返却する時、「中に地図がなかったので、open air hot bathがプールの反対側にあるとは思いませんでした」と言うと、パンフレットを手渡される。それにはちゃんと地図があった。最初にこれを受け取っていれば、もう少しバラエティのある温泉を楽しめたのかもしれない。

トラムに乗ってホテルに戻る。ドナウ川を巡る遊覧船と温泉で、いつの間にかお腹の調子も良くなってきたようだ。

 

西洋美術館と恐怖の館。心も体もネガティブになってしまった

76日(土)、10時半に起きる。明後日ウィーンに帰る列車の予約をした方がいいと思い時刻表とにらめっこ。ブダペスト-ウィーン間なんて簡単だと思っていたら、なかなか複雑。3つの候補を選びメモする。夕方にこのメモとユーレイル・パスを持って駅に行き座席の予約をしよう。到着したのは「ニュガティ」という西駅だったが、今度のウィーン行きの列車は「ケレティ」という東駅から発車するので、間違えないようにしないといけない。

それからシャワーを浴び、12時に活動開始。昨日はブダ地区の王宮の丘に行ったので、今日は反対側のペスト地区の英雄広場にある「西洋美術館」に向かう。ホテルからデアーク広場まで歩き、そこからYellow LineM1」という地下鉄に乗る。ロンドンに次いで世界2番目に古い地下鉄とのことで、車両も3両きりないヴィンテージ電車。と言っても、最近新しく古さを感じさせるようにリニューアルしたものだと言う。

この地下鉄はアンドラーシ通りの下を走っている。『地球の歩き方』によれば、アンドラーシは19世紀後半の首相の名前だが、スターリン通り、ハンガリー青年通り、人民共和国通り名前を変えてきたと言う。まさに通りの名前の変遷を見るだけで、いかに歴史の波にもまれ続けてきたのかがわかる。

地下鉄を降りると、だった広い英雄広場があった。

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そこを斜めに横切り「西洋美術館」へ。料金を払い、日本語のオーディオガイドも借りて中に入る。中世のゴシック絵画からエル・グレコラファエロレンブラントルノアールなどの名品が展示されている。キリストにまつわる宗教画もたくさんあったが、馬小屋での誕生から説教の場面、架刑、復活へと部屋が続き、とてもわかりやすい展示となっている。赤ん坊のキリストとマリア・ヨセフ夫妻が一緒に描かれた絵もあった。このマリアの夫のヨセフだが「キリストの父親」と書かれている本もある。だが、聖母マリアは処女でキリストを生んでいるので生物学上の父親ではない。このあたりが歴史書執筆の難しいところだ。私の『アダムのリンゴ』では、いろいろ考えあぐねた末「養父ヨゼフ」とした。

マリアが赤ん坊のキリストにワインを飲ませる絵もあった。今の日本なら「虐待」ということで児童相談所に通報されてしまうだろう。それで思い出したのだが、フランスでは小学校の給食にワインが出るという話を聞いたことがある。私の知り合いの大学教授はフランスで子供を小学校に通わせていたのだが、先生に「日本では子供がアルコールを飲むことが法律で禁止されているので、うちの子供にはワインは出さないでほしい」と手紙を出した。そうしたら翌日から、その子だけビールが出たと言う。

いまではそんなことはなくなっていると思うが、酒が飲めない私だったったら、学校に行くのが苦痛になったかもしれない。昔、給食が食べられない生徒に「食べるまでは家に帰さない」と完食することを強制した先生がいたが、私なら「ワインを全部飲むまでは家に帰っていけない」と言われ、拷問のような苦しみを味わっていたかもしれない。

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ブリューゲル作だと思うが「村の祭り」という絵もあった。どこかで見た絵なのだが思い出せない。ひょっとしたら、テレビ東京の「美の巨人」で見たのかもしれない。

 

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クラナッハの「サロメ」もあった。男の生首をお盆に載せている絵だ。これも実物をどこかで見たことがある。上野で開催されていた「クラナッハ展」か「怖い絵」展がどちらかだろう。

この画家はザクセン選帝侯のお抱え絵師だった。マルチン・ルターもそのザクセン選帝侯のもとでラテン語の聖書をドイツ語に翻訳した。2人は親友だったと言う。ところで、この「選帝侯」(わたしはつい「帝選侯」と言ってしまう)とは何かと言うと、ローマ法王選出の投票権を持つ王や地位の高い貴族のことだ。とても難しい日本語だが、英語にするとelector。「選ぶ人」という意味だが、英語になるとすごく簡単になる。

3時間ほど日本語の音声ガイドを聞きながら名品をゆっくり鑑賞する。団体旅行だったら、こうはいかない。美術館を代表する絵を数点だけ見て次を急ぐのだろう。私は本当に贅沢な旅をしている。

4時半になった。地下鉄で2駅戻り「恐怖の館」に入る。第二次大戦中ナチス・ドイツを支援した政党「矢十字党」の本部が博物館になっていると言う。ソ連の影響下にあった共産党時代にはハンガリー秘密警察の本部として使われていた。ソ連に反逆しシベリア送りとなって強制労働をした人、秘密警察に捕まり激しい拷問を受けた人など、数多くの人の証言がビデオで再生されていた。地下には牢獄や拷問部屋もそのまま残っていた。特にスターリン時代が最悪だったようだ。

残酷な人生を生き抜いた人の証人はハンガリー語だが、英語の字幕が付いていたので、じっくり時間をかけて読んでいると、「6時に閉館しますので、お急ぎください」とスタッフに声をかけられる。「あと30分です」。10時半に起きて明後日の列車の便を選び、それからシャワーを浴びていたのでは仕方がない。またもや自己嫌悪に陥る。6時ギリギリまで粘って見学を終え外に出た時、もっと自己嫌悪に陥る、ある事実に気づいた。

私は「ブダペスト・カード」を持っている。ということは、さっきの「西洋美術館」もこの「恐怖の館」もカードを提示すれば料金を払わなくてよかったのだ。2500円ほど損をしている。ウィーンとザルツブルグでは交通機関と博物館が無料になるカードを買った。プラハとベルリンでは交通機関だけに使用できるカード。ワルシャワクラクフではパスはなく全部現金だった。カードを持っているのに、何でお金を払ってしまったんだろう。何か判断がおかしくなっている。1か月に及ぶ旅の疲れが出ているのだろうか? 

ハンガリーの暗黒の歴史に、払わなくてもよかった入場料を2つの施設で払ってしまうというとんでもないミスが重なる。沈んだ気持ちで地下鉄乗り「ケレティ」というハンガリー鉄道の東駅に向かう。チケット売り場に並ぶ。そこにはスクリーンがあり、これから発車する全列車が表示されていた。ウィーン行の国際列車もある。この窓口で大丈夫だろう。10分ほどで私の番が来て窓口に行くが、「インターナショナルの窓口はここではありません。階段を上がって左に行ってください」と言われる。これで何度目だろうか?

インターナショナルの窓口に行き、明後日の列車の予約を完了。1か月に7回使える私のユーレルパスも、これで最後となると思うと感慨深い。

夕飯のパンを買ってホテルに帰る。いつもすぐに夜中まで寝て、深夜に起きて明け方までブログを書いているのだが、今晩はどうもお腹の調子がおかしい。何度もトイレに駆け込む。昨日、小さなスーパーで買ったペットボトルの水がものすごくまずかった。何か水道水のような味がした。使い古しのボトルを洗浄して水道の水を入れて売っていたのではないか、などと思考がどんどんネガティブになってしまう。そんなことはあり得ないのだが・・・。

スーツケースの奥底にしまってあった「正露丸」を取り出して飲む。日露戦争の時に、兵士の下痢止めのためにつくられた薬だと聞いたことがある。だからもともと「征露丸」だったと。トイレで苦しんでいると、「恐怖の館」で聞いたシベリア送りになった人の証言が蘇った。

 

王宮との漁夫の砦、そしてアニメオタクのハンガリー人

75日(金)、いつものように明け方までブログを書いて11時に起きる。ブタペストの街を観光する予定だが、またいつものように出遅れてしまった。

ブダペスト」は「ブダ地区」と「ペスト地区」が一緒になってこんな名前になったということはご存じの方も多いと思う。だが、英語では「ビューダパスト」と発音するということを知っている人は、それほど多くないのではないだろうか? このようにヨーロッパでは都市をいろんなふうに呼ぶ。「パリ」は英語で「パリス」、「ローマ」も「ローム」となることは知っていても、「ウィーン」は「ヴィエーナ」、「プラハ」は「プラーグ」、「クラクフ」は「クラコー」となる。一番離れていると思うのが「ミュンヘン」と「ミュニック」だ。

ホテルのフロントで「ブダペスト・カード」を購入。これがあれば、市内の地下鉄やバスに乗る時にいちいち切符を買わなくていいし、博物館にも無料で入れる。ウィーンやザルツブルグにもそんなパスがあったが、いちいち観光案内所を探し歩いて購入しなければいけなかった。ホテルのフロントで買えるのはありがたい。こういうのを「おもてなし」の精神というのだろう。東京にもそんなパスがあって、身近なところですぐに買えるようになっているのだろうか? 

72時間有効のブダペスト・パスを購入しようと思い、フロントでいろいろ聞くがどうも要領を得ない。年輩の男性だが、新人だろうか? 何か頓珍漢だ。日本円換算で6000円もするのだから、本当に得をするのか、支払った分を取り戻せるのかよく考えないといけない。

「王宮に入るにもこのパスが使えるんですね?」と聞くと、「あそこはフリーだ。広場になっているから誰でも自由に入れる」と言う。「私は王宮にある美術館や博物館に入りたいんです。このパスがあればフリーですよね?」と聞くと、「それはよくわからないから、そこに行って聞いてほしい」と言う。それでは困る。もし使えなかったら、このパスを買う意味がない。差し出されたパンフレットを見ると「13の施設で使える」となっているではないか。

「地下鉄やバスでも使えますね」と聞くと、「このパスは市内だけだ。川の向こう側は市外だからダメだ」と言う。そんなわけがない、絶対に嘘だ。売る方も正しい知識を持ってほしい。とにかくパスを買って街に出る。

ブダペストでは、ポーランドでは使えなかった「SIMカード」も復活し、iPhoneの地図も使えるようになった。行く場所をインプットすれば、そこまでの行程も出てくるようになった。本当にありがたい。

カフェで朝食を食べて、街の中心のデアーク広場まで歩く。王宮は川を渡った向こう側の「ブダ地区」にある。観光名所の「くさり橋」を渡って歩いていこうと思っていると、広場の真ん中の小さなカウンターでブダペスト・カードを売っている若者が2人がいた。パスを見せて「ホテルのフロントで買ったんですが、王宮の博物館でこれ使えますよね?」と聞くと、「大丈夫です」と言い、すぐに「道の反対側で16番のバスに乗ってください」と教えてくれた。毎日、石畳の歩道を歩き、脚にかなりガタがきている。ブダペストではできるだけ交通機関を利用するようにしよう。

早足で歩くと、ちょうど16番のバスが停まっていた。運転手にパスを見せ、王宮に行くか確認して座席に着く。すぐに発車。丘の上に王宮が見えてくる。「くさり橋」を渡ると、ほんの数分で王宮の下のバス停に到着した。

ロータリーの反対側にも多くの人がいたので、そっちに行ってみようとも思ったのだが、ほとんどの人が近くの階段を登り始めたので、それについて行く。

丘の中腹まで来ると展望台のような平地があった。そこからブダペストの街並み見下ろせる。すると、その展望台の下の方からケーブルカーが登ってくるではないか。そうだ、ケーブルカーがあったんだ。すっかり忘れていた。バスを降りた時、ロータリーの反対側にたくさんの人が見えたが、このケーブルカーに乗る人たちだったんだ。一瞬坂を下って駅に戻ろうかとも思ったのだが、帰りに丘を下るケーブルカーに乗ることにする。坂を登りきると、そこが「王宮の丘」だった。ちょうど真下に「くさり橋」が見下ろせる。美しい町並みが遠くまで広がる。さすが“ドナウの真珠”と呼ばれるだけのことはある。

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この「王宮の丘」にはブダペスト歴史博物館と国立美術館がある。まず歴史博物館に入る。王宮の増改築やブダペストの栄枯盛衰の歴史を知ることができる。古代ローマが一番広がった時の地図もあり、じっくり見入ってしまった。もちろんこの地も古代ローマの属州だった。よくここまで広範な地域を治めたものだ。ハドリアヌスという皇帝がブリテン島に長城を築いた。これは北に住むピクト族の侵入を防ぐためだと言われているが、見方を変えれば、これ以上広くなるとローマの権威がすみずみまで及ばなくなり、それがほころびとなって国自体が崩壊に向かう。その限界を皇帝自らが示すという意味もあったとされている。

次に国立美術館へ。中世から現代までのハンガリー美術が展示されている。どうも私は中世のバロック絵画が好きになれない。人物は無表情で堅苦しい。それが15世紀になりルネッサンスの時代になると、人物の表情も生き生きとしてきて自然描写も美しくなる。

f:id:makiotravel:20190707121543j:plainいつものように12時からのスタートで出遅れたが、この2つのミュージアムが見られたことで、どうにかこうにか辻褄があった感があった。だが、この丘の上には「マーチャーシュ教会」と「漁夫の砦」という観光名所もあるらしいので歩いて行ってみることにした。

少し坂を下がると、白いとんがり屋根がいくつか見えてきた。階段を上がると、広場の前に大きな教会があった。それがマーチャーシュ教会だった。「Fiehsrmen’s Bastion Ticket」(漁夫の砦のチケット)と書いた看板があったので窓口に行くと、もう教会の見学は終了してしまったが、漁夫の砦はまだ入れると言う。そこだけに入ることにした。この砦は教会と同じ人物の設計。ここに魚の市があったこと、この要塞を漁師の組合が守っていたことでついた名前だと言う。純白の、おとぎ話のお城のよう。尖塔と尖塔の間を回廊が続く。ここからの眺めもすばらしい。

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しばらく教会前の広場をうろついていると16番のバスの停留場があることに気づいた。そこで待っていると、すぐにバスが来たので乗り込む。丘の裏側にまわりトンネルをくぐる。どうやら王宮の丘の下をくりぬいてつくったトンネルらしい。そのままくさり橋に出て川を渡りペスト地区の公園に戻った。そこから地下鉄に乗ろうと思ったのだが、あまりにも素敵な宵だったので、歩いてホテルに帰ることにした。

夕飯はどうしようかと考えていたら「ケンタッキー・フライド・チキン」の看板があった。「地下鉄駅のEXIT」とある。チケットに刻印するパンチする機械の近くにあるんだろうと思い地下の通路への階段を降りるが、どうもそこにはありそうもない。「EXIT」と言うのは階段を上がった地上出口のことなのだろう。

その時「May I help you?」と声をかけられた。若い女性だった。「ケンタッキーを探しているんです」と言うと、「This way」と言って階段を登り始めた。「Where are you from?」と聞かれたので「Japan」と答えると、突然「ホントですか?」と日本語で大声を出した。飛び上がらんばかりに喜んだという表現があるが、彼女は本当に飛び上がった。嬉しさを顔いっぱいに浮かべながら。

ハンガリー人だと言う。「ワタシ、日本のアニメが大好きです。『ナルト』も『ワンピース』も好き、でも『ドラゴンボール』が一番。将来マンガ家になりたい。ハンガリーのマンガは子供みたいでまだまだダメ。その夢を叶えるために、いつかニッポンにも行ってみたい。でもニホンゴまだまだ」とブロークンな日本語ながらも情熱的にまくしたてる。「私はマンガには詳しくありませんが、もともと出版社に勤めていて編集者だったんです」などと、いろいろな話をしていたら15分も経っていた。

こんな日本マニアの人が本当にいるんだ。「YOUは何しにニッポンへ」や「ニッポン行きたい人応援団」などテレビ東京の番組で紹介される、数少ない特別なガイジンかと思っていたのだが、やっとホンモノに出会えた。彼女は名残惜しそうに去っていったが、偶然出会った人だと言うのに、いつかその夢を実現してほしいと心から思った。

私はケンタッキーでチキンウィングを買ってホテルに戻った。昼から活動を開始した割には「王宮の丘」のほとんどの施設に入ることができたし、アニメオタクのハンガリー人にも会うことができた。まあ、今日はこれで良しとしよう。

 

 

9時間がアッという間。クラクフからブダペストへの列車の旅

74日(木)、朝830分に起き1階のダイニング・ルームで朝食。今日はクラクフからブダペストに行く。列車で何と9時間もかかる。おまけに寝台車を除いて直通は11本なので、絶対に遅れることはできない。

身支度を終えパッキングも済ませ10時にフロントに降りる。列車の時刻は1020分。すぐ駅前のホテルなので、遅れることはないと思うが、海外ではどんなハプニングがあるかわからない。

フロントには男性がひとりいたが、電話で誰かと話している。宿泊客だろう。それがなかなか終わらない。いらいらして待つ。日本なら2人体制で、どちらかがチェックアウトの手続きができなければ、もう1人がカバーするところだろう。5分経ってやっと電話を切った。もう15分きりない。

スーツケースを転がして駅まで走る。電光掲示板で何番線か見ると「5」と言う数字。一番遠いホームだ。もう列車は停まっていた。これまではファースト・クラスだったが、今日は全車両が2等車になっている。乗り込んで席を探す。コンパートメントの中には6つ座席があった。進行方向前向きだが、3人掛けの一番真ん中。テーブルは窓側の席の前だけにある。これではパソコンを開いてブログを書けそうにない。一昨日、ワルシャワからクラクフに来た時には、何と無料の食事のサービスもあって優雅な列車の旅だったが、今日はちょっと窮屈な旅になりそうだ。

コンパートメントには先に女性が入っていた。大きなバックパックを上の棚に載せようとしている。片方を支えて一緒に押し上げる。私の重いスーツケースは通路に置こうかと思ったが、通る人の邪魔になるので、どうしようかと迷っていた。躊躇していると、彼女が「それも載せましょう」と言って、一緒に棚に上げてくれた。今回の旅でスーツケースを棚に載せたのは、これが初めてだった。

彼女はオランダ人。とてもしっかりした感じの女性だったが、まだ学生だと言う。2人で話をしていると、コンパートメントに男女の若いカップルが入ってきた。男の子は両手にコーヒーカップを持っている。彼らもそれぞれ大きなバックパックを持っている。奥のオランダ人の女性が女の子のバックパックを持ち上げて、どうにか棚に載せた。私はまだ通路にいた男性に「せめて私はコーヒーを持っていてあげましょう」と言い、両手でカップを受け取った。カップルは2人でもうひとつのバックパックを棚に載せた。

列車は走り出した。座席の下にコンセントがあるか探してみたが、みつからない。通路にはあったが、パソコンの絵には×がついている。ということはiPhoneも充電できず音楽も聴けない。駅に着いたらiPhoneの地図でホテルを探さなくてはならない。充電が切れていたら面倒だ。iPhoneの電源をオフにする。でも列車でパソコンやiPhone以外に充電が必要な物って何だろう? 

男の子はイギリス人でリーズに住んでいると言う。女の子の方はポーランド人。2人ともまだ若い。私が日本人だと言うと、カップルの女の子が「友達が今度日本に行くんです。とても楽しみにしているようですよ」と言う。

ブダペストまでは9時間もある。私は「9時間と言うと、LAから東京までの飛行時間と同じですね」と言うと、イギリス人が「飛行機で東京までどのくらいかかるんですか?」と聞く。「私はウィーンからモスクワ経由で帰るんですが、まずウィーン・モスクワが3時間、東京まではさらに9時間です。そう、まさにこの列車と同じ時間です」と答える。

去年の夏、イギリスに行ったという話をする。「妻が1か月、ボンマスの英会話学校に行っていました。学期が終わる直前に私も合流して、一緒にエジンバラまで飛行機で飛んで、そこからネス湖ハドリアヌスの長城があるカーライル、湖水地方ウィンダミアまでドライブしたんです。ラウンド・アバウトがあって、何度も道に迷って大変でした」。女の子が私に「英語が上手ですね」とお世辞を言ってくれる。「ホリデイなんですか?」と聞かれたので、「去年4月に勤めていた出版社を定年退職しました。ですからeternal holiday(永遠のホリデイ)なんです。

実は、私はライターで、『アダムのリンゴ』という本を書いています。副題は『歴史から生まれた英語』です。古代ギリシアから現代のIT用語まで歴史から生まれた英語表現を紹介した本です。特に『ノルマン・コンクエスト』に興味があって、去年も妻と合流する前にヘイスティングスに行きました」と言うと、男の子が「バトルにもいったんですか?」と聞く。「ええ、1066 Battle Museumは素晴らしい野外博物館でした」と答える。

オランダ人の彼女も興味深そうに聞いている。「ああ、そうだ。英語の『gas(ガス=気体)古代ギリシアの神『Chaos』(カオス=混沌)をヒントにしてオランダ人の化学者が創った造語だって知ってましたか?」。「えっ、そうなんですか?」と彼女が言うので、「オランダ語でカオスを発音してみてください」と言うと、彼女は「ガォス」と発音する。「ね? ガスに似てるでしょ?」というと、「なるほど本当にそうだわ」と顔を輝かせた。

列車が走り始めて1時間半ほど経ってトイレに行った時に、隣のコンパートメントには誰もいないことに気づいた。コンパートメントに戻り、3人に「隣は誰もいないので、少し寝てきます」と言うと、みんな頷く。私もだんだん厚かましくなってきたようだ。

2時間ぐらいコンパートメントを独り占めして3人掛けの座席に横になっていると、列車が停まったようだ。体を起こすと、なかなか大きな駅だった。ガシャンという音がしてショックを感じた。他の車両とドッキングしたようだ。3日前に時刻表をチェックした時、私は別の列車でこの駅まで来て、ここでブダペスト行きに乗り換えると思っていた。だがチケット・カウンターでは「直通があります」と言われた。

理屈がわかってきた。私が乗った列車はクラクフを出発したが、それより何時間か前にワルシャワを出た列車はクラクフで停まらずに先にこの駅に着いていた。ここでは私自身が列車を乗り換えるのではなく、私がクラクフで乗った列車が、そのままワルシャワ発・ブラペスト行の列車に連結されたのだ。

私が寝ていたコンパートメントにおばあさんが入ってきた。私はしばらくそのまま座席に座っていた。もう「ハンガリーとの国境を越えたのですか?」とそのおばあさんに聞くと、「いいえ、チェコに入りました」と言う。国が変わるたびに車掌も変わる。その度に検札がくる。私がユーレルパスと予約券を渡すと、違うコンパートメントの違う座席に座っているのに、何も言わずに返してくれた。

また何時間か走った。途中の駅でものすごい数の人たちが乗り込んできた。通路まで一杯になったので私の本来の自分の席に戻った。4時になった。私もさすがにお腹がすいたので、カップルの男の子に「この列車にはレストランが付いているんだよね?」と聞くと「Yes」と答える。「ちょっと食堂車に行ってくる」と言い、バックパックを背負って4つ前の車両に向かう。通路や連結部分まで人で一杯だった。荷物をどかしてもらい、床に座り込んでいる人には立ち上がってもらって通路を進む。人がぎゅうぎゅう詰めで通れそうもないところもあった。もう食堂車に行くのを断念しようと思ったが、ここはヨーロッパ。遠慮していたら何もできない。謙譲の精神が尊ばれる日本ではない。大声で「レストランに行きます。通してください」と言って、どいてもらう。

途中からはファースト・クラスになっていた。この車両がワルシャワから来たのだろう。そして私がクラクフから乗った2等車がそれに連結したのだ。やっとのことで食堂車に到着。空いていた。ほんの数人が食事をしたり飲み物を飲んでいるだけだった。中にはビールやシャンペンを飲んでくつろいでいる人もいる。

私はボルシチ・シチューを注文し、パンとコーヒーも付けてもらった。座席の横にコンセントがあった。パソコンに×のマークは付いていない。バックパックからコードを出しiPhoneにつなぐ。これで充電切れの心配もなくなった。イヤホンで音楽を聴きながら外の景色を眺める。本当にきれいな田園風景だ。何時間見ていても飽きることはないだろう。到着までまだ4時間もある。ゆっくりシチューとパンを食べる。コーヒーも5分に一度口をつけて啜るくらいのペースでゆっくりと過ごした。

食堂車には1時間ほどいただろうか? コンパートメントに戻ると、オランダ人の彼女はサリンジャーの「ライ麦畑でつかまえて」を読んでいた。表紙のタイトルがオランダ語ではなく英語だったので私にもわかった。彼女は本を閉じると、今度はリンゴを齧った。かなり倹約しているようだ。私も見習わなければいけない。

3人とまたいろいろな話をしていたが、そのうちにカップ2人が誰か知り合いに似ていると思い始めた。誰だろう? そうだ。イギリス人の男の子はNHK大河ドラマの歴史考証を長年やっていた(まだやっているのかな?)大森洋平君に、ポーランド人の女の子は私が勤めていた出版社で同僚だった編集者の小沼智子さんに似ている。といっても、誰だそれ?と言う人も多いだろうが・・・。

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2人に許可をもらって写真を撮る。ブログに載せてもいいと言う。「残念ながらtextは日本語なんだ。でも写真だけ見てね」と言って、名刺にこのブログのURLを書いて手渡す。もちろんオランダ人の彼女にも。

列車は7時半にブダペスト駅に着いた。「9時間がちっとも長く感じなかった。それもみなさんのお陰です。ありがとう」と言って、私は3人と別れた。本当に楽しい列車の旅だった。

入場券購入に1時間のヴァヴェル城、シンドラーの工場はSold Out

73日(水)、夜中に起きて朝6時までブログを書き、そのまま朝食を済ませてヴェアヴェル城に行こうと思ったが、9時まで3時間寝ることにした。昨日会った日本人から「ヴァヴェル城には早朝に行った方がいいですよ」と言われたが、まあ11時を目指していくことにしよう。本当にいつものことながら根性がなくて自己嫌悪に陥る。でも、こんなふうに無理をしないから、どうにか体が持っているいのかもしれない。

9時に目覚ましが鳴ったが、どうしても起きられない。そのまま寝る。気づくと1010分。チェックインの時に「朝食は630分から1030分まで」と言われた。大急ぎで着替え、1階のダイニングルームへ。もう片づけが始まっていたが、ウェイトレスに部屋のキーを見せて「10分で食べますから」と言って、大急ぎで食べる。

部屋に戻り支度をし、1130分にヴァヴェル城に向かって歩き始める。公園を抜け、街中の石畳の歩道を早足で歩くこと30分、お城が見えてきた。

17世紀にワルシャワに遷都するまで、クラクフポーランドの都だった。王様はこのお城に居を構えていた。日本で言えば、京都のようなところだ。だが、この街は一時オーストリアの領土となったこともあったと言う。中欧の街はみな波乱万丈の歴史に彩られている。

城内へと続く坂を登って行くと、長い行列があった。一番後ろに人に「チケットを買うための行列ですか」と聞くと「そうだ」と言う。列の長さは30mメートル。恐らく50人ほどが並んでいるが、窓口はたったひとつ。昨日会った日本人が「早朝に行った方がいい」と言った理由は、これだったんだ。自分の順番が来るまで1時間、いや1時間半かかるかもしれない。

ふと、場内にもチケット・カウンターがあるかもしれない。先に行ってみて来ようかとも思ったのだが、もしなかったら、またこの列の最後尾に並び直さなければならない。その間に列はどんどん長くなってしまうのだろう。妻や友達と一緒なら、ひとりが先を“偵察”し、他の人が列に並び続けることもできるが、私はひとり。仕方なしに列の最後尾で、じっと順番を待つことにした。本当に合理的ではないと思うが、考え方を変えれば、こうやって“入場制限”をしているのかもしれない。

なかなか列は進まない。ひとりチケットを買うのに数分かかっている。行列から離脱する人も出始めた。3人とか多い時には7人くらいが諦めて、門をくぐり城内に入っていく。中庭を散策し、建物に入らなくとも外から見るだけでも十分だと判断したのだろうか?

そこに突然、女の人が2人行列に並ばずに窓口に向かって行った。一番先頭に割り込み、何か窓口で話を始める。そのまま15分ほど、まったく列は進まなくなった。先ほど買ったチケットに不備でもあり、文句でも言っているのだろうか? すぐ後ろの人も自分の順番の直前で割り込まれたのに、文句も言わず淡々と待ち続ける。

やっと私の番が来た。窓口の上の表示を見ると、小さく「チケットは城内の案内所にある3つのカウンターでも購入できます」と書いてある。何だ! この先の窓口で買えば、こんなに待たずにチケットを買えたんじゃないか! だったら、誰にでも見えるところに大きな看板を出しておくとか、他の係が列に並んでいる人に大声を出して知らせるという方法もあるだろう。なぜ、そういうことを考えないのだろうか? 訪れる人にこんな苦痛を与えず、少しでも喜んでもらうという「おもてなし」の心はないのだろうか?

私は怒りを隠して、「シニア料金はありますか?」と聞いた。「パスポートはホテルに置いてきてしまいましたが・・・」と言うと、私の歳を尋ね「シニア料金でいい」と言ってくれる。いくつかの建物があって、自分が入りたいものを選べるらしい。私は王の居室だった「State Room」、昔の城跡の遺跡「Lost Wawel」(ヴァヴェルはこう綴る)、「Tower」(塔)に入るチケットを買った。

State Room1時間ほどかけゆっくり見学。Lost Wewelはサッと駆け足で。ところがTowerの場所がわかならない。30分ほどうろついて、とうとう城の周りを1周してしまった。チケットの地図をじっくり見て、場内の標識の矢印の通りに進むのだが、その矢印が途中でなくなってしまう。カフェがあり横の細い路地を抜けると、その「塔」はあった。上に昇って街の写真を撮り、大急ぎで中央広場に向かう。

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また道に迷い30分歩くと、思いのほか広い広場があった。以前は市庁舎だったという塔、立派な外観の教会、中央には布の取引が行われていたという「織物会館」という建物もあり、その通路の両側には土産物屋が並んでいた。

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しばらくその広大な広場をうろついていると、観光案内所があった。「オスカー・シンドラーの工場に行きたいのですが、路面電車の停留所はどこにありますか?」と聞くと、地図を差し出して印をつけてくれた。「ここで78番の路面電車に乗ってください」と親切に教えてくれる。

停留所に向かって幾つものカフェが並ぶ歩道を歩いていると、看板にポーランド料理の写真があった。これまで土地の名物料理を食べていない。そこにいたウェイターに声をかけると、白いテントの下のテーブルに案内してくれた。メニューに写真があった。丸く切り抜いたパンの中にスープが入っている。クラムチャウダーのような食べ物だ。コーヒーも一緒に注文する。普通のコーヒーのことを「レギュラー・コーヒー」と言っても通じない。「カフェー・アメリカーノ」と言うとわかってもらえる。

ポーランドの名物料理の丸いパンが出てきた。蓋を取ると、スープの中にはゆで卵が入っている。丸く切ったソーセージも。このソーセージを貝にしたら、そのままクラムチャウダーになる。パンはちょっぴり酸味がかっているが、それがスープをさらに美味しくしていた。スープを全部飲みパンは底だけを残した。残り少ないポーランドの通貨で支払い、チップを置いて、路面電車の停留所に急いだ。

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三叉路で停留所は3つあった。全ての停留所にチケットの券売機があるわけではない。一番人の多いところに行くと、やはり券売機があった。言語を英語にするが、どうしても最後がポーランド語になってしまう。シニアだから一番安い料金だと思ってそれを押すと、コインが戻ってきてしまう。近くにいた人に聞くと、これは「チャイルド」だと言う。もう一度コインを入れて「大人」らしきボタンを押すが、どうしてもコインが戻ってきてしまう。クレジットカードで払おうと、ポケットをまさぐっていると、横にいた人がコインがおかしいのかもしれない、と言って、私のコインを細かくしてくれた。それを入れてみると、チケットが出てきた。本当に世の中には親切な人が多い。

78番の路面電車が来た。降りる停留所の名前を書いたメモを片手に、iPhoneで目的地の「オスカー・シンドラーの工場」という博物館に対して自分の位置がどう移動しているかを確認。橋を渡った先の停留所から歩いて15分ほどだと言う。停留所の表示がどうもはっきりわからない。車内には電光掲示板のスクリーンがあるのかもしれないが、一番前に座ってしまったので、それも見えない。アナウンスはあるのだが、何を言っているのかさっぱりわからない。

私の位置が目的地からどんどん遠ざかっていくので、そこで降りる。どうやらひとつ先に来てしまったようだ。戻る電車に乗ろうか、歩こうか迷った。停留所の小さな電光掲示板に78番の電車が来るのが「7分後」という表示があったのだが、歩いていくことにした。

例によって道に迷いながらまた数十分、やっとのことで「シンドラーの工場」にたどり着いた。中に入ると、多くの人でごった返していた。チケットを買うために列に並んでいると、窓口の係員が「Sold Out」という札を出した。せっかく苦労してここまでやって来たのに。今日は夜8時までやっているはずだ。まだ3時間ある。なぜなのだろうか? 私の番が来たので聞いてみたが、とにかく「今日はメインの見学コースのチケットは売り切れ」の一点張り。「ただもうひとつ展示があり、そこは見ることができる。ものすごく小さな展示だ」と言う。仕方ないので、そこだけ見ることにした。ものの23分でそこを見る。シンドラーにはまるっきり関係ない展示だった。なぜチケットが売り切れになってしまったのか、その疑問を抱えたまま外に出る。

停留所に着いて、さてどうやって駅前のホテルに戻ろうかと考えていると、ホテルの近くを走っていたのと同じ番号の路面電車がやってきた。もし反対方向に行ってしまったら、また戻ればいいだけだ。その路面電車に飛び乗ると、ホテルの近くの公園が見えてきた。

もう私の人生でクラクフを訪れることはないだろう。やはりせめて「シンドラーの工場」は見学したかった。アウシュビッツ行きを断念したからなおさらだ。やはり早朝から動くべきだったのだ。だが、名所旧跡の見学とブログ執筆をどうやって両立させたらいいのだろうか?