旅三昧&ときどき読書+映画

私は小泉牧夫。英語表現研究家という肩書で『世にもおもしろい英語』『アダムのリンゴ 歴史から生まれた世にもおもしろい英語』(IBCパブリッシング刊)という本を書いています。2018年4月に 出版社を退職し、41年にわたる編集者生活を終えました。いま世界中を旅しながら、本や雑誌記事の執筆とともに、旅先ではこのブログを書いています。お金はありませんが、時間だけはたっぷりある贅沢な旅と執筆と読書と映画の日々を綴っていきたいと思います。

旅三昧&ときどき読書+映画

私は小泉牧夫。英語表現研究家という肩書で『世にもおもしろい英語』『アダムのリンゴ 歴史から生まれた世にもおもしろい英語」(IBCパブリッシング刊)という本を書いています。2018年4月に出版社を退職し、41年にわたる編集者生活を終えます。それからは世界中を旅しながら、本や雑誌記事の執筆をする予定。お金はありませんが、時間だけはたっぷりある贅沢な旅と執筆と読書と映画の日々を綴っていきたいと思います。

ガソリン給油口が開けられないレンタカー、部屋に入れないホテル

818日(日)、朝10時にオタワのホテルを出発。カナダの首都に来たというのに、国会議事堂も国立博物館も見ないで車を走らせる。今日はケベック・シティの北の郊外、サンカトリーヌという湖畔の村のホテルに宿泊する。その途中でトロワ・リビエール(フランス語で「3つの川」の意味)という街の近くNicolet(フランス語読みで「ニコレ」)という村の女子修道院に立ち寄る予定ことになっている。

このあたりは完全なフランス語圏。妻は50年上も前、短大でフランス語を勉強していた。その時にフランス語の先生だったシスターがその修道院で生活されている。彼女の通った高校・短大はカナダのフランス語圏にあるこの地の女子修道院によって創設された。だから高校1年からフランス語が必修で、妻はそのまま短大に進みフランス語科で学んだ。短大の学長をされていたシスターも何年か前に他界されていて、この修道院の墓地で眠っている。その方のお墓参りもしたい旨のメールを送っていた。「3時頃までには行けると思います」と。だが慣れないカナダでのドライブだから、果たしてたどり着けるかわからない。3時を大幅に過ぎてしまうかもわからない。修道院の夕食は午後5時からだから、「もし4時までに伺えなかったら、今回はお伺いするのを断念しますが、お許しください」と連絡をしていた。

昨日は12時から400キロの道を走った。もうガソリンもタンクの半分近くになっていた。アメリカやカナダでのドライブの鉄則は「ガソリンが半分になったら必ず給油する」こと。だが、それを守っていたにもかかわらず、もう少しでガス欠になりそうになったことがある。

LAからアリゾナに向かってルート66を走っていた時のことだ。途中の小さな町でガソリンを入れようと思ったのだが、まだ半分以上あったので給油しなかった。地図と見ると、アリゾナ国境の街ニードルスとの間に1か所だけガソリン・スタンドのマークがある。そこで入れればいいだろうと安心していたのだが、ところがそこはガソリン・スタンドがあるだけの人口1人の村で、しかも肝心のスタンドの店主がクリスマス休暇らしく閉まっていたのだ。それからは、ひたすらガス欠にならないよう祈りながら運転するだけだった。真っ暗闇の中にニードルスの町の明かりが見えてきた時には、もうタンクはほとんど空だった。

そんなことがあったから、妻は給油には本当に神経質になっていて、ホテルを出たら最初にあったスタンドで給油することにした。ガソリン・スタンドの多くはコンビニを兼ねている。自分でガソリンを入れてから、コンビニのレジに行き番号を言ってお金を払うのが一番簡単な方法だ。

だが、4つの種類のガソリンを選ぶようになっていたものの、どれがレギュラーなのかわからない。レギュラーはRegularでもいいし、あるいはunleadedと言う場合もある。だがそんな英語は表示されていない。恐らくいちばん安い値段のガソリンでいいのだろうが、そこにはOctaneとある。これは日本でいうところの「ハイオク」ではないのか? 妻がコンビニに入りレジ係の女性を呼んでくる。ガソリンについては素人だが大丈夫だろうか? 私がWhich is unleaded?(どれがレギュラーガソリンですか?)と聞くと、そのOctaneでいいと言う。そういう呼称はメーカーを越えて、国を越えて統一してもらいたいものだ。

ガソリンを入れようと思い、Octaneのボタンを押しノズルを上げたが、妻が「ちょっと待って、タンクの開け方がわからない」と言う。「シートの下とかハンドルの横とか、どっかにタンクのマークがあるだろう」と言うと「可能性がある場所を全部見たが、どこにもない」と言う。日本の車なのだから、そんな突飛なところにはないはずだ。

また係の人に来てもらった。その人もいろいろ探すが、なかなか見つからない。すると、いつの間にかガソリン・スタンドに給油に着ていた人たちがみんな集まってきた。

妻は「レンタカーを借りる時に、ガソリンタンクの開け方を確認しなかったは手落ちだった」と悔しがっているが、そんなことをいちいち確認する人がいるのだろうか? コンビニのレジの女性はダッシュボードからマニュアルを取り出し読み始める。お客さんのひとりは「運転席に近くにあるはずだ」と言って、ハンドルの周囲を入念にチェックしている。弱った! 給油口がわからないために。ドライブもここで断念か?! カナダ人のフランス語の先生にも会えないのか? 

その時、別の男性のお客さんが「I got it!」と大声を出した。「運転席のシートの前のマットをどかしてごらん。そこのドアに近いところにあるはずだ」と言う。妻がマットをどかしてみると、そこに細長いスイッチがあるではないか? その人に「どうやってわかったんですか?」と聞くと「いまiPhoneでネット検索をした」と言う。妻はその人にハグをして、感謝の意を表している。

集まってくれた人たち一人一人に心からお礼を言った。みんな「良かった、良かった」と言う。妻などは全員とハグをしている。

コンビニに入って、レジの女性にまたお礼を言った。係は2人しかいなので、1人が別のことにかかずらわってしまうと仕事が滞ってしまう。本当に申し訳なく思って、たくさんお菓子を買ってガソリン料金と一緒にお金を払う。この三菱の車は、ガソリンタンクの開け方がわかりにくく、自分で購入して乗るならいいが、多くの人が乗るレンタカーには不向きなようだ。

車はまたケベック目指して走り始めた。途中でお墓に備える花を買う必要があったが、みつからないまま修道院の近くまで来てしまった。何人かの人に尋ねるが、みんな答えはフランス語。だが妻は(私も少しは)フランス語ができるので、花を売っていそうなスーパーマーケットにたどり着く。丈の長い大きな花しかなかったが、もう仕方なかった。

340分、予定を少し遅れてNicolet修道院に着いた。入口の手前の屋根のあるパティオがあり、椅子に座って本を読んでいたのが妻の50年前のフランス語の先生だった。日本で妻にフランス語を教えていた頃は30代、今81歳だと言うが本当に若々しい。

妻はトロント英会話学校に行っていたので、いつもの調子が出ず、みんな英語になってしまう。シスターは微笑みながら、「フランス語でお願いします」と言う。私もフランス語で挨拶。いつものように「以前は喋れたんですが、今は英語ばかりなのでなかなかうまく喋れません」とフランス語で言い訳する。「あなたのフランス語の発音はとても良いですね」と褒められる。そう、私と話したフランス人はみな一様に「発音が良い」と言ってくれる。英語では「英語うまいね。言ってることがすべて理解できる」と言われることがあっても、発音を褒められたことは一度もない。

修道院の部屋に入ってお茶とお菓子をご馳走になり、シスターが日本にいた時のことや、亡くなった学長先生のことなどを話す。それから車でお墓に行く。この修道院で亡くなったシスターたちの墓石が数多く並んでいた。花を供えると、「あなたのやり方で拝んでください」と言う。妻は日本語で口に出して先生にお礼を言う。私も一度だけだがお会いしたことがあり、その時のことを思い出しながら、心の中で祈りの言葉をつぶやいた。妻と先生はなごり惜しそうだったが、1時間半ほどで修道院を失礼して、ケベック郊外のホテルに向かう。

さらに1時間フリー・ウェイを走り午後7時にホテルに到着。湖の畔のリゾート村のようなホテルだった。フロントでチェックインしてカギをもらう。「坂を降り、右にカーブした先にELANという建物があり、その中の208号室だ」と言う。ところが、その建物に着いて、ドアを開けようと思ったものの、カギが開かない。ガラス張りの建物で中には大きな暖炉といくつかのソファーが見える。リビングルームのようだ。今晩の部屋はこんなに広いのか?

妻はもうくたくたで、目を開けることもできない言うが、部屋に入れないなら仕方ない。またフロントに戻り、カギが開かない旨を話すと、「いま担当を呼びますので一緒に行ってください」と言う。その男性の車について行き、その建物への階段を上がる。その担当はドアをサッと開けた。何とカギはかかっていなかったのだ。私と妻はそこに無理やり鍵穴にカギを突っ込んで回したり引いたりしていたのだ。その建物の入口を入ると、すぐに暖炉のあるリビングルームになっていて、建物の1階には4部屋、階段を上がった2階には10部屋があった。

私と妻がこれまで生きてきて身に付けた常識を使っても、そのガラス張りの建物の中に多くの部屋があることがわからなかった。アメリカ慣れ、カナダ慣れしている私たち夫婦にも、カルチャーショックの日々がまだまだ続く。

 

地下鉄が途中駅でストップ、2時間遅れでレンタカーを借り一路オタワへ

817日(土)、夜中に起きて朝までブログを書いていた。頭がガンガンして咳も出始める。

今日は、トロント・ピアソン空港でレンタカーを借りて、カナダの首都オタワに向かう。最終目的地のPrince Edward Islandまで6日のドライブだ。海外ではいつも妻が運転する。妻は「地図が読めない女」。私はナビゲーターに徹し、直線で何十キロも道に迷わず走れる場合だけ運転する。体調が悪くても、どうにかなるだろう。もちろん運転する妻には、そんなことは言えないが・・・。

激しい雨の中、スーツケースを転がしてユニオン駅に向かう。地下鉄で3駅。私のスーツケースは15キロだが、妻の方は長期滞在していたので25キロ近いはずだ。最寄りの地下鉄のセント・パトリック駅にはエスカレーターがあるので、とりあえずホームまでは行けた。電車に乗り込む。だがその電車はユニオンの2つ手前の駅行き止まりだった。ホームで次の電車を待っていると、地下鉄職員が来て「午前中は、全ての電車がこの駅でストップします。地上に上がり代替のバスに乗ってください」と言う。

エスカレーターがあったので昇って行って、改札を出る。重いスーツケースを転がしていたので、エレベーターかエスカレーターに乗らないと地上に出られない。5分ほど迷いながら、やっとエレベーターを見つけ地上に上がる。見渡すと、通りの反対側にバスが停まっているのが見えた。歩道にいた警官に「ユニオン・ステーションまで行きたい」と言うと、「このバスに乗ってください」と言う。すぐに乗り込む。運転手に皮肉を込めて「ストライキなんですか?」と聞くと、「construction(工事)だと思いますが、私にはわかりません」と言う。バスはなかなか発車しない。しばらくして、もう一人の乗客が乗り込むとやっと発車。5分ほどで、ユニオン駅の手前の地下鉄の入口に着いた。「駅までこの階段を降りて行って欲しい」と言う。だが、重いスーツケースを持って階段を降りるのは無理。激しい雨に打たれながら、エレベーターがありそうなビルを探すが、今日は土曜日でみんな閉まっている。何人かの人に聞くが、みなユニオン駅に通じるエレベーターがどこにあるかわからない。結局15分ほどうろうろと地上を歩いていると、そのままユニオン駅まで来てしまった。身体もバックパックもスーツケースもびしょ濡れた。

駅舎に入ったはいいが、そこは迷路のよう。空港行きの「ピアソン・ユニオン・エクスプレス」の乗り場を探すが、どうしてもわからない。その間、何人かの人から「列車に乗りたいのだが、どこに行けばいいのか」と聞かれる。「私たちも空港行きのホームを探して迷っている」と答えるしかない。

そのうちに「ユニオン・ピアソン・エクスプレス」のイニシャルの「UP」というマークを辿っていけばいいことに気づく。だが、その印を辿って行っても、いつの間にか消えてしまい、また迷子になってしまう。何人かの人に聞きながら、やっと「UP」の乗り場にたどり着いた。電車がストップしていなければ、最初の地下鉄駅からここまでたった5分で来られたはずが、何と40分もかかってしまった。これだから、海外は何が起こるかわからない。日本なら地下鉄の駅に「お知らせ」を掲示するか、アナウンスがあるはずだ。これから飛行機に乗るんだったら大変なことになっていた。

レンタカーは一応10時から予約していたが、1時間くらい遅くなっても大丈夫だろうとたかを括っていた。だが、これでは車を借りる約束の時間を2時間近くオーバーしてしまう。もし「あなた方の到着が遅れたので、もう車は全て貸し出してしまいました。明日まで待ってください」などと言われたら、このドライブ旅行の計画がすべておじゃんになってしまう。

空港行きの列車がホームに入るのをジリジリしながら待つ。15分ほどで入線。それから25分、結局空港に着いた時には1140分を過ぎていた。「レンタカー」という標識を辿って、長い通路を進み、エレベーターで上の階に上がりして、やっとNational Rent-a-carのカウンター前に到着。もう12時になろうとしていた。

行列に並び順番を待つこと10分。係の女性に「トロントの地下鉄が工事のため止まっていて、こんな時間になってしまいました」と言い訳したが、あまり意に介していない様子だった。

パスポートと国際免許と日本の免許証を提示。しばらくコンピューターの画面をにらんでいたが、「大型車と中型車とどちらがいいですか?」と聞く。「値段は同じですか?」と尋ねると、「大型車だとエキストラ料金がかかります」と言う。「中型車でも、トランクにこの大きなスーツケース2個入れられますよね?」と確認すると、OKとのことなので、予約通り中型車にする。

次に保険だ。すでに日本で常識の範囲内で必要な保険には加入の手続きをしてきたが、「他に、車に乗っている人の死亡保険と救援のためのレスキュー代を補償する保険をプラスできますが、どうしますか?」と聞かれる。死亡保険はそれぞれの葬式代が出ればいい。棺を飛行機に乗せて日本に運ぶと100万円以上の金額が必要になる。だから、娘には「遺体は海外で焼いて遺灰を骨壺に入れて日本に持ち帰るように」と言ってある。「もし海外で誘拐されても身代金は払わなくていい」とも言い残している。「もちろん日本政府に支払わせるなんて絶対にダメだ」と。救援レスキュー代の方は、そうなったらそうなったで、救援費用を払うことにする。山で遭難しヘリに救助されるのとは訳が違うのだから。

日本の三菱の車だった。中型車といっても、日本的な感覚ではかなり大きい。妻が運転席に座り、ライト、ウィンカーの点け方、ワイバーの動かし方を確認。エンジンをかけると、ライトが点きっぱなしになり消せない。「サイドブレーキもどこかわからない」と言う。係の人に来てもらって確認する。「ライトはエンジンがかかっていれば常に点した状態になります」と言う。広い荒野の一直線の道路ではライトを点灯していないと停車しているように見えて、周りの車に誤解を与え危険なので「運転中は必ず点灯するように」と言われたことがある。だから、エンジンがかかった状態では常にライトが点くようになっているのだ。それとサイドブレーキだが、係員に「サイドブレーキって何?」と聞かれたので、説明すると「パーキングにすると、自動的に車にブレーキがかかるようになっている」と言う。

以前、ロンドンに出張した時に、レンタカーを借りてストーンヘンジまで行ったことがある。レンタカーを動かす前に、一緒に行った先輩に車の前に立ってもらい、ライトやウィンカー、ワイバーがちゃんと動くか、私の操作が間違っていないかを確認してもらった。ワイパーの動かし方がわかるまで5分以上かかった。彼はジリジリして「そんなことはどうでもいいから、とにかく車を走らせろよ」と言う。だが、昔は日本車と外国車では全く違う発想でつくられていて、とんでもない操作方法をする場合もあった。だから私は「もし急に大雨が降ってきた時に、即座にワイバーの動かし方がわからないと、前がまったく見えなくなり、とても危険なんです。ですから最初に全部確認しないと死活問題になるんです」と強い口調で言ったことがある。

車はレンタカー・プレースの出口を出た。だが、いつも空港の敷地から外に向う時がいちばん苦労する。iPhoneGPSもあるが、地名と道路の数字を3つも4つも続けざまに言われても、まったく記憶できない。いくつもの分岐があり、正しい方向に向かう車線を走っていないと、とんでもない方へ行ってしまう。ナビゲーターの私もお手上げ状態だったが、妻はとても感がいいので、どうにか空港サイトから脱出することができた。車は一路カナダの首都、オタワに向かう。

私は紙の地図なら絶対に間違わない自信があるのだが、Google Mapなどではその地理的感覚の鋭さを発揮できない。車だけでなく歩いていても、うまく目的の場所にたどり着くことができない。だが、運転手の妻の勘の良さに助けられて、どうにか「オタワ」という標識が見え始めるところまで来た。この道をまっすぐ行けばいい。だが、ちょっと違う車線を走行していると、そのままとんでもない方へ行ってしまう。

一度、間違って違う側道に入ってしまい、GPSに指示されるままにもとの道に戻ろうとした。それがとんでもなかった。5車線もある広い道路に合流したのだが、たくさんの車がものすごいスピードで突っ込んでくる。合流地点から100m進むうちに一番右の車線から5車線をまたいで一番左に行き、その先でUターンするという無謀な命令をGPSにされたのだ。いったいGPSは人の命を何だと思っているのか!

ひたすらフリー・ウェイを走る。高速料金はなく無料だから「フリー・ウェイ」なのだ。昔アメリカが赤字で苦しんでいた頃、日本並みの高速料金にしてガソリンに日本と同じ税率を課したら、すぐに赤字は解消できるだろう、だが同時に大暴動が起こるだろうというブラックジョークを言った人がいた。

オタワまで350キロ。4時間半の道のり。10時に走り始める予定が12時になってしまったから、かなり出遅れてしまった。途中で1度フリー・ウェイを降りてレストランで食事をし、ウォールマートで水と夕飯のパンを買った以外はひたすら走り続ける。

午後7時にオタワ郊外のホテルに到着。地下の駐車場に車を入れ、フロントでチェックイン。ランドリー・ルームがあるか聞くと、一番上の15階のプールやジャグジーの隣にあると言う。

私は風邪で激しく咳き込み頭がガンガン痛いので、すぐにベッドで横になる。助手席に座っていた私がこれほど慰労困憊しているのだから、運転していた妻の疲れはどれほどのものだろうか? だが、彼女はすぐにランドリー・ルームに行き、洗濯をし乾燥機にかけている。いやはや大した根性だ。

 

 

トロント・アイランドで人生を変えた看板に再会し、夜には野球観戦に行く

816日(金)、妻は英会話学校8時からの授業に行ってしまった。私は朝食を済ませてから、船に乗ってオンタリオ湖に浮かぶ「トロント・アイランド」に行くことにした。以前、家族でトロントに来たことがある。もうかれこれ35年も前になるだろうか? その時トロント・アイランドに行ったことがある。市街から目と鼻の先の島だ。

去年の4月にクルーズ船に乗って2週間の大西洋横断の旅をした。その時にも、何人かのトロントからか来ている人と知り合い話をした。「トロント・アイランドに行ったことがあります。レンタル自転車を借りて島中を走り廻りました」と言うと、みんな「この前、島が水没してしまって、大変だったんです」と言っていた。「島の一番端にセスナの飛行場がありましたが、あそこも水没したんですか?」と聞くと、「そうなんです。しばらく飛行場は使用できませんでした」と話していた。

まだ朝早かったので、チケット売場もすいていた。例によって、窓口で「シニアチケットがありますか?」と聞いたら「あります」と言う。「One senior, please!」と言い、「Round trip ticket.」(往復チケットで)と付け加えた。島には家がいくつかあり人が住んでいるが、その人たちを除いては、片道で行く人はいないだろう。恐らく「片道チケット」自体、販売していないのではないか? 余計な一言だったかもしれないが、海外では念には念を入れないと。

船に乗り込んだ。天井にはたくさんの救命胴衣が所狭しと並んでいる。船は島に向かって走り始めた、後方にトロント市街の摩天楼が見える。やはりカナダ1の大都市だ。以前来た時も思ったのだが、なにかニューヨークと雰囲気が似ている。

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5分ほどで島に着く。そのまままっすぐ島の裏側に向かう。レンタ・サイクルの貸し出し所を目指して。35年前もこの道を歩いて、自転車の貸出場に向かった。その時のことを私は鮮明に覚えている。なぜならアルファルトの道の両側にきれいな芝生が広がっていて、そこに「Walk on the Grass.」という看板があったからだ。アスファルトの道を歩かずに、「芝生の上を歩いてください」と言うことだ。日本ならふつう「芝生に入らないでください」という看板があるはずだ。何で日本と反対なんだろう。そんな小さなことだが、この時私は「日本と外国の違い」に衝撃を受けたのだった。考えてみると、この時の驚きが、私の「英語表現研究家」としての原点だったのかもしれない。

日本でも「麦踏み」というのをやる。麦の根がしっかり地中に根付くように、上から麦を抑え込むのだ。この芝生もしっかりと根を地中に張るように、この島を訪れる人に芝生を踏みしめて歩いてくれるようお願いしているのだろう。

あの看板はまだあるのか? しばらく歩くと、何とその看板があるではないか! 私は懐かしい友人に再会したような気持になった。何十年経っても、不思議とその看板のことを時折思い出していたのだ。私は芝生に足を踏み入れ、看板の前で写真を撮った。

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自転車の貸出場に行ってみたが、朝早かったためかまだ閉まっていた。今日は夏休みの真っただ中、しばらくするとたくさんの人が自転車を借りて、島中を走り回るのだろうが、まだひっそりとしていた。

島の突端の桟橋までやってきた。オンタリオ湖来は北アメリカの五大湖の中では一番小さな湖だというが、世界で14番目の面積を持つ湖だ。対岸はまったく見えない。

また島の中央に少し戻る。鬱蒼とした森や林の木々が芝生の広場を囲んでいる。本当に美しい島だ。広場にあるベンチに座り、のんびりと思い出に耽る。こんな形でまたトロント・アイランドを訪れることになるとは想像もしていなかった。歳をとって退屈な時間というのがなくなった。これまでの人生で得た思い出を振り返るだけでも、十分に満ち足りた気持ちになれるからだ。

午後115分に妻の最後の授業が終わる。私は130分に英会話学校1階にあるカフェで妻と会うことになっていた。時計を見ると、もう11時。あっという間に時間は過ぎる。ゆっくり船付き場まで戻り、12時発の船で市街に戻り、地下鉄に乗って英会話学校に行くことにしよう。

トロント側の桟橋に戻る。驚いたことに、島に行く船を待つ人たちでごった返している。それどころか、その手前のチケット売場の窓口にも長蛇の列ができている。地下道を走るトラムに乗って、ユニオン駅に戻ると、そこでもトラムを待つ人たちの長い行列ができていた。早朝に行ってよかった。妻とは学校が終わったら、午後トロント・アイランドに行ってみようかという話をしていたのだが、とんでもなかった。

ユニオンから地下鉄で30分。妻から手渡された地図を見ながら、英会話学校に向かう。このあたりまで来れば、もう郊外、高いビルはそれほどない。1230分からカフェでアップル・ジュースを飲みながら、妻の授業が終わるのを待つ。

120分になり30分になっても、まだ妻は降りてこない。遅いなと思い、カフェの時計を見ると、まだ1230分を指していた。私は大きな間違いをおかしていたことに気づいた。私は時計の針を見ていたのだ。それは日本時間だった。トロント時間は、時計の小さな窓に数字で表示される。それは12時30分。日本時間とは11時間のずれがある。日本が夜中の1時だったら、トロントは昼間の12時なる。時計の針を見ていたために、1時間勘違いしていたのだ。先月旅をした中央ヨーロパではそんな間違いを犯したら、飛行機や電車に乗り遅れたりして致命的だったかもしれない。

トロント・アイランドでのんびりしていた時、いやに時が過ぎ去るのが早いと思ったのは、針とデジタルの時間を取り違えていたからだったからだった。

さらに1時間ひたすら待っていると、妻がカフェにやってきた。台湾から来たルルという女性を紹介される。日本から『世にもおもしろい英語』中国語版と『アダムのリンゴ』の韓国語版を持ってきていた。妻のクラスメイトに渡してもらえば、英語の奥深さがわかってもらえると思ったのだ。韓国の人がサインをお願いしたいというので、サインをする。ルルも「とても面白く読んでいます」と言ってくれる。

妻が一番お世話になった先生とも会うことができた。日本の静岡に住んでいたことがあり、「英会話学校や企業で英語を教えていました」と言う。だから英語を教えるのがとてもうまいと妻は感謝している。「今晩、ロジャー・スタジアムのブルージェイズの試合を見に行くんです」というと、「僕は日本のプロ野球が大好きだった」と言う。台湾から来ているルルに「王貞治は日本のプロ野球でナンバー・ワンの選手だった。日本でも台湾でも彼は英雄だ」と言うと、「私はその人のことを知りません」と言う。「えっ?!  台湾人なのに王貞治を知らないの?」と驚くと、妻に「女の子だし、世代も違うので、そんなに驚いたら失礼でしょ」と注意される。

ルルは学校の近くにホームステイしているとのことで駅の手前で別れ、地下鉄でホテルに戻る。妻に「せめてオンタリオ州議会議事堂だけでも見たい」と言うと、ミュージアムという駅で降り、雰囲気のある議事堂と隣のトロント大学のキャンパスを案内してくれた。

トロント・ブルージェイズシアトル・マリナーズの試合は午後7時から始まるので、5時にホテルを出て、地下鉄でユニオン駅に向かう。そこからスカイ・ウォークという通路を歩いてロジャー・スタジアムへ。

ドーム球場に入ると、初めて野球を観戦する妻が、カクテル光線に照らされたフィールドのあまりのきれいさに驚いている。シートは1塁側。1塁とライトの間あたりの一番前の席だった。グローブを持ってファールボールをキャッチするのにうってつけの位置だ。多くの子供たちがグローブを持っていた。4歳くらいの女の子が、手に小さなグローブをはめていてかわいい。ヤンキー・スタジアムなら日本人の観客も多いが、ここでは私たち以外に日本人を見ることはなかった。国際都市のトロントだが、台湾を除いて中国人は野球に興味がないし、アジア人もほとんどいない。

シアトルの練習を見ていたが、菊池雄星の姿はなかった(菊池は翌々日の試合で先発し、完投シャットアウトで勝利した)。ここはドーム球場なのに屋根が開くようになっている。試合開始の前から少しずつ開き始め夜空の下での野球観戦となった。アメリカとカナダの国歌斉唱が終わり試合が始まった。日本でも野球は試合結果をスポーツニュースで確認するだけで、実況中継は見ない。野球場でプロの試合を見るのも久しぶりだ。

野球も進化しているのだなと思ったことがある。内野手がバッターによって大きく守備位置を変えているのだ。それも左バッターなら、サードがショートの位置に来て、12塁間にファースト、セカンド、ショートが並んでいる。サードベースに近いところにボールが飛んだら絶対にヒットになる。三塁側にちょっと強めにバントしても出塁できる。右バッターなら、セカンドがショートの位置に来るから、12塁間はガラ空きだ。

 

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いま日本のメジャーの中継では「大谷シフト」という言葉が使われているが、これは何も大谷に限ったことではなく、恐らくすべてのバッターが打った球が飛ぶコースがコンピューターで導き出されていて、野手は全てのデータが頭に入っているのだろう。だから、昔広島カープがやった「王シフト」のように特別な守備ではないのだ。

試合はホームラン攻勢でブルー・ジェイズが勝利、地元のファンは大喜びだ。球場を出ると、夜空に向かってそびえたつCNタワーが見えた。

(写真が2枚ダブっていますが、削除の仕方がわからないのでご容赦ください)

オンタリオ美術館。一生に一度のチャンスで特別展を見る

815日(木)、朝730分に妻と一緒にホテルで朝食。今日の英会話学校の授業は午後1時からとのことで、サラダからハム、ベーコン、ウィンナー、ゆで卵にクロワッサン、ヨーグルトに果物、アイスクリームまで、たくさんの料理をゆっくり食べる。なかなかおいしい。

食べ終わって、そのまま食堂で妻の宿題を手伝う。カナダ人の有名な写真家の人生を描いた英文を訳す。妻にはまだボキャブラリーがないので、いろいろ間違った解釈をしてしまう。例えばDepressionという単語。妻はこれを「憂鬱」とか「鬱病」と取っていた。だが、この単語には他に「不況」「不景気」という意味もある。最初が大文字で始まっているから、これは1929年にアメリカで始まった「世界大恐慌」のことになる。当時、多くの人が破産し、ウォール街では「空から人が振って来る」と言われるくらいの数多くの自殺者を出した。ドイツでヒットラー政権が誕生する遠因となり、日本ではコメ騒動が起こった。ついつい英語とは離れてそんな説明をしてしまう。他にもひとつの単語やフレーズが、辞書の最初ではなく後の方に出てくる別の意味を理解していないとわからないような英文となっていた。

私がふつうに読んでそのまま理解できることも、妻は辞書を引き引き読んでいる。会話はずいぶんうまくなったが、この段階からさらに英語力を伸ばすがなかなか大変なのだ。

それが終わると、地下鉄のダンタス駅近くのshopper’sに行き、トロント市内の地下鉄やバス、トラムで使えるpresto cardを購入。スイカパスモと同じようにカード代がかる。6カナダ・ドルだから540円。たった3日の滞在だけなので、もったいないような気もしたが、シニア料金で買えるのはこのパスだけ。大人が1回乗車で3.25ドルなのに、シニアは2.1ドル、何と1ドル以上安い。だったら6回乗れば、カード代のもとが取れる。そんなことを考え、このパスを買うことにした。もう年金生活者なので、爪に火を灯すようにして海外旅行をしている。

妻は11時まで宿題の続きをすると言うのでホテルに戻り、私は「オンタリオ美術館」に行く。ゆっくり歩いて20分ほど。この前の中央ヨーロッパの旅でもそうだったが、海外では建物が大きいため、そこにたどり着いても、入口がどこかわからないことが多い。オーストリアザルツブルグで美術館に行った時にも、入口を見つけるまで20分かかって建物の周りを1周してしまった。今回も同じく美術館の建物を1周し、やっとのことで入口を発見。日本ではそんなことはありえないが・・・。

列に並んでチケットを買う。10分ほどで順番が来た。陽気そうなおじさんだった。入場料は「大人22ドル」となっている。『地球の歩き方』には「シニア料金16ドル」と書いてあったので、シニアチケットがあるか聞いてみたが「ありません」と言う。「Ok, one adult, please.」と言うと、「何度もいらっしゃるのでしたら、年間パスが36ドルでお得ですよ」と言う。私が「I came form Japan all the way.」(私は日本からはるばる来ました)と言い、「This is my once-in-a-life-time chance.」(これが私の人生でたった一度のチャンスなんです)と付け加えると、そのユーモアをわかってくれたようで「Oh, that’s nice!」と笑ってくれる。

そして「いま日本の有名なアーチストの特別展をやっています。入口を入ったところにタブレットがあるので、そこで予約してください」と言う。誰だろう? 「その人の名前は?」と聞いたが、どうやら知らないようだった。「トロントの美術館で特別展を開くような芸術家と言えば草間弥生かな?」と思いながら、チケットを受け取る。

そのタブレットの前には10人ほどの人が並んでいた。パソコン音痴の私は、こういうのが一番苦手だ。6月にウィーンの軍事博物館に行った時も、チケット窓口で音声ガイドがあるか聞いたら、「スマホでダウンロートしてください」と言われてしまった。「ダウンロード」という言葉を聞いただけで、もう断念してしまったことがあった。他の美術館や博物館のように、旧来のイヤホン付きの音声ガイドにしてほしい。新しいテクノロジーに適応できない人も多いのだから。

待つこと10分、私の順番が来た。「まあ、わからなかったら後ろの人に教えてもらればいいや」と思っていたが、画面には「YAYOI KUSAMA」と表示されていた。やっぱり草間弥生だったんだ。まず都合の良い時間帯を選ぶ。一番早い「1245分から1時まで」をタップ。次に名前とアドレスを入力して「Done」と表示された箇所を押すと「予約完了」となった。ペーパーは出て来ないのか? 何が「予約完了」なのか訳がわからないが、とにかく時間になったら、その部屋の前に行くことにしよう。

まず2階から。The Group of Sevenと呼ばれるカナダの画家たちの絵が数多く展示されていた。イヌイットネイティヴ・カナディアンを描いたものもあった。雪景色のものが多い。昔のカナダの田舎の冬は、きっとこんなふうだったんだろうなと想像をかきたててくれる。

突然「草間弥生特別展」の入口にたどり着く。20人ほどの人が列を作り順番を待っている。その時「予約」の意味がわかった。iPhoneを開くと、やっぱり美術館からメールが届いていた。「You have a reservation. Aug 15th at12:45 PM」「We look forward to seeing you soon!」というメッセージだった。なるほど、こうやって予約するのか!

同じ階には、ヘンリー・ムーアの彫刻のコレクションもあった。箱根の彫刻の森美術館にもムーアの作品がある。1階には、ピカソゴッホ、モネ、セザンヌなどのヨーロパ絵画も展示されていた。

1245分になったので、「草間弥生特別展」へ行く。行列の最後尾にいたスタッフにiPhoneの画面を見せ、「私はこの特別展を見るために日本から来たんです」と口から出まかせを言うと、とても喜んでくれた。「日本には草間の美術館もあるんでしょ?」と聞かれたので、「ええ、残念ながら行ったことはありませんし、どこにあるか知りませんが・・・」と答える。化けの皮がはがれてしまった。

入口の扉の前では、美術館スタッフがストップ・ウォッチを持って、何か時間を計っている。23人ずつ中に入れると、トントンとドアを叩き扉を開ける。入っていた人が出てくる。すると、すぐに次の人が扉の中に入っていく。いやに回転が早い。だからすぐに私の順番が来た。

まず「荷物を横にあるボックスに入れてください」と言い、そして何と「時間は1分です。外からドアを叩いて、すぐに開けますから、出てきてください」と言う。訳がわからなかった。私は自分の英語のリスニングン力に問題があるのかと思い、「もう一度時間を言ってください」と聞き直すと、「One minutes. Sixty seconds.」と言う。「Do you mean six- zero?」と聞くと「Yes!」と答える。彼女が持っているストップ・ウォッチはその時間を計るものだったんだ。他のカップルと一緒に3人で入口を入る。小さな部屋の中に、たくさんの鏡が複雑にはめ込まれた不思議な空間だった。「写真を撮ってもいい」と言われ、3枚シャッターを押したのだが、このような世界的な芸術作品をみやみにブログに載せてはいけないと思い、残念ながらここでは紹介しないことにする。だが、なぜかこの小宇宙のような不思議な作品がいまも頭にこびりついて離れない。

結局4時間もこの美術館にいた。4時になると、猛烈な眠気が襲ってきたので、ホテルに帰って寝ることにする。外は土砂降りの雨だった。バックパックに傘を入れて来て良かった。

日本列島を襲った台風10号はどうなったのだろうか? その後には40度を超える猛暑が予想されているという。その日本とは別天地にいる。

 

カルガリー経由トロントへ空の旅

814日(水)、成田からAir Canadaの飛行機に乗りカナダへ。妻が英語の勉強のために1か月前から滞在しているトロントに行き合流。3泊してから、一緒にレンタカーでプリンス・エドワード島まで1週間ドライブをする予定。

台風10号は進む速度が時速15キロとゆっくりだったため、どうにか欠航はまぬがれた。明日には西日本に上陸するとのこと。

午後425分出発だったが、万が一のことを考え、1030分に家を出る。1110分に柏から成田駅直通の電車に乗る。成田駅で空港行の電車に乗り換え、1230分に第1ターミナル駅に着く。前日にオンライン・チェックインは終わっていたので、自動発券機で搭乗券をプリント。スーツケースを預けようと思い航空会社のスタッフに聞くと、「出発の3時間前から荷物が預けられる」と言う。まだ1時間ある。カナダ・ドルに両替したり、椅子に座って『地球の歩き方』でトロント・ピアソン空港から街の中心までの行き方をチェックしたりして時間をつぶす。空港からユニオン駅まで急行列車が15分ごとに出ていて、25分で行けると言う。バスだと、もっと時間もかかり、街の中心から離れた地下鉄の駅まできり行かないようだ。

20分並んで、カウンターでチェックイン。「トロントの前にカルガリーに立ち寄ります。そこで飛行機を降りて、入国審査を受けてください。スーツケースはそのままトロントまで行きますから、搭乗券は捨てずに最後までそのままお持ちください」との説明を受ける。

既に1か月前からトロントに滞在していて、現地の英会話学校に通っている妻も同じAC010便だったので、その話を聞いていた。

機内は横に窓側2席、中央に3席、窓側に2席でかなりゆったりしていたが、エコノミー・クラスのトイレは一番後ろに4つあるだけで、ちょっと心配になる。

ガリガリーで飛行機を降り入国審査、パスポートをスキャンして写真を撮る。写真入りの入国書類が印刷される。プリントにはカナダへの入国を認めるeTAの番号も自動的に入っていた。もし日本国で登録を忘れると、ここで入国ができなくなり、そのまま日本に帰らなくてはならなくなる。でも、万が一忘れたとしても、何らかの救済措置があるのかもしれない。だが、日本の空港で自動発券機で搭乗券をプリントする段階で、eTA番号を持っていないと、リジェクトされるのかもしれない。

一応、カナダの国内線への乗り継ぎということになる。簡単なカウンターで入国審査を受ける。次にまた手荷物検査。バックバックにはポカリスエットが入れてあった。4年前に脳出血で入院しているので、水がなくて脱水症状になると血圧が上がり大変なことになる。だから飛行機に乗る際にはペットボトル2本を買っておくようにしている。ここまで水は1本飲んだだけで、まだポカリがまるまる1本残っていたが、全部棄てるはめになった。

国内線のゲートに行く。スクリーンにはAC010と表示があった。成田から来たのと、同じ便名、同じ機体の飛行機。座席も同じだ。国際線のターミナルに着いた飛行機は、地上を移動して、国内線のターミナルまで来たのだろう。

国内線になった飛行機に乗り込み、同じ席に座る。後ろの席の人は成田から来た日本人のカップルで同じだったが、それ以外の人はほとんど入れ替わっていた。食事が出ると思ったのだが、フライトアテンダントがメニューを見せながら注文を聞いている。通路を挟んで隣の席の人がお金を払っている。どうやら有料のようだ。周りを見回すと、食事をしている人は2人だけだった。私の隣の夫婦は、空港で買ったと思われるパンをかじっていた。

トロント到着は午後625分。カルガリーで時刻を合わせた時計を見ると、まだ230分。お腹がすいてきた。まだ4時間も乗るのか、きっとお腹がペコペコになってしまうだろうと心配になる。だが、ふとトロント時間はガルガリーとは違うのではないかと思席前のスクリーンのマップで確認すると、案の定トロント時間は330分となっていた。それから3時間。トロントのピアソン空港に着く。空腹に耐えられず、バゲージクレームに行く途中で寿司弁当を食べる。14ドル。バゲージクレームに行くと、まだ預け荷物が回転台に出て来始めたばかりだった。3分ほどで私のスーツケースが出て来た。

2階に「ピアソン・ユニオン・エキスプレス」という電車の駅があった。12カナダ・ドル。1000円ほどだ。券売機で切符を買おうとしたが、何度20ドルの新札を入れても戻ってきてしまう。仕方なしに、クレジットカードで払うことにしたのだが、切符が出て来ない。横長のスロットがあり、ふつうならそこからジージーという音を立ててチケットが出てくるはずだ。3回やってもダメだった。近くに係員がいないか探そうした時、券売機のかなり下の方に横長のボックスがあることに気づいた。ひょっとしたらと思い手を入れると、何とそこにチケットがあるではないか! 何と3枚も。わかりにくいこと、この上ない。

払い戻しをしてもらおうと、係員を探す。かなり先のホームの中央にカウンターがあり、駅の係員らしき女性が座っている。日本人のような顔をしている。さすがトロントは国際都市だ。日本語をしゃべろうかと思ったが、英語で「ユニオン駅まで片道で1回乗るだけなんですが、間違えて3枚買ってしまいました。2枚分払い戻してもらえますか?」と聞くと、「払い戻しはできません。もう空港には戻ってきませんか? いつでも使えるキッフ2枚と取り換えることはできます」と言う。「明後日、また妻と戻ってきます」と答え間違って買ってしまった切符を渡すと、「ユニオン⇔ピアソン」と印字されたチケットを2枚プリントしてくれた。電車に乗り込むと、ホームのカウンターにいたその女性が検札にやってきたので、切符を渡しながら「Thank you!」とお礼を言うと、ニッコリほほ笑んでくれた。

電車はすぐにユニオン駅に着いた。次に地下鉄に乗り、St. Patrickという駅の近くのホテルに行く。そのホテルはトロント大学や他の英会話学校などに通う学生のレジデンスとしても使われているようで、妻も1か月前から滞在している。

駅構内をさまようが、なかなか地下鉄の駅にたどり着かない。東京駅で降りて、地下鉄の丸の内駅に行くような訳にはいかなかった。地下2階まで降り、いったん外に出て、また地下に潜り、やっと地下鉄にたどり着いた。

切符を買おうと思ったが、券売機にはまず「シニア料金」がない。買えるのは「1回乗車」と「2回乗車」、そして「1日乗車券」の3種類だけだった。『地球の歩き方』には「5枚綴り回数券がある」とあったのだが・・・。1日券を買っても、今日はもう地下鉄に乗ることはないので、「2回乗車券」を購入する。

3つ目の駅がSt. Patrickだった。Dundasという大きな通りに出た。東京でもそうだが、地下鉄の駅から地上に上がると方向がわからなくなるものだが、見上げると「CNタワー」が見えた。その方向が南だ。するとDundas通りを東に少し歩き、Chestnuts通りを右に入るとホテルがあるはずだ。今回は妻のiPhoneにこちらで使えるシムカードが入っているので、私はなるたけロミングしてカナダの電波事業者を使わないようにしようとしていたので、行き方を手帳にメモしていた。

そのためホテルの近くまで来たのに、どこにあるのかわからなくなってしまった。仕方なしに目の前にあった「ヒルトン・ホテル」に入りフロントで聞くと、「とても遠いんですよ」と言いながら、親切にも一緒に外に出てきてくれて通りの反対側を指さす。「そこです」

通りを渡り、私の泊まるホテルへ。フロントで順番を待ちながら妻にLINEで電話するが、私の番が来てしまったので、電話を切る。手続きをしていると、妻がやって来て「遅かったから心配していた」と言う。

部屋に行って荷物を置いて、夕飯を食べに外に出る。近くにとてつもなく大きな「イートイン」があると言う。ところが着いたのが「イートン・センター」という大きな建物。「イートイン」なのか「イートン」なのか? 妻が「イートン・センター」に「イートイン」あると説明してくれたので、やっと飲み込めた。

もう9時が過ぎ、ほとんどの閉店の準備をしていた。「Subway」で肉や野菜を挟んだパンを買って食べる。妻はもう夕飯は済ませたと言う。

ガリガリーからの飛行機では食事が出ずに、有料で食べたい人だけがお金を払って食べた」と言うと、「そんなはずはない」と言う。「私は国際線からの乗り継ぎだということで、メニューを渡されて食事を選びタダで食べられた」と言う。「そのことをLINEで知らせた」というが、まったく記憶にない。機内で食べていたら、空港に着いてから、14ドル払って大急ぎで寿司を食べる必要などなかった。また無駄遣いしてしまった。私の後ろに座っていた成田から来た日本人も食事はしていなかったように思う。フライトアテンダントには、そこまでの細かな情報が伝わっていなかったのだろうか?

「あなたはいつも人の話を聞いていない」という妻の説教を聞きながら、すぐにホテルに戻り翌朝までぐっすり眠る。

 

 

ザッハー・トルテを食べて、旅の最後に“旅の神様”になる

79日(水)、616日にウィーンを出て昨日また戻って来た。1か月にわたる中央ヨーロッパの旅も、今日が最終日。ウィーンで見逃したのはベルベデーレ宮殿Lower Palace(下宮)だけ。Upper Palace(上宮)にある博物館だけは見ることができたのだが、そこを出た時点で午後6時になってしまった。だから今日はベルベデーレ宮殿の下宮だけを見ればいい。そうすればウィーンの代表的な観光地のほとんどに行ったことになる。

また明け方までブログを書いて、12時に起きる。ゆっくり支度をしながら、ウィーンの地図やら観光パンフレットやらをもう一度見直していたら、「Time TravelMagic Vienna History Tour」というビラが出てきた。どこでもらったものか全く覚えていない。裏面の説明書きを見ると、この1時間のツアーに参加すると、街の誕生からハプスブルク家の繁栄、ペストの大流行、第一次、二次大戦時のことなどを映像で振り返ることができると言う。ヨーロッパでは古い遺跡や建物、歴史的遺物をそのまま見せることはあっても、このような人工的なアトラクションはとても珍しい。これはウィーンという都市を訪れた総決算というか復習として行ってみる価値があるのではないかと思い始めた。

どこにあるのか確認すると、地下鉄のシュテファン広場で降りてシシィ博物館に行く途中にある。急いで支度をして地下鉄に乗り、その「Time Tarvel」に向かう。

シュテファン広場はこの前と同じように多くの人で賑わっていた。カフェでもたくさんの人がくつろいでいる。人混みを抜けて細い路地に入ると、「Time Travel」というパンフレットと同じロゴの看板を見つけた。受付でチケットを買う。145分。ツアーのスタートは2時だと言う。ちょうどいい時間だ。

男性のガイドに案内されて30人ほどの人と一緒に階段を降り、地下の部屋に入る。この建物は修道院や戦争時には地下防空壕として使われていたものだと言う。スクリーンがあり、皇帝フランツ・ヨーゼフ、皇后のエリザベート(愛称シシィ)、モーツアル、ジムグンド・フロイトなどがいろいろな会話をしながら自分自身やウィーンの街の紹介を始める。これがイントロダクションだ。

次の部屋では椅子に座ってシートベルトを着け、スクリーンに映し出される映像を見る。椅子がガタガタと動き出し前につんのめり、タイムマシーンとなって時空を移動し始める。何だかユニバーサル・スタジオスター・ウォーズのアトラクションのようだ。有史以前の恐竜に始まって、街ができる様子、ペストが大流行した中世にワープしてネズミだらけになった街角も映し出される。椅子から脚のところに空気が噴き出し、あたかもネズミが触れているようで気持ち悪い。大きな大砲の音がして椅子が振動したかと思うと、今度はオスマン帝国と闘いの戦場になる。

次の部屋には、ウィーンを代表する作曲家モーツアルトとヨハン・ストラウスの人形があり、それぞれに自分の曲がいかに素晴らしいか自慢を始める。2人の生きた時代は100年離れている。その意味でライバルとは言えないので、悪口を言い合ってもそれほど険悪にはならないのだろう。

第二次大戦直前の映像もあった。オーストリアヒットラーのドイツに併合されたのだが、その時のナチスのやり方があまりにひどい。国境に多くの部隊を集結させ、併合を受け入れないのならすぐに攻め込むぞ、と脅しをかけたのだ。オーストリアは併合を受け入れざるを得なかった。その時の首相の悲痛な演説が映像となって残されていた。

最後に地下の防空壕に入った。「みなさんも空襲を体験してください」と言う。サイレンがなり、爆弾が落ちるたびに大きな地響きが起こる。一緒にツアーに参加している女の子が泣きそうになってお母さんの腕にしがみついている。本当にシミュレーションで良かった。あの頃は、同じくらいの女の子が本当にこんな恐ろしい体験していたのだ。

だが、どこの国の空軍がウィーンを空襲をしていたのか? 1時間のツアーが終了した時、私は男性ガイドに質問した。「イギリスやアメリカ、フランスの連合軍の爆撃機がウィーンを空襲しました」と言う。ちょっと混乱してわからなくなった。私は「ウィーン市民を助けるためにですか?」と聞くと、「いいえ、この時オーストリアはドイツに併合されてましたから」と言われて、やっと飲み込めた。そうだ、この時はドイツのオーストリア州だったのだ。そんなことは正常な頭ならすぐに考えられる。やはり1か月に及ぶ旅の疲れが出ているのだろうか?

戦後、オーストリアソ連アメリカ、イギリス、フランスによって分割統治された。領土が元のように回復され国家として独立するまで10年かかったと言う。日本にも戦後、北海道と東北をソ連、本州の関東から関西をアメリカ、中華民国が四国、イギリスが中国地方と九州というふうに分割統治しようとする計画があった。もしそうなっていたら、東西ベルリンや南北朝鮮のように家族も親戚も恋人も離れ離れになっていたかもしれない。

そんなことを考えながら外に出た。その時に全く違うことが頭に浮かんだ。ザッハー・トルテを食べてみたいと思ったのだ。「Time Travel」の最後のところでウィーンを代表する名物が映し出されたのだが、その中にこのザッハー・トルテがあった。あの世界的に有名なお菓子がどんなものなのか、ウィーンの最後の思い出に食べておきたい、いや食べなければいけないと思った。

確か近くにザッハー・ホテルがあったはずだ。iPhoneで確認すると、徒歩で10分。ホテルはすぐに見つかった。同じ建物に「モーツアルト」というオープン・カフェがあった。看板にあるメニューを見ていたら「ザッハー・トルテ」があるではないか!

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私はお昼も兼ねてザッハー・トルテを食べることにした。コーヒーとソーセージとパンも一緒に注文。すぐにチョコレート・ケーキが出てきた。横にホイップクリームが盛り付けてある。それがザッハー・トルテだった。私は本来チョコレート・ケーキがあまり好きではないが、チョコの甘さをクリームが包み込んで繊細で濃密かつしっとりした味になっていた。コーヒーと一緒に食べると、さらにおいしい。食べ終わる頃になってソーセージをパンも出てきた。普通は料理が先、デザートをコーヒーが後だ。でも、私が真っ先にザッハー・トルテを注文したので、ウェイターがまず最初にじっくり味わってほしいと気を遣ってくれたのだろうか? チップ込みで32ユーロ。日本円なら4000円を超えている。この旅最後の贅沢だ。

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近くの停留所からトラムに乗ってベルベデール宮殿へ向かう。午後5時。閉館までまだ1時間ある。以前入った上宮の博物館を横に見て、庭園を歩き下宮まで歩くこと10分。受付で「博物館には3週間前に入ったので、今日はLower Palaceだけ結構です」と言ってチケットを買う。「もう45分きりありませんが、よろしいですか?」と聞くので、「それでOKです」と答える。抽象的なオブジェと中世の絵画や像を見ていると610分前。またトラムに乗って中央駅に戻った。

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明朝、空港行きの列車に乗る。中央駅から15分だと言う。チケットを今晩のうちに買っておかないと大変なことになるかもしれない。もし長い行列ができていたら飛行機に遅れてしまう。日本なら数秒で買えるものが、30分も場合によっては1時間もかかる。券売機には何度かトライしてみたのだが、いろいろ複雑な路線を選んだり、途中からドイツ語になってしまったりして、私には買うことができない。路線図が上にあって、行きたい駅までの料金を入れボタンを押せばいいと言うような単純なものではないのだ。でも、なぜこんな複雑にしなければいけないのだろうか?

番号札を取って待つ。244番。自分の順番が来ると、札の番号と窓口の番号がスクリーンに表示される。夜7時を過ぎて一番すいている時間だが、まだ20人くらい待たないといけない。窓口は5か所空いているが、短くても230分はかかるだろう。だが、私はチケットを買ったら、後は駅前のホテルに帰って寝るだけだ。ゆっくり待つことにしよう。

15分ほどした頃、1人の男性が部屋の中をあちこちうろついていることに気づいた。番号札を手に、いらいらしたように同じところを何度もぐるぐる歩いている。きっとすぐにでも切符を買わないと、列車に間に合わないのだろう。しばらく、そのままその人の動きを見ていたのだが、私はその人のところに近づき、私の札を差し出して言った。

Are you in a hurry? You go first! I have a lot of time.」(急いでいらっしゃるんですか? 先に行ってください。私には時間があるので)

その人は一瞬驚いたようだったが、本当に嬉しそうに顔を輝かせた。その人の番号札は250番。6人早く順番が来る。私は彼の番号札を手から取ると私の札を手渡した。

その人は「救いの神に出会えました」とホッとした表情を浮かべた。「何とお礼を言ったらいいかわかりません。本当に本当に感謝します」。最大限のお礼の言葉を言い終わらないうちに、244という数字がスクリーンに出た。私が「Go ahead!」(さあ、どうぞ行ってください)とその人に言うと、もう一度頭を下げて窓口の方に走って行った。

今回の旅では窮地に陥るたびにいろいろな“旅の神様”が現れて、私を助けてくれた。最後は私が“旅の神様”になって、困っている人を助けることができた。

 

ブダペスト発ウィーン行き列車。途中で降ろされたけれど、とても楽しかった

78日(月)、今日は午後240ブダペスト発の列車でウィーンに戻る。これで中央ヨーロッパ1周したことになる。1030分にホテルをチェックアウト、スーツケースを預かってもらって作曲家リストの記念館へ。

3日前に購入したブダペスト・カードの有効期限は72時間、あと2時間で切れてしまう。写真家のロバート・キャパの記念館も近くにありパスが使えるようだが、『地球の歩き方』にも解説が載っていない。ということは、それほど大々的な展示はないのかもしれない。日本に帰って、沢木耕太郎のキャパに関する本を読むことにして、私はリストの方を選んだ。

この街に3日いるので、もう地図を見なくとも地下鉄で行けるようになった。世界で2番目に古いとされるイエローラインの駅で降り、リスト記念館を探すが、なかなかたどり着かない。iPhoneの地図では記念館と私の位置が重なっているのだが・・・。買い物袋を下げたおばあさんを初め何人かの人に尋ねてやっと到着。日本のように大きな看板はない。建物入口の上部に小さなプレートがあるだけで、外から見ても見分けがつかない。

受付でブダペスト・カードを見せると、「ここではそのパスは使えません」とのこと。キャパ記念館は確実に使えるので、そっちにすれば良かったかもしれないと思ったが、もう遅い。入場料と日本語の音声ガイドの料金をクレジットカードで払う。

私の前で日本人らしい若い女性がチケットを買っていた。なんとなく日本人だとわかる。動きがおっとりしていて、おしとやかなのだ。日本の音大の学生だろうか? ピアノではないかもしれないが、何か専門的に楽器をやっていそうな雰囲気を醸し出していた。

リストはハンガリー出身で広くヨーロッパで活躍した作曲家でピアニストでもあった。世界でも日本国内でもフランツ・リスト呼ばれているが、ハンガリーでは日本と同じように苗字・名前の順になる。だから自分自身ではリスト・フランツと名乗っていたと言う。

たった3部屋だが、彼が実際に使った数々のピアノや机、祈りを捧げる小祭壇、家具、肖像画など20の展示品に関してじっくり解説を聞く。日本人らしき女性も私が音声ガイドを聞いているのを見て、受付に行ってガイドを借りた。だが、彼女は他にも行くところがあったのか、20分もガイドを聞くと出て行った。私のようにじっくり全部解説を聞くことは、一過性の旅行だと難しいのだろう。1泊や2泊の滞在だと、どうしても大急ぎでその街を代表する観光地だけを見ることになる。

リストは身長も高く、手がとても大きかったことでも知られている。石膏でかたどった実物大の手の模型があったが、私の指の15倍はある。その大きい手で超絶技巧を駆使しなければ弾くことのできない難曲を作曲し演奏したと聞いたことがある。1時間半ほどリストの世界に浸り、記念館を後にした。

地下鉄に乗りホテルに取って返すと、スーツケースを受け取ってまた地下鉄でブダペスト東駅へ。列車発車時刻の1時間前に着いた。イギリスの諺だったか、「遅すぎるより早すぎる方がいい」というのがあった。

例によって、駅のコンコースで電光掲示板にプラットホームの番号が出るのを待つ。まだ、ハンガリーフォリントのコインが余っていたので、全部使ってお菓子を買い食べながらさらに30分。発車15分前になってやっと表示された。何と目の前の8番線。もっと遠くのホームなら10分もかかる場合もある。駅ではスーツケースを引っ張りながら猛ダッシュしている人の姿をよく見かける。

ファーストクラスは先頭の1両だけ。4人掛けのゆったりしたコンパートメントの車両だった。私がスーツケースに脚を乗せてリラックスしていると、2人の大柄な青年が入ってきた。「スーツケースは邪魔だから通路に置いておきます」と言うと、「ノー・プロブレム」と言って筋骨隆々とした腕でスーツケースを上に押し上げて棚に載せてくれる。

列車はハンガリーの田園風景の中をのんびりと走る。ウィーン到着は520分。2時間半の列車の旅だ。実は私はあえてゆっくり走る列車を選んでいた。この旅の最後をじっくりと味わおうと思ったのだ。ECという国際長距離列車でも料金は同じだが、アッという間に着いてしまう。そうはしたくなかった。

iPhoneの地図で確認すると、国境が近づいて来たことがわかる。その時、車掌が突然コンパートメントのドアを開け、何事か青年たちに話している。2人は驚いたような顔をした。2人にどうかしたのか聞くと、英語で「この列車はここまでで、違う列車に乗り換えなければならない」と教えてくれた。「なぜ?」と聞くと、「よくわからない」と言う。ひとりが棚から私のスーツケースを降ろしてくれた。

乗客はみんな列車から降りている。私もそれに従うしかない。アジア系の顔をしたカップがいたので、「あなたたちもウィーンに行くんですか?」と聞くと「Yes」と言い、「何があったんですか?」と私に聞く。私に聞かれてもわからない。香港人で、昨日飛行機でブダペストに着いたと言う。

ホームでは鉄道会社の職員らしき人が大勢の人に囲まれ、ドイツ語で何やら説明している。近くにいた品の良い女性が私たち3人に英語で説明してくれた。「この先オーストリアで電気系統のトラブルがあって、このハンガリーの機関車では走行できないので、違う列車に乗り換えてほしいと言っています」。ルーマニア人だと言う。今日も困った時に手を差し伸べてくれる“旅の神様”が現れた。

私が「日本ではこんなこと考えらない」と言うと、香港から来た女性が「えっ、日本人だったんですか?」と驚いている。「去年に日本に行ったんですが、まったく英語が通じなくて本当に驚きました。あまりにも自然に英語をしゃべっていらしたので、日本人ではないと思っていたんです」と言う。喜んでいいやら悲しんでいいやら。「でも日本は素晴らしい国です」と一生懸命カバーする。男性も「京都、奈良、大阪、それから北海道にも行きました。北海道が一番好きです」と言う。

私はルーマニア人の女性に「英語がお上手ですね。国内で勉強されたんですか?」と聞くと、父親が先見の明がある人だったので、共産主義の時代にもかかわらず英語を学ばせてくれたんです」と言う。私が「チャウシェスクの時代ですね」と言うと、「そうチャウシェスク独裁の時です」と言う。チャウシェスクと夫人が処刑されてから、もう30年くらいになるだろうか? 「ルーマニア人で一番よく知られているのはコマネチです。私の世代の日本人では知らない人はいません」と言うと、女性は嬉しそうに頷く。彼女がカップルの2人に「コマネチって知ってますか?」と聞くと「No」と言う。私は世界的に有名な北野監督のギャグについて話そうと思ったが、くだらないのでやめた。

香港の女性が「Holidayなんですか?」と私に聞く。いつものように、去年の4月に東京の出版社を定年退職して、いま中央ヨーロッパ1か月かけて旅行していることを説明する。「611日にウィーンに着いて、ザルツブルグ、チェスキー・クルムロフ、プラハ、ベルリン、ワルシャワ、クラコフ、ブダペストと歩いて、またウィーンに戻り、明後日モスクワ経由で日本に帰ります」と説明した。男性が「僕たちもチェスキー・クルムロフに行って1泊するんです」と言う。「そうなんですか。もし時間があったら、お城の裏側に広々とした庭園がありますから行ってみてください」と“先輩”としてアドバイスする。

なかなか次の列車はやってこない。鉄道会社の係員が「あと25分待ってください」と言ってまわっている。カップルの女性に「東京では渋谷に行きましたか? スクランブル交差点があったでしょ?」と聞くと、「行きました」と言う。「私が勤めていた会社はそのすぐ近くにあったんですよ」と説明した。暇に任せて「忠犬ハチ公」の話もしたが、知らないようだった。いまハチ公の前は写真を撮る外国人旅行者の長い行列ができて大変なことになっている。

「今は旅行だけをしているんですか?」と彼女が聞くので、「本を書いています。そうだ、最初に書いた『世にもおもしろい英語』という本は中国語にも翻訳されているんですよ。残念ながら台湾の中国語ですが・・・」と言うと、「台湾と香港の中国語は同じなんです」と言う。そうか、広東語というのかな? ネット検索すると『世にもおもしろい英語』中国語版の紹介が出てくるはずだと思い、iPhoneで検索すると小泉牧夫という名前と中国語の書名に加えて私の略歴も出てくる。彼女はその中国語を読んで「Great!」と言う。男性は「You are famous!」と言う。私は「No, infamous(悪名高い)」と言うと、4人で大笑いになった。「もう1冊『アダムのリンゴ 歴史から生まれた世にもおもしろい英語』という本も、もうそろそろ中国語版が出来上がりますので、ぜひ買って読んでください」と宣伝する。

香港の2人は「明日1日だけウィーンに滞在する」と言う。ずいぶん駆け足の旅だ。ルーマニア人の女性が「ウィーンではザッハートルテというケーキを食べるといいですよ。どこで食べられるかわらないけれど」と言う。私は「オペラ座の近くにザッハーというホテルがあったので、そこで食べられると思います。ザッハーという料理人が考案したウィーンを代表するデザートです」と説明した。女性は「ずいぶん詳しいですね」と言う。私は20年ほど前に『ヨーロッパお菓子紀行』という本をつくった。本当にいろいろな分野の本を編集したものだ。

列車を降ろされてから1時間になる。もうとっくにウィーンに着いている時間だ。「列車がすぐに来る」と言うアナウンスがあった。私はてっきり今ホームにいる私たち乗客たちのために特別に用意された列車が来るのだと思っていた。ところが、単に次のウィーン行の国際急行列車が来るだけで、それに乗ってほしいと言う。その列車が満席だったら通路や連結部分に人が溢れることもあり得る。全員乗り切れるのだろうか?

幸いなことに列車には空席もあり、私と香港人の彼女は座ることができた。彼の方は連結部分に立っている。列車がオーストリアに入るとどんどんスピードを上げた。ハンガリーの列車がのろのろと走っていたのとは大違いだ。何とあと35分でウィーンに着くと言う。20分ほど座って彼に席を譲った。最初は遠慮していたが、無理やり座ってもらった。

立って車窓の風景を眺めていると、車掌がやって来た。話のタネに「予約券の払い戻しはしてもらえないのか?」と聞いてみた。予約券を見せると、「それはこの列車のものではない」と言う。そんなことはわかっている。だから問題なんじゃないか! 私はこの前のウィーン行きの列車から降ろされた、この予約券は座っていけることを保証するものなのに、後半は座れなかったということを力説したが、「他の列車のことは私にはわからない」という想像した通りの返事だった。確かにこの急行列車はQBBというオーストリア国鉄の列車で、私がブダペストで乗ったのはハンガリー国鉄の列車。JR東日本と東海とは訳が違う。

列車はウィーン中央駅に着いた。“旅の神様”のルーマニア人女性は遠く離れた席に座ったらしく見当たらなかったが、香港から来たカップルに「Have a bice trip!」と言うと、男性は「You, too!」と言い、彼女は「It’s a great honor to have met you!」(お目にかかれてとても光栄です)と最大限の敬意を示してくれた。やはり著者があるということは、すごいことなんだ。

25日ぶりのウィーン中央駅。何か故郷に戻ってきたような懐かしさが心に溢れた。