旅三昧&ときどき読書+映画

私は小泉牧夫。英語表現研究家という肩書で『世にもおもしろい英語』『アダムのリンゴ 歴史から生まれた世にもおもしろい英語』(IBCパブリッシング刊)という本を書いています。2018年4月に 出版社を退職し、41年にわたる編集者生活を終えました。いま世界中を旅しながら、本や雑誌記事の執筆とともに、旅先ではこのブログを書いています。お金はありませんが、時間だけはたっぷりある贅沢な旅と執筆と読書と映画の日々を綴っていきたいと思います。

旅三昧&ときどき読書+映画

私は小泉牧夫。英語表現研究家という肩書で『世にもおもしろい英語』『アダムのリンゴ 歴史から生まれた世にもおもしろい英語」(IBCパブリッシング刊)という本を書いています。2018年4月に出版社を退職し、41年にわたる編集者生活を終えます。それからは世界中を旅しながら、本や雑誌記事の執筆をする予定。お金はありませんが、時間だけはたっぷりある贅沢な旅と執筆と読書と映画の日々を綴っていきたいと思います。

ザッハー・トルテを食べて、旅の最後に“旅の神様”になる

79日(水)、616日にウィーンを出て昨日また戻って来た。1か月にわたる中央ヨーロッパの旅も、今日が最終日。ウィーンで見逃したのはベルベデーレ宮殿Lower Palace(下宮)だけ。Upper Palace(上宮)にある博物館だけは見ることができたのだが、そこを出た時点で午後6時になってしまった。だから今日はベルベデーレ宮殿の下宮だけを見ればいい。そうすればウィーンの代表的な観光地のほとんどに行ったことになる。

また明け方までブログを書いて、12時に起きる。ゆっくり支度をしながら、ウィーンの地図やら観光パンフレットやらをもう一度見直していたら、「Time TravelMagic Vienna History Tour」というビラが出てきた。どこでもらったものか全く覚えていない。裏面の説明書きを見ると、この1時間のツアーに参加すると、街の誕生からハプスブルク家の繁栄、ペストの大流行、第一次、二次大戦時のことなどを映像で振り返ることができると言う。ヨーロッパでは古い遺跡や建物、歴史的遺物をそのまま見せることはあっても、このような人工的なアトラクションはとても珍しい。これはウィーンという都市を訪れた総決算というか復習として行ってみる価値があるのではないかと思い始めた。

どこにあるのか確認すると、地下鉄のシュテファン広場で降りてシシィ博物館に行く途中にある。急いで支度をして地下鉄に乗り、その「Time Tarvel」に向かう。

シュテファン広場はこの前と同じように多くの人で賑わっていた。カフェでもたくさんの人がくつろいでいる。人混みを抜けて細い路地に入ると、「Time Travel」というパンフレットと同じロゴの看板を見つけた。受付でチケットを買う。145分。ツアーのスタートは2時だと言う。ちょうどいい時間だ。

男性のガイドに案内されて30人ほどの人と一緒に階段を降り、地下の部屋に入る。この建物は修道院や戦争時には地下防空壕として使われていたものだと言う。スクリーンがあり、皇帝フランツ・ヨーゼフ、皇后のエリザベート(愛称シシィ)、モーツアル、ジムグンド・フロイトなどがいろいろな会話をしながら自分自身やウィーンの街の紹介を始める。これがイントロダクションだ。

次の部屋では椅子に座ってシートベルトを着け、スクリーンに映し出される映像を見る。椅子がガタガタと動き出し前につんのめり、タイムマシーンとなって時空を移動し始める。何だかユニバーサル・スタジオスター・ウォーズのアトラクションのようだ。有史以前の恐竜に始まって、街ができる様子、ペストが大流行した中世にワープしてネズミだらけになった街角も映し出される。椅子から脚のところに空気が噴き出し、あたかもネズミが触れているようで気持ち悪い。大きな大砲の音がして椅子が振動したかと思うと、今度はオスマン帝国と闘いの戦場になる。

次の部屋には、ウィーンを代表する作曲家モーツアルトとヨハン・ストラウスの人形があり、それぞれに自分の曲がいかに素晴らしいか自慢を始める。2人の生きた時代は100年離れている。その意味でライバルとは言えないので、悪口を言い合ってもそれほど険悪にはならないのだろう。

第二次大戦直前の映像もあった。オーストリアヒットラーのドイツに併合されたのだが、その時のナチスのやり方があまりにひどい。国境に多くの部隊を集結させ、併合を受け入れないのならすぐに攻め込むぞ、と脅しをかけたのだ。オーストリアは併合を受け入れざるを得なかった。その時の首相の悲痛な演説が映像となって残されていた。

最後に地下の防空壕に入った。「みなさんも空襲を体験してください」と言う。サイレンがなり、爆弾が落ちるたびに大きな地響きが起こる。一緒にツアーに参加している女の子が泣きそうになってお母さんの腕にしがみついている。本当にシミュレーションで良かった。あの頃は、同じくらいの女の子が本当にこんな恐ろしい体験していたのだ。

だが、どこの国の空軍がウィーンを空襲をしていたのか? 1時間のツアーが終了した時、私は男性ガイドに質問した。「イギリスやアメリカ、フランスの連合軍の爆撃機がウィーンを空襲しました」と言う。ちょっと混乱してわからなくなった。私は「ウィーン市民を助けるためにですか?」と聞くと、「いいえ、この時オーストリアはドイツに併合されてましたから」と言われて、やっと飲み込めた。そうだ、この時はドイツのオーストリア州だったのだ。そんなことは正常な頭ならすぐに考えられる。やはり1か月に及ぶ旅の疲れが出ているのだろうか?

戦後、オーストリアソ連アメリカ、イギリス、フランスによって分割統治された。領土が元のように回復され国家として独立するまで10年かかったと言う。日本にも戦後、北海道と東北をソ連、本州の関東から関西をアメリカ、中華民国が四国、イギリスが中国地方と九州というふうに分割統治しようとする計画があった。もしそうなっていたら、東西ベルリンや南北朝鮮のように家族も親戚も恋人も離れ離れになっていたかもしれない。

そんなことを考えながら外に出た。その時に全く違うことが頭に浮かんだ。ザッハー・トルテを食べてみたいと思ったのだ。「Time Travel」の最後のところでウィーンを代表する名物が映し出されたのだが、その中にこのザッハー・トルテがあった。あの世界的に有名なお菓子がどんなものなのか、ウィーンの最後の思い出に食べておきたい、いや食べなければいけないと思った。

確か近くにザッハー・ホテルがあったはずだ。iPhoneで確認すると、徒歩で10分。ホテルはすぐに見つかった。同じ建物に「モーツアルト」というオープン・カフェがあった。看板にあるメニューを見ていたら「ザッハー・トルテ」があるではないか!

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私はお昼も兼ねてザッハー・トルテを食べることにした。コーヒーとソーセージとパンも一緒に注文。すぐにチョコレート・ケーキが出てきた。横にホイップクリームが盛り付けてある。それがザッハー・トルテだった。私は本来チョコレート・ケーキがあまり好きではないが、チョコの甘さをクリームが包み込んで繊細で濃密かつしっとりした味になっていた。コーヒーと一緒に食べると、さらにおいしい。食べ終わる頃になってソーセージをパンも出てきた。普通は料理が先、デザートをコーヒーが後だ。でも、私が真っ先にザッハー・トルテを注文したので、ウェイターがまず最初にじっくり味わってほしいと気を遣ってくれたのだろうか? チップ込みで32ユーロ。日本円なら4000円を超えている。この旅最後の贅沢だ。

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近くの停留所からトラムに乗ってベルベデール宮殿へ向かう。午後5時。閉館までまだ1時間ある。以前入った上宮の博物館を横に見て、庭園を歩き下宮まで歩くこと10分。受付で「博物館には3週間前に入ったので、今日はLower Palaceだけ結構です」と言ってチケットを買う。「もう45分きりありませんが、よろしいですか?」と聞くので、「それでOKです」と答える。抽象的なオブジェと中世の絵画や像を見ていると610分前。またトラムに乗って中央駅に戻った。

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明朝、空港行きの列車に乗る。中央駅から15分だと言う。チケットを今晩のうちに買っておかないと大変なことになるかもしれない。もし長い行列ができていたら飛行機に遅れてしまう。日本なら数秒で買えるものが、30分も場合によっては1時間もかかる。券売機には何度かトライしてみたのだが、いろいろ複雑な路線を選んだり、途中からドイツ語になってしまったりして、私には買うことができない。路線図が上にあって、行きたい駅までの料金を入れボタンを押せばいいと言うような単純なものではないのだ。でも、なぜこんな複雑にしなければいけないのだろうか?

番号札を取って待つ。244番。自分の順番が来ると、札の番号と窓口の番号がスクリーンに表示される。夜7時を過ぎて一番すいている時間だが、まだ20人くらい待たないといけない。窓口は5か所空いているが、短くても230分はかかるだろう。だが、私はチケットを買ったら、後は駅前のホテルに帰って寝るだけだ。ゆっくり待つことにしよう。

15分ほどした頃、1人の男性が部屋の中をあちこちうろついていることに気づいた。番号札を手に、いらいらしたように同じところを何度もぐるぐる歩いている。きっとすぐにでも切符を買わないと、列車に間に合わないのだろう。しばらく、そのままその人の動きを見ていたのだが、私はその人のところに近づき、私の札を差し出して言った。

Are you in a hurry? You go first! I have a lot of time.」(急いでいらっしゃるんですか? 先に行ってください。私には時間があるので)

その人は一瞬驚いたようだったが、本当に嬉しそうに顔を輝かせた。その人の番号札は250番。6人早く順番が来る。私は彼の番号札を手から取ると私の札を手渡した。

その人は「救いの神に出会えました」とホッとした表情を浮かべた。「何とお礼を言ったらいいかわかりません。本当に本当に感謝します」。最大限のお礼の言葉を言い終わらないうちに、244という数字がスクリーンに出た。私が「Go ahead!」(さあ、どうぞ行ってください)とその人に言うと、もう一度頭を下げて窓口の方に走って行った。

今回の旅では窮地に陥るたびにいろいろな“旅の神様”が現れて、私を助けてくれた。最後は私が“旅の神様”になって、困っている人を助けることができた。