旅三昧&ときどき読書+映画

私は小泉牧夫。英語表現研究家という肩書で『世にもおもしろい英語』『アダムのリンゴ 歴史から生まれた世にもおもしろい英語』(IBCパブリッシング刊)という本を書いています。2018年4月に 出版社を退職し、41年にわたる編集者生活を終えました。いま世界中を旅しながら、本や雑誌記事の執筆とともに、旅先ではこのブログを書いています。お金はありませんが、時間だけはたっぷりある贅沢な旅と執筆と読書と映画の日々を綴っていきたいと思います。

旅三昧&ときどき読書+映画

私は小泉牧夫。英語表現研究家という肩書で『世にもおもしろい英語』『アダムのリンゴ 歴史から生まれた世にもおもしろい英語」(IBCパブリッシング刊)という本を書いています。2018年4月に出版社を退職し、41年にわたる編集者生活を終えます。それからは世界中を旅しながら、本や雑誌記事の執筆をする予定。お金はありませんが、時間だけはたっぷりある贅沢な旅と執筆と読書と映画の日々を綴っていきたいと思います。

ドナウ川の遊覧船と温泉でリラックス。お腹の具合も良くなった

77日(日)、まだお腹の調子が悪い。でもブダペストなんていうところには、もう二度と来ることはないだろう。頑張って外に出ることにする。この街の主だった観光地には行ってしまったので、今日はのんびりとドナウ川の遊覧船に乗ることにしよう。それが終わったら、ホテルに戻ってのんびり過ごしてもいいし、温泉に行って疲れを癒してもいい。ブダペスト市内にはいくつも温泉があると言うではないか。念のため水着もバックパックに入れてホテルを出る。温泉には水着を着けて入るのがハンガリー流だ。ドイツとは違う。

船にはドナウ河岸のマリオット・ホテル前の桟橋から乗れるらしい。15分ほど歩いてホテルの前まで来ると、その遊覧船の看板があった。12時の船がある。時計を見たら1140分。ちょうどいい時間だ。

手にチケットの束を持った男の人がいた。「船に乗らないか? 中州にある島を1周する1時間のコースだ」と言う。ハンガリーの通貨なら2300フォリント、ユーロなら8ユーロ。今日と明日で残っているフォリントをきれいに使い切ってしまいたかったが、財布にあったのは2000フォリント。10ユーロの札もあったので、とりあえずユーロで支払いお釣りをもらう。彼は「桟橋は10番だ。Enjoy!」と言う。

船に向かって川べり歩いていると、また大きなミスをしてしまったことに気づいた。私はブダペスト・カードを持っている。そのパスがあれば、遊覧船には無料で乗れたのだ。昨日も西洋美術館と恐怖の館で使えるはずのパスを使わずに入場料を払ってしまい、自己嫌悪に陥ってしまった。あれほど反省したにもかかわらず、また同じ轍を踏んでしまった。これで無駄なお金を3000円以上も使ってしまったことになる。またまた落ち込んでしまい、さらにお腹が痛くなった。

この旅では困ったことがあると、いつも誰かが手を差し伸べてくれた。だから、私には「旅の神様」がついているとさえ思えてくるのだが、「お金の神様」からはすっかり見放されているようだ。日本で間違ってチケットを買ってしまったなら、温情で払い戻してもらえる可能性もあるが、自己責任が徹底しているヨーロッパやアメリカでは100%無理だ。

ふと、40年以上も前の出来事が蘇った。パリのシャルルドゴール空港。前日に雪が降った寒い日だった。私が乗った成田行き日航機が滑走路に向かう途中、車輪がスリップして溝にはまってしまい、その日は運航できなくなった。乗客は降ろされ、その晩は飛行機会社持ちで空港近くのホテルに宿泊することになった。食事はもちろん、テーブルに運ばれるデカンタのワインも無料。ただ、部屋の冷蔵庫に入っている飲み物だけは自腹で払ってほしいと言われた。

朝になってホテルのスタッフが何か冷蔵庫の飲み物を飲んだかチェックに来たが、私は飲んでいないと答えた。支度を終えロビーに下りて行くと何か揉めている。大きな部屋に男性3人で泊まっていたらしい。誰も冷蔵庫の飲み物を飲んでいないにもかかわらず、お金を払ってしまったと言うのだ。ホテルのスタッフと日本人乗客の間に日航の職員が入って話をしていた。日航の職員はホテルのスタッフの言葉をそのまま通訳した。「お金を払ったということは飲み物を飲んだことを認めたことですから、払い戻しはできないと言っています」。日航の職員はさらに通訳した。「飲み物を飲んでいないのになぜ払ったんですか?」と。男性は「払えと言われたから払ったんじゃないか!」と言って、日航の職員に殴りかかったのだった。まさに日本とヨーロッパの考え方の違いのぶつかり合いだった。

そんな昔の記憶を思い出しながら10番の桟橋に向かって歩く。一応払い戻ししてもらえるかだけでも聞いてみようと思い、乗船口で聞いてみると「やはりダメだ」と言う。やはり、そうだろうなと納得してしまった。パスを使わなかったのは明らかに私のミスなのだから。

一応「船にトイレはありますよね」と確認して乗船。前方のデッキの椅子に座ると、すぐに出港。左側に一昨日行った王宮が見えてきた。鎖橋をくぐると、これも一昨日行った教会と漁夫の砦の丸く尖がった塔が現れる。

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長さ100メートルはあろうかという長い船が横に並び、どんどん追い越して行く。デッキには何人かの人がいて、こちらに手を振っている。恐らくこの船にはいくつものホテルのような部屋があり、そこに宿泊しながらドナウ川流域を旅しているのだろう。そんな旅もいつかしてみたいものだ。

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右側にはハンガリーの国会議事堂が見えてきた。なかなか洒落た芸術的な建物だ。みんな写真を撮っている。もう1本橋をくぐる。中州の島の緑が美しい。ジョギングしている人、自転車に乗っている人、ゆっくり散策している人、ベンチに腰掛けて川を眺めている人、みんな様々なかたちで日曜の午後を満喫している。 

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船は島の向こうでUターンすると、桟橋に戻った。1時間がものすごく短く感じた。あまりにもリラックスした気分で川からの景色を眺めていたからだろうか、お腹のゆるみも痛さもどこかに消えてしまった。

それにしても、パスを提示すれば無料だったのに、うっかりお金を払ってしまったことが悔やまれる。どうにかして、パスを買った料金分だけは取り戻したい。このパスで何か得することをしよう、何かないだろうか?と考えていたら、いいことを思いついた。

やはり温泉に行こう。手に入れたブダペスト・パスのパンフレットを見たら、「ルカーチ」という温泉なら無料で入れるらしい。本来3000円以上かかる。パスの料金は多少なりとも回収できるだろう。無駄なお金を使ってしまったという自己嫌悪感も少しは和らぐかもしれない。

iPhoneで確認すると、マリオット・ホテルの前から2番のトラムに乗って終点まで行き、そこで4番か6番のトラムに乗り換えて橋を渡った先で降り、10分ほど歩くとその温泉に行けるらしい。

実は、何もブダペストまで来て温泉に入らなくてもいいじゃないか、日本でいくらでも入れるし・・・とも思っていたのだが、自分のミスを挽回しようというリベンジにも似た気持ちが出てきたことで、温泉に行かなくてはならない状況を自ら作り出す結果になった。

2番のトラムは川沿いを走り短いトンネルを抜けると国会議事堂の前の駅に着いた。さっき川から見たのとは反対側だ。終点まではすぐだった。今度は46番のトラムに乗る駅で待っていたのだが、10分経っても20分経ってもどちらの方向もやってこない。その代わりバスだけは頻繁に行き交っている。バスの表示をよく見ると「46 Replacement」となっている。そうか、トラムが何らかの事情で走っていないので、代行バスを走らせているのか。また無駄な時間を過ごしてしまった。

停留所に行くと、すぐにバスが来た。橋を渡ったこところで降り、少し歩くとiPhoneマップの温泉の場所と私の位置が重なる。中庭を抜け建物に入り、受付でブダペスト・パスを見せて使えるか聞くと「1回目だけは無料になります」と言う。時計のようなリストバンドをもらう。

「タオルをレンタルしたいのですが・・・」と言うと、「キャップはどうしますか?」と聞かれた。「何のためですか?」と聞くと、「プールで泳ぐ時に必要だ」と言うので「いりません」と答える。「マッサージはどうしますか?」とも聞かれたが、これも「結構です」と断る。

タオルを受け取り、リストバンドをスキャンした上で、クレジットカードでレンタル料を払う。デポジットとして2000フォリントの現金を支払う。タオルを返却した際に戻って来るお金だ。

2階に上がると、ロッカールームがあった。小さな着替え室がたくさん並んでいる。カギをかけてその中で着替えるので、男女一緒でも問題はない。

水着に着替え温泉に向かおうとするが、どっちに行ったらいいかわかならい。表示がすべてハンガリー語になっている。何かの人に聞いて、やっと洞窟の中に幾つかある温泉を見つけた。温度はかなり低めなので、長時間浸かっていられる。サウナもあるようだが、そこは男女別になっていて水着を脱いで入るらしい。

私は何年か前に脳出血で入院しているので、サウナと水風呂は禁じられている。2か月に1度通院して血圧を下げる薬をもらっているが、脳外科の先生に「あまり熱くないサウナに入ってから、ゆっくりと慎重に水風呂に入ってはいけませんか? それが私の唯一の生きがいなんです」と言ったのだが、笑いながら「血圧を急激に上下させることが一番危険です。近くのスポーツジムからも何人もの人が救急車で運ばれて来ますよ」と言われてしまった。

ぬるい温泉に浸かっては、プールサイドに出て長椅子に寝転ぶ。もう7月だ。そよ風も暖かくて気持ちいい。そんなふうにして洞窟の温泉とプールサイドを何度か往復していたのだが、そのうちにイメージしていたブダペストの温泉とは何か違うと思い始めた。そうだ、テレビで見た時は広い露天風呂で、小さな魚もいて足の角質を食べてくれていた。魚はともかく、温泉は洞窟の中しかないのだろうか? ハンガリー語が読めないので、どこに何かあるかさっぱりわからない。洞窟の中の温泉もやっとのことで見つけたのだ。

結局、その温泉施設には3時間近くもいた。ロッカールームで着替え、タオルを返却してデポジット2000フォリトを受け取る。レンタル・カウンターから2階に上がり、他に何があるのかを“探検”しながら出口に進むと、プールとは反対側に何と大きな露天風呂があるではないか。たくさんの人が入っているが、広いのでそれほど密集している感じではない。

受付でリストバンドを返却する時、「中に地図がなかったので、open air hot bathがプールの反対側にあるとは思いませんでした」と言うと、パンフレットを手渡される。それにはちゃんと地図があった。最初にこれを受け取っていれば、もう少しバラエティのある温泉を楽しめたのかもしれない。

トラムに乗ってホテルに戻る。ドナウ川を巡る遊覧船と温泉で、いつの間にかお腹の調子も良くなってきたようだ。

 

西洋美術館と恐怖の館。心も体もネガティブになってしまった

76日(土)、10時半に起きる。明後日ウィーンに帰る列車の予約をした方がいいと思い時刻表とにらめっこ。ブダペスト-ウィーン間なんて簡単だと思っていたら、なかなか複雑。3つの候補を選びメモする。夕方にこのメモとユーレイル・パスを持って駅に行き座席の予約をしよう。到着したのは「ニュガティ」という西駅だったが、今度のウィーン行きの列車は「ケレティ」という東駅から発車するので、間違えないようにしないといけない。

それからシャワーを浴び、12時に活動開始。昨日はブダ地区の王宮の丘に行ったので、今日は反対側のペスト地区の英雄広場にある「西洋美術館」に向かう。ホテルからデアーク広場まで歩き、そこからYellow LineM1」という地下鉄に乗る。ロンドンに次いで世界2番目に古い地下鉄とのことで、車両も3両きりないヴィンテージ電車。と言っても、最近新しく古さを感じさせるようにリニューアルしたものだと言う。

この地下鉄はアンドラーシ通りの下を走っている。『地球の歩き方』によれば、アンドラーシは19世紀後半の首相の名前だが、スターリン通り、ハンガリー青年通り、人民共和国通り名前を変えてきたと言う。まさに通りの名前の変遷を見るだけで、いかに歴史の波にもまれ続けてきたのかがわかる。

地下鉄を降りると、だった広い英雄広場があった。

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そこを斜めに横切り「西洋美術館」へ。料金を払い、日本語のオーディオガイドも借りて中に入る。中世のゴシック絵画からエル・グレコラファエロレンブラントルノアールなどの名品が展示されている。キリストにまつわる宗教画もたくさんあったが、馬小屋での誕生から説教の場面、架刑、復活へと部屋が続き、とてもわかりやすい展示となっている。赤ん坊のキリストとマリア・ヨセフ夫妻が一緒に描かれた絵もあった。このマリアの夫のヨセフだが「キリストの父親」と書かれている本もある。だが、聖母マリアは処女でキリストを生んでいるので生物学上の父親ではない。このあたりが歴史書執筆の難しいところだ。私の『アダムのリンゴ』では、いろいろ考えあぐねた末「養父ヨゼフ」とした。

マリアが赤ん坊のキリストにワインを飲ませる絵もあった。今の日本なら「虐待」ということで児童相談所に通報されてしまうだろう。それで思い出したのだが、フランスでは小学校の給食にワインが出るという話を聞いたことがある。私の知り合いの大学教授はフランスで子供を小学校に通わせていたのだが、先生に「日本では子供がアルコールを飲むことが法律で禁止されているので、うちの子供にはワインは出さないでほしい」と手紙を出した。そうしたら翌日から、その子だけビールが出たと言う。

いまではそんなことはなくなっていると思うが、酒が飲めない私だったったら、学校に行くのが苦痛になったかもしれない。昔、給食が食べられない生徒に「食べるまでは家に帰さない」と完食することを強制した先生がいたが、私なら「ワインを全部飲むまでは家に帰っていけない」と言われ、拷問のような苦しみを味わっていたかもしれない。

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ブリューゲル作だと思うが「村の祭り」という絵もあった。どこかで見た絵なのだが思い出せない。ひょっとしたら、テレビ東京の「美の巨人」で見たのかもしれない。

 

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クラナッハの「サロメ」もあった。男の生首をお盆に載せている絵だ。これも実物をどこかで見たことがある。上野で開催されていた「クラナッハ展」か「怖い絵」展がどちらかだろう。

この画家はザクセン選帝侯のお抱え絵師だった。マルチン・ルターもそのザクセン選帝侯のもとでラテン語の聖書をドイツ語に翻訳した。2人は親友だったと言う。ところで、この「選帝侯」(わたしはつい「帝選侯」と言ってしまう)とは何かと言うと、神聖ローマ帝国皇帝選出のための投票権を持つ地位の高い諸侯のことだ。とても難しい日本語だが、英語にするとelector。「選ぶ人」という意味だが、英語になるとすごく簡単になる。

3時間ほど日本語の音声ガイドを聞きながら名品をゆっくり鑑賞する。団体旅行だったら、こうはいかない。美術館を代表する絵を数点だけ見て次を急ぐのだろう。私は本当に贅沢な旅をしている。

4時半になった。地下鉄で2駅戻り「恐怖の館」に入る。第二次大戦中ナチス・ドイツを支援した政党「矢十字党」の本部が博物館になっていると言う。ソ連の影響下にあった共産党時代にはハンガリー秘密警察の本部として使われていた。ソ連に反逆しシベリア送りとなって強制労働をした人、秘密警察に捕まり激しい拷問を受けた人など、数多くの人の証言がビデオで再生されていた。地下には牢獄や拷問部屋もそのまま残っていた。特にスターリン時代が最悪だったようだ。

残酷な人生を生き抜いた人の証人はハンガリー語だが、英語の字幕が付いていたので、じっくり時間をかけて読んでいると、「6時に閉館しますので、お急ぎください」とスタッフに声をかけられる。「あと30分です」。10時半に起きて明後日の列車の便を選び、それからシャワーを浴びていたのでは仕方がない。またもや自己嫌悪に陥る。6時ギリギリまで粘って見学を終え外に出た時、もっと自己嫌悪に陥る、ある事実に気づいた。

私は「ブダペスト・カード」を持っている。ということは、さっきの「西洋美術館」もこの「恐怖の館」もカードを提示すれば料金を払わなくてよかったのだ。2500円ほど損をしている。ウィーンとザルツブルグでは交通機関と博物館が無料になるカードを買った。プラハとベルリンでは交通機関だけに使用できるカード。ワルシャワクラクフではパスはなく全部現金だった。カードを持っているのに、何でお金を払ってしまったんだろう。何か判断がおかしくなっている。1か月に及ぶ旅の疲れが出ているのだろうか? 

ハンガリーの暗黒の歴史に、払わなくてもよかった入場料を2つの施設で払ってしまうというとんでもないミスが重なる。沈んだ気持ちで地下鉄乗り「ケレティ」というハンガリー鉄道の東駅に向かう。チケット売り場に並ぶ。そこにはスクリーンがあり、これから発車する全列車が表示されていた。ウィーン行の国際列車もある。この窓口で大丈夫だろう。10分ほどで私の番が来て窓口に行くが、「インターナショナルの窓口はここではありません。階段を上がって左に行ってください」と言われる。これで何度目だろうか?

インターナショナルの窓口に行き、明後日の列車の予約を完了。1か月に7回使える私のユーレルパスも、これで最後となると思うと感慨深い。

夕飯のパンを買ってホテルに帰る。いつもすぐに夜中まで寝て、深夜に起きて明け方までブログを書いているのだが、今晩はどうもお腹の調子がおかしい。何度もトイレに駆け込む。昨日、小さなスーパーで買ったペットボトルの水がものすごくまずかった。何か水道水のような味がした。使い古しのボトルを洗浄して水道の水を入れて売っていたのではないか、などと思考がどんどんネガティブになってしまう。そんなことはあり得ないのだが・・・。

スーツケースの奥底にしまってあった「正露丸」を取り出して飲む。日露戦争の時に、兵士の下痢止めのためにつくられた薬だと聞いたことがある。だからもともと「征露丸」だったと。トイレで苦しんでいると、「恐怖の館」で聞いたシベリア送りになった人の証言が蘇った。

 

王宮との漁夫の砦、そしてアニメオタクのハンガリー人

75日(金)、いつものように明け方までブログを書いて11時に起きる。ブタペストの街を観光する予定だが、またいつものように出遅れてしまった。

ブダペスト」は「ブダ地区」と「ペスト地区」が一緒になってこんな名前になったということはご存じの方も多いと思う。だが、英語では「ビューダパスト」と発音するということを知っている人は、それほど多くないのではないだろうか? このようにヨーロッパでは都市をいろんなふうに呼ぶ。「パリ」は英語で「パリス」、「ローマ」も「ローム」となることは知っていても、「ウィーン」は「ヴィエーナ」、「プラハ」は「プラーグ」、「クラクフ」は「クラコー」となる。一番離れていると思うのが「ミュンヘン」と「ミュニック」だ。

ホテルのフロントで「ブダペスト・カード」を購入。これがあれば、市内の地下鉄やバスに乗る時にいちいち切符を買わなくていいし、博物館にも無料で入れる。ウィーンやザルツブルグにもそんなパスがあったが、いちいち観光案内所を探し歩いて購入しなければいけなかった。ホテルのフロントで買えるのはありがたい。こういうのを「おもてなし」の精神というのだろう。東京にもそんなパスがあって、身近なところですぐに買えるようになっているのだろうか? 

72時間有効のブダペスト・パスを購入しようと思い、フロントでいろいろ聞くがどうも要領を得ない。年輩の男性だが、新人だろうか? 何か頓珍漢だ。日本円換算で6000円もするのだから、本当に得をするのか、支払った分を取り戻せるのかよく考えないといけない。

「王宮に入るにもこのパスが使えるんですね?」と聞くと、「あそこはフリーだ。広場になっているから誰でも自由に入れる」と言う。「私は王宮にある美術館や博物館に入りたいんです。このパスがあればフリーですよね?」と聞くと、「それはよくわからないから、そこに行って聞いてほしい」と言う。それでは困る。もし使えなかったら、このパスを買う意味がない。差し出されたパンフレットを見ると「13の施設で使える」となっているではないか。

「地下鉄やバスでも使えますね」と聞くと、「このパスは市内だけだ。川の向こう側は市外だからダメだ」と言う。そんなわけがない、絶対に嘘だ。売る方も正しい知識を持ってほしい。とにかくパスを買って街に出る。

ブダペストでは、ポーランドでは使えなかった「SIMカード」も復活し、iPhoneの地図も使えるようになった。行く場所をインプットすれば、そこまでの行程も出てくるようになった。本当にありがたい。

カフェで朝食を食べて、街の中心のデアーク広場まで歩く。王宮は川を渡った向こう側の「ブダ地区」にある。観光名所の「くさり橋」を渡って歩いていこうと思っていると、広場の真ん中の小さなカウンターでブダペスト・カードを売っている若者が2人がいた。パスを見せて「ホテルのフロントで買ったんですが、王宮の博物館でこれ使えますよね?」と聞くと、「大丈夫です」と言い、すぐに「道の反対側で16番のバスに乗ってください」と教えてくれた。毎日、石畳の歩道を歩き、脚にかなりガタがきている。ブダペストではできるだけ交通機関を利用するようにしよう。

早足で歩くと、ちょうど16番のバスが停まっていた。運転手にパスを見せ、王宮に行くか確認して座席に着く。すぐに発車。丘の上に王宮が見えてくる。「くさり橋」を渡ると、ほんの数分で王宮の下のバス停に到着した。

ロータリーの反対側にも多くの人がいたので、そっちに行ってみようとも思ったのだが、ほとんどの人が近くの階段を登り始めたので、それについて行く。

丘の中腹まで来ると展望台のような平地があった。そこからブダペストの街並み見下ろせる。すると、その展望台の下の方からケーブルカーが登ってくるではないか。そうだ、ケーブルカーがあったんだ。すっかり忘れていた。バスを降りた時、ロータリーの反対側にたくさんの人が見えたが、このケーブルカーに乗る人たちだったんだ。一瞬坂を下って駅に戻ろうかとも思ったのだが、帰りに丘を下るケーブルカーに乗ることにする。坂を登りきると、そこが「王宮の丘」だった。ちょうど真下に「くさり橋」が見下ろせる。美しい町並みが遠くまで広がる。さすが“ドナウの真珠”と呼ばれるだけのことはある。

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この「王宮の丘」にはブダペスト歴史博物館と国立美術館がある。まず歴史博物館に入る。王宮の増改築やブダペストの栄枯盛衰の歴史を知ることができる。古代ローマが一番広がった時の地図もあり、じっくり見入ってしまった。もちろんこの地も古代ローマの属州だった。よくここまで広範な地域を治めたものだ。ハドリアヌスという皇帝がブリテン島に長城を築いた。これは北に住むピクト族の侵入を防ぐためだと言われているが、見方を変えれば、これ以上広くなるとローマの権威がすみずみまで及ばなくなり、それがほころびとなって国自体が崩壊に向かう。その限界を皇帝自らが示すという意味もあったとされている。

次に国立美術館へ。中世から現代までのハンガリー美術が展示されている。どうも私は中世のバロック絵画が好きになれない。人物は無表情で堅苦しい。それが15世紀になりルネッサンスの時代になると、人物の表情も生き生きとしてきて自然描写も美しくなる。

f:id:makiotravel:20190707121543j:plainいつものように12時からのスタートで出遅れたが、この2つのミュージアムが見られたことで、どうにかこうにか辻褄があった感があった。だが、この丘の上には「マーチャーシュ教会」と「漁夫の砦」という観光名所もあるらしいので歩いて行ってみることにした。

少し坂を下がると、白いとんがり屋根がいくつか見えてきた。階段を上がると、広場の前に大きな教会があった。それがマーチャーシュ教会だった。「Fiehsrmen’s Bastion Ticket」(漁夫の砦のチケット)と書いた看板があったので窓口に行くと、もう教会の見学は終了してしまったが、漁夫の砦はまだ入れると言う。そこだけに入ることにした。この砦は教会と同じ人物の設計。ここに魚の市があったこと、この要塞を漁師の組合が守っていたことでついた名前だと言う。純白の、おとぎ話のお城のよう。尖塔と尖塔の間を回廊が続く。ここからの眺めもすばらしい。

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しばらく教会前の広場をうろついていると16番のバスの停留場があることに気づいた。そこで待っていると、すぐにバスが来たので乗り込む。丘の裏側にまわりトンネルをくぐる。どうやら王宮の丘の下をくりぬいてつくったトンネルらしい。そのままくさり橋に出て川を渡りペスト地区の公園に戻った。そこから地下鉄に乗ろうと思ったのだが、あまりにも素敵な宵だったので、歩いてホテルに帰ることにした。

夕飯はどうしようかと考えていたら「ケンタッキー・フライド・チキン」の看板があった。「地下鉄駅のEXIT」とある。チケットに刻印するパンチする機械の近くにあるんだろうと思い地下の通路への階段を降りるが、どうもそこにはありそうもない。「EXIT」と言うのは階段を上がった地上出口のことなのだろう。

その時「May I help you?」と声をかけられた。若い女性だった。「ケンタッキーを探しているんです」と言うと、「This way」と言って階段を登り始めた。「Where are you from?」と聞かれたので「Japan」と答えると、突然「ホントですか?」と日本語で大声を出した。飛び上がらんばかりに喜んだという表現があるが、彼女は本当に飛び上がった。嬉しさを顔いっぱいに浮かべながら。

ハンガリー人だと言う。「ワタシ、日本のアニメが大好きです。『ナルト』も『ワンピース』も好き、でも『ドラゴンボール』が一番。将来マンガ家になりたい。ハンガリーのマンガは子供みたいでまだまだダメ。その夢を叶えるために、いつかニッポンにも行ってみたい。でもニホンゴまだまだ」とブロークンな日本語ながらも情熱的にまくしたてる。「私はマンガには詳しくありませんが、もともと出版社に勤めていて編集者だったんです」などと、いろいろな話をしていたら15分も経っていた。

こんな日本マニアの人が本当にいるんだ。「YOUは何しにニッポンへ」や「ニッポン行きたい人応援団」などテレビ東京の番組で紹介される、数少ない特別なガイジンかと思っていたのだが、やっとホンモノに出会えた。彼女は名残惜しそうに去っていったが、偶然出会った人だと言うのに、いつかその夢を実現してほしいと心から思った。

私はケンタッキーでチキンウィングを買ってホテルに戻った。昼から活動を開始した割には「王宮の丘」のほとんどの施設に入ることができたし、アニメオタクのハンガリー人にも会うことができた。まあ、今日はこれで良しとしよう。

 

 

9時間がアッという間。クラクフからブダペストへの列車の旅

74日(木)、朝830分に起き1階のダイニング・ルームで朝食。今日はクラクフからブダペストに行く。列車で何と9時間もかかる。おまけに寝台車を除いて直通は11本なので、絶対に遅れることはできない。

身支度を終えパッキングも済ませ10時にフロントに降りる。列車の時刻は1020分。すぐ駅前のホテルなので、遅れることはないと思うが、海外ではどんなハプニングがあるかわからない。

フロントには男性がひとりいたが、電話で誰かと話している。宿泊客だろう。それがなかなか終わらない。いらいらして待つ。日本なら2人体制で、どちらかがチェックアウトの手続きができなければ、もう1人がカバーするところだろう。5分経ってやっと電話を切った。もう15分きりない。

スーツケースを転がして駅まで走る。電光掲示板で何番線か見ると「5」と言う数字。一番遠いホームだ。もう列車は停まっていた。これまではファースト・クラスだったが、今日は全車両が2等車になっている。乗り込んで席を探す。コンパートメントの中には6つ座席があった。進行方向前向きだが、3人掛けの一番真ん中。テーブルは窓側の席の前だけにある。これではパソコンを開いてブログを書けそうにない。一昨日、ワルシャワからクラクフに来た時には、何と無料の食事のサービスもあって優雅な列車の旅だったが、今日はちょっと窮屈な旅になりそうだ。

コンパートメントには先に女性が入っていた。大きなバックパックを上の棚に載せようとしている。片方を支えて一緒に押し上げる。私の重いスーツケースは通路に置こうかと思ったが、通る人の邪魔になるので、どうしようかと迷っていた。躊躇していると、彼女が「それも載せましょう」と言って、一緒に棚に上げてくれた。今回の旅でスーツケースを棚に載せたのは、これが初めてだった。

彼女はオランダ人。とてもしっかりした感じの女性だったが、まだ学生だと言う。2人で話をしていると、コンパートメントに男女の若いカップルが入ってきた。男の子は両手にコーヒーカップを持っている。彼らもそれぞれ大きなバックパックを持っている。奥のオランダ人の女性が女の子のバックパックを持ち上げて、どうにか棚に載せた。私はまだ通路にいた男性に「せめて私はコーヒーを持っていてあげましょう」と言い、両手でカップを受け取った。カップルは2人でもうひとつのバックパックを棚に載せた。

列車は走り出した。座席の下にコンセントがあるか探してみたが、みつからない。通路にはあったが、パソコンの絵には×がついている。ということはiPhoneも充電できず音楽も聴けない。駅に着いたらiPhoneの地図でホテルを探さなくてはならない。充電が切れていたら面倒だ。iPhoneの電源をオフにする。でも列車でパソコンやiPhone以外に充電が必要な物って何だろう? 

男の子はイギリス人でリーズに住んでいると言う。女の子の方はポーランド人。2人ともまだ若い。私が日本人だと言うと、カップルの女の子が「友達が今度日本に行くんです。とても楽しみにしているようですよ」と言う。

ブダペストまでは9時間もある。私は「9時間と言うと、LAから東京までの飛行時間と同じですね」と言うと、イギリス人が「飛行機で東京までどのくらいかかるんですか?」と聞く。「私はウィーンからモスクワ経由で帰るんですが、まずウィーン・モスクワが3時間、東京まではさらに9時間です。そう、まさにこの列車と同じ時間です」と答える。

去年の夏、イギリスに行ったという話をする。「妻が1か月、ボンマスの英会話学校に行っていました。学期が終わる直前に私も合流して、一緒にエジンバラまで飛行機で飛んで、そこからネス湖ハドリアヌスの長城があるカーライル、湖水地方ウィンダミアまでドライブしたんです。ラウンド・アバウトがあって、何度も道に迷って大変でした」。女の子が私に「英語が上手ですね」とお世辞を言ってくれる。「ホリデイなんですか?」と聞かれたので、「去年4月に勤めていた出版社を定年退職しました。ですからeternal holiday(永遠のホリデイ)なんです。

実は、私はライターで、『アダムのリンゴ』という本を書いています。副題は『歴史から生まれた英語』です。古代ギリシアから現代のIT用語まで歴史から生まれた英語表現を紹介した本です。特に『ノルマン・コンクエスト』に興味があって、去年も妻と合流する前にヘイスティングスに行きました」と言うと、男の子が「バトルにもいったんですか?」と聞く。「ええ、1066 Battle Museumは素晴らしい野外博物館でした」と答える。

オランダ人の彼女も興味深そうに聞いている。「ああ、そうだ。英語の『gas(ガス=気体)古代ギリシアの神『Chaos』(カオス=混沌)をヒントにしてオランダ人の化学者が創った造語だって知ってましたか?」。「えっ、そうなんですか?」と彼女が言うので、「オランダ語でカオスを発音してみてください」と言うと、彼女は「ガォス」と発音する。「ね? ガスに似てるでしょ?」というと、「なるほど本当にそうだわ」と顔を輝かせた。

列車が走り始めて1時間半ほど経ってトイレに行った時に、隣のコンパートメントには誰もいないことに気づいた。コンパートメントに戻り、3人に「隣は誰もいないので、少し寝てきます」と言うと、みんな頷く。私もだんだん厚かましくなってきたようだ。

2時間ぐらいコンパートメントを独り占めして3人掛けの座席に横になっていると、列車が停まったようだ。体を起こすと、なかなか大きな駅だった。ガシャンという音がしてショックを感じた。他の車両とドッキングしたようだ。3日前に時刻表をチェックした時、私は別の列車でこの駅まで来て、ここでブダペスト行きに乗り換えると思っていた。だがチケット・カウンターでは「直通があります」と言われた。

理屈がわかってきた。私が乗った列車はクラクフを出発したが、それより何時間か前にワルシャワを出た列車はクラクフで停まらずに先にこの駅に着いていた。ここでは私自身が列車を乗り換えるのではなく、私がクラクフで乗った列車が、そのままワルシャワ発・ブラペスト行の列車に連結されたのだ。

私が寝ていたコンパートメントにおばあさんが入ってきた。私はしばらくそのまま座席に座っていた。もう「ハンガリーとの国境を越えたのですか?」とそのおばあさんに聞くと、「いいえ、チェコに入りました」と言う。国が変わるたびに車掌も変わる。その度に検札がくる。私がユーレルパスと予約券を渡すと、違うコンパートメントの違う座席に座っているのに、何も言わずに返してくれた。

また何時間か走った。途中の駅でものすごい数の人たちが乗り込んできた。通路まで一杯になったので私の本来の自分の席に戻った。4時になった。私もさすがにお腹がすいたので、カップルの男の子に「この列車にはレストランが付いているんだよね?」と聞くと「Yes」と答える。「ちょっと食堂車に行ってくる」と言い、バックパックを背負って4つ前の車両に向かう。通路や連結部分まで人で一杯だった。荷物をどかしてもらい、床に座り込んでいる人には立ち上がってもらって通路を進む。人がぎゅうぎゅう詰めで通れそうもないところもあった。もう食堂車に行くのを断念しようと思ったが、ここはヨーロッパ。遠慮していたら何もできない。謙譲の精神が尊ばれる日本ではない。大声で「レストランに行きます。通してください」と言って、どいてもらう。

途中からはファースト・クラスになっていた。この車両がワルシャワから来たのだろう。そして私がクラクフから乗った2等車がそれに連結したのだ。やっとのことで食堂車に到着。空いていた。ほんの数人が食事をしたり飲み物を飲んでいるだけだった。中にはビールやシャンペンを飲んでくつろいでいる人もいる。

私はボルシチ・シチューを注文し、パンとコーヒーも付けてもらった。座席の横にコンセントがあった。パソコンに×のマークは付いていない。バックパックからコードを出しiPhoneにつなぐ。これで充電切れの心配もなくなった。イヤホンで音楽を聴きながら外の景色を眺める。本当にきれいな田園風景だ。何時間見ていても飽きることはないだろう。到着までまだ4時間もある。ゆっくりシチューとパンを食べる。コーヒーも5分に一度口をつけて啜るくらいのペースでゆっくりと過ごした。

食堂車には1時間ほどいただろうか? コンパートメントに戻ると、オランダ人の彼女はサリンジャーの「ライ麦畑でつかまえて」を読んでいた。表紙のタイトルがオランダ語ではなく英語だったので私にもわかった。彼女は本を閉じると、今度はリンゴを齧った。かなり倹約しているようだ。私も見習わなければいけない。

3人とまたいろいろな話をしていたが、そのうちにカップ2人が誰か知り合いに似ていると思い始めた。誰だろう? そうだ。イギリス人の男の子はNHK大河ドラマの歴史考証を長年やっていた(まだやっているのかな?)大森洋平君に、ポーランド人の女の子は私が勤めていた出版社で同僚だった編集者の小沼智子さんに似ている。といっても、誰だそれ?と言う人も多いだろうが・・・。

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2人に許可をもらって写真を撮る。ブログに載せてもいいと言う。「残念ながらtextは日本語なんだ。でも写真だけ見てね」と言って、名刺にこのブログのURLを書いて手渡す。もちろんオランダ人の彼女にも。

列車は7時半にブダペスト駅に着いた。「9時間がちっとも長く感じなかった。それもみなさんのお陰です。ありがとう」と言って、私は3人と別れた。本当に楽しい列車の旅だった。

入場券購入に1時間のヴァヴェル城、シンドラーの工場はSold Out

73日(水)、夜中に起きて朝6時までブログを書き、そのまま朝食を済ませてヴェアヴェル城に行こうと思ったが、9時まで3時間寝ることにした。昨日会った日本人から「ヴァヴェル城には早朝に行った方がいいですよ」と言われたが、まあ11時を目指していくことにしよう。本当にいつものことながら根性がなくて自己嫌悪に陥る。でも、こんなふうに無理をしないから、どうにか体が持っているいのかもしれない。

9時に目覚ましが鳴ったが、どうしても起きられない。そのまま寝る。気づくと1010分。チェックインの時に「朝食は630分から1030分まで」と言われた。大急ぎで着替え、1階のダイニングルームへ。もう片づけが始まっていたが、ウェイトレスに部屋のキーを見せて「10分で食べますから」と言って、大急ぎで食べる。

部屋に戻り支度をし、1130分にヴァヴェル城に向かって歩き始める。公園を抜け、街中の石畳の歩道を早足で歩くこと30分、お城が見えてきた。

17世紀にワルシャワに遷都するまで、クラクフポーランドの都だった。王様はこのお城に居を構えていた。日本で言えば、京都のようなところだ。だが、この街は一時オーストリアの領土となったこともあったと言う。中欧の街はみな波乱万丈の歴史に彩られている。

城内へと続く坂を登って行くと、長い行列があった。一番後ろに人に「チケットを買うための行列ですか」と聞くと「そうだ」と言う。列の長さは30mメートル。恐らく50人ほどが並んでいるが、窓口はたったひとつ。昨日会った日本人が「早朝に行った方がいい」と言った理由は、これだったんだ。自分の順番が来るまで1時間、いや1時間半かかるかもしれない。

ふと、場内にもチケット・カウンターがあるかもしれない。先に行ってみて来ようかとも思ったのだが、もしなかったら、またこの列の最後尾に並び直さなければならない。その間に列はどんどん長くなってしまうのだろう。妻や友達と一緒なら、ひとりが先を“偵察”し、他の人が列に並び続けることもできるが、私はひとり。仕方なしに列の最後尾で、じっと順番を待つことにした。本当に合理的ではないと思うが、考え方を変えれば、こうやって“入場制限”をしているのかもしれない。

なかなか列は進まない。ひとりチケットを買うのに数分かかっている。行列から離脱する人も出始めた。3人とか多い時には7人くらいが諦めて、門をくぐり城内に入っていく。中庭を散策し、建物に入らなくとも外から見るだけでも十分だと判断したのだろうか?

そこに突然、女の人が2人行列に並ばずに窓口に向かって行った。一番先頭に割り込み、何か窓口で話を始める。そのまま15分ほど、まったく列は進まなくなった。先ほど買ったチケットに不備でもあり、文句でも言っているのだろうか? すぐ後ろの人も自分の順番の直前で割り込まれたのに、文句も言わず淡々と待ち続ける。

やっと私の番が来た。窓口の上の表示を見ると、小さく「チケットは城内の案内所にある3つのカウンターでも購入できます」と書いてある。何だ! この先の窓口で買えば、こんなに待たずにチケットを買えたんじゃないか! だったら、誰にでも見えるところに大きな看板を出しておくとか、他の係が列に並んでいる人に大声を出して知らせるという方法もあるだろう。なぜ、そういうことを考えないのだろうか? 訪れる人にこんな苦痛を与えず、少しでも喜んでもらうという「おもてなし」の心はないのだろうか?

私は怒りを隠して、「シニア料金はありますか?」と聞いた。「パスポートはホテルに置いてきてしまいましたが・・・」と言うと、私の歳を尋ね「シニア料金でいい」と言ってくれる。いくつかの建物があって、自分が入りたいものを選べるらしい。私は王の居室だった「State Room」、昔の城跡の遺跡「Lost Wawel」(ヴァヴェルはこう綴る)、「Tower」(塔)に入るチケットを買った。

State Room1時間ほどかけゆっくり見学。Lost Wewelはサッと駆け足で。ところがTowerの場所がわかならない。30分ほどうろついて、とうとう城の周りを1周してしまった。チケットの地図をじっくり見て、場内の標識の矢印の通りに進むのだが、その矢印が途中でなくなってしまう。カフェがあり横の細い路地を抜けると、その「塔」はあった。上に昇って街の写真を撮り、大急ぎで中央広場に向かう。

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また道に迷い30分歩くと、思いのほか広い広場があった。以前は市庁舎だったという塔、立派な外観の教会、中央には布の取引が行われていたという「織物会館」という建物もあり、その通路の両側には土産物屋が並んでいた。

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しばらくその広大な広場をうろついていると、観光案内所があった。「オスカー・シンドラーの工場に行きたいのですが、路面電車の停留所はどこにありますか?」と聞くと、地図を差し出して印をつけてくれた。「ここで78番の路面電車に乗ってください」と親切に教えてくれる。

停留所に向かって幾つものカフェが並ぶ歩道を歩いていると、看板にポーランド料理の写真があった。これまで土地の名物料理を食べていない。そこにいたウェイターに声をかけると、白いテントの下のテーブルに案内してくれた。メニューに写真があった。丸く切り抜いたパンの中にスープが入っている。クラムチャウダーのような食べ物だ。コーヒーも一緒に注文する。普通のコーヒーのことを「レギュラー・コーヒー」と言っても通じない。「カフェー・アメリカーノ」と言うとわかってもらえる。

ポーランドの名物料理の丸いパンが出てきた。蓋を取ると、スープの中にはゆで卵が入っている。丸く切ったソーセージも。このソーセージを貝にしたら、そのままクラムチャウダーになる。パンはちょっぴり酸味がかっているが、それがスープをさらに美味しくしていた。スープを全部飲みパンは底だけを残した。残り少ないポーランドの通貨で支払い、チップを置いて、路面電車の停留所に急いだ。

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三叉路で停留所は3つあった。全ての停留所にチケットの券売機があるわけではない。一番人の多いところに行くと、やはり券売機があった。言語を英語にするが、どうしても最後がポーランド語になってしまう。シニアだから一番安い料金だと思ってそれを押すと、コインが戻ってきてしまう。近くにいた人に聞くと、これは「チャイルド」だと言う。もう一度コインを入れて「大人」らしきボタンを押すが、どうしてもコインが戻ってきてしまう。クレジットカードで払おうと、ポケットをまさぐっていると、横にいた人がコインがおかしいのかもしれない、と言って、私のコインを細かくしてくれた。それを入れてみると、チケットが出てきた。本当に世の中には親切な人が多い。

78番の路面電車が来た。降りる停留所の名前を書いたメモを片手に、iPhoneで目的地の「オスカー・シンドラーの工場」という博物館に対して自分の位置がどう移動しているかを確認。橋を渡った先の停留所から歩いて15分ほどだと言う。停留所の表示がどうもはっきりわからない。車内には電光掲示板のスクリーンがあるのかもしれないが、一番前に座ってしまったので、それも見えない。アナウンスはあるのだが、何を言っているのかさっぱりわからない。

私の位置が目的地からどんどん遠ざかっていくので、そこで降りる。どうやらひとつ先に来てしまったようだ。戻る電車に乗ろうか、歩こうか迷った。停留所の小さな電光掲示板に78番の電車が来るのが「7分後」という表示があったのだが、歩いていくことにした。

例によって道に迷いながらまた数十分、やっとのことで「シンドラーの工場」にたどり着いた。中に入ると、多くの人でごった返していた。チケットを買うために列に並んでいると、窓口の係員が「Sold Out」という札を出した。せっかく苦労してここまでやって来たのに。今日は夜8時までやっているはずだ。まだ3時間ある。なぜなのだろうか? 私の番が来たので聞いてみたが、とにかく「今日はメインの見学コースのチケットは売り切れ」の一点張り。「ただもうひとつ展示があり、そこは見ることができる。ものすごく小さな展示だ」と言う。仕方ないので、そこだけ見ることにした。ものの23分でそこを見る。シンドラーにはまるっきり関係ない展示だった。なぜチケットが売り切れになってしまったのか、その疑問を抱えたまま外に出る。

停留所に着いて、さてどうやって駅前のホテルに戻ろうかと考えていると、ホテルの近くを走っていたのと同じ番号の路面電車がやってきた。もし反対方向に行ってしまったら、また戻ればいいだけだ。その路面電車に飛び乗ると、ホテルの近くの公園が見えてきた。

もう私の人生でクラクフを訪れることはないだろう。やはりせめて「シンドラーの工場」は見学したかった。アウシュビッツ行きを断念したからなおさらだ。やはり早朝から動くべきだったのだ。だが、名所旧跡の見学とブログ執筆をどうやって両立させたらいいのだろうか?

 

クラクフまでの列車の旅。ファーストクラスは食事付き

72日(火)、今日は列車でワルシャワからクラクフに行く。だが、どうも昨日の夕方行ったのはワジェンキ公園ではないらしい。私が撮った建物の写真は『地球の歩き方』にあるワジェンキ宮殿とはまるっきり違っている。せっかく脚を棒のようにして行ったのに悔しい。やはりリベンジしなければ・・・。

そう思って10時に起き、12時にホテルをチェックアウト。スーツケースを預かってもらって、もう一度ワジェンキ公園と宮殿に行くことにした。列車は150分発。ホテルと公園を往復すると1時間。1時にホテルを出れば、40分で中央駅に着くだろう。発車10分前だ。

ホテルから歩いて30分で本当のワジェンキ公園の入口に、そこから宮殿を目指すがなかなか着かない。着いた時には1245分になっていた。宮殿の正面にまわり写真を撮ってすぐに引き返す。

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早足で歩き、ホテルに戻ったのは115分。列車の時間まで35分ある。間に合わないことはないが、微妙な時間だ。もう十分に知っている道だが、駅に着いてもそのまますぐにプラットフォームに行けるかどうかわからない。とにかく駅の構造が日本では考えられないほど複雑なのだ。何かハプニングがあるかもしれない、汗びっしょりになって列車に飛び乗るのは避けたい。何も自分自身で危機をつくり出す必要はないではないか?

そんなことを考えた末、駅までタクシーで行くことにした。ストレージルームからスーツケースを出してくれたホテルのベルボーイに、タクシーで駅まで幾らかかるか聞いたら、「自分もわからないので一緒に行って聞いてみましょう」と言ってくれる。スーツケースを転がしてもらって外に出ると、何人かのタクシー運転手がたむろしていた。ベルボーイが幾らか聞くと、ひとりが「40ズウォテイ」と答える。私はその運転手に「100の札きりないんですが、60お釣りはもらえますか?」と聞くと、「別に駅まで100でも構わないよ」と言う。私が「もしTokyoまで行ってもらえるんなら、100でいいですよ」と言うと、他の運転手たちも声を上げて笑った。

私は自分でタクシー運転手と交渉してもよかったのだが、そこにホテルのベルボーイを絡めたのには理由がある。もし降りる時になって「やっぱり60だ」と言われるかもしれない。日本ではありえない話だが。乗る前にお釣りがあるか聞いたのも、「お釣りがないので、そこのキオスクで細かくしろ」などと言われ、チョコかガムでも買っている間に料金がどんどん上がってしまう場合もある。そんな事態を避けるためにホテルのスタッフにも同行してもらったのだ。ホテルと運転手は持ちつ持たれつ。もしホテルの客からクレームでもあったら、彼らはやっていけない。

そうだ、タクシーと言えば、こんな話がある。私の息子はバックパックを背負って世界一周をした猛者だが、イスラエルエルサレムから死海にタクシーで向かったのだと言う。公共の交通機関がなかったからだ。乗る前にある額で合意して行ったのだが、途中で運転手が「この料金ではここまできり行けない。さらに先に行くのなら、もっと金を出せ」と言い始めた。息子は「約束が違うじゃないか」と怒り「だったらもういいよ」と言ってタクシーを降りてしまった(ここまでの料金は払ったのか聞いていない)。

何もない砂漠の道を延々と歩いて行くと、バスが何台も停まっているサービスエリアがあった。ほとんどが団体客を乗せている観光バスだ。ひとりの運転手に事情を話し、「お金を払うから死海まで乗せていってくれないか」と頼むと、「お金なんかいらないよ。乗って行きなよ」と言って乗せてくれたのだと言う。かくして団体観光客にひとりだけ全く関係のない日本人が交じってバスは死海に着いたのだった。私にはない、すごい交渉能力だ。

さて、話はワルシャワ中央駅に戻る。ホームは3番線。発車20分前。まだ列車は来ない。車両の編成を見ると、先頭にファーストクラスが1台、その後に2等車の車両が5台続いていた。私は先頭のファーストクラス。しかもその一番前のひとり掛けの座席だった。横にはスーツケースが置けるが、走り出してみて進行方向後ろ向きだということに気づく。景色が後ろに流れて行く。列車に酔わないか心配になったが、特に問題はなかった。

食堂車の女性スタッフがメニューを持って来た。席まで料理を届けてくれるらしい。メニューの料理は3つきりだが、値段が書いてない。ファーストクラスの乗客へのサービスとあるが、絶対に高いに違いない。

スタッフが注文を聞きに来たので、「いりません」と断ろうと思ったのだが、念のため「いくらなんですか?」と聞いてみた。後でお腹がすいてどうしようもなくなったら、食堂車に行ってみようとも考えていたからだ。すると彼女の口から思ってもみない言葉が飛び出した。「フリーです」と言うのではないか! タダ? だったら話は別だ。私は一番高そうなポーク料理を頼んだ。

しばらくすると、今度は男性が飲み物の注文を取りにきた。私はコーヒーと、おまけにアップルジュースも頼んだ。もちろんこれもタダだろう。30分も経った頃、食事が運ばれて来た。思ったよりも量は少なかったが、まあ無料なら文句はない。車窓を流れる景色を眺めながら、ゆっくりと食事を楽しむことができた。

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ホテルから駅までタクシーに乗ってしまった。歩いて来れたのに散財してしまったと自己嫌悪に陥っていたのだが、まあ量は少ないが、タダでお昼が食べられたのだから、これで帳消しということにしよう・・・と自分で自分を納得させたのだった。

415分、列車はクラクフの駅に着いた。駅の横に大きなショッピング街があった。その中に観光案内所もあるらしい。市街地図をもらおうと思っていろいろ探したが、例によって場所がよくわからない。矢印があるのだが途中でなくなってしまう。

仕方なしに駅のすぐ隣にあったホテルに行きチェックイン。ベッドに横になりながら、いつものように『地球の歩き方』でクラクフの観光名所をチェック。普通なら日本を発つ前にやっておくことを、今この街に着いてからやっている。本当にいい加減だ。

「ヴァヴェル城」というお城がある。これは絶対に外せない。アウシュビッツへの半日ツアーもあるらしいが、2泊で真ん中の1日だけ観光に充てるだけなのでちょっと無理。「シンドラーの工場」だったところが博物館になっている。街外れだが、アウシュビッツに行けなくても、せめてここには行ってみよう。

次は明後日に乗る列車のことを考えなくてはならない。時刻表でいろいろ調べるが、これは大変! ブダペストまでの直行便がない。朝4時発の列車なら直通で行けるようだが、こんな列車に乗るなんで私にとっては狂気の沙汰だ。結局、途中駅で乗り変えるしかない。でも1020分にクラクフを出るとブダペスト到着が午後720分。何と9時間も乗るのか? 成田とモスクワ、LAから成田までの飛行時間と同じだ。本当に我ながら、いい加減な計画を立てたものだ。発車と到着の時間をメモして、とにかく夕飯を食べに外に出る。明後日の列車の予約だが、とにかく明日は観光をしなければならない。列車の予約に避ける時間はない。

この時、ユーレルパスを持って行こうかと考えたのだが、バックパックはホテルに置いていくことにした。ユーレルパスをシャツのポケットに入れようとしたが、折らなければならない。かといって、大切なパスなのでズボンのお尻のポケットには入れたくない。結局パソコンと一緒に部屋のセーフティボックスに入れておくことにした。なくしてしまったら大変だ。

駅の近くのカフェでサンドウィッチにかじりついていると、男性ひとり女性2人の日本人が隣の席についた。「こんにちは」と挨拶し「もうクラクフは歩かれたんですか?」と尋ねると、「今日ヴァヴェル城に行ってきました。早朝に行かれた方がいいですよ」とアドバイスしてくれる。「ホテルから歩いて1時間もかかって行ったら、まだ開く前でしたが、もうチケットを買う人の行列ができてました」。

いいアドバイスをもらった、今回宿泊するホテルは朝食付きで、朝630分から1030分までだと言う。早朝ブログを書き終えたら、そのまま朝食を食べてヴァヴェル城に行くことにしよう。

カフェを出て駅に行く。また迷いながらチケットカウンターへ。10人ほどが並んでいた。15分ほどで番が来た。「明後日のブダペスト行き列車の予約をしたい」と言うと、「ここはdomestic(国内)です。別のところにinternational roomがありますので、そちらに行ってください」と言われてしまった。ワルシャワ中央駅では国内も国外も同じだったではないか。同じ会社ならシステムを統一しろよ!

やっとのことでinternationalのチケット売り場にたどり着いた。また列に並んで順番を待つこと30分、やっと私の番になった。「明後日のブダペスト行の列車を予約したい。ユーレルパスを持っているので、予約だけで結構です」と言うと、「ユーレルパスを持っていることを確認できないとダメだ」と言う。「予約だけはできない」と。

やっぱりユーレルパスが必要だったんだ。ちょっとした判断ミスが大変なことになるいい例だ。ものすごい時間のロス。リベンジだ。もうムキになって早足でホテルの部屋に戻り、バックパックにユーレルパスを入れると、すぐに駅に取って返した。

今度は20分ほどで順番が来た。先ほどの女性だ。私は皮肉を込めて「Hello again!」と言うと、ユーレルパスと私が乗りたい列車の時刻を書いたメモを渡した。私が時刻表で調べたところ乗り換えが必要だった。ということは2つの列車の予約をしなければならない。

彼女はしばらくそのメモを見ながらパソコンを叩いていたが、私の方を向いて「direct trainがありますよ」と言う。「ファーストクラスがなくてセコンドだけなのですが、よろしいですか?」といやに丁寧だ。「もちろん!」。私が調べた時刻とほとんど同じ時間だった。直通があるなら文句はない。ひとつの列車だけの予約でいいし、9時間かかるとはいえブダペストまで同じ席で座っていける。パソコンを出してブログも書くこともできる。お腹がすいても、きっと食堂車が付いている国際特急列車だろう。私が日本で買ったのは610日までのダイヤが載っている時刻表だった。きっと改訂されたのだろう。

リベンジを果たした私は、その予約券をバックパックに入れると意気揚々とホテルに引き上げた。

 

文化科学宮殿とユダヤ人博物館。ヒトラーから逃れソ連に保護を求めたユダヤ人もいた

71日(月)、今日も朝6時までブログを書き11時に起きて、12時にホテルを出る。明日列車でワルシャワからクラコフまで行く。その予約をするために中央駅へ。まだ朝食も食べていない。途中にケンタッキー・フライドチキンがあったので入る。シーザーサラダを注文。600円ほど。やはり朝食はこれぐらいに抑えたい。

一番奥の席に行って、そこで食べようと思ったら、昨日キュリー夫人博物館で出会った2人の日本の駐在員がいた。「あれ、昨日お会いしましたよね」と言うと、「奇遇ですね」と言う。仕事でこれから人と会うとのことで、一生懸命パソコンを叩いている。ひとりが「いまこの通りを『宮内庁』という紙を貼った車が通りましたよ。秋篠宮様が乗っていたんだと思います」と教えてくれた。失礼だとは思ったが名刺を差し出すと、ひとりが「私も柏なんです。増尾というところなんですが」と言う。「私はよく増尾華屋与兵衛やバーミアンや夢庵に行くんですよ」と超ローカルな話をしてしまった。

サラダを食べ終わると「良い旅を」と挨拶して中央駅に向かった。雨が降り出したので駅舎まで走る。土砂降りの雨になった。雷も鳴っている。この旅は天気に恵まれている。ザルツブルグ郊外の湖に行き登山電車で山頂を往復した時も、街に戻るバスに乗った途端に雷が鳴り出し激しい雨になった。チェスキー・クルムロフでも夜は雨だったが、朝になると空は晴れ上がっていた。

駅構内に走り込み、チケットカンターに。30人ほどが並んでいた。何か飛行機のチェックインの際の行列のようだ。予約をするだけで毎回これだけの行列に並ばなければいけない。もう少しどうにかならないものか? 日本で、例えば新幹線のチケットをみんなこんな長い行列に並んで買っていたら大混乱になるだろう。

20分ほど待って私が列の先頭になった。「6」という数字が出たので、6番窓口に行く。ユーレルパスを提示して、午後150分発、416分着の列車を予約。43ズウォテイ。日本円にすると約1300円だ。日本で5万円で購入したユーレイルパスを持っているので、乗車賃がいくらなのかわからないが、座席予約だけでこんなにするのか?

外に出ると、雨はやんで晴天になっていた。駅のすぐ横の広場に「文化科学宮殿」という高層の建物があった。『地球の歩き方』に「ソ連スターリンからの贈り物として1952年から3年の歳月をかけて建てられた」とある。私が生まれた頃だ。「科学アカデミーなどの研究機関、映画館やコンサートホールなども入っている」と言い、30階の展望台までエレベーターで昇ることができるらしい。

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正面の入口を入ると、どうも映画館のようだ。窓口に女性がいたので「ここは映画のチケットを買うところですね」と聞くと「Yes」と言う。「塔の上に昇りたいんですが、入口はどこですか?」と聞くと、「out, left and left」と言う。「外に出て左に行き、この建物に沿って左に曲がる」ということをとても明確にわかりやすく表現している。こういう英語でいいんだ。

チケットを買ってエレベーターで30階に上がると、鉄製の網で覆われているものの横からの雨や風が吹き抜ける展望台になっていた。先ほどのような激しい雷雨の時には、すさまじい雨風が吹き抜けるのだろう。そよ風が気持ちいい。西側には中央駅が、東の方には旧市街の建物の茶色の屋根が見える。布の長椅子がいくつもあり、そこに座ってゆっくりくつろいでしまった。

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市の北西に「ポーランドユダヤ博物館」があると言うので、初めて地下鉄に乗って行ってみることにした。販売機で20分有効のチケットを買い、2駅先の駅に。そこから歩いて15分で、その博物館に着いた。ものすごく洒落ていて立派な建物だった。世界中のユダヤ人の団体や金持ちから寄付が集まるからなのか?

朝の出だしがいつも遅いので、もう4時。12時過ぎにサラダを食べただけでお腹がすいていた。チケット買ってすぐにレストランでお昼か夕飯かわからない食事をする。5時ちょっと前から展示を見始める。日本語音声ガイドはないとのことで、英語のパネルをじっくり読んでいると、係の人から「今日は6時で閉めますのでお急ぎください」と言われてしまった。あと50分もない。

洒落たスクリーン映像、創意工夫を凝らしたイラストを使った解説などもあるが、どうもうまく頭に入ってこない。ユダヤ人がどのようにしてこの地にたどり着いたか? ヒトラーがどのようにポーランドを手中に収め、多くのユダヤ人を収容所に送ったのか? そのあたりのことを時系列で明確に解説してほしいのだが、細かな解説が多いため、いまいちわかりにくい。ひとつだけわかったのは、ヒトラーの影響下から抜け出すためにソ連の力に頼ろうとしたユダヤ人も多かったということだ。なるほど命の危険が迫れば、イデオロギーなどどうでもよくなる。パネルには「全体主義より社会主義」とあった。

6時に博物館を出て、今度は地下鉄で中央駅を通り過ぎ3駅先に。そこから東に行ったところにワジェンキ公園がある。きれいな宮殿もあるらしいので、そこに向かう。連日2万歩も3万歩もあるいていて、もう脚も限界。特に石畳の歩道はバランスもとりにくく脚に負担がかかる。

20分ほどで公園の前に到着。サッと見て帰ろうと思ったが、宮殿の前までは言ってみたい。子供を連れている人がいたので、宮殿の場所を聞いて見る。「ここをまっすぐ行って先を左に入ったところです」と言う。その宮殿らしき建物を写真におさめてホテルに戻ることにする。

歩いて30分。やはり地下鉄が縦に1本、左右に1本走っているだけなので、バスが使えないとどうしても長時間歩くことになる。あのナチスに対するレジスタンスの象徴となっている「地下水道」を壊せないから、新しい地下鉄を建設することができないのではないかとまで考えてしまう。iPhoneGoogle Mapも地図は表示されるものの、行きたい場所を入力しても交通機関が出て来ない。プラハでは、目的地を入力すれば、どこの停留所で何番の路面電車に乗って、どこで乗り変えるかまで、わかりやすく教えてくれたじゃないか。

歩道の横にアメリカのドナルド・レーガン元大統領の銅像があった。向かい建物がアメリカ大使館らしい。日本大使館もこの近辺にあると言う。

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 やっとのことで、ホテルにたどり着く。疲労困憊でベッドに倒れ込み、明け方4時まで寝て、それからブログを書く。