本物の「グリーンバック」を見た
国立アメリカ歴史博物館に行った。まずお金に関するコーナーに入る。たくさんの貨幣や紙幣が並んでいる。ひょっとしたら「グリーンバック」があるかもしれないと思っていたら、ちょうど目の前にあった。南北戦争の時に発行された紙幣で、裏が緑色だったことからgreenbackと呼ばれた。それ以降「ドル」のことを「グリーンバック」と呼ぶようになった。これに関しては『アダムのリンゴ』にも書いたのだが、原稿段階で英語をチェックしてくれたJeff Clarkさんは「今のドルは表も裏も緑だよ」とコメントを書いてきた。でも今のドルは白い部分も多いが、グリーンバックは裏側の全面が緑になっていた。すぐにジェフさんにメールで教えてあげよう。
他には、モハメド・アリのグローブやプリグリム・ファーザーズ(清教徒)が初めてアメリカ大陸の土を踏んだプリマスという場所にあった石もガラスケースの中にあった。アメリカの公民権運動の時に差別に抗議する4人の黒人学生がバーのWhite Onlyの席に座り続け、国中を巻き込む大騒ぎになったのだが、そのカウンターまで展示されていたのには驚いてしまった。
今日はとんでもない日だった。まずパソコンをセイフティボックスに預けようとフロントに行くと、セーフティボックスはないと言う。仕方なしにバックパックの中に入れて持ち歩くことにする。博物館には当然ロッカーがあるだろうと思ったのだが、開館30分後だというのに全てのロッカーが使用中だった。他にないかと係員に尋ねるが、他にはないと言う。しかたなしにずっと重いリュックを背負って展示を見て回ったが、肩がパンパンになってしまった。
帰りに地下鉄のペンタゴン・シテーの駅前でホテル行きのシャトルを待っていると、そのホテルに行く大勢の人が乗り込み、私を含めた6人が乗れなかった。ドライバーは15分から20分待ってくれと言う。ところが30分たっても40分たっても次のバスが来ない。30分ごとだから、すぐに来てもいいはずだ。結局次のバスが来たのが50分後だった。昨日よりだいぶ暖かったので良かったが、昨日くらいの寒さだったら絶対に大風邪を引いてしまっていた。ホテルまでは駅から5キロ、私が歩いたら1時間半か2時間かかるかもしれない(かつて、こんな広いアメリカで1年間もバスボイコット運動をした黒人たちの凄さがわかる)。日本なら、ホテルのお客様に不愉快な目にあわせないために、すぐに臨時のバスを向かわせるはずだ。博物館もロッカーが恒常的に満杯ならもっと増やすべきだろう。あれだけ広い空間があるのだから、ロッカールームを10部屋ぐらい増設するのは簡単なはずだ。