旅三昧&ときどき読書+映画

私は小泉牧夫。英語表現研究家という肩書で『世にもおもしろい英語』『アダムのリンゴ 歴史から生まれた世にもおもしろい英語』(IBCパブリッシング刊)という本を書いています。2018年4月に 出版社を退職し、41年にわたる編集者生活を終えました。いま世界中を旅しながら、本や雑誌記事の執筆とともに、旅先ではこのブログを書いています。お金はありませんが、時間だけはたっぷりある贅沢な旅と執筆と読書と映画の日々を綴っていきたいと思います。

旅三昧&ときどき読書+映画

私は小泉牧夫。英語表現研究家という肩書で『世にもおもしろい英語』『アダムのリンゴ 歴史から生まれた世にもおもしろい英語」(IBCパブリッシング刊)という本を書いています。2018年4月に出版社を退職し、41年にわたる編集者生活を終えます。それからは世界中を旅しながら、本や雑誌記事の執筆をする予定。お金はありませんが、時間だけはたっぷりある贅沢な旅と執筆と読書と映画の日々を綴っていきたいと思います。

1066年の戦場跡、その地名はBattle

いろいろ事情があって、817日から20日の4日間ブログが更新できなかった。だが、この4日間は私にとってとても充実したものとなった。

817日のことから書いてみたい。昨日のドーバーで、駅にも城にもスーツケースを預かってくれるところがなかったので、今日はホテルに荷物を預けてバックパックだけを背負って廻ることにする。

まずヘイスティング城へ。道を聞きながらWest Hillというケーブルカーの駅まで来た。これに乗ってさらに丘を上がり、お城に行くのだと思っていた。ところがケーブルカーに乗ると下に降り始めてトンネルに入っていくではないか。下の駅の周辺には、中世の面影を残す家々が並んでいた。多くがカフェやパブだった。それがヘイスティングの旧市街だった。ケーブルカーは丘を隔てて海側にある旧市街と駅側の新市街を結ぶためのものだったのだ。しばらくその趣のある家々が並ぶ通りを歩いていたのだが、地図を見るとミニチュア鉄道があることがわかった。

カフェに入ってその駅までの行き方を聞くと、目と鼻の先だった。イギリスには、このようなミニ鉄道がいたるとこにある。距離の長い本格的なSLから、遊園地の小さなミニ列車のようなものでさまざま。微かな記憶だが、『イギリスのミニ鉄道』という本も出ていたような気がする。驚きなのはほとんどが収益目的ではなく、地域の人々のボランティアに支えられていることだ。だからほとんどのminiature trainamateur trainでもあるのだ。

f:id:makiotravel:20180822114748j:plain

距離半マイルのその鉄道に10分ほど乗ると、もうひとつの駅に着いた。近くには「漁師博物館」と「難破船博物館」が並んでいて、両方とも無料だったので見学する。

ケーブルカーの下の駅から今度は頂上駅に戻り、歩いてヘイスティング城へ。フランス・ノルマンディ公国の王だったギヨームがフランスから渡ってきて建てた城だ。ほとんど廃墟になっているが、敷地のその一角に建物がありノルマン・コンクエスト(ノルマンのイギリス征服)に関する映像を流していた。

今回の旅の一番の目的は、そのノルマン・コンクエストの痕跡を辿ること。フランス・ノルマンディ公国のギヨームという王が船に軍隊と馬を乗せてブリテン島に上陸し、イングランド王ハロルドを破って、何とイングランドの王様になってしまう。ギヨームはイングランドでは「ウィリアム」と発音が変わり、「ウィリアム征服王」というニックネームで呼ばれるようになる。これが今のイギリスの王室の始まり。ということはイギリス王室の祖先は、もともとフランスのノルマン人だったということだ。

以前、エリザベス女王が「我が国は他の国に侵略されたことはありません」と言ったことがあった。それに対して、ある人が「でもノルマン・コンクエストがありましたが・・・」と言ったら、女王は「あれは私どもがやったことです」と応えたと言う。

もうひとつ重要なことは、ノルマン・コンクエストにより大量のフランス語が英語に入って来たことが挙げられる。フランス語が王国貴族の、英語が庶民の言葉となり、イングランド二重言語の国となってしまう。このあたりのことは拙著『アダムのリンゴ 歴史から生まれた世にもおもしろい英語』に詳しいので、ぜひ読んでいただきたい。

まだスーツケースをホテルに預けたまま、電車で3駅先のBattleという街に行く。道を聞きながら歩いて30分、ハロルドとウィリアムの軍隊が戦った「1066 battle field」という広大な野外博物館の入口にたどり着いた。

日本語のオーディオガイドを聞きながら、起伏に富んだ、だった広い野原を羊の群をかき分けかき分け歩く。音声の解説は、双方の軍隊のぶつかり合いを時系列で理解できるようになっている。イングランド軍は丘の上に陣取っていた。麓にはノルマン軍。どうしてもイングランドが有利だ。ノルマン軍が攻撃するには重い鎧を着て丘を登らなくてはならない。私はバックパックを背負っていただけだったが、それでも登るのに息が切れるほどの急斜面だった。

f:id:makiotravel:20180822090344j:plain

1066 Battle Fieldは広大な敷地の野外博物館

おまけにイングランド軍は地元で、当然地の利がある。兵隊が足らなくなったら、どんどん戦力を補給すればいい。だが、ノルマン軍はそうはいかない、フランスから船でやってきたのだから、救援を要請したくても、仲間は海の向こう。そんな不利な状況の中で、なぜノルマン軍が勝利を収めることができたのか?  そして、そもそもフランス・ノルマンディ公国の王がなぜイングランドに攻め込んだのか? 双方の軍隊の武器や戦法はどう違っていたのか? 2人の王の性格は?・・・など、大量の情報を仕入れることができた。

話すと1時間では足りないかもしれない。103日と31日の2回、NHK文化センターで「英語はこんなにおもしろい」というテーマで講演をするので、その時にいろいろ興味深い話ができると思う。お楽しみに。

結局そのBattleの「battle field博物館」には3時間もいた。また駅まで歩き、列車に乗ってヘイスティングに戻ってホテルでスーツケースを受け取った時には、夕方6時半になっていた。

それからまた、大きくて重いスーツケースを引きずりながら駅に戻る。また切符を買って列車で1時間半。Brightonという若者に人気の街に着く。ホテルにチェックインした時にはもう夜9時を過ぎていた。