ザルツブルグへの列車の旅。韓流ドラマ「春のワルツ」を想い出す
6月16日(日)。午前11時にホテルをチェックアウト。地下鉄U1に乗ってウィーンに中央駅に向かう。
オーストリアの国鉄はQBBというらしい。コンコースでスクリーンの表示を見上げると、「12:30 Salzburg」とあった。プラットフォームは「8」。QBB以外にもWESTという鉄道会社もあるようで、そのスクリーンにもザルツブルグ行の列車の時刻とプラットフォームの番号が表示されている。
私の持っている1か月間に7日だけ使える「ユーレイルパス」は、恐らくQBBのものだと思うので、WESTの方は忘れることにする。
若い頃、そのユーレイルパスを使って、フランスやスペインを歩き回った。1か月間有効のパスを4万円くらいで購入できたと思う。当時としてはかなり高かった。でも、飛行機でのヨーロッパ往復はエコノミ―でも30万円もした時代だった。
その時に、フランスを旅するのに困らない旅行フランス語を覚えたのだが、残念ながら今ではほとんど忘れてしまった。去年の夏、ノルマンディを旅した時には、フランス語を喋ろうと思っても、途中から英語になってしまった。
私は会話ということで言えば、最初にフランス語が喋れるようになった。そして30歳の時にハワイに行って全く英語ができないことを痛感し、英語をやり始めた。そして、今では英語で旅をし、おまけに『世にもおもしろい英語』『アダムのリンゴ 歴史から生まれた世にもおもしろい英語』という英語表現に関する本まで書いている。人生とはわからないものだ。
『アダムのリンゴ』を書いている時に、そのフランス語の知識が役立った。1066年にフランス・ノルマンディ公国のギヨームという王様がブリテン島に上陸して、イングランドのハロルドという王様の軍隊を破ってしまう。何と、フランス・ノルマンディの王様がイングランド王になってしまったのだ。この歴史的大事件を「ノルマン・コンクエスト」(ノルマンの征服)と呼ぶ。だから、驚くことなかれ、今のイギリス王室のルーツはフランスなのである。
この時に、大量のフランス語が英語に入ってきた。詳しくは、拙著『アダムのリンゴ』を読んでいただきたいが、この本を書いている時に、フランス語の知識がとても役立つことになった。人生は遠回りしても無駄はない。
さて、今日の話に戻る。ユーレイルパスと一緒に送られてきた説明書には、「事前に利用開始日と終了日、パスポート番号を記入し、鉄道駅の窓口でスタンプをもらう」とある。さらに一緒に添付されているトラベルダイアリーという用紙にも、日付と出発駅・到着駅を記入しておかなければならない。
さて、どこで誰にチケットにスタンプを捺してもらえばいいのだろうか? 中央駅のインフォメーションで聞くと、「直接2階のプラットフォームに行け」と言う。エスカレーターでホームに上がると、そこにはザルツブルグ行の電車が停まっていた。ホームの上にあるスクリーンは「11:55」となっている。日本で買った時刻表では、11時30分の次は12時30分になっていたし、スクリーンの表示にもない列車だった。こんな列車があったんだ。日曜日だからだろうか? 6月10日に「夏の時刻」に改定されたらしいのだが、私の持っている時刻表はその前までものものだった。
QBBの職員らしき女性がいたので、パスを見せて「スタンプを捺してもらえるのか」と聞いたら、「私はスタンプなんか持っていない。ザルツブルグに行くのなら、すぐにこの列車に乗って」と急かす。時計を見ると11時54分、発車1分前だった。
ボタンを押してドアを開け、とにかく乗り込む。そこは2等車だったが、私のパスは1等。そこに先ほどの女性が通路を歩いてきた。そうか彼女が、この列車の車掌だったんだ。「1等車はどっちか?」と聞くと、「こっち」と後方を指さす。食堂車を通り抜けて、1等車に行き席に座った。ふかふかの革のシートだったが、2等車もかなり豪華でシートも楽に座れそうだ。何も高いお金を払って1等にすることはなかった。
すぐに動き始めると思った列車だが、なかなか走り出さない。乗り込んでから10分ほど経って、ゆっくりと動き始めた。
しばらくすると、あの女性の車掌が検札にやってきた。私のユーレイルパスを念入りにチェックし、ホチキスで留めてあったトラベルダイアリーの右端のControl Areaという欄にパンチする。「これでOKよ」と言う。チケット自体にはスタンプを捺さなかったが、本当に「OK」なのだろうか?
ザルツブルグ到着は午後2時45分。2時間半の列車の旅だ。iPhoneでいろいろな人にメールを送る。1年前まで勤めていた会社で同僚だった荒川君からもLINEでメッセージが送られてきた。彼は去年このあたりを旅行しているので、彼も奥さんも興味をもってブログを読んでくれていると言う。いろいろとアドバイスも送ってくれる。ヨーロッパと日本の間で瞬時にやりとりができる。便利な時代になったものだ。
車窓の景色は、日本なら新幹線に乗っても、そこまでも家並みが続くが、ヨーロッパでは広大な丘陵や草原が広がっている。家は遠くにまばらに見えるだけ。なぜ、それほど広くないヨーロッパで、住宅地がどんどん広がらないのか? 不思議でならない。
ふと思い出したのだが、昔「春のワルツ」という韓流ドラマがあった。ウィーンに着いた韓国人ピアニストの男性が列車でザルツブルグに向かうシーンから始まる。白いスーツを着ていたのだが、胸のところが赤くなっている。偶然近くに座っていた韓国人の女性が驚いて声をかけると、男性は目を覚ます。上の網棚に置いたスーツケースからケチャップ(キムチだったかな?)がこぼれ落ちて、スーツにかかっていたのだ。
私はこの「春のワルツ」のノベライズやガイドブックを編集することはなかったが、主役を演じた新人俳優のソ・ドヨン氏のエッセイを企画し編集した。確か『夢の扉』というタイトルだったと思う。彼の子供時代から、兵役のこと、俳優を目指した理由などに関して、私が400問くらいの質問を韓国に送り、ソ・ドヨン氏がそれに答えるという方式で原稿を作成した。
特に兵役に関する質問だけで50問を超えていたと思う。その中に「軍隊で一番苦しかった訓練は何ですか?」という質問があり、彼は「同じ隊の仲間と一緒にガス室に入って、気を失う直前で助けられるという訓練が一番大変だった」と応えた。彼の事務所の社長が「この箇所は日本人には刺激が強すぎるのでカットしてほしい」と言ってきたが、日本で発行されている韓国の軍隊に関する本でも書かれていることから、このまま掲載することにした。そのために日本の韓流ドラマファンからは、「やさしい顔をしているのに、心の中にあれほどの強さを秘めていて素敵!」ということでも人気が出た。本づくりは大変だったけれど、懐かしい思い出だ。いまソ・ドヨン氏は元気にしているのだろうか?
私が乗った列車がザルツブルグに近づくと、車窓には山並みが広がり始めた。そして、午後2時45分、予定通りにザルツブルグの駅に到着した。iPhoneでホテルの場所を確認すると、駅から200mほど。すぐ近くだった。重いスーツケースを転がしての旅なので、ウィーン以外の街では列車が到着する中央駅に近くのホテルを予約していた。
なかなかきれいなホテルだ。部屋は9階、街に向かって床から天井まで一面のガラス窓になっている。窓際に近寄ると怖い。すぐにカーテンを閉めて、窓際に近づかないようにした。
ホテルの前にあったイタリア・レストランで、遅めのお昼なのか早めの夕飯なのかよくわからないが、パスタとサラダを食べて、駅のスーパーでパンとミネラルウォーターとリンゴを買ってホテルに戻った。
さて、今日も深夜0時まで寝て、明け方までブログを書くことにしよう。