旅三昧&ときどき読書+映画

私は小泉牧夫。英語表現研究家という肩書で『世にもおもしろい英語』『アダムのリンゴ 歴史から生まれた世にもおもしろい英語』(IBCパブリッシング刊)という本を書いています。2018年4月に 出版社を退職し、41年にわたる編集者生活を終えました。いま世界中を旅しながら、本や雑誌記事の執筆とともに、旅先ではこのブログを書いています。お金はありませんが、時間だけはたっぷりある贅沢な旅と執筆と読書と映画の日々を綴っていきたいと思います。

旅三昧&ときどき読書+映画

私は小泉牧夫。英語表現研究家という肩書で『世にもおもしろい英語』『アダムのリンゴ 歴史から生まれた世にもおもしろい英語」(IBCパブリッシング刊)という本を書いています。2018年4月に出版社を退職し、41年にわたる編集者生活を終えます。それからは世界中を旅しながら、本や雑誌記事の執筆をする予定。お金はありませんが、時間だけはたっぷりある贅沢な旅と執筆と読書と映画の日々を綴っていきたいと思います。

ホーエンザルツブルグ城塞とドーム博物館

617日(月)朝、ザルツブルグカードを買おうと、近くのQBBオーストリア国鉄)の駅構内にある観光案内所へ。24時間が29ユーロ、48時間38ユーロ、72時間44ユーロ。1日で博物館や宮殿など全部を見学することができるか聞くと、「1日では無理」とのことなので、48時間のパスを購入。市内のバスや路面電車でも使えると言う。

バスでヴォルフガング湖畔のザンクト・ギルゲンやヴォルフガングという町にも行ってみたいと思っているのだが、それにも使えるかと聞くと、パスは市内だけで有効とのこと。

取りあえず旧市街に向かって歩く、右側に緑濃い公園が見えてきた。ミラベル庭園で、ここには宮殿もあるらしい。

庭園を横切ると川に突き当たる。そこを左に向かうと橋があった。マルカート橋らしい。それを渡ると旧市街だった。たくさんの人で賑わっている。宮殿や博物館、寺院もあるようだが、どれがどれかわからない。

すぐ近くの山の頂上に城塞が見えてきた。ホーエンザルツブルグ城塞というらしい。そこにはケーブルカーで行ける。道に迷いながら、ケーブルカー駅を探す。

ケーブルカーに乗る人の行列ができていたので、駅はすぐにわかった。チケットカウンターに並んでいる人たちだ。私はパスを持っているので、このまま乗れるはずだ。行列をすり抜けて一番前に行き、入口にいるスタッフにパスを見せると、入ってもいいいと言われる。パスをスキャンして中に入る。待つこと5分、ケーブルカーが到着したので乗り込む。

数分で頂上駅に到着。ここはザルツブルグ大司教ゲーブハルトが1077年に築き始めた城塞だと言う。以来、増築を重ね、現在の姿になった。当時、神聖ローマ帝国皇帝とローマ教皇が対立していて、ゲーブハルトは教皇派だった。

ヨーロッパには世俗的な頂点に立つ皇帝と精神的な支柱としての教皇がいた。どちらが上位にあるのかで、しばしば対立が起こり、ある時には激しい戦いになった。ある教皇などは、新しい皇帝が誕生する時、頼まれてもいないのに無理やり押しかけ戴冠式を挙行してしまう。冠を被せた方が上位、被せらた方はそれに従う下位にある者ということを世間にアピールしたのだ。何かマンガみたいだ。

そんな対立があったからだろう。この城塞では、司教やお付きの従者の居室を増築するだけでなく、大砲を据え武器庫もつくるなど軍備も増強していったと言う。

中には城塞博物館やライナー博物館など複数の博物館があるようだったが、地図もなく、どこがどの博物館の入口なのかもまるでわからない。迷路のような路地をさまよい歩いていると、何度も同じ広場に出てしまう。

「Tour」という看板があったので、とにかくそこに入って日本語のオーディオ・ガイドをもらって説明を聞く。模型で増築のプロセスを示した展示や罪人に自白を迫った拷問部屋もあった。螺旋階段を上がって塔の上に出ると、ザルツブルグの街並みが見下ろせた。

博物館の出口を出る。ドイツ語が読めないので、とにかく人の群れについていけば、どこかに入れるだろう。暗い通路の中の階段を上がると、また何かの入場口があった。パスをスキャンして入ると、歴代の司教の居室があった部分で、そこも博物館になっていた。

2時間ほど、中世の城塞の中をさまよい歩き、ケーブルカーで下に降りようと頂上駅を探すが、どうしてもたどり着かない。歩いて下に降りる人への表示は出ている。でも急斜面を歩いて降りるなんて絶対に無理だ。

しかたなしに、カフェでアイスクリームを買い、そこの主人に聞くと、「この先に曲がったところだ」と言う。アイスを食べ終わって、左側にあった建物の入口のような門をくぐって少し歩くと、ケーブルカーの駅にたどり着いた。下の駅に着いた時に時計を見たら、もう午後2時半だった。

 

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小さなレストランがあった。ハンバーグやホットドッグもテイクアウトできるらしい。ホットドッグとアップルジュースを頼む。店の向かいにベンチがあったので、そこで食べようと思ったが、他の人が座ってしまったので、店の人に「レストランの中で食べていいか?」と聞くと、「構わない」と言って、親切にもホットドックを載せるお皿をくれた。

レストランの中では、みんなかなり正式な食事をしていたが、私はホットドッグを頬張り、それをアップルジュースで流し込み、「こうやって節約していかないと、いつか自己破産してしまうぞ」と自分に言い聞かせた。

地球の歩き方』を読むと、すぐ近くに寺院の聖堂(ドーム)があり、そこにはドーム博物館があると書いてある。その他にも「レジデンツ」と「レジデンツ・ギャラリー」と称する博物館もあるらしい。「レジデンツ」とは司教の日常の住まいだったところで、山の上の城塞は戦争や動乱などが差し迫った時にだけ避難した場所だと言う。

まず聖堂の中に入る。若い頃からバックパックでいろいろなところを歩き回っているので、これまで入った教会の数は数十に達するだろう。もう飽き飽きしている。最後に入った教会は英国国教会の総本山があるカンタベリー大聖堂だった。ここはいろんな歴史的大事件が起こったところで、とても妙味深かった。

この聖堂の入口にはカウンターがあり、そこに人が座っていた。出て行こうとする人に寄付をするように言っている。透明なプラスチックの箱が置かれていて、その中にはぎっしりと札が詰まっていた。

私は自分の小銭入れの中を探ったが、札は10ドルと5ドルの札が1枚ずつ、コインは50セントが1枚だけだった。5ドルは650円、ちょっと寄付としては高すぎる。でも50セントじゃ少なすぎるし、どうしようと思い、たくさんの人がいっぺんに外に出る時に、その集団に紛れて出るようにした。すると何も言われずに、外に出ることができた。

ドーム博物館への入口の階段は、聖堂を出てすぐ左にあった。受付でパスを提示し「日本語のオーディオ・ガイドをお願いします」と頼んでいる時に、横にいた日本人の中年の女性から「ここはレジデンツやギャラリーも一緒になっているんでしょうか? 入口は別なんでしょうか?」と聞かれた。私も疑問に思っていたので受付の人に聞くと、「全部一緒のツアーです。このオーディオ・ガイドは3つの博物館の解説を続けて聞けます」と言う。

その人は「明日はドーム博物館やレジデンツは閉まっているというので、あわてて来たんですよ」と言う。受付の人に確認すると、「そう、明日は休みなんです」と言う。

その3つの博物館をゆっくり時間をかけて廻ると、もう午後4時を過ぎていた。次に行こうと思っていたのが「ザルツブルグ博物館」。ドーム広場を横切って、外壁に「SALZBURG MUSEUM」と彫ってある建物に行くが、入口がどこにあるかわからない。大きな建物だったので、15分以上かかって歩いて1周したが、入口らしきものがない。同じ建物に郵便局があったので聞いてみると、今日は休みで閉まっていると言う。

もう5時だったので、今日は諦めてホテルに戻ることにした。ザルツブルグパスを買った代金も、今日1日で少しは回収できただろう。

ホテルに帰る途中、iPhoneマップで検索して靴屋を探す。実は3日ほど前から、脚の裏の踵のところが痛くなった。魚の目でもできてしまったのか、これから先の旅はどうしよう?と思っていたら、中敷きに小さい細長い穴が開いていたことがわかった。その穴が足裏を刺激していたのだ。そのためにバンドエイドを貼って応急措置をしていたのだが、接着面が靴下にくっついてしまっていた。そこで新しい中敷き(英語ではinsole)を買って、古い穴の開いた中敷きの上に敷こうと考えたのだった。

実は去年の4月、アメリカのフロリダ半島を旅し、フォートローダデールという港町から大西洋横断のクルーズ船に乗ろうとしていた日の前日、やはり中敷きに穴が開いてしまったことがあり、脚の裏に激痛が走った。その時にも同じように、バンドエイドを貼ったのだが、すぐに取れてしまった。翌日には船に乗ることになっていた。大型船なので、かなり船内を歩き回るだろう(後でiPhoneで歩数を確認すると、毎日、船内を7000歩以上歩いていた)。大西洋を横断してからも、バルセロナ1週間滞在する予定だったので、どうしたもんだろうか?と考えていた。

その時に「そうだ中敷きを買おう」と思い、街中の靴屋を探したが、その日はイースターの祝日で店はみんな閉まっていた。しかたなしに、バスに乗って街の外れのホテルに戻ってきたら、何と通りを挟んだ反対側に「Shoe Warehouse(日本語にすれば「靴の倉庫」)という名の靴屋があったではないか。恐る恐る扉を開けたら営業していた。

店員は1人きり入いなかったし、店内は閑散としていたが、「Do you have insoles?」と聞くと、「Yes」とすぐ目の前を指さしたのだった。

箱から中敷きを出して、靴に合わせてみると、少し大きめのものが見つかった。それをホテルに持って帰って、ヒゲをカットする小さなハサミで切り、大きさを整えたのだった。今回も同じことをすれば良い。

それから1年3か月、iPhoneで探し当てたこの店はとても洒落ていて、中敷きのような中途半端な商品はありそうもない。ヒゲの男性の店員がいたので聞いて見ると、「あそこにある」とまっすぐ前を指さす。なんだちょうど店のど真ん中のラックにかかっているではないか。

「足の大きさは25センチなんですけれど、どれがいいですか?」と聞くと、「アメリカでの寸法がわかるか?」と聞く。「わからない」と答えると、彼は自分が履いていた靴と私の靴の大きさを比較して、「これなら大丈夫だろう」と言ってひとつを選んでくれた。20ユーロ。日本円だと3000円近くになる。痛い出費だが、ずっと足の痛さはもっと痛い。苦痛に耐えながら旅を続けるよりはよっぽどましだろう。

ホテルに帰って、ヒゲ切り用のハサミで形を整えたら、靴にピッタリ収まった。これで一安心だ。我ながら、なんて準備がいいんだろうと自分で自分を褒めてみる。

でも、なぜいつも旅先でこんなことになるのだろうか?