旅三昧&ときどき読書+映画

私は小泉牧夫。英語表現研究家という肩書で『世にもおもしろい英語』『アダムのリンゴ 歴史から生まれた世にもおもしろい英語』(IBCパブリッシング刊)という本を書いています。2018年4月に 出版社を退職し、41年にわたる編集者生活を終えました。いま世界中を旅しながら、本や雑誌記事の執筆とともに、旅先ではこのブログを書いています。お金はありませんが、時間だけはたっぷりある贅沢な旅と執筆と読書と映画の日々を綴っていきたいと思います。

旅三昧&ときどき読書+映画

私は小泉牧夫。英語表現研究家という肩書で『世にもおもしろい英語』『アダムのリンゴ 歴史から生まれた世にもおもしろい英語」(IBCパブリッシング刊)という本を書いています。2018年4月に出版社を退職し、41年にわたる編集者生活を終えます。それからは世界中を旅しながら、本や雑誌記事の執筆をする予定。お金はありませんが、時間だけはたっぷりある贅沢な旅と執筆と読書と映画の日々を綴っていきたいと思います。

カルタジーナという町で歴史を想う

昨晩、ゲストサービス・カウンターの矢野さんと会ったら、このアメリカ―ヨーロッパ・クルーズでは日本人の乗客はすごく少ないと言う。何か月か前に日本人が乗ったが、かなり長いことアメリカに住んでいる人だった。だから純粋に日本からやって来た伊勢さんご夫妻や私は、この船ではとても珍しいらしい。

414日、今朝カルタジーナという町に着いた。このあたりだとバレンシアなどはオレンジで有名なのでよく知っているが、初めて聞く名前だ。Cartagenaと綴る。バルセロナWiFi無料のホテルに行くから、ゆっくりそこでネット検索してみよう。

今日はツアーには行かずに船にいてゆっくりしようと思ったのだが、デッキに出てみると、空も晴れ渡りきれいな町並みが広がっていた。中心地には昔の砦のような建物も見える。遠くには朽ち落ちた城壁らしきものも続いていたので、朝食を終えて行ってみることにする。

200mほど桟橋を歩いて左に曲がると賑やかな広場があった。坂を上がると、ローマ時代の屋外劇場の跡があり中で見学している人も見える。でも、どこから入るんだろう? 劇場の周囲に沿ってまた坂を昇って、一番上から劇場を見降ろしたが入口がない。

いろいろな人に聞くがわからない。1人が「あの上の城に入口がある」と言って、さらに続く丘の頂上を指さす。さっき船から見えた砦らしき建物だ。

スペインは8世紀から15世紀の終わりまでイスラム教徒に占領されたが、その時代に建てられたお城だった。スペインには「サングル・アズュール」(青い血)という表現がある。英語ではBlue Blood、それは「高貴な貴族の血統」という意味だ。純粋なスペインの貴族などは、肌が白く腕の血管が浮き出て、本当に肌が青く見えると言う。やはりスペインは、浅黒い肌をしたイスラム教徒のムーア人ではなく、青い血管が浮き出て見えるキリスト教徒の貴族が支配すべきという考えが根底にあるのだ。

もう40年も前、年末年始の休みにスペインを旅したことある。12日にはグラナダにいた。町の広場には大勢の人たちが集まり、大声で気勢を上げていた。聞いてみたら「レコンキスタ」(キリスト教徒による国土回復)が成し遂げられたことを祝う集会だった。アラゴンのフェルディナンドという王とカステーリャのイザベルという女王が結婚してスペイン王国をつくり、協力して最後に残っていたイスラム教徒のグラナダ王国を陥落させたのだが、その記念日だったのだ。

ちなみに、イザベルはコロンブスに資金援助をしたことで知られ、その娘キャサリンはイギリスに嫁ぎヘンリ8世と結婚するが、離婚されてしまう。キリスト教の教義では離婚は認められていなかったため、ヘンリ8世はローマ教会と決別し何と自分で「イギリス国教会」を創設してしまう。その娘がイギリスをカトリックの国に戻そうと、多くのプロテスタントを処刑した「Bloody Mary」(血まみれのマリー)で、いまはウォッカにトマトジュースを混ぜレモンをたらしたカクテルの名前にもなっている。

私はお城を見終わると、丘の裏から延びる陸橋がありその先にエレベーターがあったので、下に降りることにした。だが、そのエレベーター前の床は鉄製の網になっていて隙間から下の地面が見える。高さは数メートル。高所恐怖症の私は震えながら、この時サグラダファミリアで塔の上まで登らなくてもいいのではないかと強く思った。エレベーターが上がってきた時にはホッとした。降りるとその出口の横に、いま見てきた城の切符売り場があった。地図にはもうひとつCivil War Shelter「スペイン内戦時のシェルター」という博物館があったので、場所を聞いてみると、「エレベーターを巻くようにある螺旋階段を上がって2階にある。チケットはここで買える」と言うので入ることにした。

スペイン内戦は、第二次大戦の前の共和主義者の人民戦線と右翼の国民戦線との戦いで、この博物館はそのシェルター跡の洞窟だった。かなり激しいものだったことを物語る映像があったが、他にチャップリンの「独裁者」の一シーンもあった。ヒトラーに間違われた理髪師が「もう戦争はやめよう」と演説をする有名な場面だ。ショップの人に「戦闘機が爆弾を落としていましたが、それは第二次大戦中のドイツの爆撃ではないのですか?」と聞くと「いいえ、内戦時の映像です」と応える。「ドイツの戦闘機はバスク地方ゲルニカに爆弾を投下し、ピカソはあの有名な『ゲルニカ』を描きましたが、大戦中はドイツの飛行機もここまでは来なかったのですね」と尋ねると「Si」と言う。「私は40年前に初めてスペインに来ました。フランコが亡くなってすぐの頃で、独裁政権の名残が残っていました。日本語の旅行ガイドには、日本人が日本語で大声で話していて『フランコ』と言ったために逮捕されたことがあるので、絶対に『フランコ』と言わないようにと書いてあったことを思い出します」と言うと、「私はまだ小さかったので分かりません」と応えたが、「でもEUに加盟してからスペインが大きく変わったことは確かです」と彼女は付け加えた。

先ほどのローマ時代の野外劇場に入る入口は、今朝最初に行った広場の一角にあることがわかったので、そこまで戻ることにした。途中に両替所があったので、160米ドル分をユーロに変える。ドルを110円として計算すると136円だった。もちろんそれには手数料が含まれているのだが・・・。

ローマ野外劇場への入口は広場に面した建物にあり、地下を通って遺跡に入るようになっていた。これではわかるはずがない。船内で知り合った何人かの顔見知りの人とすれ違う。「船の出発は430分でいいんですよね」と聞くと「そう聞いてるわ」と応える。「乗り遅れたら大変ですね?」と言うと「あまり脅かさないでよ」と笑う。

船に戻る途中、喉が渇いていることに気づいた。ペットボトルの水は飲んでいたが、甘いジュースを飲みたい。カフェがあったので、カウンターで「ソモデナランハ・ポルファボール」と言うと、おかしな顔もせず普通にオレンジニュースを出してくれた。もう40年も前に覚えたスペイン語だ。水は「アグア」、ビールは「セルべッサ」。外国語は一所懸命に暗記してもなかなか覚えられないものだ。でも一度実際に使ってみると絶対に忘れない。そんなふうにして身に付けた英語単語やフレーズもたくさんある。

夜は「フォーマルディ」だったので、正装を持って来なかった私はレストラン「ダヴィンチ」に行くのをためらったのだが、一昨日の夜みんなから「ジャケットで全く問題ない」と言われたので、襟のある白っぽいシャツにジャケットを羽織って行ってみることにした。でもネクタイはしていない。もし断られたら、他に行けばいいや。

この時、イタリアのフィレンツェでイタリア語の学校に通いながら、ツアーガイドをしていた日本人女性の話を思い出した。彼女は元貴族という家系の友人ができ、彼の屋敷で開かれるパーティに招待されたのだと言う。町外れにあったので、自転車を漕いでその家に行くと、みんな正装をして車で来ていて、入口で車のキーを執事に渡していた。彼女は雰囲気にのまれてはいけないと思い、ママチャリの鍵をその執事に渡したのだと言う。

レストランで「この格好でいいか」マネジャーに聞こうとしたが、黙って入口を入りいつものテーブルに向かうと、BobKarenMerlinJeffがいて、いつものように快く迎え入れてくれた。Merlinは蝶ネクタイにスーツの正装、ジェフはグレーのスーツにネクタイ、ボブは私と同じようにズボンと色の違うジャケットを着ていてネクタイはしていなかった。カレンはお洒落なドレスを着こなしている。

「昨日の晩は何をしてたんだ。 I missed you ! (あなたがいなくて寂しかった)」とみんなが言ってくれる。「毎日、こんな豪華な食事をしていると健康が損なわれると思って、ビュッフェに行って軽く食べました」と応えた。「それで今日は何をしてたの?」とカレン。「ローマ野外劇場の入口がわからなくて、先にお城に行って、それから恐ろしいエレベーターに乗って、最後に劇場の入口がわかって・・・」と説明すると、「私たちも全く同じ」と言う。「ローマ劇場の入口がわからなくて、あのエレベーターも下が見えて怖かったわ」と言う。なんだ同じような経験をしてたんだ。

「英語で『高い場所の恐怖』のことを何ていいましたっけ? 確か『so-and-so(なんとか)phobia・・・』といったような」と聞くと、みんな「何かそんな単語があったけど、すぐには出て来ない」と言う。部屋に帰って電子辞書で調べると「acrophobia」だった。

明日はマジョルカ島に着く。午後のツアーで小型鉄道に乗る。午前中に町をぶらついて、できればBellver城までタクシーで足を延ばしてみよう。このクルーズもあと3日。彼らと一緒に夕食を食べるのもあと2回だ。