旅三昧&ときどき読書+映画

私は小泉牧夫。英語表現研究家という肩書で『世にもおもしろい英語』『アダムのリンゴ 歴史から生まれた世にもおもしろい英語』(IBCパブリッシング刊)という本を書いています。2018年4月に 出版社を退職し、41年にわたる編集者生活を終えました。いま世界中を旅しながら、本や雑誌記事の執筆とともに、旅先ではこのブログを書いています。お金はありませんが、時間だけはたっぷりある贅沢な旅と執筆と読書と映画の日々を綴っていきたいと思います。

旅三昧&ときどき読書+映画

私は小泉牧夫。英語表現研究家という肩書で『世にもおもしろい英語』『アダムのリンゴ 歴史から生まれた世にもおもしろい英語」(IBCパブリッシング刊)という本を書いています。2018年4月に出版社を退職し、41年にわたる編集者生活を終えます。それからは世界中を旅しながら、本や雑誌記事の執筆をする予定。お金はありませんが、時間だけはたっぷりある贅沢な旅と執筆と読書と映画の日々を綴っていきたいと思います。

片道料金がなぜ往復より高いのか?

ロンドンから列車でカンタベリーに行くだけなので、今朝は少し遅めに起きる。1階のレストランで朝食を食べている時に、カンタベリーに直行しても、ホテルのチェックインタイムよりも早く着いてしまう、そこでどこかロンドンの名所に寄ろうと考えた。地図を見ると、ヒースロー空港から地下鉄のピカデリー線でピカデリー・サーカスまで行くと、鉄道のチャリング・クロス駅まで歩く途中にナショナル・ギャラリーとトラファルガー広場があることがわかったので、そこに寄ることにした。

ピカデリー・サーカスに行ったのは20何年振り。この広場からは放射線状に道が伸びているので、方向感覚がわからなくなってしまい、道に迷ってしまった。通りがかりの、旅行者ではなさそうな人に道を聞くと、全くの反対方向だということがわかる。

その時ふとNYに住んでいた友人のG君のことを思い出した。私が以前勤めていた出版社は渋谷にあったが、同じように駅から放射線状の道が伸びている。G君が日本に帰ってくるたびに私の会社を訪ねてきたが、毎回必ず道に迷って、結局最後には私が迎えに行くはめになった。

渋谷を良く知っている人なら、109を左に行くと道玄坂、右に行くと東急本店があり、駅から山手線に沿って原宿方面に行って、左にある公園通りの坂を昇るとパルコからNHKホールに至る。山手線のガードをくぐると宮益坂、南口の方でガードの下を走るのが青山通りなどということは常識だろうが、確かに初めての人にとっては分かりにくい。

話を渋谷からピカデリー・サーカスに戻すと、そのサークルの周辺をうろうろして、ナショナル・ギャラリーにたどり着くまでに1時間近くかかってしまった。道に迷わずに行けば、たった10分でいけたところだ。

大きなスーツケースを転がして、大変な思いをしてナショナル・ギャラリーに来たものの入口にいた係員が「館内にはスーツケースを預かるクロークもコインロッカーもないので、チャリング・クロス駅で預けてまだ戻って来るように」と言う。その入り口の前にはトラファルガー広場沢木耕太郎が、あの『深夜特急』で最終地点に決めたライオンの像で有名な広場で、物凄い数の人々でごった返していた。

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その広場を右に見ながら、人込みをかき分けて石畳の上をスーツケースを転がして駅まで行こうとするが、また道に迷い、何人もの人に聞いて、やっとのことで駅にたどり着いた。

駅のインフォメーションで荷物を預ける場所を聞いて、そこに行くと「3時間まで7ポンド50だ」と言う。荷物を取りに来た時に、お金を払えばいいと言うので、荷物を預ける。売店でフランス風のバケットに卵を挟んだサンドイッチを買い、それをコーヒーで流し込んで、またナショナル・ギャラリーに急ぐ。来る時は道に迷い30分もかかってしまったが、実際はすごく近くて、10分で戻ることができた。

バックパックをクロークに預け、オーディオセットを借りて、絵を見始めたのだが、気になる絵に関してのみ解説を聞いて、あとはサッと眺めるだけにした。ミケランジェロやラファエル、レンブラントなどの名画がたくさん並んでいた。暗い部屋にフェルメールの「ヴァージナルを弾く女性」という作品もあった。ヴァージナルとはチェンバロが発明される前の楽器で、鍵盤をたたくと弦をひっかいて音が出るのだと言う。フェルメールが遺した十数枚の絵の中の1枚だと言うのに、その前にはひとっこ一人いなかった。日本だったら考えられない。

結局3時半まで2時間かけて全ての部屋を廻ることができた。せっかくオーディオセットを借りたのに、解説を聞いた絵画はほんの10枚程度だったが・・・。

すぐにチャリング・クロス駅に取って返し、スーツケースを受け取り7ポンド50を払った。券売機でカンタベリーまでの切符を買おうとしたが、画面にはなぜか往復料金だけが表示され、どうしても片道料金が出て来ない。何度かやっているうちに片道の料金が表示されたが、何と「37ポンド」だと言う。高すぎるので、おかしいと思い、やはり行列に並んで窓口で買うことにする。

私の番になった時には、410分の出発まで10分もなかった。「大人1枚、カンタベリーまで」と言うと「片道か? 往復か?」と聞く。「片道だ」と応えると、「往復の方が20ポンドで、片道が37ポンドだ」と言う。何を言っているのか理解できず、自分の英語のヒアリングの力が急に落ちたのかもしれないと不安になった。だが、何度も聞いても同じ答えが返ってくる。「片道が20ポンドで、往復が37ポンドじゃないのか?」と聞くが「違う、逆だ」と言う。最後に私が「とにかく安い方で」と言うと、切符を2枚出してくれ、私はクレジットカードで20ポンドを払った。

さっきサンドイッチを買って食べた売店で水を買おうと思ったが、3人並んで待っていたので、諦めてカンタベリー行きの列車が出る4番プラットフォームに急いだ。途中で、前を歩いていた女性が「どこに行くのか」と聞くので「カンタベリーまで」と応えると、「電車は途中で切り離しになるので、前の方に乗った方がいい」と親切に教えてくれる。

列車は410分、定刻に出発した。その時、自分がものすごく喉が渇いていることに気がついた。今朝、ヒースロー近くのホテルで、ビンのボトルの水を飲んだだけで、その後摂取した水分といえばコーヒーだけ。私は血圧が高く血圧を下げる薬も飲んでいるのだが、やはり定期的にきちんと水分をとらなければならない。このまま喉の渇きが進めば、血液が固まって、気を失って倒れてしまうかもしれないなどと思い始め、急に不安になった。 

切符を買った後、行列に並んで売店で水を買えば良かったと後悔するが、後の祭り。日本ならどこにでも、飲み物の自動販売機があるので、ほんの数秒で水を買えるが、イギリスではそうはいかない。

海外では、ちょっとしたことが命取りになってしまう。カンタベリーに着くまでの2時間45分、ひたすら喉の渇きに耐えたのだった。喉の渇きはどうにかなるが、血が濃くなって血圧が上がってしまうかもしれないと思い、きが気ではなかった。お陰で景色を楽しむような気にはなれず、ひたすら深呼吸をして呼吸を整え自分自身が倒れないように気分を落ち着かせる。555分にカンタベリー駅に着いた時には、「ああ、これで死なずに済んだ」と胸をなで降ろしたのだった。

駅で降りて、最初に見つけたスーパーで水を買って、がぶ飲み。カンタベリーの教会は、英国国教会の総本山。ホテルはその門のすぐ横にあり、その名もCathedral Gate Hotel。スーツケースを持ち上げて階段を昇り小さなフロントに行き、カギを受け取って、また階段を4階まで上がる。部屋に案内してくれたフロントの女性が、「何しろ15世紀にできた古い建物で、その頃からホテルとして使われていました。まだエレベーターがなかった時代なので・・・」と申し訳なさそうに言う。部屋は小さくトイレやシャワーも共同だが、なかなか趣のあるホテルだ。

夕飯は軽く済ませようと思い「簡単に食べられるレストランはあるか」とその女性に聞くと、「近くにHappy Samurai、あるいはwagamama (わがまま)という日本料理の店がある」と言う。その時、彼女が「わがままってselfish のことでしょ?」と言ったので驚いてしまった。「なぜ知っているの?」と聞くと、I studied Japanese.と応えたのだった。

私はバングラデッシュ人です

731日に前に勤めていた出版社の同僚たちと昼食、3時にNHK文化センターに行き10月に行う「英語はこんなにおもしろい」という講座のパンフレットの顔写真の撮影。その後、以前旅行会社を経営していて、いまは投資家になっている高木さんと神保町で夕飯を食べる。

8月に入っておよそ半月の間は、ブログも本の原稿も書かずに、テレビを見たり週刊誌や本を読んだりして過ごした。全くの空白の日々。暑いので何もする気が起こらないのか、それともたるんでいるのか? 高木さんは「これまで何十年も編集者としてミスを起こさないように、誤植を出さないように、ものすごい神経を使って仕事をしてきて、やっと解放されたのだから、しばらくはリラックスして過ごした方がいいですよ」と言ってくれた。

そして814日(火)、いまロンドン・ヒースロー空港近くのホテルでこのブログを書いている。813日(月)にタイ航空の飛行機でバンコクまで5時間半、2時間トランジットして、さらにイギリス行きの飛行機に乗り11時間半という長旅だった。

バンコク行きの飛行機で隣の席に座っていたバングラデッシュ人と話が弾む。なかなかの好青年、渋谷のメガドンキの向かいの店で働いていて、埼玉の日本語学校にも通っているという。そういえば、私がしばしばお昼を食べに行くイタリアン「クッチーナ」のコスルさんもバングラデッシュの人だ。

私が勤めていた出版社も渋谷の宇田川町にあり、ローカルな話で盛り上がる。「ホテル・クレッセントの近くとてもおいしいカツ丼の店があって、会社に勤めている頃にはそこによく行った。今度行ってごらんよ」と言うと、「私はバングラデッシュ人なので」と遠回しに言う。そうか! イスラム教徒は豚肉は食べないんだ。カツって豚肉なんだよな。ずいぶん海外を歩いているわりには、宗教的な問題でうっかりすることがある。

もう何年も前のことになるが、同じようなことがあった。年末と正月の休暇でアメリカに行った時、1週間アトランタに滞在したのだが、外は寒かったので毎晩ホテルのレストランで食事をした、そこには黒人のウエイトレスのおばちゃんが何人かいて、すごく仲良しなった。「サザン・ホスピタリティ」という言葉がある。「アメリカ南部の暖かいおもてなし」ということだが、それを実際に感じることができた。

アトランタ空港に着いたのは朝7時半だった。ホテルのチェックイン時間は午後2時。部屋に入るまでに長時間待たなくてはならない、だからホテルに着いたらすぐに部屋に入って寝られるようにと、前の晩から予約していたのだった。だが、クリスマスも近く旅行者が多かったために入国審査に時間がかかり、空港からモノレールに乗りマルタという地下鉄に乗り代え、ホテルまで歩いてチェックインを済ませた時には、もう12時半になっていた。なんだ1時間半待てば、部屋に入れたんじゃないか、と思って本当に損した気分になった。

部屋に荷物を置いて、すぐにホテルのレストランで朝食なのか昼食なのかわからない食事をした。その時にウエイトレスのおばちゃんたちに「前の日から予約をして損をした」という話をしたら、ひとりが「それは残念だったわね」と同情してくれ、注文した料理が出てくる前に「This is for you!」と言って暖かいトマトスープを出してくれたのだった。とてもおいしくて、疲れている体に沁み込むような温かさだった。

そんなこともあって、毎晩そのレストランに行っては彼女たちと親しく話をするようになった。12月23日に私が「明後日チェックアウトする」と言うと、黒人のおばちゃんたちはみな口をそろえて「24日と25日は休みだからもう会えないけど、元気でね」と言ってくれた。クリスマス休暇だ。その時に「みんなクリスマスで休んでしまったら、どうなるんですか? レストランも閉まるんですか?」と聞いたら、「大丈夫よ。ホテルだからレストランはやってるわ」と言う。

24日、ほとんどの店は休みになっていたが、唯一開いていたホテルのレストランで夕飯を食べた。そこにいた男性のウエイターに「みんなクリスマスで休んでるのに、あなたは働かなくてはならない。残念ですね」と言うと、その人は「私はバングラデッシュ人です」と言った、イスラム教徒であることを遠回しに。クリスマスは彼には関係がなかった。日本ならお寺の坊さんでも神社の神主でも、みんなクリスマスにはケーキを食べたりして祝う。そんな日本の感覚でいると、相手に失礼なことを言ってしまうことになる。

さて今現在に話を戻す。朝7時半にロンドン・ヒースロー空港に着いたのだが、ホテルのチェックインは午後2時。もう家を出てから24時間近くが経っている。空港で空いているベンチを探して横になっていようかとも思ったのだが、幸いなことに飛行機で少し寝られたので意外と元気だった。そこでまずホテルに行って荷物を置いて、地下鉄(イギリスではundergroundと言う)でロンドンの名所にでも行ってみようと思い始めた。

ターミナル3の中央バスターミナルの横にローカルバスの乗り場があった。係員らしき人に「Bath Roadのレオナルド・ホテルに行きたい」と言ったら、19番と書いてあるバスストップに来るバスなら、ほとんどそこに行くと言う。ターミナルに戻って「オイスターカード」というイギリス版のスイカ自動販売機で購入。

バスに乗り、運転手にBath Roadに行くか尋ねたら「Yes!   2番目のバスストップだ」と教えてくれた。そのバス停が近づいてくると、手前に「レオナルド・ホテル」という看板が見えた。バス停と目と鼻の先だった。

まだ9時半だったが、フロントに行くと、女性のフロント係が「部屋が空いているので・・・」と言ってチェックインさせてくれた。ロンドンの街に行くことは諦めたが、もう歳なので、無理は禁物だ。

部屋の窓からは滑走路が目と鼻の先。飛行機が次から次へと離陸していくのが見える。でも窓を閉めれば騒音は聞こえない。シャワーを浴び、カーテンを閉めて夕方の4時まで熟睡。最初は空港のベンチで寝ていようと思ったのに、ふかふかのベッドで寝ることができた。えらい違いだ。

 

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1階のレストランでトマトサラダとピザを食べ、最後はアイスクリームでしめる。32ポンド、日本円なら4800円。日本のサイゼリアなら1000円ちょっとで食べられるはずだ。

そしていま部屋に戻り、このブログを書いている。9月に日本に帰ったら、いくつか講演もあるし、やはり英語に関する本も書いていきたい。あまり器用な方ではないので・・・というか、精神的にひとつのことに集中しないと、完成度の高い仕事はできないので、本の原稿とブログの執筆が両立できるか、本当に不安だ。

旅先でも、ブログを書くためだけに旅行をしているような気がすることがある。なんだか本末転倒・・・。でも8月に入って、猛暑の中でグダグダしている時に読んだ新聞に、ある作家(誰だか忘れたが)のこんな文章が引用されていた。「日記を書くための日常生活があってもいいのではないか」。そうか、ブログを書くための旅があってもいいのかもしれない・・・。

何もしなかった空白の半月でも、知らず知らずのうちに得るものがあったようだ。

アメリカでは3000円で運転免許が取れる

7月18日(水)、娘の家族はアメリカに帰っていった。2人の孫にとっては実質初めての日本は「とても楽しかった」と言う。フロリダの生活は、家も広くて住環境は申し分ないし、どこに行くのにも車で簡単に行ける。日本のようにバスに乗って電車を何度も乗り継ぐこともない。でも、アメリカの生活は日本のように刺激的ではないと言う。
アメリカでは歩いてどこかに出かけるということをしていないので、孫2人も、そして娘も夫も、日本で二週間過ごしてみて、移動に必要な体力がなくなっていることに気づいたようだ。
娘は、アメリカで車の免許を取ったので、まだに日本では運転したことがない。何年か前に、娘に免許を取った直後に、空港まで車で迎えに来てもらったことがある。その時、娘が運転し私が助手席に座ったのだが、とても不思議な気がした。
娘がアメリカで免許を取るのにかかったお金はたった30ドル。3,300円だ。4月に大西洋横断のクルーズ船に乗った時に、アメリカ人たちに「日本では車の免許を取るのに最低でも3,000ドル(33万円)かかる」と言ったら、みんな驚いていたっけ。
日本では、他の車とすれ違う時、その車が待っていてくれた時などには、「お礼代わり」に軽くクラクションを鳴らすが、娘曰く「アメリカでは決してクラクションを鳴らしていけない」と言う。「クラクションを鳴らすということは、よほどの緊急事態ということになり、相手が驚いて何事かと思ってしまう」と(NYにように、イエローキャブがものすごい勢いでクラクションを鳴らしていて、それが街の名物となっているところもあるが、あれはアメリカでも例外中の例外だと言う)。
横入りさせてもらった時などには、その車にハザードランプを点滅させて「お礼」の意を表明するが、「アメリカではそれはやめた方がいい。周りの車の人は、何かの緊急事態かと勘違いしてしまう」とも言う。hazardとは「危険」という意味だ。
私は。8月中旬からイギリスとフランスに行き、留学中の妻と合流して、その後2人でエジンバラに行ってレンタカーを借り、スコットランド湖水地方をドライブする予定。日本で運転する時の癖が出ないように、お互いにチェックし合うことが必要だろう。
7月21日(土)午後4時、NHK文化センターに小林和男さんと三井物産の目黒祐志さんの講座「不思議のロシア」の2回目があり聴講。「プーチンは元KGB、だから毒ガスなどを使って政敵を殺害している。新聞でプーチン批判を展開した女性ジャーナリストも殺された。これはプーチンの仕業」などという話を信じていて、質問した人がいたのでビックリしてしまった。まだそんな人がいたんだ!
地下のライオンで二次会。いろいろな人と知り合う。私も自分の著書のこと、今度NHK文化センターで「おもしろい英語」について講座を持つことなどをPRさせてもらった。
7月23日(月)、日本記者クラブで内外メディア研究会の講演。読売新聞の橋本五郎さん。なかなかの人情家。これほど人々の苦しみや悲しみ敏感な記者も珍しい。
午後5時に、渋谷の牛舎で小池君とお茶を飲む。ひとりで大冒険したNYのことが、忘れられない思い出になっているようだ。

「アンデルセン公園」と「おもちゃ王国」

710日(火)、娘だけが東京で人と会うため、娘の夫と私で孫2人を柏アリオに連れていき遊ばせる。子供用のかなり広いマットのスペースがあるのだが、近くに玩具店もあり、ちょっと目を離している隙に1人がいつの間にかそっちへ行ってしまう。娘の夫と2人で見てないと、どこに行くのか、何をしでかすかわからない。

711日(水)、自宅から車で30分ほどの「船橋アンデルセン公園」に孫たちを連れていく。この公園は、外国人が行きたい場所として東京ディズニーランドに次いで第二位に選ばれたという。娘と息子が小さい頃よく行ったが、あまり良く覚えていない。いつの間にディズニーランドに匹敵するような公園になってしまったのだろうか?

船橋市がやっているのか民間の経営なのかわからないが、4歳以上の子供と大人に入場料がかかったものの、65歳以上の私と3歳の下の孫は無料だった。入場して少し歩くと、子供でも昇れるタワーがあり、その天辺からチューブの中を降りるスベリ台があった。かなり高いので心配だったが、タワーは絶対に子供がケガをしないような造りになっていて、細かなところまで安全面の配慮がされていることがわかる。2人とも大喜びで、何度もチューブの滑り台で降りてきた。

そのタワーの先には、鉄の棒でつくられたお城があり階段を上がると、一番上からローラー式の30メートルほど続く滑り台があった。その滑り始めはかなり高い位置にある。恐らく地上15メートルはあっただろう。上の孫は難なく滑り降りた。私は下の孫と一緒に滑ろうと思って昇ったのだが、あまりの高さに恐怖を覚え、下の孫も怖そうにしていたこともあり、断念して2人で階段で降りてきてしまった。

今度は上の孫が下の子を連れて上に上がり、2人で一緒に下まで滑り降りてきた。次からは下の孫も1人でも滑れるようになった。何度も何度もこの高くて長い滑り台を滑った。目の前の壁を乗り越え、自分に自信がついたようだった。こうして子供は少しずつ大人になって行くのだろうとまで思えた。

その先には子供用の「じゃぶじゃぶ池」があり、遠足で来ていた大勢の小学生に交じって、2人ははしゃいでいた。

奥にはフィールドアスレチック。上の孫には娘の夫が着き添い、下には私が着いた。私はもともと運動神経が良く、この手のものは大得意だったのだが、今では歳をとり平らな道でさえもちょっと石ころを踏んだりするだけでよろけてしまう。下の孫がロープの網の中に入って途中で動けなくなってしまった。だが、私も体が重くなっているし、脚も上がらないのでなかなか孫のいるところまでたどり着けない。第一、狭くて網の中に入れない。そんなことが何度かあったのだが、私にはどうすることもできなかった。

そんな私を見て孫が英語で言った。Jichan, you are useless! (爺ちゃんの役立たず)。「役立たず」と言われたのは何年振りだろうか? そして今度は日本語で言った。「キミはママのおとうさんじゃない」。

そういえば、娘は小さい頃からフィールドアスレチックが得意だった(きっと私に似たんだと思っていた)。アスレチックで何でも敏捷にこなす娘を見て、他の知らないお母さんが言っていた。「あの子、女の子なのに凄いわね」と。

この「アンデルセン公園」は楽しめる。子供の視点で子供が楽しめて、挑戦と冒険ができる遊具がある(数は多くないが)。それが日本を訪れる外国人に人気がある理由だろう。園内では中国語も飛び交っていた。

712日(木)、12時の新幹線で軽井沢に。孫たちは夢だった新幹線に乗れる! 停車中の新幹線があったので、車両の先頭に行って写真を撮る。自由席なら子供は無料なので、私が先頭に並んで席を確保。娘の家族は4人で向かい合って座ることができた。

70分はアッという間だった。すぐに旧軽に行こうと思ったのだが、娘が「私は行きたいが、子供たちには面白くないだろう」と言い出し、アウトレットで保養所のチェックインの時間まで時間をつぶすことにした。

子供遊び場もあった。大はしゃぎで遊んでいる孫たちを見ていると、やっぱり子供達には旧軽よりこっちの方が楽しいだろうなとつくづく思った。

娘は以前から「日本のアウトレットはアウトレットではない」とよく言っていた。ニューヨークの郊外のアウトレットなら、何と「定価の70%オフ」くらいで服や靴が買えるらしい。「それが本物のアウトレットで、日本のはただ単に有名ブランドの店が並んでいるだけ、ちっとも安くない」と。

13日(金)は、軽井沢からバスで1時間。「おもちゃ王国」に行く。この前の「アンゼルセン公園」と比べると入場料も高い。私のような65歳以上の老人からも、3歳の孫からも入場料を取る。それぞれ2000円プラスすると「アトラクション・フリー」のチケットが買えるが、「アユのつかみ取り」などいくつかは別料金と聞いて、それぞれのアトラクションに乗る際にチケットを買うことにした。これが大きな間違えだった。簡単な乗り物でも、500円から600円もする。3、4回も乗ればすぐに2000円になってしまう。結局、一人当たりプラス4000円も払うはめになってしまった。失敗したと思っても後の祭り。

入場料を払えば後は無料で思う存分に楽しめる、あの船橋「アンゼルセン公園」とはえらい違いだ。もともとこの[「おもちゃ王国」は近くのホテルがあり、そこに宿泊してもらうためにできた遊園地。お金を落としていってもらわないと困るのだろう。

去年、親友の韓国人と「鬼押し出し」に行った時に、はるか遠くの山の裾野に観覧車が見えた。あれがこの「おもちゃ王国」だったのだ。私は「那須ハイランドパーク」だとばかり思っていたが、よく考えてみれば那須がこんなに近い訳がない。

714日(土)、保養所からタクシーで旧軽に行く。ちょっと散策してから、赤バス熊野神社と見晴台に行こうと思ったのだが、すぐにバスが来てしまった。熊野神社は長野側と群馬側の県境にあり、二つの神社に分かれている。パワースポットとしても有名らしい。お参りしてから、階段下の茶店であんこ餅の入ったかき氷を食べて、バスに乗り旧軽に戻ろうとした。ところが下の孫がバスの中で寝てしまい、しかたなく旧軽で降りるのを諦め、終点の万平ホテルまで行くことにした。そこならタクシーを呼べると思ったからだ。

娘の夫は大きめのスーツケースを持ち運んでいたが、ホテルのスタッフが親切にもクロークで預かってくれると言う。ジョン・レノンがいつも飲んでいたというロイヤル・ミルクティを出すカフェも、レストランも順番待ちの人たちで一杯だった。少し椅子に座って休んだが、下の孫がまだ目が覚めないので、そのまま4時までアウトレットで時間をつぶそうということになった。

ホテルのスタッフが、宿泊客でもない私たちの荷物を預かったくれただけでなく、タクシーまで呼んでくれた。さすがに一流ホテルは違うと感動してしまった。いつか必ずこのホテルに宿泊しようと誓った。

娘の家族は、これから松本の友達の家に2泊する予定。そのご主人は医者なのだが、土曜なので診察が午前中に終わってから上田の駅まで迎えに来てくれると言う。

私は駅の休憩所でスーツケースの番をし、娘たちはアウトレットに行って、カフェに入ったのだが、ものすごい混みようで途中で断念して帰ってきた。

420分のしなの鉄道快特5時ちょっと前に上田に着く。改札でその医者の友人が待っていてくれた。みんなはその人の車に乗って松本に行ったが、私は1人で上田城公園を散策してから新幹線で帰ってきた。

何をする訳でもなかったが、疲労困憊の4日間だった。

孫たちとの怒涛の日々

76日(金)、元同僚の荒川君と渋谷のクッチーナでパスタを食べる。彼も「あと2か月で定年だ」という。「やっと会社を辞めるという実感が湧いてきた」と。

1時半に荒川君と別れ、ドンキホーテで孫たちの室内履きのスリッパを買って羽田に急ぐ。到着は335分だったが、20分ほど早くなった。

出口から娘の家族が出てきた。みんな元気そう。下の孫は飛行機の中で10時間も眠ったが、上の方はゲームをやっていてほとんど寝なかったと言う。京急で品川に。行きは特急で10分ほどだったが、各駅だったので20分かかった。品川から上野・東京ラインで柏まで直通で来る。孫2人は電車にほとんど乗ったことがないので、普通の電車に乗るだけで大喜び。我々にとっては日常的な車窓からの景色を大いに楽しむ。新幹線に乗るのが夢。来週の木曜日に軽井沢行って2泊するので、その夢がとうとう叶う。

柏の駅に着く。上の孫は回転寿司が食べたいと言ったのだが、ちょっと遠いので駅前のジョナサンで夕飯を食べ、タクシーで私の家へ。家に入った途端、上の孫が「僕はホテルに泊まりたい! この家では眠れない!」と泣き叫び始めた。我が家は想像していたホテルとは大きく違っていたようだ。娘は「ホテルだとお金がかかるので泊まれない」と説得し、私には「24時間以上寝ていないので、興奮しているのではないか」と言う。実際に、翌日は何もなかったかのようにケロっとしていた。

7日(土)、月曜日に神社に行って七五三の祈祷をしてもらうので、朝10時に貸衣装店に行って衣装合わせ。上の孫は「青色でドラゴンの絵が入っている羽織がいい」と言っていたのだが、その通りの衣装が見つかりすっかりご機嫌。金色の袴と合わせてみたら、文句のつけようのない姿になった。昨日、泣き叫んでいたのが嘘のよう。下の方も緑の羽織が見つかり、黄色の袴を合わせてみたら、これも気に入ったようだ。

お昼は上の孫の希望を叶えようと「ららぽーと」の回転寿司へ。ところが、ものすごい混みようで1時間以上待つ。私は午後4時からNHK文化センターで、小林和男さんと三井物産の目黒祐志さんによる「不思議なロシア」という講座があったので、ひとりフードコートでモスバーガーを食べて青山へ急ぐ。

この講座は素晴らしかった。ロシアという国の既成概念が覆される。次の21日(土)の講座は、先約があって断念したのだが、キャンセルして参加することに。

翌日は柏のあけぼの公園で6家族が集まってのBBQパーティがあり、朝10時に車で送って行く。みんな娘が住むフロリダの町に住んでいた人たちばかり。娘の家族が来日するというので、神奈川や都内、所沢など遠くからも、この柏の公園に集まってくれたのだった。

その町にはフロリダ州立大学があり、みなさんそこに留学や研修をしていた人たち。奥さんたちの中にも何人かお医者さんがいる。日本の大学病院や研究医療機関から派遣されただけあってエリート中のエリートばかりだ。

家に戻って大量の洗濯を終えると1時半。娘から「2時頃に迎えに来てほしい」と電話。2時ちょっと過ぎに公園に着いたが、案の定子供たちが遊んでいて、なかなか解散にならない。私もしばらくみなさんと一緒に話をする。

3月に娘の家に行った時に、年度末のため研修や留学を終えて帰国する人のための「送別会」が開かれていた。私も飛び入りで参加したので、顔見知りの人も多い。「大西洋クルーズをしたんですよね? いかがでしたか?」などと聞かれる。

バドミントンをやっていて、ラケットが子供の顔に当たってしまい鼻血が出てしまった。ご主人たちが皆かけつけるが、考えてみたら全員がお医者さんだった。大事に至らなくてよかった。

9日(月)、朝9時半に松戸。旅券事務所に孫2人のパスポートの申請に行く。アメリカで撮ってきた写真はOKだったが、ネットからダウンロードした申請書は使用できないとのことで、再度書き直し。娘は長いこと係官の面接を受けていたが、いろいろアドバイスしてくれたと言う。帰国前日の17日(火)にパスポートを受け取れるということがわかり一安心。

12時に貸衣装店へ。娘は妻が用意してくれた祖母の着物を着る。上の孫もすぐに羽織袴をつけることができた。刀もつけてもらってご機嫌。

大変なのは下の方だった。寝て起きたばかりだったので機嫌が悪く、羽織を着せても泣き叫んで脱いで裸になってしまう。暑かったせいもあっただろう。だましだまし機嫌を取り写真撮影。すぐに衣装を脱いでしまい、座り込んでしまったりして、なかなか撮影ができなかった。全てが終了した時には、1時をかなり過ぎていた。

すぐに廣幡八幡神社に行き、季節外れの七五三の祈祷をしてもらう。神主さんには「泣いてもそのまま続けてください」と頼んだが、孫たちは暴れたり泣き叫んだりすることもなく、お祓いの最中、下の孫がおならをしただけで無事に祈祷が終了。千歳飴や折り紙や本などをもらった後、境内で写真を撮って帰る。貸衣装店に着く前に、下の孫は車の中で羽織袴を脱ぎ捨て真裸になっていた。

怒涛の日々はまだまだ続く。

 

サッカーはなぜ世界的スポーツなのか? 

サッカー・ワールドカップ、朝3時にベルギー戦のキックオフ。後半開始早々、日本が2点を入れリードした時には、ひょっとするとひょっとするかもと思ったが、その後3点入れられ敗退。最後の1点はアディッショナルタイム中だった。会社のことを考えずに、明け方までサッカーをゆっくり見られるとは、定年生活というものはなんと良いものだろうかとしみじみ思う。

サッカーは世界中どこでも人気のあるスポーツだ。それはオフサイドなどの細かな規定はあるものの、ルールがわかりやすいからだろう。単純に言えば、ゴールキーパ―以外は手を使ってはいけない。そしてゴールにボールが入ると1点が入るというゲームだ。

いつかサンフランシスコでタクシーに乗ったら、ドライバーは「ロシアからやってきて、まだ半年だ」と言う。野球場の横を通った時、彼は私に「野球のルールがわかるか」と聞いた。Yes!と応えると、彼は「TVをつけると野球を放送しているが、グランドで何か起こっているか、自分にはまったく理解できない」と言っていた。

私の子供の頃は、スポーツと言えば野球しかなかった。毎朝、学校に行くと「三角ベース」をやるのが普通だった。だから、なぜバッターが打ったら3塁ではなく1塁方向に走るのか、なぜフォアボールで1塁に行けるのか、なぜストライク3つでアウトになるのか、なぜフライが上がって捕球したらアウトになるのかなどと聞かれても、物心着いた時から感覚的に身についていることなので説明できない。

オーストラリアやニュージーランドでは、TVでよくクリケットを放送している。私は30分ほどじっと見ていたが、最後までルールもその面白さもよくわからなかった。きっとサンフランシスコで会ったロシア人の運転手も、そんな気持ちで野球を見ていたのだろう。

午後、洗濯を済ませ、次の本の原稿を400字で8枚ほど書く。私のような古い編集者は、何字×何行といわれても、やはり400字原稿用紙で何枚でないとピンとこない。

まだ本の全体像が見えてこないが、とにかくどんどん書いて、最後にうまく繋がるような構成を考えることにしよう。

KくんはもうNYから帰って来たのだろうか? 「近々お昼を食べましょう」と言っているが、娘の家族もアメリカからやってくるし、なかなか時間が取れない・・・と思っていたが、娘の家族は金曜日の午後3時半に羽田に着く。その前だったら、渋谷で食事をして、空港に急げば大丈夫ということに気づきLINEを送る。

上の孫は今度が3回目の来日、最初はまだ赤ん坊だったし、この前は妻の母親の葬式でやってきた。それぞれ1週間足らずの滞在。下の方は今度が2回目。これまでたった1週間しか日本にいたことがない。

今度はまるまる2週間の夏休み。2人の目に日本はどう映るのだろうか? 

初ヒットが初ホームラン、頑張れヒガシオカ!

9時からヤンキースレッドソックスの試合を見る。NHKBSもワールドカップを放送をしているので、CSJ sports 2で。NYにいるKくんは試合に間に合って、スマホQRコードを無事に提示できただろうか? TVに観客席が映るが、もし大丈夫だったらきっと内野席の一番上の方にいるのだろう。

ヤンキースのキャッチャーは日系4世のヒガシオカ、祖父が日本人だと言う。まったく日本語が喋れず、父親からは田中マー君と積極的に日本語で話して覚えるようにと言われているという。

入団して10年間ずっと3A(日本で言えば2軍)暮らしで、やっとメジャーリーギのレギュラーになれた苦労人。しかも1軍の試合に出場し始めてから、これまで22打数ノーヒット。3Aで大活躍してレギュラーになれたのかと思ったら、打率も1割台だったとのこと。きっとリードが抜群にうまいから抜擢されたのだろう。

そのヒガシオカが何と2打席目にレフトスタンドにホームラン。メジャーリーグ初ヒットが初ホームランだった。解説者も「彼はきっと今日のことを絶対に忘れないだろう」と言っていた。ひょっとしたら「サンデーモーニング」あたりで紹介されるかも。何しろ日系のメジャーリーガーなのだから。

野球は11対1でヤンキースワンサイドゲーム。試合終了は11時55分。Kくんは球場から無事にニュージャージーのホテルにたどり着けたのだろうか?

その後、娘たちが泊まる部屋の片づけと掃除。汗びっしょりになる。

バスで駅に行き、銀行で用を済ませ、ジムに行く。ストレッチを20分、ウォーキング15分の後、筋トレ、腹筋など20分。

家に帰り、本を読むか原稿を書くかしたかったが、明朝3時からワールドカップの決勝トーナメント(昔は決勝リーグと言っていた)のベルギー戦があるので、それに備えて睡眠をとることに。

9時に起きるとKくんからlineが届いていた。「日本人がNYで生活するにはエネルギーが必要ですね」と。今日、彼は自由行動日で自分一人だけで歩き回っている。だからいろいろなことをビンビンと感じたのだろう。団体だとそうはいかない。私の知り合いでツアーでNYに行った人がいた。「ものすごいエネルギーのある街だったでしょう?」と聞いたら「ただ黒人が多いなあと思っただけだった」と言っていた。

Kくんは、一人旅の大変さと醍醐味を感じ取ったようだった。そういう共通認識を持つ友達が増えることは嬉しい。

さて、あと4時間で日本対ベルギー戦のキックオフ。もし勝ったら、日本のサッカー界、いやスポーツ界においても大変な偉業になるだろう。