旅三昧&ときどき読書+映画

私は小泉牧夫。英語表現研究家という肩書で『世にもおもしろい英語』『アダムのリンゴ 歴史から生まれた世にもおもしろい英語』(IBCパブリッシング刊)という本を書いています。2018年4月に 出版社を退職し、41年にわたる編集者生活を終えました。いま世界中を旅しながら、本や雑誌記事の執筆とともに、旅先ではこのブログを書いています。お金はありませんが、時間だけはたっぷりある贅沢な旅と執筆と読書と映画の日々を綴っていきたいと思います。

旅三昧&ときどき読書+映画

私は小泉牧夫。英語表現研究家という肩書で『世にもおもしろい英語』『アダムのリンゴ 歴史から生まれた世にもおもしろい英語」(IBCパブリッシング刊)という本を書いています。2018年4月に出版社を退職し、41年にわたる編集者生活を終えます。それからは世界中を旅しながら、本や雑誌記事の執筆をする予定。お金はありませんが、時間だけはたっぷりある贅沢な旅と執筆と読書と映画の日々を綴っていきたいと思います。

痛恨のミス!「シェルブールの雨傘」の撮影地を見逃す。

824日、今日はシェルブールからフェリーに乗って南イギリスのプールという港に行き、それから妻が留学しているボンマスという街のホテルまで行く。プールの港からボンマスまで、どのくらい距離が離れているのか? 電車がいいのかバスなのか? タクシーで行けるような距離なのかもわかない。

朝になってボンマスの、その名も「ホテル・チョコレートボックス」のホームページを見て場所を確認すると、街の中央のスクエアーという広場に近いことがわかった。他の情報をながめていたら、重要なことが表示されていた。「チェックイン時間が21時で終了」となっていたのだ。船がプールの港に着くのが、午後945分だから間に合わない。部屋どころか建物の中にも入れないではないか。

エクスペディアでホテルを予約していたので、ホームページ上にある「ホテルにメッセージを送る」という箇所をクリックし、「船がプールに着くのが午後945分なのでチェックアウト終了までにホテルに行けない」旨の英文メールを送る。30分ほどして電話してみると(一応フランスからイギリスへの国際電話)、ホテルフロントの人が出て「メールを受け取ったが、あなたのアドレスがなかったのでどのように連絡したらいいいのかわからず困っていました」と言う。「どのようにホテルの鍵を開けて中に入るのかをメールしますので、アドレスを教えてください」とのことで、アドレスを教える。

だが、アルファベットを正確に伝えるのは、これは同じ言語を喋る人でも意外と難しい。例えば「A」と言っても「E」に聞こえてしまうし、「G」も「J」に聞こえてしまうこともありあえる。「M」と「N」も勘違いしやすい。そんな時に「A for America」「B for Brazil」「C for Charlie」 などという伝え方がある。これを「フォネティック・コード」と言う。日本でも昔、電報を送る時に「あさひのあ」とか「いろはのい」「うえののう」などと言って正確を期した。電報だけではない。電話でニュース原稿を送っていた新聞記者や放送記者が入社すると真っ先に覚えさせられたもので、ジャーナリストにとってはまさに「いろはのい」だった(私が出版社に入社した頃にはすでにファクスが出始めていたので、覚える必要はなかったが・・・)。

アドレスを伝えて少し経った頃、メールが来た。そこには「ホテルの入口を右に回ると黒い箱があり、そこにボタンがある。・・・という番号を入力すると、それが開くので、その中にホテルに入るカギと部屋のカギが入れてある」と事細かに書いてあった。これで夜遅くなっても、どうにかこのBBスタイルのホテルに入ることができるだろう。

出港は午後620分なので時間はたっぷりある。いつものようにスーツケースをホテルに預けて、近くのショッピングセンターの中のレストランで朝食兼昼食のブランチを食べる。まず、近くに「雨傘博物館」があったので行ってみた。何とシェルブールらしい博物館でないか。1階が傘や洋服などを売る店になっていて、2階に傘の製造を見せる工房がある。1階の店はサッと見たが、工房にはあまり興味がなかったので、隣の観光案内所に入る。

スタッフの男性に「隣の雨傘博物館は映画『シュエルブールの雨傘』の前にもうあったんですか? それとも映画の後にできたんですか?」と尋ねると「できたのは、映画のヒットからかなりたってからです」と応えた。さらに「なぜこの街が映画の舞台に選ばれたんですか?」と聞くと「さあ、ちょっとわかりません」とのことだった。

桟橋には大きな「海に関するアミューズメント施設」があるらしい。船に乗るまでそこで時間をつぶすのもいいかと思い、中を見るのにどのくらいの時間がかかるのか聞くと「全部見ていたら4時間から5時間かかります」と言う。「海に関する映像だけでなく水族館、他にも数多くのアトラクションがあり、すごく広い施設です」と言う。早くに情報をつかんでいれば、朝早く起きていくことができたのに・・・。

仕方なしに、雨傘博物館の裏手にある美術館に入る。この街に住んでいた大金持ちが取集した絵画などが展示されている。チケットを買った後、受付の女性に「『シェルブールの雨傘』に関する映画博物館などはないのでしょうか?」と聞いてみた。彼女は「近くに『雨傘博物館』はありますが、特にそのようなものはありません」と応えた。私が「残念です。シシリア島のある村には映画『ニューシネマパラダイス』の資料館があるんですよ。この街にもそういう施設を作ったらいいのに」と言うと、映画のパンフレットのような小冊子を渡してくれたので、それを受け取った。

1時間ほど絵画を鑑賞してホテルに戻る。船に乗り遅れるといけないので、スーツケースを受け取り、フェリーの出る桟橋まで歩くことにする。フロントの女性に地図の桟橋を指さして「ここにフェリーに乗るターミナルがあるんですよね?」と尋ねると、「いいえ、この地図の外です。最近、その桟橋よりもっと右の方にフェリー乗り場が変ったんです。歩いたら50分はかかります。タクシーで行くことをお勧めします」と言う。しかし、まだ乗船時間まで3時間もあったので、歩いていくことにした。

その時、手に持っていた小冊子に目が行った。先ほどの美術館で「シェルブールの雨傘」に関する映画博物館はないのかと聞いた時、受付の女性が渡してくれたものだ。開いてみると、この映画のどのシーンが街のどこで撮影されたのかを示した地図だったのだ。なんだ! 博物館はないという話だったのに、こんなに興味深く大切な情報が入った冊子があったではないか! 

特に興味を引かれたのは、お互いに違う人と結婚した2人がガソリン・スタンドで再開する最後のシーンだ。私はあれはスタジオのセットで撮影されたとばかり思っていた。最後に雪の覆われたガソリン・スタンドだけにライトが当たって周囲が暗くなり、徐々にロングショットになる。そこだけが舞台の上のように浮かび上がるのだ。何とそのガソリン・スタンドが駅のすぐ近くの岸壁の前にあるではないか!

またスーツケースをホテルに預けて市街に戻るか、諦めてフェリー・ターミナルに行くか、しばらく迷ったが、やはりフェリーに乗り遅れてはいけないという思いが強く、私はスーツケースを転がして歩き始めた。

これが大きな間違いだった。「Car Ferry」と書いた標識に従って桟橋を目指し、突き当りを右に曲がったが、なかなかターミナルが見えて来ない。広大なペースの駐車場を左手に見ながら金網に沿って歩くと、遠くにターミナルらしき建物が見えてきた。そこに着いた時にはホテルを出て40分が過ぎていた。やはりタクシーに乗るべきだった。そうすれば時間ができた。ホテルからまた市街地に戻って実際に50数年前に実際に映画を撮影した現場を見ることができたのだ。痛恨の判断ミスだった。

ターミナルに着いたのだが、乗船が始まるまではまだ1時間半もあった。カンターで聞くと、「まず出国審査を受けてからバスに乗って船まで行っていただきます。ですが、まだ時間がたっぷりあります。アナウンスをするのでそれまで待っていてください」と言う。仕方なしにカフェでコーヒーを飲んで時間をつぶす。

フェリーがイギリス側のプールの港に着いた時には、もう午後10時が過ぎていた。到着が15分ほど遅れたのだ。車の人たちはすぐに下船を始めたが、歩いて乗船した「on foot passenger」は「しばらくそのまま待ってほしい」というアナウンスがあり20ほど待たされる。船に昇降機を取り付けたり、そこにバスを横付けしたり、入国審査官を配置に付けることなどが必要なのだろう。

やっと下船してバスに乗り込む。長い車両を2台つなげたバスだが、車以外でフェリーに乗った人たち全員が乗り込むことができる。あんなに大人数が船に乗っていたのに、on foot passengerはこんなに少なかったんだ。ところが、そのバスが10分経っても15分経っても発車しない。どうやら故障したようだ。別のバスが来て、それに乗り代える。バスを降りると入国審査だ。長い行列に並ぶ。私の番が来たが、入国書類を持っていなかったために、列から外され記入するように言われる。書き終えて窓口の女性に手渡そうとしたが「しばらく列を離れて待て」と言う。もう夜10時半、もう最終の電車はなくなってしまうかもしれない。私は「これでは私はボンマスまで歩かなければいけません」と少し大きな声を出したが、「とにかく待って」と言う。しばらくすると、別の男性の係官から呼ばれたので、パスポートを書類を手渡す。「妹が日本人と結婚して北海道にいるんです」と言いながらスタンプを捺してくれた。

私が最後になっていた。前の人についていくと、そこには駐車場があり、みんな自分の車に乗り込んでいる。歩いて乗船した人も、イギリス側の港の駐車場に自分の車を停めていたのだ。

ターミナルには明かりがついていて、たったひとりの女性がいた。「ここから駅まで歩いたらそのくらいかかるんですか?」と聞くと「20分」と言う。「もう最終の電車は終わってしまったんでしょうか?」と聞くと「わからない」と言う。駅まで歩いても、もう終電が終わってしまっている可能性がある。するとそこにはタクシーはいないだろう。人もひとっこひとりいないかもしれない。そこからまたターミナルに戻っても、誰もいなくなって電気も消えているかもしれない。そうしたら野宿だ。

ならば、このターミナルでタクシーを呼んだ方が確実かもしれないと思い、その女性に「タクシーでボンマスに行くと幾らくらいかかりますか?」と聞いてみたが、これも想像したように「わからない」という返事だった。

彼女は「ここに無料でタクシーを呼べる電話があるので、それでタクシー会社と話して値段を聞いたらどうでしょうか」と言う。その電話機にはダイヤルがなかった。受話器を取ると、そのままタクシー会社の人が出た。「いま港のターミナルにいるのですが、ボンマスまで幾らで行きますか」と聞いた。せめて日本円で8000円以内なら助かると祈るような気持ちだった。「およそ16ポンドくらいだと思います」と言う。日本円なら2400円くらいだ。助かった! 「それではお願いします」と言うと名前を聞かれ、「そこで待っていてください」と言われたので、「Thank you!」とお礼を言って電話を切った。これで野宿は免れた!

タクシーは15分ほどで来た。タクシーの運転手に事情を話して、「もしホテルに入るカギが見つからずに入れなかったら、他のホテルを探さなければならなので、私が無事ホテルに入るまで待ってください」とお願いする。料金は正確に16ポンド。ちょっと高いとは思ったが、20ポンド渡して「Keep the change!」(お釣りは取っておいてください)と言う。

カギが入っているはずの箱を探し当てた。運転手は箱の数字の部分にiPhoneの光を当ててくれ、私がメール文を読み上げると、その指示通りにしてカギを箱から取り出してくれた。そして私がドアを開けて入るのを確認してから、車に戻って行った。