旅三昧&ときどき読書+映画

私は小泉牧夫。英語表現研究家という肩書で『世にもおもしろい英語』『アダムのリンゴ 歴史から生まれた世にもおもしろい英語』(IBCパブリッシング刊)という本を書いています。2018年4月に 出版社を退職し、41年にわたる編集者生活を終えました。いま世界中を旅しながら、本や雑誌記事の執筆とともに、旅先ではこのブログを書いています。お金はありませんが、時間だけはたっぷりある贅沢な旅と執筆と読書と映画の日々を綴っていきたいと思います。

旅三昧&ときどき読書+映画

私は小泉牧夫。英語表現研究家という肩書で『世にもおもしろい英語』『アダムのリンゴ 歴史から生まれた世にもおもしろい英語」(IBCパブリッシング刊)という本を書いています。2018年4月に出版社を退職し、41年にわたる編集者生活を終えます。それからは世界中を旅しながら、本や雑誌記事の執筆をする予定。お金はありませんが、時間だけはたっぷりある贅沢な旅と執筆と読書と映画の日々を綴っていきたいと思います。

ベルリンからワルシャワへ。亡き友を想い、旅の神様と出会う

628日(金)、夜中に起きて朝7時までブログを書く。そのまますぐに昨晩疲れていて行けなかったコイン・ランドリーに行こうと思ったが、やはり大事をとってやめることにした。1232分のEC(国際特急)でポーランドワルシャワに行く。もし何かハプニングがあって行けなくなったら大変だ。部屋で9時までに睡眠をとって、それからゆっくり支度をしてホテルをチェックアウトすることにする。でも本当ならば、ベルリンで洗濯を済ませておきたかった。ベルリンなら英語でも説明があるだろう。でもポーランドではどうか? コイン・ランドリーは庶民の生活の場。地元の人が利用するものだから、英語の説明があるかすごく不安。ポーランド語だけで、そこ誰もいなかったら、どうすることもできない。一抹の不安を抱えながらも、まあどうにかなるだろうと9時にアラームをセットし、ベッドにもぐりこむ。

9時に起きてシャワーを浴び、荷物をスーツケースに入れる。朝食は駅か列車の中で食べよう。iPhoneマップで駅までどのくらいかかるかチェック。だが地下鉄Uバーンと高架鉄道Sバーンではなく、バスで行くように表示されている。黄色い△の中に!マークが。ドイツ語で何か表示されているが、事故でストップしているのか単なる遅延なのかわからない。

海外はこれだから油断はできない。でも、まだ時間はある。最悪の場合はタクシーでベルリン中央駅に行くことにしよう。しばらくすると、UバーンとSバーンも通常に戻っていることがわかって一安心。

今日はiPhoneの充電を列車の中でもできるように、電源プラグと変圧器をバックパックの中にいれた。場合によっては、ブログも書けるかもしれないと、パソコンも突っ込む。水がこぼれるとまずい。ミネラル・ウォーターの大きなペットボトルもキャップの閉まり具合を確認。

11時にフロントでチェクアウト。列車の出発時間まで1時間半あれば、たいていのハプニングにも対応できるだろう。この3日間は毎日7ユーロで1日有効のチケットを買っていた。その金額を十分回収するだけ交通機関に乗っていた。でも今日はUバーンに1駅乗ってSバーンに乗り変えて1駅で中央駅だ。1回だけのチケットを買おう。だが一度降りて次の駅で乗り変えるとなると1回だけの乗車券でいいのか? 念のために7ユーロで1日有効チケットを買った方がいいのか? フロントで聞くと「1回の乗車券でも2時間以内なら、何度でも乗り換え可能」とのこと。

やはりスーツケースは重い。地下鉄Uバーンのホームへはエレベーターで降りることができた。次の駅で降りて、高架線Sバーンへ。何度かエレベーターを乗り降りして、やっと中央駅に到着。まだ時間があったので、カフェで朝食。酢漬けの魚を挟んであるサンドウィッチがあったので、コーヒーと一緒に食べる。

あと10分で発車だ。ホームは11番線。矢印の方向に急ぐ。途中で矢印が上を向いている。エスカレーターで1階上に上がる。やっと11番線の下の通路まで来た。エスカレーターでホームに上がると、その列車のボディに「1」とあった。ファーストクラスだ。バックパックから予約券を出して車両番号を確認すると「272」とある。列車のボディにも「272」という数字がある。この車両で間違いない。

重いスーツケースを持ち上げて乗り込み、私の「66」という席を探す。また中央の向かい合ったボックス席。進行方向前向きだ。その間にはテーブルもある。だが、スーツケースを置くラックがどこにも見当たらない。車両の一番端まで行っては戻ったりしてうろうろしていると、そこに座っていたカップルの男性から「What is your seat number?」と聞かれた。「66番で、ここなんですが、スーツケースをどこに置いたらいいのかわならなくて」と言うと、その男性が私のスーツケースを持って棚に上げようとする。えっ、こんな重いのを上に上げるの?と思っていると、前向きと後ろ向きの席の背もたれの間に、ちょうどスーツケースが置けるくらいのスペースがあることに気づいた。彼はそこに私のスーツケースを滑り込ませた。私の席のすぐ後ろだから安心だ。2つの背もたれの隙間に荷物を置くという発想自体が私にはなかった。

2人はポーランド人で、クラクフまで行くと言う。「Are you on a holiday?」と聞くので「去年リタイアしたのでlong, long holidayなんです。1か月かけて中央ヨーロッパをまわっています」と言うと、「それはうらやましい」と言う。

列車は静かに走り始めた。市街地を抜けると、車窓には広々とした田園風景が広がる。座席の下にコンセントがある。さっそくiPhoneを充電。アマゾン・ミュージックのアプリで、Jポップのヒットソングを聞く。「川の流れのように」はわかるが、「Love Love Love」「True Love」は昭和の曲だろうか? 「ロビンソン」や「Pride」はもう平成に入っていたかな? 「Tomorrow」は阪神大震災の後でヒットした曲だから、明からかに平成だ。「ハナミズキ」も平成だろう。この平成の30年間にいろいろなことがあった。大変なことも多かった。でも、それを乗り越えた今、とにかく定年後の生活をこうして楽しんでいる。

どこまでも続く黄緑の平原と深緑の木々、青い空に白い雲がふんわり浮かんでいる。ふと、去年読んだ岩波文庫の『アンリ・ライクロフトの私記』という本を思い出した。ロンドンに売れない貧乏な作家がいた。満足に食事をするお金もなく、いつもお腹をすかせている。でも買いたい本があると、食事を抜いて切り詰め購入する。そんな爪に火を点すような生活をしていた男の人生が激変する。親友が亡くなり、その人には奥さんも子供も親戚もいなかったために、莫大な遺産が彼に遺されることになったのだ。

その貧しかった作家は南イングランドの森の中の邸宅を購入し、お手伝いさんをひとり雇う。食事の支度や掃除洗濯など日常の雑務の一切から解放されて、ひたすら執筆と読書、思索をし、日課として森の中を長時間散策するのである。何と理想的な生活ではないか?

3月に親友の田渕髙志さんが亡くなった。「篤姫」や「江」の脚本を書いた放送作家田淵久美子さんのお兄さんだ。死因は脳溢血。ある編集者が何度も電話したがなかなか出ない。メッセージを残しても返信がない。もともと時々音信不通になり、普段からなかなか連絡が取れない人だったが、さすがにおかしいということで部屋に行くと、そこで亡くなっているのが発見された。

ものすごくショックだった。悲しかった。心の奥底からお互いを理解できる人というのは一生の間にそう何人も出会えるものではない。私にとって田渕さんはそういう存在だった。私の著書『世にもおもしろい英語』『アダムのリンゴ』についても、「読んでいる最中ずっと頭の中が知的興奮で渦巻いていた」と言ってくれた。小学校と中学校で図書館の本を全部読破したと言う伝説も残っている。それだけの本を読み込んでいるから、文章はものすごくうまかった。本当の天才だった。「それに比べて、私は・・・」と何度自分の才能のなさを嘆いたことだろう。

その田渕さんに今度会ったら手渡そうと思っていたのが、この『アンリ・ライクロフトの私記』だった。きっと感動してくれたに違いない。「理想の生活だよね。わかる、わかる」と言ってくれたと思う。

私は失礼かもしれないとは思ったが、息子さんに私の書き込みがあるこの本を送った。お悔みの言葉に「悲しみが癒え落ち着いたら、ぜひこの本を読んでみてください」と書き加えて。私は生きている限り、親友であった天才、田淵高志を決して忘れないだろう。

列車はベルリンから時間ほどでポーランドに入った。その駅で若いカップルがボックス席の通路側に座った。彼らはしばらくすると、テーブルの上にサングラス、椅子の上に本を置いてどこかに行ってしまった。おそらく食堂車に行ったのだろう。30分ほど走っただろうか。次に年老いた女性がひとり私の向かいの窓側の席に座った。

べルリンから4時間ほど、かなり大きな駅に着いた。クラクフに行くというカップルは、乗り変えのためにそこで降りた。大勢の人が乗ってきた。何人かの人から私の隣の通路側の席が空いているか聞かれた。「ここに2人座ってました」と説明すると、テーブルの上のサングラスを見て諦めていった。恰幅の良い男性が来て、その席に座ろうとしたので、「この席は埋まっています。きっとレストランに行っていると思うのですが、はっきりしたことはわかりません」と言ったのだが、それを無視してどっしりと腰を降ろした。私の隣の席にも若い男の人が座った。

1時間ほどすると2人が戻ってきた。恰幅の良い男性は不機嫌そうに席を立った。若い男性は深く眠り込んでいて肩をゆすっても起きない。膝のところを強く叩くとやっと目を覚ました。

トイレに行く時に気づいた。ものすごく混んでいる。車両の連結部分にも多くの人が立っていた。トイレが閉まっていたので、別のトイレに行くと、先ほどの恰幅の良い男性が蓋をした便器の上に座っていた。さすがにドアは開けてあったが・・・。予約をしておいた方がいいという理由がこれだったんだ。

座席に戻ると、パソコンを取り出してブログを書き始めた。思ったよりも集中できる。1時間ほど書いて、窓の外の景色を眺める。世事から解放されて、こんな深い森の中を毎日散策して過ごせたら、どんなにいいだろうと思いながら。

列車はベルリンを発車して5時間でワルシャワ中央駅に着いた。今日はiPhoneも十分に充電されているのでホテルまで歩いて行こうと思っていたが、何と地図が表示されない。ウィーンのモバイルショップでSIMカードを買った時、周囲の国でも使えるといったのに。ポーランドではダメなのか。仕方なしに、ロミングにする。お金はかかるが、このポーランドの携帯会社の電波を使うのだ。

やっと地図だけは出るようになった。自分が今どこにいるかもわかる。だがホテル名を入力しても「その場所は検索できない」と出てしまう。弱った。どうやってホテルまで行けばいいのか? とにかくインフォメーションを探そう。掃除をしているおばさんがいたので、英語で聞いて見ると、何事か言って上の方を指さす。偶然そこを通りかかった、もうひとりのおばさんが「ナンバー・ワン」と教えてくれた。

2階に行くと、チケットを買うための窓口が並んでいたが、1番にはインフォメーションの「i」というマークがついている。5人ほど列をつくって並んでいたが、すぐ私の番が来た。「シェラトンホテルに行きたいので、シティマップがあるか」と聞くが、「ここは列車のインフォメーションだけだ」と言う。

仕方ない、タクシーで行こう。そのためにはポーランドのお金がいる。ATMでお金を引き出そうとしていると、先ほど窓口の番号を教えてくれたおばさんがやって来て、「1番の窓口で大丈夫だった?」と聞く。

「ここは列車のインフォメーションで市内のことはわからないそうです。諦めてタクシーで行くことにします」と言うと、「タクシーは高い」と言う。「Sheraton Hotelなので、シティマップがあれば歩いて行けると思うんですが」と言うと、「ちょっとここで待ってて」と言い残してどこかへ行ってしまった。私がATMでお金を降ろし終わった頃、そのおばさんがどこからともなく現れ、「地図をもらって来たわよ。ここが中央駅で、ここがCheraton」と言う。見ると、駅とホテルには丸印が付いている。それにしても、駅構内には観光案内所もないのに、どこで地図をもらってきたんだろう。

おばさんは身なりもみずぼらしいし、持っているビニール袋に空のペットボトルをいくつか入れている。日本ならホームレスと言っていい風体だ。でも少し英語もしゃべるし行動もテキパキしている。不思議だ。いつも何か困ったことが起こると、誰かが現れ私を助けてくれる。「旅の神様っているんじゃないか」と、その時本気で思った。私は、その神様のおばさんに丁寧にお礼を言って別れた。

道路は広く建物のひとつひとつもバカでかい。想像していたワルシャワと違う。ホテルまで私の脚で歩いて20分。無事にSheraton Hotelにたどり着くことができた。