旅三昧&ときどき読書+映画

私は小泉牧夫。英語表現研究家という肩書で『世にもおもしろい英語』『アダムのリンゴ 歴史から生まれた世にもおもしろい英語』(IBCパブリッシング刊)という本を書いています。2018年4月に 出版社を退職し、41年にわたる編集者生活を終えました。いま世界中を旅しながら、本や雑誌記事の執筆とともに、旅先ではこのブログを書いています。お金はありませんが、時間だけはたっぷりある贅沢な旅と執筆と読書と映画の日々を綴っていきたいと思います。

旅三昧&ときどき読書+映画

私は小泉牧夫。英語表現研究家という肩書で『世にもおもしろい英語』『アダムのリンゴ 歴史から生まれた世にもおもしろい英語」(IBCパブリッシング刊)という本を書いています。2018年4月に出版社を退職し、41年にわたる編集者生活を終えます。それからは世界中を旅しながら、本や雑誌記事の執筆をする予定。お金はありませんが、時間だけはたっぷりある贅沢な旅と執筆と読書と映画の日々を綴っていきたいと思います。

チェック・ポイント・チャーリーとブランデンブルグ門

625日(火)、昨夜ホテルにチェックインした時にもらった地図を頼りに、地下鉄「Uバーン」の駅で1日乗り放題のチケットを買って「チェック・ポイント・チャーリー」を目指す。

ベルリンに着いて気がついた。『地球の歩き方』の「ウィーンとザルツブルグ」「中欧」は日本で買って持ってきたのだが、「ドイツ」についてはすっかり失念していた。買ってもいなかった。だから情報はネットで調べるしかない。

付け焼刃というか泥縄というか、朝になって「ベルリンのお勧め観光地」を検索し、まず最初にこのチェック・ポイント・チャーリーに行くことにしたのだ。

ご存じの方も多いと思うが、念ために説明しておくと、第二次世界大戦後ドイツは東西に分裂した。東ドイツソ連を代表する社会主義国、西ドイツはアメリカを中心とする資本主義国家となった。ただ、このベルリンという街だけは特別で、「ソビエト・セクター」と「アメリカ・セクター」「イギリス・セクター」「フランス・セクター」に分けられ分割統治されることになった。ソビエト・セクターが東ベルリン、アメリカ、イギリス、フランス・セクターが西ベルリンと呼ばれるようになる。

だから、東ドイツのど真ん中に資本主義陣営の「飛び地」ができ、西側諸国の人々はそこに行くのには飛行機で飛んで行くしかなかった。もちろん西ベルリンの人が西側諸国へ行く場合にもも飛行機を使った。東ドイツの住人の中には、自由と富を求めて西ベルリンに侵入し、飛行機で西側へ脱出しようとする人が多くなった。そのため高くて頑丈な「壁」をつくって、東ベルリン市民が西ベルリンに行けないようにしたのだ。境にあるビルの窓という窓も全てブロックで塞がれた。監視塔もつくられ、東から西へ逃げようとするものは容赦なく射殺された。

その境の「壁」にいくつか設けられた検問所のひとつがチェック・ポイント・チャーリー。今でも道路の真ん中に小さなプレハブのような建物が残っていて、観光用にアメリカ兵の格好をした人もいる。まわりを観光客が取り囲んで写真を撮っている。横には「You are leaving the American sector」(あなたはアメリカ地区から出ようとしています)という看板の表示もあった。

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「チェック・ポイント・チャーリー・ハウス」という博物館があったので、そこに入る。パネルでの解説が多かったが、スーツケースの中に入って脱出した人を紹介する展示、壁の前で演奏する世界的チェリスト、ロストロ・ポーヴィッチの映像もあった。地図を見て、私が泊まっているホテルは旧東ベルリンの側にあることがわかる。

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隣には「Die Mauer」という壁ができた当時の様子を再現したパノラマ博物館もあった。向かいには「Black Box Cold War」という博物館。壁が建設された当時の映像もゆっくり見ることができた。受付の女性に「ネットの画像検索で、壁と監視塔が残っている野外博物館を見たことがあるんですが、それはどこですか?」と聞くと、親切に場所を教えてくれた。

次に行ったのは、やはりブランデンブルグ門。両側で工事中だったこともあると思うが、意外と小さかった。パリの凱旋門のような、もっと大きくて壮麗な門を想像していた。やはりナポレオンがベルリンを征服した時にもパレードが行われ、ヒトラーが車でこの門をくぐる映像を見たことがある。そんな重厚な歴史に彩られているから、期待が大きすぎたのだろう。

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地下鉄で先ほど教えてもらった「壁博物館」に行く。そのまま地下鉄で北に3駅。駅から10分ほど歩くと、小さな博物館らしき建物が見えてきた。簡単な展示があるだけだったが、その横に階段があり展望台に上がって、道路を挟んで向こう側の壁に囲まれた空き地を見降ろすことができた。壁も監視塔も当時のままだと言う。

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久しぶりに日本食でも食べようと思い、路面電車で「ミヤビ」というラーメン屋を目指す。ところが反対方向に乗ってしまい、ひとつ先の駅で降りてまた戻ることにした。道路を渡ると「Excuse me?」という声がして振り返る。「チケットを拝見します」と言われ、今朝ほど買った1日券を見せる。これで持っていなかったら、かなり高額の罰金を払わなければならない。

そいえば、もう25年も前になるだろうか? 出版社の海外担当をしていた私は、毎年フランクフルト・ブックフェアに出張していた。1日休みをもらってマインツグーテンベルク博物館を見に行った。その帰り、小さな駅でフランクフルトまでの切符を買おうと思ったのだが、私は札きり持っていなかった。券売機は2台あったが、札を入れてお釣りが出る方の切符販売機は壊れていた。また町まで10分歩いて戻ってチョコレートでも買って、小銭をつくって切符を買うことも考えたのだが、それもおかしな話だ。だって、お釣りが出る券売機が壊れていたのは、鉄道会社の責任じゃないか。

電車はフランクフルト市内に入ると、そのまま地下に潜り地下鉄になった。そこに検札の車掌が来た。「マインツの駅で券売機が壊れていて、切符を買えなかった」と説明しても、聞く耳を持たなかった。まだマルクだったが、5000円ほどを今ここで払えと言う。「だって券売機が壊れていたら切符は買えないでしょ? それはあなたの会社の責任だから払う義務はない」と言った。「どうしてもダメだ。いますぐ払え」の一点張りだった。最後には「日本だったら、こんな理不尽なことはあり得ない」と大声を出した。埒が明かないので仕方なく“罰金”を払ったが、いま思い出してもはらわたが煮えくり返る。地元の人に聞いたら、「鉄道会社に手紙を書いて、当日確かに券売機が壊れていたことが証明されればお金は返してもらえる」とのことだったが、旅行者には時間もないし、そこまではできない。向こうの手落ちなのに、なぜこちらがわざわざ手紙を書くような面倒なことをしなければいけないのか。やっぱりおかしい。

ラーメン店はまだやっていなかったので、近くのカフェでサンドウィッチを買ってホテルに帰った。近くで路面電車に乗ると、そのままホテルと目と鼻の先の停留所に着いた。

私はExpediaでホテルのネット予約をしているのだが、ホテルのチェックインのたびにiPhoneアンケートに答えてほしいというメールが届く。このベルリンのホテルに関しては、チェックインの際の「フロント係の対応」や「部屋の清潔さ」については満点をつけたのだが、「立地」については「スーツケースを持って旅をしているので、ベルリン中央駅から遠い」という理由であまり良い評価はしなかった。

しかし、今日初めてベルリンの街を歩いて、このホテルの立地の良さがわかった。もう一度感想を送り直すことができるのか?