旅三昧&ときどき読書+映画

私は小泉牧夫。英語表現研究家という肩書で『世にもおもしろい英語』『アダムのリンゴ 歴史から生まれた世にもおもしろい英語』(IBCパブリッシング刊)という本を書いています。2018年4月に 出版社を退職し、41年にわたる編集者生活を終えました。いま世界中を旅しながら、本や雑誌記事の執筆とともに、旅先ではこのブログを書いています。お金はありませんが、時間だけはたっぷりある贅沢な旅と執筆と読書と映画の日々を綴っていきたいと思います。

旅三昧&ときどき読書+映画

私は小泉牧夫。英語表現研究家という肩書で『世にもおもしろい英語』『アダムのリンゴ 歴史から生まれた世にもおもしろい英語」(IBCパブリッシング刊)という本を書いています。2018年4月に出版社を退職し、41年にわたる編集者生活を終えます。それからは世界中を旅しながら、本や雑誌記事の執筆をする予定。お金はありませんが、時間だけはたっぷりある贅沢な旅と執筆と読書と映画の日々を綴っていきたいと思います。

宗教改革はWittenbergから始まった

627日(木)午前10時半、ベルリン中央駅から電車でRutherstadt Wittenbergという村へ。

1517年、この村にあった大学の教授で司祭でもあったマルティン・ルターが、教会の門にローマ教会を批判する張り紙を掲げた。日本語で「95カ条の論題」と呼ばれるこの1枚の紙が、その後のヨーロッパの歴史を大きく揺るがすことになる。

この頃ローマ教会は「贖宥状」(しょくゆうじょう)という札を発行していた。お金を払ってこの札を買えば、犯した罪を償うために課せられる苦行難行を免除されると言うのだ。この札は日本では「免罪符」と呼ばれるが、その言い方ではこの札の正確な意味を表していない。「罪を免除」するのではなく、「罪を償うために行わなければいけない苦行」を免除すると言うものだった。だから「免罪符」という日本語には、異議を唱える人もいる。

この贖宥状の販売に対して、マルチン・ルターは異議を申し立てたのである。彼はローマ教会から破門され、ザクセン選帝侯の庇護のもとでラテン語の聖書をドイツ語に翻訳する。こうして、聖書は一般の人々が理解できる身近なものになった。

その後、ヨーロッパ世界は、ローマ教会のカトリックと新教のプロテスタントに二分されることになる。これまで私が多少なりとも書物を読んで得た理解では、カトリックは組織的にしっかりとした基盤を持っていた。だから聖書の勝手な解釈ができなかった。最高位の聖職者たちの会議で聖書の解釈もきちんと決められ、司教の個人的見解を基に自由に説教することも禁じられていた。教会での典礼の方法も事細かに決められていた。これに対して、プロテスタントは「聖書に帰れ」と主張した。ひとりひとりが聖書を通して神と直接つながっているという考えで、これを「福音主義」と言う。だが聖書の解釈は人によって違ってくる。そのためにいろいろな分派が生まれた。

イングランドでは、王様がカトリックか、プロテスタントかによって国の方針が180度変わった。Maryという女王はカトリック国スペインの血筋で自分も熱心なカトリックだったが、改宗しないプロテスタントを何人も処刑した。ウオッカに赤いトマトジュースを混ぜレモンジュースをたらしたカクテルは「ブラッディ・メアリー」と言うが、この女王が処刑した人々の血の色からの連想で名づけられたものだ。

電車は1時間半でWittenbergの駅に到着。意外と現代的な駅舎だった。構内に観光案内所でもあるかと思ったが、カフェと売店があるだけ。せめて売店でルター関係の本でも扱っているかと思ったが、何の変哲もない普通の駅の売店だった。宗教改革の端緒となった世界遺産の村だ。世界中から多くの人が訪れているに違いない。日本だったら、まんじゅうやチョコレートを売り出したりして、大変な騒ぎになっているだろう。駅名こそ「ルターシュタット・ヴィッテンベルク」だが、駅の中にも外にも「ルター」の「ル」の字もない。

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駅の出口に「←CITY」という小さな看板があったので、そっちに向かって歩く。線路に沿って遊歩道のようにきれいに整えられた道を歩いていると、若い女性に追い抜かれた。手には何かパンフレットらしきものを持っている。後ろから「村はこっちの方向でいいんでしょうか?」と声をかけると、「すみません。私にもよくわかりませんが、おそらく大丈夫だと思います」と言い、「いま駅でもらったものですが、2枚あるので1枚差し上げます」と地図を指し出す。「ありがとうございます。今の私が一番欲しいものです」と言って受け取る。ドイツ人だと言うが、ドイツ人でもわからないなら、日本人の私が迷うのも当然だ。彼女にお礼を言って、私はまたゆっくり歩き始めた。

まずは、その地図にあった「ルターハウス」に。ルターが実際に住んでいた家が博物館になっている。1517年に印刷されたという「95カ条の論題」の小冊子があった。実際に貼りだされたのは手書きだったと思うので、すぐあとで印刷されたものだろう。この時の様子を描いた絵もあった。

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鉄でできた頑丈そうな「贖宥状のチェスト」も展示されている。解説には「集められたお金は、関係者が全て揃わないと開けられないようになっていて、3重にカギがかけられていた」とある。なぜローマ教会のものがここにあるのか? 本当に使われていたものではあるのだろうが。 

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画家のクラナッハ父が描いたルターの肖像画もあった。クラナッハも確か、この村に工房があった。去年か一昨年に上野の美術館で開かれていた「クラナッハ展」でも同じ絵を見たことがある。昨日行った歴史博物館にもこの絵があった。みんなクラナッハが書いた本物なのだろうか?

圧巻は、ルターが翻訳した「ドイツ語聖書」だった。厚さが15㎝近くあった。この本は宗教改革の波に乗ってベストセラーになった。グーテンブルクが開発した印刷技術によって大部数の本の印刷が可能になったことも宗教改革を後押しした。

ルター博物館を出て、さらに村の中心に向かうと広場があった。その一角にあった「クラナッハ博物館」に入る。受付の人に「クラナッハ展が東京で開かれていて私も見に行きました。すごい人気だったんですよ」と言うと、とても喜んでくれた。1階と2階だけの小さな博物館だったが、クラナッハには父と息子がいるが、その2人の作品が展示され、いろいろな絵画技法も紹介されていた。

もう2時50分前になっていた。チケットに刻印されたバルリン行に戻る電車の時間は305分。もう間に合わない。昨日チケットを買った時に、「この時刻に乗り遅れたら、別の電車に乗ってもいいのか」と確認すると「大丈夫だ」と言われていた。諦めて5時か6時の電車でベルリンに帰ろう。ヨーロッパ的な「いい加減さ」が身に付いてきたようだ。

さらに先に進む。この村は細長い。中央を貫く道の両側にはレストランやカフェが並び、観光客が椅子に座り、ゆったりと食事やお茶を楽しんでいる。その道のつきあたりの村はずれに、ルターが門の扉に「95カ条の論題」を貼ったという教会があった。何人かの観光客がその扉の写真を撮っていた。

 

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中に入るとミサが行われていた。祭壇の前では30人ほどの人が讃美歌を歌っていた。教会の人が「英語でミサをしていますので、前の方へどうぞ」と言ってくれる。しばらく讃美歌に耳を傾け外に出ると、塔に昇る螺旋階段があった。入口には機械があり、表示にはユーロ・コインに✖が付いていて穴があいた特別のトークンの写真があった。若いカップルがそのトークンをスロットに入れて入った。どこ手に入れたのか聞くと、中庭の中にインフォメーションがあり、そこで買えると教えてくれた。

中庭のインフォメーションで穴の開いたトークンを買うと、先ほど教会の中で声をかけてくれた男性がいた。「中庭を通って塔まで行くのは大変なので近道をご案内します」と言う。後ろを着いて行くと、そのまま先ほどの教会内部に入った。まだ讃美歌が続いていた。外に出ると、すぐ前が塔に昇る螺旋階段への入口だった。

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すごく長い螺旋階段だった。これまで数多くの塔に登ってきたが、こんなにきつかったのは初めてだった。いくら上がっても頂上に着かない。火事があったパリのノートルダムには56回、いやそれ以上登っているが、こんなにきつくはなかった。もしかしたら、歳をとって脚力がなくなっているせいか?

やっとのことで尖塔の上まできた。村の家々や遠くの森も見渡すことができる。さらに上へと階段は続いていたが、そこには格子がありカギがかっていた。鐘を鳴らす時にだけカギを開けて鐘楼に登るのだろう。

駅に戻ることにした。延々と続く石畳の歩道は歩きにくい。こういうのを「脚が棒のようになった」と言うのだろう。4時になっていたが、お昼をまだ食べていないことに気づき、途中のカフェでパスタを食べる。

駅に戻って売店の人に「この村の観光地図はないんですか?」と聞くと、ベルリンやドイツの地図はあるが、この村の観光地図はないと言う。村に向かう時に出会ったあの彼女は、どこで地図を入手したのだろか? 不思議だ。

列車が来た。ベルリンに着いた後、さらに先に行く長距離列車。私が乗る予定だった3時の電車は各駅だったが、まあ問題はないだろう。ものすごく混んでいる。一番前の車両までに行くと、ひとつだけ座席が空いていたので座る。疲れていたのでぐっすり眠り、ベルリン中央駅に着く直前で目が覚めた。

ホテルに戻ってから、洗濯物を抱えてコイン・ランドリーに行こうと思っていた。iPhoneでチェックすると、地下鉄で5駅行ったところにあるらしい。でも洗濯と乾燥を合わせると、1時間半以上かかるだろう。一帰りにも時間がかかる。諦めてベッドで横になる。

夜中に起きて明け方までブログを書き、そのままコイン・ランドリーに行くことにしよう。朝6時からやっているようだし・・・。