旅三昧&ときどき読書+映画

私は小泉牧夫。英語表現研究家という肩書で『世にもおもしろい英語』『アダムのリンゴ 歴史から生まれた世にもおもしろい英語』(IBCパブリッシング刊)という本を書いています。2018年4月に 出版社を退職し、41年にわたる編集者生活を終えました。いま世界中を旅しながら、本や雑誌記事の執筆とともに、旅先ではこのブログを書いています。お金はありませんが、時間だけはたっぷりある贅沢な旅と執筆と読書と映画の日々を綴っていきたいと思います。

旅三昧&ときどき読書+映画

私は小泉牧夫。英語表現研究家という肩書で『世にもおもしろい英語』『アダムのリンゴ 歴史から生まれた世にもおもしろい英語」(IBCパブリッシング刊)という本を書いています。2018年4月に出版社を退職し、41年にわたる編集者生活を終えます。それからは世界中を旅しながら、本や雑誌記事の執筆をする予定。お金はありませんが、時間だけはたっぷりある贅沢な旅と執筆と読書と映画の日々を綴っていきたいと思います。

クルムロフからプラハへ。城とロックと盆栽とカフカ、そしてコインランドリー

 

6月21日(木)、朝5時に起きてブログを書いていると8時になってしまった。フロント前の小さなダイニングルームで朝食を済ませ、部屋に戻って仮眠。旅するだけでも大変なのに毎日長文のブログを書いている。涙ぐましい努力。自分で自分を褒めてあげたい。

1時間ほどで起きて、部屋のあちこちに散らばった物をスーツケースに詰め込んで、チェックアウト。フロントでスーツケースを預かってもらい中世の面影を残す村の中へと急ぐ。お城を見学する前に、中央広場にある観光案内所に行きプラハに行くバスのチケットを買いたい。昨夜ネットで調べてみたら満席になっていた。でもここなら空席を探してもらえるかもしれない。

窓口の女性に「プラハ行きのバスのチケットは買えますか?」と聞くと「買えます」と答える。「2時の便を1枚」と言うと「もう5時きり空席はありません」と言う。プラハまでバスで3時間かかる。すると夜8時になってしまう。午後2時に電車に乗れば5時までには着ける。「そうですか……では、電車で行くことにします」と言うと、「そうですね」とその女性は納得したようにうなずいた。

お城の門を入りチケットを買い、まず美術館を見学。代々の城主の超リッチな生活ぶりがわかる。一番興味深かったのは貨幣を鋳造する道具が展示されていた部屋。金属を溶かして鋳型にはめ込んで貨幣をつくったらしい。皇帝から貨幣を鋳造する権利を与えられていたと言うのだ。その権力の凄さがわかる。

美術館を出て螺旋階段を昇り尖塔の上に上がる。中世の古い家々の茶色い屋根と遠くの山々の織りなすコントラストが美しい。尖塔の頂上の展望台は高さ1mほどの厚い石の塀で囲まれていて、ぐるりと1周できるようになっている。何と若い男性がその塀の上に胡坐をかいて座り込んでポーズをとっているではないか。ガールフレンドらしき女性が写真を撮っている。塀の厚さは50㎝もないだろう。もし反対側に落ちてしまったら、どうするのか? 高所恐怖症の私は、それを見ただけで怖くなってしまい。一目散に螺旋階段を駆け下りたのだった。

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地球の歩き方』には、さらに別の城内ツアーがあると書いてあった。「ツアー1とツアー2があって、どちらかを選べる」と。中庭を抜けると、お城に関連するグッズを売っている店があったので聞くと、先ほどの美術館・尖塔とは別にチケット売場が中庭にあると言う。そのチケット窓口に行くと、電光掲示版にはツアー1と2のそれぞれの時間と言語が表示されていた。日本語はない。チェコ語とドイツ語と英語。英語のツアーは12時から。まだ1時間もある。せっかくここまで来たのだから、英語のツアーのチケットを買う。ツアー1の出発場所を確認するために行ってみると、そこには4人の日本人観光客がいた。英語のツアーを待っているのか聞くと、「時間がないので、1120分からのチェコ語のツアーにしたんです」と残念そうに言う。

お城の背後に庭園があるらしいので行ってみた。建物がごみごみと一か所に密集している小さな村に、こんな広大な庭があるなんて信じられない。きれいに整えられた庭園を散策していると、突然大音響が鳴り響いた。ロックのギターとドラムの音に合わせて猛獣の雄叫びも聞こえる。散歩していた犬が慌ててベンチの下に潜り込んだ。

何とそこには野外のコンサート会場があった。リボンの紐で中には入れないようになっていたが、覗き込むと階段状の客席が見える。かなり急な傾斜になっている。さすがにステージは見えない。

激しいロックを聴きながら、コンサート会場の敷地の裏側へと散策を続ける。そこにもコンサートのスタッフがいて、無断で中に入らないように見張っている。聞くとチェコでは有名なロックバンドだと言う。ここからも観客席が見える。でもおかしい。観客席の傾斜はさっきとは逆になっている。つまり左側上から右側下に傾斜があったのに、裏側に来ても同じだ。ステージの両側に客席があるのか? よく見ると、観客席がゆっくり回転しているではないか、おろらくステージと一緒に。田舎にこんな凄い仕掛けのある野外コンサート会場があるなんて、チェコという国もなかなかやるじゃないか。 

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ツアー開始の15分前になった。お城に戻ろうと元来た道を探すが、どうしても見つからない。地元の人だと思わる女性が子供を遊ばせていたので聞くと、いったん下に降りてから右の方に曲がり込むとお城に行けると教えてくれた。

12時ぎりぎりにツアーのスタート地点に着いた。民族衣装を着た女性がガイドだ。20人ほどの人たちと一緒に彼女の英語の解説を聞きながら場内をまわる。彼女のすぐ近くで聞き耳を立て集中していると英語が理解できるが、床を歩く時のギシギシという音や囁き声がした途端、集中が途切れてわからなくなる。代々の城主の絵画やたくさんの調度品が次から次へと展示されていて、英語でのガイドが続く。ひとつの部屋に黄金の馬車があった。本当にキラキラと輝いている。

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1時間ほどでツアーを終え町の中心の広場に戻る。小麦粉を油で揚げてカリカリにした硬いナンのようなものにチーズを載せ、ガーリックとケチャップをつけて食べる。きっとこの地方の料理なのだろう。

Museum Torture」と書いてある建物があった。「拷問博物館」だ。そのような嗜好があるわけではないが、以前ある英語表現の本を書こうとヨーロッパの拷問に関する本をたくさん読んだことがあったので、興味を引かれて入ってみたが、それほどおもしろくはなかった。

もうひとつ、広場から少し外れたところに「地域博物館」という施設もあった。入場料は幾らか聞くと無料だと言う。そこを見終わると210分だった。電車の時間は255分。まだ45分ある。ペンションに戻って預けてあったスーツケースを受け取り、駅までゆっくり歩いても間に合うだろうと思っていた。ところが、この中世の村の中は迷路のようになっていて、なかなか抜け出すことができない。どうにか脱出してペンションに着いたのが35分。あと20分だ。スーツケースを引っ張って猛スピードで走る。ところどころ歩道が石畳になっていて車輪がうまく動いてくれない。ところが駅に戻る道をまた間違えてしまった。また元の道に引返すはめになる。すごい時間のロスだ。

ギリギリで駅に着くと、すぐに電車がやって来た。もう汗びっしょりだった。スーツケースを置き椅子に座ると、ハンカチで汗を拭きバックバックからマウスパッドを取り出してパタパタと顔を仰ぐ。

電車の中は若い人で一杯。もう夏休みに入ったのか? 途中の駅で幼稚園の園児が30人ほど先生に引率されて乗ってきた。みんな床に座り込む。車掌が検札に来た。ユーロ貨幣を差し出すと首を振る。チェコのコルナでなければダメだと言っているようだ。おかしい。昨日はユーロでOKだったのに。結局私がコルナを持っていないことがわかり、車掌は諦めて去っていった。

チェスケー・ブディェヨヴィツェの駅に着いた。次のプラハ行きの列車まで10分ある。駅のカウンターでチケットを買う。ユーロなら8ユーロだと言う。クレジットカードを出すと、この窓口は現金だけだという。バックパックの底の方にしまっておいた財布からユーロ紙幣を取り出して払った。

今日はお金を払って列車に乗ることにした。私の買ったユーレル・パスは1か月の間に7日まで使える。今回の旅で列車に乗るのは8日。だから一番料金が安そうなクルムロフ・プラハ間だけはパスを使わず、チケットを買って乗ることにしたのだ。

明け方起きて長時間ブログを書いていたので、かなり疲れていた。プラハ行きの電車ではゆっくり寝ようと思っていた。ところが私がひとりで独占していたコンパートメントに丸いメガネをかけた長身の男性が入ってきた。「Where are you from?」と声をかけられたので「Japan」と答えた。チェコ人で、ロンドンで仕事を終えプラハに帰ると言う。「ボンサイを知っているか?」と聞く。「もちろん、ボンサイは日本語だ」と答えると、何と「盆栽用の鉢を作るのが自分の仕事だ」と言って、何枚もの作品の写真を見せてくれる。「こういう仕事しているので、いつか日本に行って本場の盆栽を見るのが夢だ。カワグチの盆栽市にもぜひ行ってみたい」と、突然ローカルな地名が飛び出してきた。

眠るどころではなくなった。「昔少し日本語を習ったけれど、今ではすっかり忘れてしまった」と残念そうに言う。「日本の小説で『サラマンダー』というのがある。知ってるか?」。首を振ると、スマホを検査して写真を見せてくれる。サンショウウオだ。井伏鱒二の「山椒魚」ではないか。「教科書にも載っている名作だ」と言うと「フランツ・カフカとい作家を知っているか?」と聞く。そうかカフカはチョコ人だったんだ。「もちろん知っている。ある朝起きると自分が虫になっていたという話が有名だ」。『変身』は英語で何と言うのか? “Transformation”か? わからなかったのでストーリーを話してごまかす。「その小説と日本の『サラマンダー』には共通点がある」。そんな話が延々と続き、いつまでも途切れない。

彼も楽しそうだ。「You are the best English speaker among the Japanese persons I ever met.」と言ってくれる。一緒に写真を撮っていいかといので「もちろん」と答える。「今日のことを日本人の友人にも知らせたい」と嬉しそうだ。

列車が停まった。「ここがプラハ中央駅だ」と言う。パックパックを背負ってあわてて降りる。階段の手間で手を振って別れた。

ホテルは駅から歩いて10分。事前にメールを送り「6時に着く」と知らせてあった。そのメールで「ホテルにランドリー・ルームはあるか」と問い合わせると、「24時間制のランドリーサービスがある」という返事が返ってきた。日本を出てから10日以上。洗濯物がたまっている。

チェックインを済ませ部屋に入り、すぐに洗濯物と一緒に入れておく申し込み用紙を見た。アイテムことに枚数を書き込んで署名するのだ。そのリストを見てびっくりした。何とスポーツシャツ1枚で日本円で1000円、パジャマの上下が1300円、下着でさえ1500円かかる。全部ホテルでランドリーに出したら2万円を超えてしまうではないか!

仕方なしにiPhoneでコインランドリーの場所を探し、そこまで歩いて行くことにした。その前にいくらかチェコ通貨のコルナに替えなければならない。海外でも使えるという銀行のキャッシュカードで5000円分くらい換金しようとしたが、うまくいかない。両替所がまだ空いていたので聞いて見ると、現金を持ってきてくれればコルナに換金できると言う。「ユーロでもドルでもいいか」と聞くと、大丈夫だと言う。

ホテルに戻って、セーフティボックスに入れてあった財布から、余っていた40米ドルほどの札をつかみだして両替所に取って返す。コルナ札を小銭入れにしまい、iPhoneマップを頼りに歩いてコインランドリーに向かう。もうチャージが切れそうだ。どうにかもってくれ。迷いながら30分で到着。そこにいた女の人が、販売機での洗剤の買い方や洗濯機の使い方を親切に教えてくれる。両替機でコルナ札をコインにする。

120コルナのコインをスロットに入れると、洗濯機が回り始めた。日本円だと600円ほど。あたりは暗闇になってきた。それにしても、ザルツブルグかクルムロフかこのホテルにランドリー・ルームがあれば、こんなことをしなくても良かった。本当ならホテルに着いたら、すぐでもすぐにでもベッドにもぐりこんで寝たかったのに、一体自分は何をしているんだろう。

近くのスーパーマーケットに行って、夕飯のパンとバターとハムを買う。いま洗濯をしているんだと言うと、「じゃあ、コインが必要だね」と言って、お釣りを細かくしてくれる。みんな本当に親切だ。

洗濯機が回り始めて30分も経った頃、この店の管理責任者らしき人が入ってきた。「何時に締めるのか」と聞くと「9時だ」と言う。もう30分も過ぎている。「これからドライヤー(乾燥機)にもかけるんだろ?」と聞くので「Yes」と答えると、「No problem。大丈夫だから。乾燥機は最長120コルナと書いてあるが、この量なら90でいい。また戻ってくる」と言って去っていった。本当に親切な人が多い。

その後20分で洗濯が終わり、続けて乾燥機にかける。夜10時を過ぎている。電源を切っていたiPhoneにスイッチを入れると、もう何も表示されない。どうやってホテルに帰ろうか? 4時間前に着いたばかりで、土地勘もない。地下鉄の駅や路面電車の停留所がどこか皆目わからない。仕方なしにタクシーでホテルに帰ることに決める。

乾燥機が止まり洗濯物をビニール袋に入れていると、あのコインランドリーの責任者が戻ってきた。私は「ありがとう。本当に助かりました」と丁寧にお礼を言った。

洗濯物を入れたビニール袋を2つ抱えて、夜のプラハの街をさまようこと10分。やっとタクシーをつかまえることができた。ホテル名を言うと「夜なので300コルナでいいか?」と聞く。日本円なら1500円。東京ならふつうの料金だが、ここはプラハ。法外な値段だ。でもホテルに歩いて帰れる自信はない。「Yes」と答えるしかない。

ホテルに着いたのは11時。本当にいろいろなことがあった1日だった。