旅三昧&ときどき読書+映画

私は小泉牧夫。英語表現研究家という肩書で『世にもおもしろい英語』『アダムのリンゴ 歴史から生まれた世にもおもしろい英語』(IBCパブリッシング刊)という本を書いています。2018年4月に 出版社を退職し、41年にわたる編集者生活を終えました。いま世界中を旅しながら、本や雑誌記事の執筆とともに、旅先ではこのブログを書いています。お金はありませんが、時間だけはたっぷりある贅沢な旅と執筆と読書と映画の日々を綴っていきたいと思います。

旅三昧&ときどき読書+映画

私は小泉牧夫。英語表現研究家という肩書で『世にもおもしろい英語』『アダムのリンゴ 歴史から生まれた世にもおもしろい英語」(IBCパブリッシング刊)という本を書いています。2018年4月に出版社を退職し、41年にわたる編集者生活を終えます。それからは世界中を旅しながら、本や雑誌記事の執筆をする予定。お金はありませんが、時間だけはたっぷりある贅沢な旅と執筆と読書と映画の日々を綴っていきたいと思います。

チェック・ポイント・チャーリーとブランデンブルグ門

625日(火)、昨夜ホテルにチェックインした時にもらった地図を頼りに、地下鉄「Uバーン」の駅で1日乗り放題のチケットを買って「チェック・ポイント・チャーリー」を目指す。

ベルリンに着いて気がついた。『地球の歩き方』の「ウィーンとザルツブルグ」「中欧」は日本で買って持ってきたのだが、「ドイツ」についてはすっかり失念していた。買ってもいなかった。だから情報はネットで調べるしかない。

付け焼刃というか泥縄というか、朝になって「ベルリンのお勧め観光地」を検索し、まず最初にこのチェック・ポイント・チャーリーに行くことにしたのだ。

ご存じの方も多いと思うが、念ために説明しておくと、第二次世界大戦後ドイツは東西に分裂した。東ドイツソ連を代表する社会主義国、西ドイツはアメリカを中心とする資本主義国家となった。ただ、このベルリンという街だけは特別で、「ソビエト・セクター」と「アメリカ・セクター」「イギリス・セクター」「フランス・セクター」に分けられ分割統治されることになった。ソビエト・セクターが東ベルリン、アメリカ、イギリス、フランス・セクターが西ベルリンと呼ばれるようになる。

だから、東ドイツのど真ん中に資本主義陣営の「飛び地」ができ、西側諸国の人々はそこに行くのには飛行機で飛んで行くしかなかった。もちろん西ベルリンの人が西側諸国へ行く場合にもも飛行機を使った。東ドイツの住人の中には、自由と富を求めて西ベルリンに侵入し、飛行機で西側へ脱出しようとする人が多くなった。そのため高くて頑丈な「壁」をつくって、東ベルリン市民が西ベルリンに行けないようにしたのだ。境にあるビルの窓という窓も全てブロックで塞がれた。監視塔もつくられ、東から西へ逃げようとするものは容赦なく射殺された。

その境の「壁」にいくつか設けられた検問所のひとつがチェック・ポイント・チャーリー。今でも道路の真ん中に小さなプレハブのような建物が残っていて、観光用にアメリカ兵の格好をした人もいる。まわりを観光客が取り囲んで写真を撮っている。横には「You are leaving the American sector」(あなたはアメリカ地区から出ようとしています)という看板の表示もあった。

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「チェック・ポイント・チャーリー・ハウス」という博物館があったので、そこに入る。パネルでの解説が多かったが、スーツケースの中に入って脱出した人を紹介する展示、壁の前で演奏する世界的チェリスト、ロストロ・ポーヴィッチの映像もあった。地図を見て、私が泊まっているホテルは旧東ベルリンの側にあることがわかる。

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隣には「Die Mauer」という壁ができた当時の様子を再現したパノラマ博物館もあった。向かいには「Black Box Cold War」という博物館。壁が建設された当時の映像もゆっくり見ることができた。受付の女性に「ネットの画像検索で、壁と監視塔が残っている野外博物館を見たことがあるんですが、それはどこですか?」と聞くと、親切に場所を教えてくれた。

次に行ったのは、やはりブランデンブルグ門。両側で工事中だったこともあると思うが、意外と小さかった。パリの凱旋門のような、もっと大きくて壮麗な門を想像していた。やはりナポレオンがベルリンを征服した時にもパレードが行われ、ヒトラーが車でこの門をくぐる映像を見たことがある。そんな重厚な歴史に彩られているから、期待が大きすぎたのだろう。

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地下鉄で先ほど教えてもらった「壁博物館」に行く。そのまま地下鉄で北に3駅。駅から10分ほど歩くと、小さな博物館らしき建物が見えてきた。簡単な展示があるだけだったが、その横に階段があり展望台に上がって、道路を挟んで向こう側の壁に囲まれた空き地を見降ろすことができた。壁も監視塔も当時のままだと言う。

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久しぶりに日本食でも食べようと思い、路面電車で「ミヤビ」というラーメン屋を目指す。ところが反対方向に乗ってしまい、ひとつ先の駅で降りてまた戻ることにした。道路を渡ると「Excuse me?」という声がして振り返る。「チケットを拝見します」と言われ、今朝ほど買った1日券を見せる。これで持っていなかったら、かなり高額の罰金を払わなければならない。

そいえば、もう25年も前になるだろうか? 出版社の海外担当をしていた私は、毎年フランクフルト・ブックフェアに出張していた。1日休みをもらってマインツグーテンベルク博物館を見に行った。その帰り、小さな駅でフランクフルトまでの切符を買おうと思ったのだが、私は札きり持っていなかった。券売機は2台あったが、札を入れてお釣りが出る方の切符販売機は壊れていた。また町まで10分歩いて戻ってチョコレートでも買って、小銭をつくって切符を買うことも考えたのだが、それもおかしな話だ。だって、お釣りが出る券売機が壊れていたのは、鉄道会社の責任じゃないか。

電車はフランクフルト市内に入ると、そのまま地下に潜り地下鉄になった。そこに検札の車掌が来た。「マインツの駅で券売機が壊れていて、切符を買えなかった」と説明しても、聞く耳を持たなかった。まだマルクだったが、5000円ほどを今ここで払えと言う。「だって券売機が壊れていたら切符は買えないでしょ? それはあなたの会社の責任だから払う義務はない」と言った。「どうしてもダメだ。いますぐ払え」の一点張りだった。最後には「日本だったら、こんな理不尽なことはあり得ない」と大声を出した。埒が明かないので仕方なく“罰金”を払ったが、いま思い出してもはらわたが煮えくり返る。地元の人に聞いたら、「鉄道会社に手紙を書いて、当日確かに券売機が壊れていたことが証明されればお金は返してもらえる」とのことだったが、旅行者には時間もないし、そこまではできない。向こうの手落ちなのに、なぜこちらがわざわざ手紙を書くような面倒なことをしなければいけないのか。やっぱりおかしい。

ラーメン店はまだやっていなかったので、近くのカフェでサンドウィッチを買ってホテルに帰った。近くで路面電車に乗ると、そのままホテルと目と鼻の先の停留所に着いた。

私はExpediaでホテルのネット予約をしているのだが、ホテルのチェックインのたびにiPhoneアンケートに答えてほしいというメールが届く。このベルリンのホテルに関しては、チェックインの際の「フロント係の対応」や「部屋の清潔さ」については満点をつけたのだが、「立地」については「スーツケースを持って旅をしているので、ベルリン中央駅から遠い」という理由であまり良い評価はしなかった。

しかし、今日初めてベルリンの街を歩いて、このホテルの立地の良さがわかった。もう一度感想を送り直すことができるのか?

 

プラハ城を見て、国際長距離列車でベルリンへ

6月24日(月)、朝起きてホテルで朝食。部屋でパッキングを済ませ10時半にチェックアウト。荷物を預かってもらい、バックパックを背負ってプラハ城に向かう。昨日はブログを昼まで書き疲労困憊、そのままホテルから外出せず夕方まで寝てしまった。急遽完全休養日にしてしまったのだ。

だから今日は忙しい。できれば午後1時までにプラハ城と隣の国立美術館を見てまわって、2時前にはホテルに戻ってスーツケースを受け取り、232分発の国際長距離列車ECでベルリンに行きたい。

地下鉄A線のMuzeumという駅で電車に乗ろうとした時、ちょうど真ん中あたりに大勢の集団が待っていた。団体旅行者らしい。私はそこを避け一番前の車両に乗った。

電車はプラハ城に一番近いMalostranskaという駅に着いた。降りようと思ったがホームがない。あれ、反対側がホームかなと思って見ると、そこには暗闇の中に線路があるだけ。そうか、まだ電車は駅に着いていないのかと思っていると動き始めた。電光掲示板に次の駅が表示された。そうか、Malostranskaの駅は何らかの理由で閉鎖されているのか、あるいはこの電車は特別に停車しないのかもしれない。

次の駅で観光客らしき人が何人か降りたので、私もそれに続いた。一瞬ひとつ前の駅まで戻ろうかという考えもよぎったが、ここからプラハ城に行った方が近いのかもしれないとなぜか思ってしまった。

iPhoneを頼りに城を目指すが、なかなかたどり着かない。丘の上の公園に来てしまった。お城がはるか下の方に見える。駅を出て40分、やっとお城の一番端の入場口のところにたどり着いた。Malostranskaの駅で降りれば、たった5分で来られたところだ。ものすごい時間のロス。

お城のチケット売り場はまだまだ先だ。城内のなだらかな坂道を15分ほど歩き広場に出た。つきあたりのチケット売り場に到着するが、建物の外まで行列ができている。仕方なしに一番後ろに並ぶ。もう11時なってしまった。果たして城の中を全部見て隣の美術館にも行けるのだろうか? 

10分ほど待って、とりあえず建物の中に入った。でもまだまだ行列は長い。右側の部屋にはカウンターが4つほど見えた。左の部屋は窓口が2つあったが、音声ガイドを貸し出すカウンターのようだ。その部屋から女性スタッフが出てきて、大声で「こちらの部屋でも入場チケットが買えます」と言う。

私はその左の部屋に入った。窓口が2つあった。奥の方が早く終わりそうだったので、そっちに並んだ。ところが前のイタリア語を話している二人の女性が係員と何かもめている。その間に隣の窓口では5人ほどがチケットを買って外に出て行った。

並び方には2種類ある。「クシ型」「フォーク型」だ。複数ある窓口それぞれに並ぶのが「クシ型」、列を1列にして先頭の人から空いた窓口に進むのが「フォーク型」だ。アメリカやヨーロッパでは「フォーク型」の並び方が普通だ。日本では「クシ型」が多かったが、何年か前からコンビニやトイレなどでは「フォーク型」が多くなっている。

この部屋に入った時、前の人のチケット購入がすぐに終わるだろうと思ったのが間違えだった。15分たってもまだ目の2人が窓口の男性と何か言い合っている。私の後ろに女性が並んだ。「もう20分も待っているんだ」と説明する。中国人だと言う。私は「もうギブアップする」と彼女に言って、隣の窓口の列の一番後ろに並び直した。「グッドラック」とその中国人は私に言った。

私の前には5人ほどが並んでいたが、意外と早く自分の番が来た。まだ隣ではもめ続けている。日本語の音声ガイドはないと言うので、入場チケットだけ買った。クレジットカードで料金を払うと、女性スタッフがチケットを裏返して説明する。「今日は故宮は閉まっています」と言って、時計数字の「1」に×をする。「それ以外のこの数字の建物に行ってもらえれば入場できます」と説明してくれた。私はThank you.と言って外に出た。一番近い駅で降りられなかったこと、並んだ窓口で前の人がもめていたことで1時間以上も時間をロスしてしまった。

最初に番号「2」の「プラハ城の歴史」という建物に行こうとしたらチケットがない。あれ? どこへいったんだろう? ズボンやシャツのポケットの中をまさぐったが、どこにもない。領収証はあるし、受付の女性も私が払ったことを覚えているかもしれない。それならチケットを再発行してもらえるだろう。そう考えて、また窓口に並び直す。前の6人が終わり私の番が来た。「さっきお金を払ったんですが、チケットがないんです」と言うと、彼女はすぐに横にあったチケットを差し出して「ちゃんと受け取ってくださいね」と言った。お詫びとお礼を言って外に出る。わかった。チケットを裏返して、展示場の番号に×をしたりして説明してくれたことで、私は瞬間的にそれがチケットでなくパンフレットだと勘違いしてしまったのだ。

2番の「プラハ城の歴史」からスタートして6か所ほどの展示を見終えると、115分になっていた。2時にホテルに戻れば、駅まで10分。232分のベルリン行きECに乗れるだろう。

国立美術館をサッと見て、すぐにホテルに戻ろうと思ったのだが、それがなかなか見つからない。美術館の方向を指し示す標識もあり、その方向に行ってみても、それらしき建物はない。ショップがあったので聞いて見ると、前のアーケードのような門を入った先にあると言う。坂を下ると、美術館の係員らしき人がいたので聞くと、「今日は月曜日で休みだ」と言う。

時計を見ると130分。急いで戻れば、列車に間に合うかもしれない。ベンチに座り、バックパックから時刻表を取り出し確認すると、「432分」にECがある。ベルリン到着は8時。まだ十分に明るい時間だ。

もう3日前のように、スーツケースを転がして駅に走り込むようなことはしたくない。だが、これが今日最後のベルリン行の列車。10時、12時、2時、4時の32分の出発となっているが、なぜかそれ以降の列車がない。午後6時の列車で途中の駅まで行って、そこで乗り換えて深夜0時に着くか、それがダメなら寝台車で行くしかない。到着は明日の朝だ。するとホテルの宿泊代がまるまる1日分ムダになってしまう。

私は432分のECに乗ることにした。だた、その列車を逃すことはできない。今日最後のベルリン行きECだ。最悪の事態を考えると、混んでいて乗れないとも限らない。だから駅に着いたら、すぐに予約することにしよう。

ゆっくり坂を降り、広場から路面電車に乗り途中で別の線に乗り換えてホテルの近くまで来た。まだ時間はある。ゆっくりお昼を食べてホテルに戻った。

スーツケースの引換券をフロント係の女性に渡していると、途中から割り込んでフロントの彼女に話しかける若い女性がいた。中国人か韓国人だと思う。フロント係は「いまこのお客様とお話をしているんです」と言ったが、私にはまだ時間がある。「どうぞ先に話をしてださい」と順番を譲った。きっと何か緊急の事態が起こったのかと思ったのだが、私の手続きが終わってからでも全く問題のないようなことだった。

私は若い頃からずいぶんひとりで旅行をしてきたが、順番を無視してまで聞かなければいけないような緊急事態に遭遇したことが何度もあった。昔はそんな長い休暇は取れなかった。1週間か長くても10日間。そんな余裕のない旅をしていたから、ヨーロッパでは普通に起こり得ることでも慌ててしまい、自分で“緊急事態”にしてしまったのだろうと、今になって思う。

駅に着いて、インターナショナルの窓口で予約をする。コンピューターの画面がちらっと見えた。席がずいぶん赤くなっている。赤い席が予約済みなのだろう。今日最後のベルリン行きECだ。やはり予約をして正解だった。ウィ-ン駅で予約した時には席ではなく列車の車両の予約だった。どこに座ってもよかった。確認してみると、今回は「座席の予約」だとのことだった。

さて私の乗る列車は何番線なのか? 駅構内の電光掲示板を見る。列車番号と時間は表示されているが、プラットホーム番号はまだだった。みんな電光掲示板を見上げ、ホームを確認してからホームに進んでいる。

発車15分前になっても、まだホーム番号が出ない。毎日のことなのになぜホームが決まらないのか? そんな付け焼刃でギリギリの時間にホームを決めて事故は起こらないのか?  日本では列車が発着するホームが事前に決まっている。それが異常なのだろうか?

10分前に「6」という数字が出た。「6番線」だ。みんな一斉に歩き出す。一番離れたホームへと階段を上がると、列車が停まっていた。ファーストクラスは一番後ろだ。

ゼカンド・クラスとの間に食堂車がある。さすがに国際列車だ。

私の席は「36」。重いスーツケースを引き上げて列車に乗り込む。ラックがあったのでスーツケースを置いたが、私の席はさらに先にあった。ここからではスーツケースが見えない。盗難にあったら、これからの旅は滅茶苦茶になってしまう。まあ昔と違って、カギは暗証番号で開くようになっているから、盗難はかなり減っているのだとは思うが。

車両には進行方向の右側席が1つ、左側に2つがあった。日本のように全部席が進行方向を向いていない。半分の席は前を向いているが半分は後ろ向きだ。真ん中だけ後ろ向きと前向きの席が向かい合っている。私の席は、その向かい合う席の前向きで窓側だった。すでに通路側に太った人が座っていた。向かい側にも人が座っていたが、その席を予約した人が来たので、どこか他の席に移って行った。きっと予約なしで乗った人だろう。

列車は発車時刻になっても動かなかったが、15分ほどして走り始めた。私は隣の人に声をかけて通路に出て、スーツケースが見える席に移った。

左側の2人掛けの席に座った。チェコとドイツの田園風景をゆっくり楽しもうと思ったが、陽の光がまぶしくカーテンを閉めて眠るしかなかった。実は毎日長文のブログを書いているので、列車で書いたら時間の節約になるのではないかと思い始めていた。ところがパソコンはスーツケースの中に入れてしまった。バックパックの中に水の大きなペットボトルを入れようとした時、万一水が漏れてしまったらまずいと思ってパソコンを出してスーツケースに入れてしまったのだ。狭い車内で大きなスーツケースを広げるのも気が引けて、そのままでいるしかなかった。

検札の車掌が巡回してきた。私はユーレイルパスと予約チケットを見せて「もし予約した人が来たら元の席に戻ります」と言ったが「問題ありません」と言う。周りには予約なしで乗車した人だろう、席の予約をした人が来るとどいて他の席に移っていた。どうも「予約」のシステムがよくわかない。男性の車掌は私のユーレイルパスと予約券をチェックし終わると、「This is for you.」と言ってペットボトルの水をくれた。たくさんのミネラルウォーターを積んだラックを引きづりながら検札をしていたのだ。ちょっと見では、車内販売のようだ。

ベルリンのホテルは駅から近かったんだろうか? これまではクルムロフを除き駅から数百メートルのホテルだけを選んで予約した。だがベルリンの駅はどうだったのだろうか? 自分で予約しておきながら記憶が定かでない。iPhoneで確認しようとしたが電源が20%になっている。すぐに切れてしまいそうだ。ベルリンの駅で降りてからホテルまでの行き方を確認することに決め電源を切る。

さすが国際特急だけあって座席の下にはコンセントがある。私はコンバーター(変圧器)とヨーロッパで使えるソケットも持っているが、残念ながらそれもスーツケースの中だ。

まだお腹はすいていなかった。食堂車に行って今晩ホテルで食べる夕飯を注文する。チキンとポテトの盛り合わせがあったので、それにパンをつけてもらいテイクアウト。ハッピーアワーとそれ以外の時間の値段が併記されている。ハッピーアワーの方がはるかに安い。列車に乗ったらすぐに買っておけば良かった。日本でもお馴染みになったハッピーアワーだが、酒を飲まない私には関係ないと思っていた。でも、こんなに安いとは! 通常料金を払う私にとってはすごく損したようで、ハッピーな気分にはなられない。

列車は15分遅れてベルリン中央駅に着いた。iPhoneで確認すると、歩いて20分となっている。私が歩いたら30分かかるだろう。仕方なしにタクシーに乗ることにした。

10分足らずでホテルに到着。チップ込みで10ユーロ。また無駄遣いしてしまった。午後9時半。このホテルはベルリンの街のどのあたりにあるのだろうか? この街が東西に分かれていた時には、どちら側にあったのだろうか? 

そんな歴史に翻弄された街のホテルで、私は睡眠もとらず、すぐにブログを書き始めた。

 

プラハの休日。ホテルで夕方まで寝て過ごす

6月23日(日)、このブログは1日遅れで書いている。日本との時差もあるので2日遅れになる。つまり25日の日付のブログでは、23日のことを書くことになる。

22日は、チェスキークルムロフ城を見学してから列車でプラハに辿りつき、ホテルですぐに寝たかったのにコインランドリーで夜中まで洗濯することになったという顛末を書いた。列車では「ボンサイ」の鉢をつくっているというチェコ人と意気投合し、フランツ・カフカ井伏鱒二の話でも盛り上がった。いろんなことがありすぎ、ものすごい長文になってしまい、明け方から書き始めてお昼までかかってしまった。ブログ執筆が観光の妨げになっている。こういうのを本末転倒と言うのだろうか。もう少し要領よく、簡潔な文体で書けないものか?

このプラハのホテルは朝食付きだということに昨夜気づいた。夕飯を食べながら、iPhoneでこのホテルには何日まで滞在するのかチェックしていると、「朝食付き」となっているではないか。チェックインした時に、フロント係は何も言ってくれなかった。私はホテルで朝食をとるとお金がかかるので、外で食べるようにしている。しかし、このホテルは全ての部屋が朝食付きになっていたのだ。そんなことは本人の責任で承知していなければいけないのだが、宿泊日数を確認する時に一言言ってくれてもいいじゃないか。

ということで、昨日一食損をしたので、10時に1階のダイニングルームに降りて朝食を食べ、また部屋に戻って執筆を続けた。頭も体もふらふらする。午後はプラハ城に行こうと思ったのだが、行けるだろうか?

くたびれ果てた頭で考えた。明日は2時30分の列車でベルリンに行く、その前にお城に行けるではないか。昨日もうカレル橋にもフランツ・カフカ博物館にも行ってしまった。ここで無理は禁物だ。今日はのんびりしよう・・・そんなふうに考えを変え、今日は完全休養日に変更。夕方までゆっくりと眠ることにする。慎重なのか? 自分に甘いのか?

夕方までぐっすり寝て起きると、頭も体も少しシャキッとしてきたので、夕飯を食べに外出して暗くなる前にホテルに戻った。

 

フランツ・カフカ博物館。展示ケースの中には「虫」が・・・

6月22日(土)、朝ゆっくり起きて昨晩コインランドリーで洗濯している間にスーパーで買っておいたパンとハムを食べる。プラハ中央駅の観光案内所で、市内の地下鉄やバス、路面電車が自由に乗り降りできるプラハ・パスを購入。2日有効のものはないのかと聞くと、「1日券の次は3日券」だと言う。310コルナ。日本円換算は5倍すればいいので1550円だ。「パスは地下鉄に乗る度に毎回パンチしなければいけないのか? それとも1日に1回か?」と聞くと、「パスを使い始める時だけでいい」と言う。こんな些細なことでも知っていないと、検札に見つかって高額の罰金を要求されたりするので、しつこいほど確認した方がいい。

次に列車のチケット・カウンターへ。窓口は「Domestic」と「International」に分かれていた。Internationalの係員に「明後日、列車でBerilnに行くんですが、予約は必要ですか?」と聞くと「必要ありません」と言い、すぐに「でも予約した方がいいと思ったらしてください」と付け加えた。日本で買った時刻表によれば、予約しなければ乗れない「全席予約制」の列車と予約していれば満員でも優先的に乗れる「任意予約制」の列車があるようだ。まあ、ハイシ―ズンではないので、これまでも列車がガラガラだった。予約なしで乗ることにしよう。

昨夜両替したコルナも夕飯のパンを買い、コインランドリーで洗濯したりして少なくなったので、ATMで1000コルナほど降ろす。海外でも預金からお金を降ろせる銀行カードと後から引き落としされるクレジットカードを持っている。銀行カートで降ろそうとするが。どうもうまくいかない。仕方なしにクレジットカードで1000コルナ(約5000円)を降ろす。

これで、いろいろな懸念が全部片づいた。中央駅近くの「ミュージアム」という地下鉄駅から、あの有名なカレル橋に行くことにする。緑色の「A線」という地下鉄に乗って3つ目、Staromestskaという駅で降りて10分。14世紀にかけられたというプラハで最古の石橋だ。世界中から集まった観光客で大混雑。520mと長いのと、人が大勢行きかっているので、なかなか向こう岸にたどり着かない。

 

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橋を渡り切ると、右側のテントの下で営業していカフェがあったのでそこに入り、シーフード・パスタを注文する。隣のテーブルでイタリア語をしゃべっている家族が食べているのを見て、とてもおいしそうだったからだ。

パスタを食べていると、急にものすごい勢いで雨が降ってきた。背中が濡れ始める。椅子とテーブルを少し前にずらすと、ぎりぎりで雨を避けることができた。食後のコーヒーを飲みながら『地球の歩き方』にあったプラハ市街図を見ていたら、すぐ近くに「フランツ・カフカ博物館」があるではないか。このガイドでも、文章の解説はなく、ただ地図に中に小さく表示されているだけだったが、これはぜひとも行かなくては。

入場料は180コルナ。900円。オーディオガイドはなかったが、展示パネルの英語の解説をじっくり読み進んだ。カフカプラハユダヤ人地区で生まれ育った。ここにはチェコ人、ドイツ人。ユダヤ人が住んでいた。民族も言葉も宗教も誓う人々が狭い地域に肩を寄せ合うように生きていたのだ。

カフカの代表作『変身』もそんな環境で育ったからこそ、書くことができた小説ではないかと思う。この異質なものが混然一体となった地区では、もし自分がチェコ人だったら、もしドイツ人だったら、人生はどうなっていただろうかとしばしば想像をたくましくしたに違いない。ある朝、自分が大きな虫に変身していたというストーリーは、常に自分とは違う異質なものに取り囲まれた環境から生まれたのではないかと強く感じたのだった。

ガラスケースに入っていたカフカ自筆の原稿を見ている時に、隣の人が「Coinsidentally...」(偶然にも・・・)と私に声をかけ、「この中にinsect(虫)がいますよ」と小さなハエを指さす。ロシア人で、1人で旅行していると言う。文学好きな私だから理解できたが、他の人だったらこの「偶然」の深遠な意味がわかっただろうか?

村上春樹は「フランツ・カフカ賞」を受賞している。この賞はノーベル文学書への登竜門と言われている。いつになったらノーベル賞を獲れるのだろうか? でも村上春樹には賞狙いではなく、いつまでも普通の文学好きな人達の気持ちに寄りそう小説を書き続けてほしい。

プラハ城の南側を通り、マーネス橋のたもとに来た。このまま地下鉄で帰ってもいいが、せっかくなので路面電車の乗って街並み人通りを見ながらホテルに帰ることにした。ちょうど停留所があった。どんどん路面電車がやって来るが、どれに乗ったらいいいのか見当もつかない。ホテルは中央駅の近くだ。そのあたりを見ると「23番」の路面電車が走っているようだ。ちょうど「23」の電車が来たので飛び乗る。iPhoneの地図で見て、一番近くまで来たら降りて、また違う電車に乗り換えることにする。

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橋を渡り少しずつ中央駅に近づいて行くが、しばらくすると離れ始めたので次の停留所で降りる。ここからホテルまで歩けるかなと思ってiPhoneマップを見ると、そこには「車」と「徒歩」以外に「交通機関」を利用しての行き方も表示されているではないか。「歩き5分で路面電車『6』に乗り、3分で到着」となっている。

街中を複雑に交差している路面電車の路線情報までも、小さなiPhonで知ることができる。すごい時代になったものだ。

 

クルムロフからプラハへ。城とロックと盆栽とカフカ、そしてコインランドリー

 

6月21日(木)、朝5時に起きてブログを書いていると8時になってしまった。フロント前の小さなダイニングルームで朝食を済ませ、部屋に戻って仮眠。旅するだけでも大変なのに毎日長文のブログを書いている。涙ぐましい努力。自分で自分を褒めてあげたい。

1時間ほどで起きて、部屋のあちこちに散らばった物をスーツケースに詰め込んで、チェックアウト。フロントでスーツケースを預かってもらい中世の面影を残す村の中へと急ぐ。お城を見学する前に、中央広場にある観光案内所に行きプラハに行くバスのチケットを買いたい。昨夜ネットで調べてみたら満席になっていた。でもここなら空席を探してもらえるかもしれない。

窓口の女性に「プラハ行きのバスのチケットは買えますか?」と聞くと「買えます」と答える。「2時の便を1枚」と言うと「もう5時きり空席はありません」と言う。プラハまでバスで3時間かかる。すると夜8時になってしまう。午後2時に電車に乗れば5時までには着ける。「そうですか……では、電車で行くことにします」と言うと、「そうですね」とその女性は納得したようにうなずいた。

お城の門を入りチケットを買い、まず美術館を見学。代々の城主の超リッチな生活ぶりがわかる。一番興味深かったのは貨幣を鋳造する道具が展示されていた部屋。金属を溶かして鋳型にはめ込んで貨幣をつくったらしい。皇帝から貨幣を鋳造する権利を与えられていたと言うのだ。その権力の凄さがわかる。

美術館を出て螺旋階段を昇り尖塔の上に上がる。中世の古い家々の茶色い屋根と遠くの山々の織りなすコントラストが美しい。尖塔の頂上の展望台は高さ1mほどの厚い石の塀で囲まれていて、ぐるりと1周できるようになっている。何と若い男性がその塀の上に胡坐をかいて座り込んでポーズをとっているではないか。ガールフレンドらしき女性が写真を撮っている。塀の厚さは50㎝もないだろう。もし反対側に落ちてしまったら、どうするのか? 高所恐怖症の私は、それを見ただけで怖くなってしまい。一目散に螺旋階段を駆け下りたのだった。

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地球の歩き方』には、さらに別の城内ツアーがあると書いてあった。「ツアー1とツアー2があって、どちらかを選べる」と。中庭を抜けると、お城に関連するグッズを売っている店があったので聞くと、先ほどの美術館・尖塔とは別にチケット売場が中庭にあると言う。そのチケット窓口に行くと、電光掲示版にはツアー1と2のそれぞれの時間と言語が表示されていた。日本語はない。チェコ語とドイツ語と英語。英語のツアーは12時から。まだ1時間もある。せっかくここまで来たのだから、英語のツアーのチケットを買う。ツアー1の出発場所を確認するために行ってみると、そこには4人の日本人観光客がいた。英語のツアーを待っているのか聞くと、「時間がないので、1120分からのチェコ語のツアーにしたんです」と残念そうに言う。

お城の背後に庭園があるらしいので行ってみた。建物がごみごみと一か所に密集している小さな村に、こんな広大な庭があるなんて信じられない。きれいに整えられた庭園を散策していると、突然大音響が鳴り響いた。ロックのギターとドラムの音に合わせて猛獣の雄叫びも聞こえる。散歩していた犬が慌ててベンチの下に潜り込んだ。

何とそこには野外のコンサート会場があった。リボンの紐で中には入れないようになっていたが、覗き込むと階段状の客席が見える。かなり急な傾斜になっている。さすがにステージは見えない。

激しいロックを聴きながら、コンサート会場の敷地の裏側へと散策を続ける。そこにもコンサートのスタッフがいて、無断で中に入らないように見張っている。聞くとチェコでは有名なロックバンドだと言う。ここからも観客席が見える。でもおかしい。観客席の傾斜はさっきとは逆になっている。つまり左側上から右側下に傾斜があったのに、裏側に来ても同じだ。ステージの両側に客席があるのか? よく見ると、観客席がゆっくり回転しているではないか、おろらくステージと一緒に。田舎にこんな凄い仕掛けのある野外コンサート会場があるなんて、チェコという国もなかなかやるじゃないか。 

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ツアー開始の15分前になった。お城に戻ろうと元来た道を探すが、どうしても見つからない。地元の人だと思わる女性が子供を遊ばせていたので聞くと、いったん下に降りてから右の方に曲がり込むとお城に行けると教えてくれた。

12時ぎりぎりにツアーのスタート地点に着いた。民族衣装を着た女性がガイドだ。20人ほどの人たちと一緒に彼女の英語の解説を聞きながら場内をまわる。彼女のすぐ近くで聞き耳を立て集中していると英語が理解できるが、床を歩く時のギシギシという音や囁き声がした途端、集中が途切れてわからなくなる。代々の城主の絵画やたくさんの調度品が次から次へと展示されていて、英語でのガイドが続く。ひとつの部屋に黄金の馬車があった。本当にキラキラと輝いている。

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1時間ほどでツアーを終え町の中心の広場に戻る。小麦粉を油で揚げてカリカリにした硬いナンのようなものにチーズを載せ、ガーリックとケチャップをつけて食べる。きっとこの地方の料理なのだろう。

Museum Torture」と書いてある建物があった。「拷問博物館」だ。そのような嗜好があるわけではないが、以前ある英語表現の本を書こうとヨーロッパの拷問に関する本をたくさん読んだことがあったので、興味を引かれて入ってみたが、それほどおもしろくはなかった。

もうひとつ、広場から少し外れたところに「地域博物館」という施設もあった。入場料は幾らか聞くと無料だと言う。そこを見終わると210分だった。電車の時間は255分。まだ45分ある。ペンションに戻って預けてあったスーツケースを受け取り、駅までゆっくり歩いても間に合うだろうと思っていた。ところが、この中世の村の中は迷路のようになっていて、なかなか抜け出すことができない。どうにか脱出してペンションに着いたのが35分。あと20分だ。スーツケースを引っ張って猛スピードで走る。ところどころ歩道が石畳になっていて車輪がうまく動いてくれない。ところが駅に戻る道をまた間違えてしまった。また元の道に引返すはめになる。すごい時間のロスだ。

ギリギリで駅に着くと、すぐに電車がやって来た。もう汗びっしょりだった。スーツケースを置き椅子に座ると、ハンカチで汗を拭きバックバックからマウスパッドを取り出してパタパタと顔を仰ぐ。

電車の中は若い人で一杯。もう夏休みに入ったのか? 途中の駅で幼稚園の園児が30人ほど先生に引率されて乗ってきた。みんな床に座り込む。車掌が検札に来た。ユーロ貨幣を差し出すと首を振る。チェコのコルナでなければダメだと言っているようだ。おかしい。昨日はユーロでOKだったのに。結局私がコルナを持っていないことがわかり、車掌は諦めて去っていった。

チェスケー・ブディェヨヴィツェの駅に着いた。次のプラハ行きの列車まで10分ある。駅のカウンターでチケットを買う。ユーロなら8ユーロだと言う。クレジットカードを出すと、この窓口は現金だけだという。バックパックの底の方にしまっておいた財布からユーロ紙幣を取り出して払った。

今日はお金を払って列車に乗ることにした。私の買ったユーレル・パスは1か月の間に7日まで使える。今回の旅で列車に乗るのは8日。だから一番料金が安そうなクルムロフ・プラハ間だけはパスを使わず、チケットを買って乗ることにしたのだ。

明け方起きて長時間ブログを書いていたので、かなり疲れていた。プラハ行きの電車ではゆっくり寝ようと思っていた。ところが私がひとりで独占していたコンパートメントに丸いメガネをかけた長身の男性が入ってきた。「Where are you from?」と声をかけられたので「Japan」と答えた。チェコ人で、ロンドンで仕事を終えプラハに帰ると言う。「ボンサイを知っているか?」と聞く。「もちろん、ボンサイは日本語だ」と答えると、何と「盆栽用の鉢を作るのが自分の仕事だ」と言って、何枚もの作品の写真を見せてくれる。「こういう仕事しているので、いつか日本に行って本場の盆栽を見るのが夢だ。カワグチの盆栽市にもぜひ行ってみたい」と、突然ローカルな地名が飛び出してきた。

眠るどころではなくなった。「昔少し日本語を習ったけれど、今ではすっかり忘れてしまった」と残念そうに言う。「日本の小説で『サラマンダー』というのがある。知ってるか?」。首を振ると、スマホを検査して写真を見せてくれる。サンショウウオだ。井伏鱒二の「山椒魚」ではないか。「教科書にも載っている名作だ」と言うと「フランツ・カフカとい作家を知っているか?」と聞く。そうかカフカはチョコ人だったんだ。「もちろん知っている。ある朝起きると自分が虫になっていたという話が有名だ」。『変身』は英語で何と言うのか? “Transformation”か? わからなかったのでストーリーを話してごまかす。「その小説と日本の『サラマンダー』には共通点がある」。そんな話が延々と続き、いつまでも途切れない。

彼も楽しそうだ。「You are the best English speaker among the Japanese persons I ever met.」と言ってくれる。一緒に写真を撮っていいかといので「もちろん」と答える。「今日のことを日本人の友人にも知らせたい」と嬉しそうだ。

列車が停まった。「ここがプラハ中央駅だ」と言う。パックパックを背負ってあわてて降りる。階段の手間で手を振って別れた。

ホテルは駅から歩いて10分。事前にメールを送り「6時に着く」と知らせてあった。そのメールで「ホテルにランドリー・ルームはあるか」と問い合わせると、「24時間制のランドリーサービスがある」という返事が返ってきた。日本を出てから10日以上。洗濯物がたまっている。

チェックインを済ませ部屋に入り、すぐに洗濯物と一緒に入れておく申し込み用紙を見た。アイテムことに枚数を書き込んで署名するのだ。そのリストを見てびっくりした。何とスポーツシャツ1枚で日本円で1000円、パジャマの上下が1300円、下着でさえ1500円かかる。全部ホテルでランドリーに出したら2万円を超えてしまうではないか!

仕方なしにiPhoneでコインランドリーの場所を探し、そこまで歩いて行くことにした。その前にいくらかチェコ通貨のコルナに替えなければならない。海外でも使えるという銀行のキャッシュカードで5000円分くらい換金しようとしたが、うまくいかない。両替所がまだ空いていたので聞いて見ると、現金を持ってきてくれればコルナに換金できると言う。「ユーロでもドルでもいいか」と聞くと、大丈夫だと言う。

ホテルに戻って、セーフティボックスに入れてあった財布から、余っていた40米ドルほどの札をつかみだして両替所に取って返す。コルナ札を小銭入れにしまい、iPhoneマップを頼りに歩いてコインランドリーに向かう。もうチャージが切れそうだ。どうにかもってくれ。迷いながら30分で到着。そこにいた女の人が、販売機での洗剤の買い方や洗濯機の使い方を親切に教えてくれる。両替機でコルナ札をコインにする。

120コルナのコインをスロットに入れると、洗濯機が回り始めた。日本円だと600円ほど。あたりは暗闇になってきた。それにしても、ザルツブルグかクルムロフかこのホテルにランドリー・ルームがあれば、こんなことをしなくても良かった。本当ならホテルに着いたら、すぐでもすぐにでもベッドにもぐりこんで寝たかったのに、一体自分は何をしているんだろう。

近くのスーパーマーケットに行って、夕飯のパンとバターとハムを買う。いま洗濯をしているんだと言うと、「じゃあ、コインが必要だね」と言って、お釣りを細かくしてくれる。みんな本当に親切だ。

洗濯機が回り始めて30分も経った頃、この店の管理責任者らしき人が入ってきた。「何時に締めるのか」と聞くと「9時だ」と言う。もう30分も過ぎている。「これからドライヤー(乾燥機)にもかけるんだろ?」と聞くので「Yes」と答えると、「No problem。大丈夫だから。乾燥機は最長120コルナと書いてあるが、この量なら90でいい。また戻ってくる」と言って去っていった。本当に親切な人が多い。

その後20分で洗濯が終わり、続けて乾燥機にかける。夜10時を過ぎている。電源を切っていたiPhoneにスイッチを入れると、もう何も表示されない。どうやってホテルに帰ろうか? 4時間前に着いたばかりで、土地勘もない。地下鉄の駅や路面電車の停留所がどこか皆目わからない。仕方なしにタクシーでホテルに帰ることに決める。

乾燥機が止まり洗濯物をビニール袋に入れていると、あのコインランドリーの責任者が戻ってきた。私は「ありがとう。本当に助かりました」と丁寧にお礼を言った。

洗濯物を入れたビニール袋を2つ抱えて、夜のプラハの街をさまようこと10分。やっとタクシーをつかまえることができた。ホテル名を言うと「夜なので300コルナでいいか?」と聞く。日本円なら1500円。東京ならふつうの料金だが、ここはプラハ。法外な値段だ。でもホテルに歩いて帰れる自信はない。「Yes」と答えるしかない。

ホテルに着いたのは11時。本当にいろいろなことがあった1日だった。

ザルツブルグからチェスキー・クルムロフへ。昼食抜きの列車の旅

620日(水)、ザルツブルグのホテルを11時半にチェックアウト。ウィーンのホテルではチェックアウトの時に「もうカードから引かれているので支払いは済んでいます」と言われのだが、「カードにしますか? キャッシュですか?」と聞かれる。「ウィーンのホテルでは、もう手続きが終わっていると言われたんですが、ホテルによって違うんですね」と言うと、「Yes.」と答えた。宿泊代は4泊で505ユーロ。クレジットカードで払い、急いで駅に。12時に出る列車で、チェコのチェスキー・クルムロフという村に向かい宿泊する。

ここには立派なお城があり、中央ヨーロッパを巡る旅では“定番”となっている。日本人のツアーではプラハから日帰りすることが多いようだが、以前新聞で「チェスキー・クルムロフに宿泊する旅」という謳い文句の広告を見たことがある。

ザルツブルグからだと、いったんウィーン方向に戻り、リンツという駅で乗り換え、プラハ行きの列車に乗る。だがプラハまでは行かず、途中のチェスケー・ブディヨヴィッツェという、ものすごく発音しにくい駅で乗り換え、ローカル線でクルムロフに行くという行程。

さて、最初はリンツに行かなければならない。この前ウィーンから乗った列車では「予約」が必要なかった。だから元に戻る場合でも必要はないだろうと思ってプラットホーム行こうとしたが、念のため電光掲示案を見ると「WIEN 1200」の後に「WITH RESERVATION」という表示がある。予約が必要だった。

インフォメーションで聞くと、「もう12時のウィーン行きはfull(満席)だ」と言う。「では次の列車の予約はどこでしたらいいのか?」と聞くと「駅の構内から出で左の方にチケット売り場がある」と言って、その方向を指さす。こんなに立派な駅なのに、チケット売場がなぜ駅構内にないのか?

駅を出て、オーストリア国鉄OBBのチケット売り場らしきところを探すが、それらしきところはない。150mほど先に「QBB」と表示されているビルがあったので、そっちに行ってみる。チケットを買って駅に戻って来る人も誰もいない。閑散としている。階段があったので、重いスーツケースが持って上がる。ドアを開けてみたが閉まっている。おかしいな、どこなんだろう?と思っていると、そこにひとり男性がやってきて「チケット売場はここか?」と私に聞く。顔立ちからしバングラディッシュとかパキスタン系かもしれない。インド人ではないだろう。「私もいま探しているところです」と答えて、また駅の方に戻りながら可能性のありそうな建物を探す。

弱った、これでは今日中にホテルに着けるのだろうか? 今日宿泊するのはホテルというよりペンションかBBといったところ、チェックインは7時までだ。

いつも感じるのだが、海外ではこんなハプニングがよく起こる。日本ならたった3分で終わることが10分も、場合によっては30分もかかることがある。

2人で何人かの人に尋ね歩いて、やっとチケットが買える建物がわかった。駅から出たすぐ目と鼻の先の白いプレハブのような小さな建物だった。これではわかるはずがない。譬えてみれば、東京駅の新幹線の切符売り場が八重洲口とか丸の内口を出たすぐ前の掘立小屋にあるようなものだ。

4人ほどのスタッフがそれぞれコンピューターの横に座っていた。私は一緒にこの場所を探した男性にお礼と言って「お先にどうぞ」と言ったが、その人は「いや、あなたの方が急いているようだから」と言って先に手続きをさせてくれた。本当に親切だ。

カウンターのヒゲの男性スタッフにユーレル・パスを見せて「リンツ経由でチェスキー・クロムルフに行きたいので、リンツまでの予約をしたい」と言うと、「1212分の列車がある」と言う。なんだ、そんなにたくさん列車が出てるんだ。「ファーストクラスです」というと「ファーストでもセカンドでも料金は変わらない」と言う。パスがあるので運賃はかからないが、予約料金は支払わなければならない。3ドルだと言うので、クレジットカードを出し、PINコード(暗証番号)を入力する。予約券と領収書を渡しながら彼は言った。「この予約にどんな意味があるのか、僕もよくわからないんだけどね」。

最後にコンピュータのキーを叩いてクルムロフまでのスケジュールをプリントしてくれた。乗り換え駅の到着時間、次の列車の出発時間、それに何番線から出るまで明記されていてとてもわかりやすい。そして最後にユーレル・パスの四角い空欄にスタンプを捺してくれたではないか。ウィーン駅で誰がどこで捺してくれるのかQBBの人に聞いても、誰もわからなかった待望のスタンプだ。

階段からホームに上がったところにいた車掌に予約券を見せ「何号車ですか?」と聞くと、「席は決まっていないので、どの車両に乗ってもいい」と言う。えっ? それなら何のための予約? 先ほどカウンターのQBB職員が言った「予約にどんな意味があるか、僕にもよくわからない」というのは、このことなのか?

セカンドクラスの車両に乗り込み、スーツケースを押しながら通路をファーストに向かう。韓国語を話している4人の若い女性が向かい合って座れる座席を確保して、棚に荷物を載せていた。彼女たちもクルムロフへ行くのだろうか? それにしても乗客が少ない。1車両に5、6人もいればいいほうだ。さらに進むと、4人分の向かい合った席があったので、その間にスーツケースを置いて座る。スーケースに脚を載せてくつろげそうだ。

電車が動き始めると、昨日近くの店で買っておいたサンドウィッチを頬張る。朝食べてからホテルを出ようと思ったのだが、列車で食べることにしたのだ。

1時間20分ほどでリンツ駅に到着。128分着の予定が5分遅れた。次の列車が出るのは35分発。あと2分しかなない。ザルツブルグの駅でもらったプリントには、その列車が発車するホームの番号があった。「2A」となっている。重いスーツケースを下げて階段を降り、2番線のホームへまた階段を駆け上がる。階段からずっと後ろの方に電車は泊まっている。向かの1番線には違う電車が停まっていて、韓国人の女性たちは階段から反対方向に向かって走っている。プラハ行の列車だろう。

ギリギリで“チェスケー何とか”行の列車に乗ることができた。ザルルブルグの駅でスケジュールをプリントしてもらってよかった。乗り換えの列車が何番線から出るか明記されていたからだ。降りてから人に聞いていたら、絶対に間に合わなかった。

1時間ほど走った頃だろうか? 駅の表記が変わっていることに気づいた。SとかRなどの上にVのようなマークがついている。きっとあれはチェコ語だ。いつの間にか国境を越えてチェコに入っていたのだ。そのせいか、車窓から見える森や牧草地の緑が、いっそう濃くなったような気がする。

リンツから2時間20分で、“チェスケー何とか”の駅に着いた。プリントにはクルムロフ行きが何番線か書いてない。他の旅行者も迷っているようだ。ホームから下の通路に降りてうろうろしていると、さっきまで乗ってきた列車の車掌が来たので聞いて見たが、わからないと言う。「こっちに来い」と言われ付いていくと、駅構内にパネル式の掲示板があった。そこにはクルムロフ行の電車が何番線か出るのかという表示がなかった。車掌は「出発時間が近づくとホームの番号が表示されるから、確認してから行くように」と言って去っていった。毎日のことなのに、電車が来るまで何番線から出るのか決まっていないなんて不思議だ。

なかなかホームの番号が表示されない。発車5分前になって、やっと「3」という数字が出てきたので、3番線に急ぐ。リックを背負った多くの若者たちも、その列車めがけて集まって来た。

チェコの田舎の田園風景の中を電車はゆっくり走る。iPhoneを見ると、今晩泊まるペンションからメールが届いていた。「何時頃着きますか?」と聞いている。「いまクルムロフに向かう電車で、到着は6時近くになる」と返信。お腹がペコペコだ。リンツに向か列車でサンドウィッチをひとう食べたきり、何も食べていない。リンツ行の特急には食堂車があったかもしれないが、それ以降の列車にはあるはずもない。乗り換えの時間も短く、お昼を食べる時間などなかった。水だけは大きなペットボトルに半分入っていたのをバックパックに入れてきていた。パソコンが入っているので、水が漏れたら嫌だな思って、ザツルブルグのホテルに捨てて来ようと思ったのだが、持って来て本当によかった。この水が生命線だ。この水がなかったら、喉が渇いて大変なことになっていたかもしれない。日本なら駅構内でもホームでもどこでもすぐに自動販売で水が買えるが、その便利さは世界の常識で考えれば異常なことなのかもしれない。

車掌がやって来た。ユーレル・パスを見せると、チェコ語で「それは使えない」と言っているようだ。ザルツブルグ駅のチケットカウンターの職員も「クルムロフへの電車では料金を支払わなければならないかもしれない」と言っていた。この路線は国鉄ではなく私鉄なのかもしれない。「Euro OK?」と聞くとOKだと言う。ユーロの小銭を手のひらに載せて見せると、その中から何枚かのコインを取って、チェコ・コルナの貨幣でお釣りをくれた。

クルムロフの駅で降りて、iPhoneマップを頼りに20分歩くと、小さなペンションに着いた。昼抜きたったので、とにかく食事をしなければ。近くのレストランを紹介してもらい、お皿に大盛りのサラダと大きな豚肉のフリット。パンもつけてもらう。それを全部平らげてしまった。

 

ヴォルフガング湖の遊覧船と山岳鉄道

 619日(水)、今日はザルツブルグからもっと山の方に入り、ウォルフガング湖方面を訪ねることにした。日帰りの旅。バスで湖畔のザンクト・ギルゲンという村に行き、遊覧船に乗って対岸のザンクト・ウォルフガングという村へ行く。そこには山岳鉄道がある。山の頂上まで往復し、またバスでギルゲンを経由してザルツブルグに戻る……というプランを立てた。

ただ、バスにしても船にしても山岳鉄道にしても、乗るたびに料金を払うのがいいのか、周遊券のようなパスを買った方が安いのかよくわからない。ここまで遠出をすると、市内で有効のザルツブルグ・カードも使えない。Hop on Hop offというバスの周遊券をミラベル庭園の向かいのバスステーションで買えるらしいが、船や山岳鉄道もセットになったパスはないのだろうか? とにかく少しでも安く旅をしたい。

駅構内の観光案内所で聞くが、どうも要領を得ない。Hop on Hop offのパンフレットを渡されて「これで確認してください」と言う。

しかたなしに、ミラベル庭園の方向に向かって歩きながらそのパンフを見ていたら、何と「BUSBOAT=46ユーロ」とあるではないか! おまけにバスの時刻表もある。観光案内所のスタッフならそのくらいのことは知っていて、親切に教えてくれてもいいじゃないか。海外では日本と違って、自分の管轄外のことは全く知らない人が多い。もし自分の管轄外のことを教えて間違っていたら、自分の責任になると思っているのではないか?

Hop on Hop offのバスステーションでバスと遊覧船のセット券を購入。券と言ってもペラペラの紙だ。ここにバスが来るのだろうと思ったら、道路の反対側前方を指さして「緑のテントがあるだろう。あの先にバスステーションがある。1020分に黄色いバスが来るから、それに乗るように」と言う。

行ってみると、市内を走る路線バスの停留所があった。そこにバスは来るのだろうか? チケット販売所がそこにもあったので、「あの停留所でいいのか」と聞くと、「違う。内側のこの広場にバスは入って来るから、そこで待て」という。内側? 広場? 石畳の歩道がちょっとだけ広くなっているこのスペースが広場なのか? ここは人が歩く歩道ではないか? こんなところに大きなバスが入ってくるのか? 日本人的感覚では、ちょっと理解不能

だが、大きな黄色いバスが本当にそこに入ってきた。他にも10人ほどの人が乗り込む。ここからザンクト・ギルゲンを往復するのが「グリーンライン」、湖の奥のザンクト・ヴォルグガングとギルゲンを往復するのが「レッド・ライン」となっている。

運転手にパスだというペラペラの紙を見せ、イヤフォンを受け取って少し後ろの席に座る。日本語はチャンネル8。バスが走り出すと、その通りや通過する村の解説が流れる。もちろん次に停まる村の名前も言ってくれるので安心だ。

1時間ほどでザンクト・ギルゲンに到着。バス停の横にはゲーブルカーの駅があった。どんどん人を乗せて山の上に上がっていく。まずは船の時間を確認しよう。十分に時間があったら、朝食を食べてケーブルカーにも乗れる。

船着き場に行くと、次の船は12時ちょうどだということがわかった。後45分ある。ケーブルカーは帰りにこの村に寄った時に、次のバスを待てば1時間の間隔があるので、その時に乗ろう。近くには「モーツアルト・ハウス」もある。そこに寄れるかもしれない。ザルツブルグ周辺にはたくさんのモーツアルト・ハウスがある。ここは奥さんの生家だと『地球の歩き方』には書いてあった。

船着き場の窓口で船のチケットを買う。横にレストランがあったが、ここは高そうだったので、少し離れたところで朝食を取ろうと歩いてバス停の方向に戻る。でも、全部閉まっていた。見ると11時半からになっている。それでは船に間に合わない。

しかたなしに、また船着き場に戻り、たった一軒だけやっているレストランに入る。もう11時半。船の時間まで30分きりない。ウエイトレスに「I have still 30 minutes」(まだ30分時間があります)と言うと全てわかってもらえたようで、「スープならすぐに出せます」というので、パンとコーヒーと一緒に注文。周りで食事をする人たちもみんな船に乗るのだろうか?

スープをパンと一緒に飲みながら、さっきの窓口で山岳鉄道のチケットも買えるのかもしれないと思った。食べ終えて、すぐにチケット売り場に行き尋ねたら「山岳鉄道のチケットも買える」という。私は「さっき船のチケットも買ってしまいました。セットで買えたんですよね」と聞くと、「船が片道のセット券は売っていない」と言う。

船は12時ちょうどに出港した。やはり日本の湖や山の景色とは違う。何か本格的!という感じ。2階のデッキで景色を見ていた。5分ほどで対岸に。最初に寄る船着き場だ。ここにはこじんまりしたホテルらしき木造の建物があった。何と船の横を泳いでいる人がいた。ゆっくり水を掻いているがかなり速い。腕に覚えがある人なのだろう。

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船がまた走り始めると雨が降ってきたので、下の階に降りる。天気雨だ。その後、3か所に寄った。私が降りるのはザンクト・ヴォルフガングというところ。もうそろそろだろうか? 女性スタッフに聞くと「2つ目だ」と言う。念のためiPhoneマップで見ると、山岳鉄道らしき線がすぐ近くのようだ。

次の船着き場に着いた時、たくさんの人たちが下船を始めた。私がその女性に「山岳鉄道に乗るんですが」と言うと、ちょっと慌てたように「だったら、ここです」と言う。山岳鉄道に乗るにはザンクト・ヴォルグガングの村まで行くものだと思っていたが、その前で降りなければいけなかったのだ。

岳鉄道の駅は目の前だった。10分ほどすると、赤い電車が上から降りてきたので乗り込む。隣に座った人たちが日本語をしゃべっていたので挨拶する。みなさん沖縄から来ていて、音楽好きのグループなのだという。ウィーンに住んでいた人を団長として10人で旅をしていると言う。「ここまでどうやって来られたんですか?」と聞くと、「ドイツ語ができる団長さんが車を運転して旅をしているんです」と言う。

 

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岳鉄道はゆっくりと高度を上げていく。白い雪を頂いた山並みの下に青い湖が見える。これまで荘厳な景色は日本ではなかなかお目にかかれない。その時、私は大変なミスに気づいた。ザルツブルグで買ったチケットは「BUS+BOAT」で46ユーロなっていた。ところが船のチケット買ってしまったではないか! 買う必要などなかったんだ。

船の料金はいくらだったんだろうか? 大変な無駄をしてしまったのではないか! バックパックからレシートを出して見ると「6ユーロ」となっていた。800円ほどだが、瞬間的に勘違いしてしまったことで、最悪の気分になってしまった。車窓には荘厳なほど美しい景色が広がるのに、なんていうことだろう!

40分ほどで山頂駅に到着。ここで30ほど過ごして、下りの電車に乗ることにする頂。頂上駅の上にレストランらしき建物が見える。10分ほど急斜面を昇ると、そこにたどり着いた。その裏側は崖になっていて、木で造った塀がある。向こうを覗き込むと、さらに険しい山々の間にまたいくつか湖が見える。

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レストランでアイスクリームを食べていると後5分で下りの電車の時間。慌ててく急斜面を駆け降り、ぎりぎりで電車に乗り込んだ。

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麓の駅で、Hop on Hop offのレッドラインのバスを待つ。もう行列ができている。30分ほどでバスが来た。他の路線バスを待っている人もいるようだ。その人たちを尻目に乗り込んだ。このHop onバスにして良かった。

30分ほどでザンクト・ギルゲンに到着。山岳鉄道の山頂駅で、あんな景色を見てしまったら、もうこの村のケーブルカーに乗る必要はない。下から上がってきた、グリーンラインのバスに乗ってザルツブルグに戻った。