旅三昧&ときどき読書+映画

私は小泉牧夫。英語表現研究家という肩書で『世にもおもしろい英語』『アダムのリンゴ 歴史から生まれた世にもおもしろい英語』(IBCパブリッシング刊)という本を書いています。2018年4月に 出版社を退職し、41年にわたる編集者生活を終えました。いま世界中を旅しながら、本や雑誌記事の執筆とともに、旅先ではこのブログを書いています。お金はありませんが、時間だけはたっぷりある贅沢な旅と執筆と読書と映画の日々を綴っていきたいと思います。

旅三昧&ときどき読書+映画

私は小泉牧夫。英語表現研究家という肩書で『世にもおもしろい英語』『アダムのリンゴ 歴史から生まれた世にもおもしろい英語」(IBCパブリッシング刊)という本を書いています。2018年4月に出版社を退職し、41年にわたる編集者生活を終えます。それからは世界中を旅しながら、本や雑誌記事の執筆をする予定。お金はありませんが、時間だけはたっぷりある贅沢な旅と執筆と読書と映画の日々を綴っていきたいと思います。

プラハの休日。ホテルで夕方まで寝て過ごす

6月23日(日)、このブログは1日遅れで書いている。日本との時差もあるので2日遅れになる。つまり25日の日付のブログでは、23日のことを書くことになる。

22日は、チェスキークルムロフ城を見学してから列車でプラハに辿りつき、ホテルですぐに寝たかったのにコインランドリーで夜中まで洗濯することになったという顛末を書いた。列車では「ボンサイ」の鉢をつくっているというチェコ人と意気投合し、フランツ・カフカ井伏鱒二の話でも盛り上がった。いろんなことがありすぎ、ものすごい長文になってしまい、明け方から書き始めてお昼までかかってしまった。ブログ執筆が観光の妨げになっている。こういうのを本末転倒と言うのだろうか。もう少し要領よく、簡潔な文体で書けないものか?

このプラハのホテルは朝食付きだということに昨夜気づいた。夕飯を食べながら、iPhoneでこのホテルには何日まで滞在するのかチェックしていると、「朝食付き」となっているではないか。チェックインした時に、フロント係は何も言ってくれなかった。私はホテルで朝食をとるとお金がかかるので、外で食べるようにしている。しかし、このホテルは全ての部屋が朝食付きになっていたのだ。そんなことは本人の責任で承知していなければいけないのだが、宿泊日数を確認する時に一言言ってくれてもいいじゃないか。

ということで、昨日一食損をしたので、10時に1階のダイニングルームに降りて朝食を食べ、また部屋に戻って執筆を続けた。頭も体もふらふらする。午後はプラハ城に行こうと思ったのだが、行けるだろうか?

くたびれ果てた頭で考えた。明日は2時30分の列車でベルリンに行く、その前にお城に行けるではないか。昨日もうカレル橋にもフランツ・カフカ博物館にも行ってしまった。ここで無理は禁物だ。今日はのんびりしよう・・・そんなふうに考えを変え、今日は完全休養日に変更。夕方までゆっくりと眠ることにする。慎重なのか? 自分に甘いのか?

夕方までぐっすり寝て起きると、頭も体も少しシャキッとしてきたので、夕飯を食べに外出して暗くなる前にホテルに戻った。

 

フランツ・カフカ博物館。展示ケースの中には「虫」が・・・

6月22日(土)、朝ゆっくり起きて昨晩コインランドリーで洗濯している間にスーパーで買っておいたパンとハムを食べる。プラハ中央駅の観光案内所で、市内の地下鉄やバス、路面電車が自由に乗り降りできるプラハ・パスを購入。2日有効のものはないのかと聞くと、「1日券の次は3日券」だと言う。310コルナ。日本円換算は5倍すればいいので1550円だ。「パスは地下鉄に乗る度に毎回パンチしなければいけないのか? それとも1日に1回か?」と聞くと、「パスを使い始める時だけでいい」と言う。こんな些細なことでも知っていないと、検札に見つかって高額の罰金を要求されたりするので、しつこいほど確認した方がいい。

次に列車のチケット・カウンターへ。窓口は「Domestic」と「International」に分かれていた。Internationalの係員に「明後日、列車でBerilnに行くんですが、予約は必要ですか?」と聞くと「必要ありません」と言い、すぐに「でも予約した方がいいと思ったらしてください」と付け加えた。日本で買った時刻表によれば、予約しなければ乗れない「全席予約制」の列車と予約していれば満員でも優先的に乗れる「任意予約制」の列車があるようだ。まあ、ハイシ―ズンではないので、これまでも列車がガラガラだった。予約なしで乗ることにしよう。

昨夜両替したコルナも夕飯のパンを買い、コインランドリーで洗濯したりして少なくなったので、ATMで1000コルナほど降ろす。海外でも預金からお金を降ろせる銀行カードと後から引き落としされるクレジットカードを持っている。銀行カートで降ろそうとするが。どうもうまくいかない。仕方なしにクレジットカードで1000コルナ(約5000円)を降ろす。

これで、いろいろな懸念が全部片づいた。中央駅近くの「ミュージアム」という地下鉄駅から、あの有名なカレル橋に行くことにする。緑色の「A線」という地下鉄に乗って3つ目、Staromestskaという駅で降りて10分。14世紀にかけられたというプラハで最古の石橋だ。世界中から集まった観光客で大混雑。520mと長いのと、人が大勢行きかっているので、なかなか向こう岸にたどり着かない。

 

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橋を渡り切ると、右側のテントの下で営業していカフェがあったのでそこに入り、シーフード・パスタを注文する。隣のテーブルでイタリア語をしゃべっている家族が食べているのを見て、とてもおいしそうだったからだ。

パスタを食べていると、急にものすごい勢いで雨が降ってきた。背中が濡れ始める。椅子とテーブルを少し前にずらすと、ぎりぎりで雨を避けることができた。食後のコーヒーを飲みながら『地球の歩き方』にあったプラハ市街図を見ていたら、すぐ近くに「フランツ・カフカ博物館」があるではないか。このガイドでも、文章の解説はなく、ただ地図に中に小さく表示されているだけだったが、これはぜひとも行かなくては。

入場料は180コルナ。900円。オーディオガイドはなかったが、展示パネルの英語の解説をじっくり読み進んだ。カフカプラハユダヤ人地区で生まれ育った。ここにはチェコ人、ドイツ人。ユダヤ人が住んでいた。民族も言葉も宗教も誓う人々が狭い地域に肩を寄せ合うように生きていたのだ。

カフカの代表作『変身』もそんな環境で育ったからこそ、書くことができた小説ではないかと思う。この異質なものが混然一体となった地区では、もし自分がチェコ人だったら、もしドイツ人だったら、人生はどうなっていただろうかとしばしば想像をたくましくしたに違いない。ある朝、自分が大きな虫に変身していたというストーリーは、常に自分とは違う異質なものに取り囲まれた環境から生まれたのではないかと強く感じたのだった。

ガラスケースに入っていたカフカ自筆の原稿を見ている時に、隣の人が「Coinsidentally...」(偶然にも・・・)と私に声をかけ、「この中にinsect(虫)がいますよ」と小さなハエを指さす。ロシア人で、1人で旅行していると言う。文学好きな私だから理解できたが、他の人だったらこの「偶然」の深遠な意味がわかっただろうか?

村上春樹は「フランツ・カフカ賞」を受賞している。この賞はノーベル文学書への登竜門と言われている。いつになったらノーベル賞を獲れるのだろうか? でも村上春樹には賞狙いではなく、いつまでも普通の文学好きな人達の気持ちに寄りそう小説を書き続けてほしい。

プラハ城の南側を通り、マーネス橋のたもとに来た。このまま地下鉄で帰ってもいいが、せっかくなので路面電車の乗って街並み人通りを見ながらホテルに帰ることにした。ちょうど停留所があった。どんどん路面電車がやって来るが、どれに乗ったらいいいのか見当もつかない。ホテルは中央駅の近くだ。そのあたりを見ると「23番」の路面電車が走っているようだ。ちょうど「23」の電車が来たので飛び乗る。iPhoneの地図で見て、一番近くまで来たら降りて、また違う電車に乗り換えることにする。

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橋を渡り少しずつ中央駅に近づいて行くが、しばらくすると離れ始めたので次の停留所で降りる。ここからホテルまで歩けるかなと思ってiPhoneマップを見ると、そこには「車」と「徒歩」以外に「交通機関」を利用しての行き方も表示されているではないか。「歩き5分で路面電車『6』に乗り、3分で到着」となっている。

街中を複雑に交差している路面電車の路線情報までも、小さなiPhonで知ることができる。すごい時代になったものだ。

 

クルムロフからプラハへ。城とロックと盆栽とカフカ、そしてコインランドリー

 

6月21日(木)、朝5時に起きてブログを書いていると8時になってしまった。フロント前の小さなダイニングルームで朝食を済ませ、部屋に戻って仮眠。旅するだけでも大変なのに毎日長文のブログを書いている。涙ぐましい努力。自分で自分を褒めてあげたい。

1時間ほどで起きて、部屋のあちこちに散らばった物をスーツケースに詰め込んで、チェックアウト。フロントでスーツケースを預かってもらい中世の面影を残す村の中へと急ぐ。お城を見学する前に、中央広場にある観光案内所に行きプラハに行くバスのチケットを買いたい。昨夜ネットで調べてみたら満席になっていた。でもここなら空席を探してもらえるかもしれない。

窓口の女性に「プラハ行きのバスのチケットは買えますか?」と聞くと「買えます」と答える。「2時の便を1枚」と言うと「もう5時きり空席はありません」と言う。プラハまでバスで3時間かかる。すると夜8時になってしまう。午後2時に電車に乗れば5時までには着ける。「そうですか……では、電車で行くことにします」と言うと、「そうですね」とその女性は納得したようにうなずいた。

お城の門を入りチケットを買い、まず美術館を見学。代々の城主の超リッチな生活ぶりがわかる。一番興味深かったのは貨幣を鋳造する道具が展示されていた部屋。金属を溶かして鋳型にはめ込んで貨幣をつくったらしい。皇帝から貨幣を鋳造する権利を与えられていたと言うのだ。その権力の凄さがわかる。

美術館を出て螺旋階段を昇り尖塔の上に上がる。中世の古い家々の茶色い屋根と遠くの山々の織りなすコントラストが美しい。尖塔の頂上の展望台は高さ1mほどの厚い石の塀で囲まれていて、ぐるりと1周できるようになっている。何と若い男性がその塀の上に胡坐をかいて座り込んでポーズをとっているではないか。ガールフレンドらしき女性が写真を撮っている。塀の厚さは50㎝もないだろう。もし反対側に落ちてしまったら、どうするのか? 高所恐怖症の私は、それを見ただけで怖くなってしまい。一目散に螺旋階段を駆け下りたのだった。

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地球の歩き方』には、さらに別の城内ツアーがあると書いてあった。「ツアー1とツアー2があって、どちらかを選べる」と。中庭を抜けると、お城に関連するグッズを売っている店があったので聞くと、先ほどの美術館・尖塔とは別にチケット売場が中庭にあると言う。そのチケット窓口に行くと、電光掲示版にはツアー1と2のそれぞれの時間と言語が表示されていた。日本語はない。チェコ語とドイツ語と英語。英語のツアーは12時から。まだ1時間もある。せっかくここまで来たのだから、英語のツアーのチケットを買う。ツアー1の出発場所を確認するために行ってみると、そこには4人の日本人観光客がいた。英語のツアーを待っているのか聞くと、「時間がないので、1120分からのチェコ語のツアーにしたんです」と残念そうに言う。

お城の背後に庭園があるらしいので行ってみた。建物がごみごみと一か所に密集している小さな村に、こんな広大な庭があるなんて信じられない。きれいに整えられた庭園を散策していると、突然大音響が鳴り響いた。ロックのギターとドラムの音に合わせて猛獣の雄叫びも聞こえる。散歩していた犬が慌ててベンチの下に潜り込んだ。

何とそこには野外のコンサート会場があった。リボンの紐で中には入れないようになっていたが、覗き込むと階段状の客席が見える。かなり急な傾斜になっている。さすがにステージは見えない。

激しいロックを聴きながら、コンサート会場の敷地の裏側へと散策を続ける。そこにもコンサートのスタッフがいて、無断で中に入らないように見張っている。聞くとチェコでは有名なロックバンドだと言う。ここからも観客席が見える。でもおかしい。観客席の傾斜はさっきとは逆になっている。つまり左側上から右側下に傾斜があったのに、裏側に来ても同じだ。ステージの両側に客席があるのか? よく見ると、観客席がゆっくり回転しているではないか、おろらくステージと一緒に。田舎にこんな凄い仕掛けのある野外コンサート会場があるなんて、チェコという国もなかなかやるじゃないか。 

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ツアー開始の15分前になった。お城に戻ろうと元来た道を探すが、どうしても見つからない。地元の人だと思わる女性が子供を遊ばせていたので聞くと、いったん下に降りてから右の方に曲がり込むとお城に行けると教えてくれた。

12時ぎりぎりにツアーのスタート地点に着いた。民族衣装を着た女性がガイドだ。20人ほどの人たちと一緒に彼女の英語の解説を聞きながら場内をまわる。彼女のすぐ近くで聞き耳を立て集中していると英語が理解できるが、床を歩く時のギシギシという音や囁き声がした途端、集中が途切れてわからなくなる。代々の城主の絵画やたくさんの調度品が次から次へと展示されていて、英語でのガイドが続く。ひとつの部屋に黄金の馬車があった。本当にキラキラと輝いている。

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1時間ほどでツアーを終え町の中心の広場に戻る。小麦粉を油で揚げてカリカリにした硬いナンのようなものにチーズを載せ、ガーリックとケチャップをつけて食べる。きっとこの地方の料理なのだろう。

Museum Torture」と書いてある建物があった。「拷問博物館」だ。そのような嗜好があるわけではないが、以前ある英語表現の本を書こうとヨーロッパの拷問に関する本をたくさん読んだことがあったので、興味を引かれて入ってみたが、それほどおもしろくはなかった。

もうひとつ、広場から少し外れたところに「地域博物館」という施設もあった。入場料は幾らか聞くと無料だと言う。そこを見終わると210分だった。電車の時間は255分。まだ45分ある。ペンションに戻って預けてあったスーツケースを受け取り、駅までゆっくり歩いても間に合うだろうと思っていた。ところが、この中世の村の中は迷路のようになっていて、なかなか抜け出すことができない。どうにか脱出してペンションに着いたのが35分。あと20分だ。スーツケースを引っ張って猛スピードで走る。ところどころ歩道が石畳になっていて車輪がうまく動いてくれない。ところが駅に戻る道をまた間違えてしまった。また元の道に引返すはめになる。すごい時間のロスだ。

ギリギリで駅に着くと、すぐに電車がやって来た。もう汗びっしょりだった。スーツケースを置き椅子に座ると、ハンカチで汗を拭きバックバックからマウスパッドを取り出してパタパタと顔を仰ぐ。

電車の中は若い人で一杯。もう夏休みに入ったのか? 途中の駅で幼稚園の園児が30人ほど先生に引率されて乗ってきた。みんな床に座り込む。車掌が検札に来た。ユーロ貨幣を差し出すと首を振る。チェコのコルナでなければダメだと言っているようだ。おかしい。昨日はユーロでOKだったのに。結局私がコルナを持っていないことがわかり、車掌は諦めて去っていった。

チェスケー・ブディェヨヴィツェの駅に着いた。次のプラハ行きの列車まで10分ある。駅のカウンターでチケットを買う。ユーロなら8ユーロだと言う。クレジットカードを出すと、この窓口は現金だけだという。バックパックの底の方にしまっておいた財布からユーロ紙幣を取り出して払った。

今日はお金を払って列車に乗ることにした。私の買ったユーレル・パスは1か月の間に7日まで使える。今回の旅で列車に乗るのは8日。だから一番料金が安そうなクルムロフ・プラハ間だけはパスを使わず、チケットを買って乗ることにしたのだ。

明け方起きて長時間ブログを書いていたので、かなり疲れていた。プラハ行きの電車ではゆっくり寝ようと思っていた。ところが私がひとりで独占していたコンパートメントに丸いメガネをかけた長身の男性が入ってきた。「Where are you from?」と声をかけられたので「Japan」と答えた。チェコ人で、ロンドンで仕事を終えプラハに帰ると言う。「ボンサイを知っているか?」と聞く。「もちろん、ボンサイは日本語だ」と答えると、何と「盆栽用の鉢を作るのが自分の仕事だ」と言って、何枚もの作品の写真を見せてくれる。「こういう仕事しているので、いつか日本に行って本場の盆栽を見るのが夢だ。カワグチの盆栽市にもぜひ行ってみたい」と、突然ローカルな地名が飛び出してきた。

眠るどころではなくなった。「昔少し日本語を習ったけれど、今ではすっかり忘れてしまった」と残念そうに言う。「日本の小説で『サラマンダー』というのがある。知ってるか?」。首を振ると、スマホを検査して写真を見せてくれる。サンショウウオだ。井伏鱒二の「山椒魚」ではないか。「教科書にも載っている名作だ」と言うと「フランツ・カフカとい作家を知っているか?」と聞く。そうかカフカはチョコ人だったんだ。「もちろん知っている。ある朝起きると自分が虫になっていたという話が有名だ」。『変身』は英語で何と言うのか? “Transformation”か? わからなかったのでストーリーを話してごまかす。「その小説と日本の『サラマンダー』には共通点がある」。そんな話が延々と続き、いつまでも途切れない。

彼も楽しそうだ。「You are the best English speaker among the Japanese persons I ever met.」と言ってくれる。一緒に写真を撮っていいかといので「もちろん」と答える。「今日のことを日本人の友人にも知らせたい」と嬉しそうだ。

列車が停まった。「ここがプラハ中央駅だ」と言う。パックパックを背負ってあわてて降りる。階段の手間で手を振って別れた。

ホテルは駅から歩いて10分。事前にメールを送り「6時に着く」と知らせてあった。そのメールで「ホテルにランドリー・ルームはあるか」と問い合わせると、「24時間制のランドリーサービスがある」という返事が返ってきた。日本を出てから10日以上。洗濯物がたまっている。

チェックインを済ませ部屋に入り、すぐに洗濯物と一緒に入れておく申し込み用紙を見た。アイテムことに枚数を書き込んで署名するのだ。そのリストを見てびっくりした。何とスポーツシャツ1枚で日本円で1000円、パジャマの上下が1300円、下着でさえ1500円かかる。全部ホテルでランドリーに出したら2万円を超えてしまうではないか!

仕方なしにiPhoneでコインランドリーの場所を探し、そこまで歩いて行くことにした。その前にいくらかチェコ通貨のコルナに替えなければならない。海外でも使えるという銀行のキャッシュカードで5000円分くらい換金しようとしたが、うまくいかない。両替所がまだ空いていたので聞いて見ると、現金を持ってきてくれればコルナに換金できると言う。「ユーロでもドルでもいいか」と聞くと、大丈夫だと言う。

ホテルに戻って、セーフティボックスに入れてあった財布から、余っていた40米ドルほどの札をつかみだして両替所に取って返す。コルナ札を小銭入れにしまい、iPhoneマップを頼りに歩いてコインランドリーに向かう。もうチャージが切れそうだ。どうにかもってくれ。迷いながら30分で到着。そこにいた女の人が、販売機での洗剤の買い方や洗濯機の使い方を親切に教えてくれる。両替機でコルナ札をコインにする。

120コルナのコインをスロットに入れると、洗濯機が回り始めた。日本円だと600円ほど。あたりは暗闇になってきた。それにしても、ザルツブルグかクルムロフかこのホテルにランドリー・ルームがあれば、こんなことをしなくても良かった。本当ならホテルに着いたら、すぐでもすぐにでもベッドにもぐりこんで寝たかったのに、一体自分は何をしているんだろう。

近くのスーパーマーケットに行って、夕飯のパンとバターとハムを買う。いま洗濯をしているんだと言うと、「じゃあ、コインが必要だね」と言って、お釣りを細かくしてくれる。みんな本当に親切だ。

洗濯機が回り始めて30分も経った頃、この店の管理責任者らしき人が入ってきた。「何時に締めるのか」と聞くと「9時だ」と言う。もう30分も過ぎている。「これからドライヤー(乾燥機)にもかけるんだろ?」と聞くので「Yes」と答えると、「No problem。大丈夫だから。乾燥機は最長120コルナと書いてあるが、この量なら90でいい。また戻ってくる」と言って去っていった。本当に親切な人が多い。

その後20分で洗濯が終わり、続けて乾燥機にかける。夜10時を過ぎている。電源を切っていたiPhoneにスイッチを入れると、もう何も表示されない。どうやってホテルに帰ろうか? 4時間前に着いたばかりで、土地勘もない。地下鉄の駅や路面電車の停留所がどこか皆目わからない。仕方なしにタクシーでホテルに帰ることに決める。

乾燥機が止まり洗濯物をビニール袋に入れていると、あのコインランドリーの責任者が戻ってきた。私は「ありがとう。本当に助かりました」と丁寧にお礼を言った。

洗濯物を入れたビニール袋を2つ抱えて、夜のプラハの街をさまようこと10分。やっとタクシーをつかまえることができた。ホテル名を言うと「夜なので300コルナでいいか?」と聞く。日本円なら1500円。東京ならふつうの料金だが、ここはプラハ。法外な値段だ。でもホテルに歩いて帰れる自信はない。「Yes」と答えるしかない。

ホテルに着いたのは11時。本当にいろいろなことがあった1日だった。

ザルツブルグからチェスキー・クルムロフへ。昼食抜きの列車の旅

620日(水)、ザルツブルグのホテルを11時半にチェックアウト。ウィーンのホテルではチェックアウトの時に「もうカードから引かれているので支払いは済んでいます」と言われのだが、「カードにしますか? キャッシュですか?」と聞かれる。「ウィーンのホテルでは、もう手続きが終わっていると言われたんですが、ホテルによって違うんですね」と言うと、「Yes.」と答えた。宿泊代は4泊で505ユーロ。クレジットカードで払い、急いで駅に。12時に出る列車で、チェコのチェスキー・クルムロフという村に向かい宿泊する。

ここには立派なお城があり、中央ヨーロッパを巡る旅では“定番”となっている。日本人のツアーではプラハから日帰りすることが多いようだが、以前新聞で「チェスキー・クルムロフに宿泊する旅」という謳い文句の広告を見たことがある。

ザルツブルグからだと、いったんウィーン方向に戻り、リンツという駅で乗り換え、プラハ行きの列車に乗る。だがプラハまでは行かず、途中のチェスケー・ブディヨヴィッツェという、ものすごく発音しにくい駅で乗り換え、ローカル線でクルムロフに行くという行程。

さて、最初はリンツに行かなければならない。この前ウィーンから乗った列車では「予約」が必要なかった。だから元に戻る場合でも必要はないだろうと思ってプラットホーム行こうとしたが、念のため電光掲示案を見ると「WIEN 1200」の後に「WITH RESERVATION」という表示がある。予約が必要だった。

インフォメーションで聞くと、「もう12時のウィーン行きはfull(満席)だ」と言う。「では次の列車の予約はどこでしたらいいのか?」と聞くと「駅の構内から出で左の方にチケット売り場がある」と言って、その方向を指さす。こんなに立派な駅なのに、チケット売場がなぜ駅構内にないのか?

駅を出て、オーストリア国鉄OBBのチケット売り場らしきところを探すが、それらしきところはない。150mほど先に「QBB」と表示されているビルがあったので、そっちに行ってみる。チケットを買って駅に戻って来る人も誰もいない。閑散としている。階段があったので、重いスーツケースが持って上がる。ドアを開けてみたが閉まっている。おかしいな、どこなんだろう?と思っていると、そこにひとり男性がやってきて「チケット売場はここか?」と私に聞く。顔立ちからしバングラディッシュとかパキスタン系かもしれない。インド人ではないだろう。「私もいま探しているところです」と答えて、また駅の方に戻りながら可能性のありそうな建物を探す。

弱った、これでは今日中にホテルに着けるのだろうか? 今日宿泊するのはホテルというよりペンションかBBといったところ、チェックインは7時までだ。

いつも感じるのだが、海外ではこんなハプニングがよく起こる。日本ならたった3分で終わることが10分も、場合によっては30分もかかることがある。

2人で何人かの人に尋ね歩いて、やっとチケットが買える建物がわかった。駅から出たすぐ目と鼻の先の白いプレハブのような小さな建物だった。これではわかるはずがない。譬えてみれば、東京駅の新幹線の切符売り場が八重洲口とか丸の内口を出たすぐ前の掘立小屋にあるようなものだ。

4人ほどのスタッフがそれぞれコンピューターの横に座っていた。私は一緒にこの場所を探した男性にお礼と言って「お先にどうぞ」と言ったが、その人は「いや、あなたの方が急いているようだから」と言って先に手続きをさせてくれた。本当に親切だ。

カウンターのヒゲの男性スタッフにユーレル・パスを見せて「リンツ経由でチェスキー・クロムルフに行きたいので、リンツまでの予約をしたい」と言うと、「1212分の列車がある」と言う。なんだ、そんなにたくさん列車が出てるんだ。「ファーストクラスです」というと「ファーストでもセカンドでも料金は変わらない」と言う。パスがあるので運賃はかからないが、予約料金は支払わなければならない。3ドルだと言うので、クレジットカードを出し、PINコード(暗証番号)を入力する。予約券と領収書を渡しながら彼は言った。「この予約にどんな意味があるのか、僕もよくわからないんだけどね」。

最後にコンピュータのキーを叩いてクルムロフまでのスケジュールをプリントしてくれた。乗り換え駅の到着時間、次の列車の出発時間、それに何番線から出るまで明記されていてとてもわかりやすい。そして最後にユーレル・パスの四角い空欄にスタンプを捺してくれたではないか。ウィーン駅で誰がどこで捺してくれるのかQBBの人に聞いても、誰もわからなかった待望のスタンプだ。

階段からホームに上がったところにいた車掌に予約券を見せ「何号車ですか?」と聞くと、「席は決まっていないので、どの車両に乗ってもいい」と言う。えっ? それなら何のための予約? 先ほどカウンターのQBB職員が言った「予約にどんな意味があるか、僕にもよくわからない」というのは、このことなのか?

セカンドクラスの車両に乗り込み、スーツケースを押しながら通路をファーストに向かう。韓国語を話している4人の若い女性が向かい合って座れる座席を確保して、棚に荷物を載せていた。彼女たちもクルムロフへ行くのだろうか? それにしても乗客が少ない。1車両に5、6人もいればいいほうだ。さらに進むと、4人分の向かい合った席があったので、その間にスーツケースを置いて座る。スーケースに脚を載せてくつろげそうだ。

電車が動き始めると、昨日近くの店で買っておいたサンドウィッチを頬張る。朝食べてからホテルを出ようと思ったのだが、列車で食べることにしたのだ。

1時間20分ほどでリンツ駅に到着。128分着の予定が5分遅れた。次の列車が出るのは35分発。あと2分しかなない。ザルツブルグの駅でもらったプリントには、その列車が発車するホームの番号があった。「2A」となっている。重いスーツケースを下げて階段を降り、2番線のホームへまた階段を駆け上がる。階段からずっと後ろの方に電車は泊まっている。向かの1番線には違う電車が停まっていて、韓国人の女性たちは階段から反対方向に向かって走っている。プラハ行の列車だろう。

ギリギリで“チェスケー何とか”行の列車に乗ることができた。ザルルブルグの駅でスケジュールをプリントしてもらってよかった。乗り換えの列車が何番線から出るか明記されていたからだ。降りてから人に聞いていたら、絶対に間に合わなかった。

1時間ほど走った頃だろうか? 駅の表記が変わっていることに気づいた。SとかRなどの上にVのようなマークがついている。きっとあれはチェコ語だ。いつの間にか国境を越えてチェコに入っていたのだ。そのせいか、車窓から見える森や牧草地の緑が、いっそう濃くなったような気がする。

リンツから2時間20分で、“チェスケー何とか”の駅に着いた。プリントにはクルムロフ行きが何番線か書いてない。他の旅行者も迷っているようだ。ホームから下の通路に降りてうろうろしていると、さっきまで乗ってきた列車の車掌が来たので聞いて見たが、わからないと言う。「こっちに来い」と言われ付いていくと、駅構内にパネル式の掲示板があった。そこにはクルムロフ行の電車が何番線か出るのかという表示がなかった。車掌は「出発時間が近づくとホームの番号が表示されるから、確認してから行くように」と言って去っていった。毎日のことなのに、電車が来るまで何番線から出るのか決まっていないなんて不思議だ。

なかなかホームの番号が表示されない。発車5分前になって、やっと「3」という数字が出てきたので、3番線に急ぐ。リックを背負った多くの若者たちも、その列車めがけて集まって来た。

チェコの田舎の田園風景の中を電車はゆっくり走る。iPhoneを見ると、今晩泊まるペンションからメールが届いていた。「何時頃着きますか?」と聞いている。「いまクルムロフに向かう電車で、到着は6時近くになる」と返信。お腹がペコペコだ。リンツに向か列車でサンドウィッチをひとう食べたきり、何も食べていない。リンツ行の特急には食堂車があったかもしれないが、それ以降の列車にはあるはずもない。乗り換えの時間も短く、お昼を食べる時間などなかった。水だけは大きなペットボトルに半分入っていたのをバックパックに入れてきていた。パソコンが入っているので、水が漏れたら嫌だな思って、ザツルブルグのホテルに捨てて来ようと思ったのだが、持って来て本当によかった。この水が生命線だ。この水がなかったら、喉が渇いて大変なことになっていたかもしれない。日本なら駅構内でもホームでもどこでもすぐに自動販売で水が買えるが、その便利さは世界の常識で考えれば異常なことなのかもしれない。

車掌がやって来た。ユーレル・パスを見せると、チェコ語で「それは使えない」と言っているようだ。ザルツブルグ駅のチケットカウンターの職員も「クルムロフへの電車では料金を支払わなければならないかもしれない」と言っていた。この路線は国鉄ではなく私鉄なのかもしれない。「Euro OK?」と聞くとOKだと言う。ユーロの小銭を手のひらに載せて見せると、その中から何枚かのコインを取って、チェコ・コルナの貨幣でお釣りをくれた。

クルムロフの駅で降りて、iPhoneマップを頼りに20分歩くと、小さなペンションに着いた。昼抜きたったので、とにかく食事をしなければ。近くのレストランを紹介してもらい、お皿に大盛りのサラダと大きな豚肉のフリット。パンもつけてもらう。それを全部平らげてしまった。

 

ヴォルフガング湖の遊覧船と山岳鉄道

 619日(水)、今日はザルツブルグからもっと山の方に入り、ウォルフガング湖方面を訪ねることにした。日帰りの旅。バスで湖畔のザンクト・ギルゲンという村に行き、遊覧船に乗って対岸のザンクト・ウォルフガングという村へ行く。そこには山岳鉄道がある。山の頂上まで往復し、またバスでギルゲンを経由してザルツブルグに戻る……というプランを立てた。

ただ、バスにしても船にしても山岳鉄道にしても、乗るたびに料金を払うのがいいのか、周遊券のようなパスを買った方が安いのかよくわからない。ここまで遠出をすると、市内で有効のザルツブルグ・カードも使えない。Hop on Hop offというバスの周遊券をミラベル庭園の向かいのバスステーションで買えるらしいが、船や山岳鉄道もセットになったパスはないのだろうか? とにかく少しでも安く旅をしたい。

駅構内の観光案内所で聞くが、どうも要領を得ない。Hop on Hop offのパンフレットを渡されて「これで確認してください」と言う。

しかたなしに、ミラベル庭園の方向に向かって歩きながらそのパンフを見ていたら、何と「BUSBOAT=46ユーロ」とあるではないか! おまけにバスの時刻表もある。観光案内所のスタッフならそのくらいのことは知っていて、親切に教えてくれてもいいじゃないか。海外では日本と違って、自分の管轄外のことは全く知らない人が多い。もし自分の管轄外のことを教えて間違っていたら、自分の責任になると思っているのではないか?

Hop on Hop offのバスステーションでバスと遊覧船のセット券を購入。券と言ってもペラペラの紙だ。ここにバスが来るのだろうと思ったら、道路の反対側前方を指さして「緑のテントがあるだろう。あの先にバスステーションがある。1020分に黄色いバスが来るから、それに乗るように」と言う。

行ってみると、市内を走る路線バスの停留所があった。そこにバスは来るのだろうか? チケット販売所がそこにもあったので、「あの停留所でいいのか」と聞くと、「違う。内側のこの広場にバスは入って来るから、そこで待て」という。内側? 広場? 石畳の歩道がちょっとだけ広くなっているこのスペースが広場なのか? ここは人が歩く歩道ではないか? こんなところに大きなバスが入ってくるのか? 日本人的感覚では、ちょっと理解不能

だが、大きな黄色いバスが本当にそこに入ってきた。他にも10人ほどの人が乗り込む。ここからザンクト・ギルゲンを往復するのが「グリーンライン」、湖の奥のザンクト・ヴォルグガングとギルゲンを往復するのが「レッド・ライン」となっている。

運転手にパスだというペラペラの紙を見せ、イヤフォンを受け取って少し後ろの席に座る。日本語はチャンネル8。バスが走り出すと、その通りや通過する村の解説が流れる。もちろん次に停まる村の名前も言ってくれるので安心だ。

1時間ほどでザンクト・ギルゲンに到着。バス停の横にはゲーブルカーの駅があった。どんどん人を乗せて山の上に上がっていく。まずは船の時間を確認しよう。十分に時間があったら、朝食を食べてケーブルカーにも乗れる。

船着き場に行くと、次の船は12時ちょうどだということがわかった。後45分ある。ケーブルカーは帰りにこの村に寄った時に、次のバスを待てば1時間の間隔があるので、その時に乗ろう。近くには「モーツアルト・ハウス」もある。そこに寄れるかもしれない。ザルツブルグ周辺にはたくさんのモーツアルト・ハウスがある。ここは奥さんの生家だと『地球の歩き方』には書いてあった。

船着き場の窓口で船のチケットを買う。横にレストランがあったが、ここは高そうだったので、少し離れたところで朝食を取ろうと歩いてバス停の方向に戻る。でも、全部閉まっていた。見ると11時半からになっている。それでは船に間に合わない。

しかたなしに、また船着き場に戻り、たった一軒だけやっているレストランに入る。もう11時半。船の時間まで30分きりない。ウエイトレスに「I have still 30 minutes」(まだ30分時間があります)と言うと全てわかってもらえたようで、「スープならすぐに出せます」というので、パンとコーヒーと一緒に注文。周りで食事をする人たちもみんな船に乗るのだろうか?

スープをパンと一緒に飲みながら、さっきの窓口で山岳鉄道のチケットも買えるのかもしれないと思った。食べ終えて、すぐにチケット売り場に行き尋ねたら「山岳鉄道のチケットも買える」という。私は「さっき船のチケットも買ってしまいました。セットで買えたんですよね」と聞くと、「船が片道のセット券は売っていない」と言う。

船は12時ちょうどに出港した。やはり日本の湖や山の景色とは違う。何か本格的!という感じ。2階のデッキで景色を見ていた。5分ほどで対岸に。最初に寄る船着き場だ。ここにはこじんまりしたホテルらしき木造の建物があった。何と船の横を泳いでいる人がいた。ゆっくり水を掻いているがかなり速い。腕に覚えがある人なのだろう。

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船がまた走り始めると雨が降ってきたので、下の階に降りる。天気雨だ。その後、3か所に寄った。私が降りるのはザンクト・ヴォルフガングというところ。もうそろそろだろうか? 女性スタッフに聞くと「2つ目だ」と言う。念のためiPhoneマップで見ると、山岳鉄道らしき線がすぐ近くのようだ。

次の船着き場に着いた時、たくさんの人たちが下船を始めた。私がその女性に「山岳鉄道に乗るんですが」と言うと、ちょっと慌てたように「だったら、ここです」と言う。山岳鉄道に乗るにはザンクト・ヴォルグガングの村まで行くものだと思っていたが、その前で降りなければいけなかったのだ。

岳鉄道の駅は目の前だった。10分ほどすると、赤い電車が上から降りてきたので乗り込む。隣に座った人たちが日本語をしゃべっていたので挨拶する。みなさん沖縄から来ていて、音楽好きのグループなのだという。ウィーンに住んでいた人を団長として10人で旅をしていると言う。「ここまでどうやって来られたんですか?」と聞くと、「ドイツ語ができる団長さんが車を運転して旅をしているんです」と言う。

 

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岳鉄道はゆっくりと高度を上げていく。白い雪を頂いた山並みの下に青い湖が見える。これまで荘厳な景色は日本ではなかなかお目にかかれない。その時、私は大変なミスに気づいた。ザルツブルグで買ったチケットは「BUS+BOAT」で46ユーロなっていた。ところが船のチケット買ってしまったではないか! 買う必要などなかったんだ。

船の料金はいくらだったんだろうか? 大変な無駄をしてしまったのではないか! バックパックからレシートを出して見ると「6ユーロ」となっていた。800円ほどだが、瞬間的に勘違いしてしまったことで、最悪の気分になってしまった。車窓には荘厳なほど美しい景色が広がるのに、なんていうことだろう!

40分ほどで山頂駅に到着。ここで30ほど過ごして、下りの電車に乗ることにする頂。頂上駅の上にレストランらしき建物が見える。10分ほど急斜面を昇ると、そこにたどり着いた。その裏側は崖になっていて、木で造った塀がある。向こうを覗き込むと、さらに険しい山々の間にまたいくつか湖が見える。

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レストランでアイスクリームを食べていると後5分で下りの電車の時間。慌ててく急斜面を駆け降り、ぎりぎりで電車に乗り込んだ。

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麓の駅で、Hop on Hop offのレッドラインのバスを待つ。もう行列ができている。30分ほどでバスが来た。他の路線バスを待っている人もいるようだ。その人たちを尻目に乗り込んだ。このHop onバスにして良かった。

30分ほどでザンクト・ギルゲンに到着。山岳鉄道の山頂駅で、あんな景色を見てしまったら、もうこの村のケーブルカーに乗る必要はない。下から上がってきた、グリーンラインのバスに乗ってザルツブルグに戻った。

 

楽しいヘルブルン宮殿、そしてサウンド・オブ・ミュージック

618日(火)、ザルツブルグ旧市内は、昨日1日でだいぶわかってきた。 朝、ホテルの部屋で昨日買っておいたバンを齧り、郊外にあるヘルブルン宮殿へ。駅構内にある観光案内所で「ヘルブルン宮殿に行くのバスは何番から出るのか?」、そして「ザルツブルグカードを使えるか?」聞くと、25番のバスでプラットフォームBから出ること、カードは使用できると教えてくれた。

ちょうど25番のバスが停まっていた。運転手に「Do you go to Schloss Hellbrunn?」と聞くと、「Yes」と言う。Schloss(シュロス)とは城のことだ。市街地を抜けて、緑濃い田舎風景の中をバスは走る。30分で宮殿に到着。

 

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地球の歩き方』には、「このお城は1615年にマルクス・ジティタスという大司教が夏の離宮として建てたもので、庭園には水のいろいろな水の仕掛けがあって楽しい」と書いてある。

パスを見せてチケットをもらう。まず1045分から庭園のガイドツアーに参加して、その後でお城に入れるという。「fountain tour」(噴水ツアー)という看板があるところで待っていると、すぐに30人ほどの人で一杯になった。入口から一人一人中に入ると女性ガイドが、ドイツ語で英語で説明を始めた。池の横を通って、石でできたテーブルと8つの椅子がある場所に来る。6人が椅子に座らされるが、その椅子の真ん中には穴が開いている。「それでは行きますよ!」と言うと、その穴から水が噴き出す。ちょうどウオシュレットのように。ズボンの尻のところがびしょびしょになる。次に、テーブルにあるたくさんの穴からも水が噴き出し、今度は頭の上から水を浴びてびしょ濡れになり、みんな大騒ぎ。

このような仕掛けがあちこちにあり、みんな急に水がかかると悲鳴を上げて喜ぶ。水力を使ってたくさんんの人形が動く仕掛けもあった。どれもみなサイフォンの原理を応用していると言う。金沢の兼六園にも噴水があり、それも同じくサイフォンの原理で水が吹き上がることを思い出す。

いつどこから水が噴き出すかわかならい、みんなキャーキャー言いながら逃げ回る。この時期に来て良かった。暑いので、服が濡れてもすぐに乾いてしまう。

 

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40分ほどのガイド・ツアーが終わると、きれいに整備された庭園を抜けてお城に入る。日本語のオーディヲガイドを借りて場内を見学。水が噴き出す仕組みの解説の他、この宮殿をつくった司教の肖像も展示されていた。面白かったのは、架空の動物を描いた絵が展示されている部屋だ。中央には一角獣のユニコーンの像もあった。

外に出て、広大な敷地を散策。15分ほど歩いて、映画「サウンド・オブ・ミュージック」にも登場したパビリオン「ガラスの家」に行き写真を撮る。「もうすぐ17歳」を長女とこの恋人が歌ったところだ。この映画はザルツブルグやその近郊で撮影された。

 

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いろいろなシーンを鮮明に覚えているのは、私が去年柏駅ビルにある「キネ旬シアター」でこの映画を観たばかりだからだ。この映画館は、懐かしの名画だけでなく、評判になった新作映画も何か月か遅れて上映してくれる。「グリーン・ブック」も封切から3~4か月経ってから上映していた。団塊の世代の人たちを中心に、退職した人たちがたくさん見に来ている。

ヘルブルン宮殿の庭園はかなり広い。地図を見ると、山の中腹に「Folklore Museum」という建物があったので、 そこに行ってみることにした。急坂を昇ること30分。小さな館にたどり着いた。ここでもザルツブルグ・パスが使えた。中にはこの地域の衣装や調度品などが展示されていた。ベッドも2つあったので、受付の人に「ここには人が住んでいたんですか?」と聞いたら「ここは狩猟のために使っていた部屋で、ベッドは後から持ち込んだものです」と言う。

坂を下って平らな場所に出る。どこまでも続く濃い緑の芝生を眺めながらベンチに座っていると、本当にここに来て良かったと思う。今日1日中ここにいてもいいのではないかと思ったほどだ。しかし、パスの期限は明日午前11時まで。5000円分を取り戻さなければ。

少しのんびりし過ぎたようだ。朝はパンを少しミネラル・ウォーターで流し込んだだけなので、お腹がすいてきた。宮殿前に戻ってカフェーでランチを当食べる。14ユーロ。まあ仕方ない。

午後2時半、バス停に戻り25番のバスでまたザルツブルグ方面に戻る。来た時には旧市街のすぐ横の道を通った。ここは一方通行の道路で、帰りは橋の向こう側を走るらしい。旧市街に入る手前のバス停で降り、昨日休みだったザルツブルグ美術館に向かって歩く。

15分歩いても着かない。やはり橋の向こう側でも、もっと先のバス停で降りた方がはるかに近かった。ザルツブルグ博物館の入口は、やはり今日もわからない。ちゃんと場所がわからないと、また周囲を1周してしまい無駄な時間を使ってしまうと思ったので、同じ建物にある洋服店で聞くと「この先を建物に沿って右に廻り、またすぐ右です」と親切に教えてくれる。行ってみると「Museum」という表示があり、その門を入ると中庭があった。ここは昨日は閉まっていた。突き当りが美術館の入口になっていた。これではわからい。

急ぎ足で絵画や他の展示を見る。面白かったのは、音楽の都らしい楽器に関する展示だった。昔の楽器を映像で紹介している。その中でもびっくりしたのが、トランペットの音を出す弦楽器だった。板1枚に弦も1本。目を閉じて聞いて見ると、本当のトランペットの音のようだ。

サウンド・オブ・ミュージック」の音楽に合わせた操り人形の映像もあり、じっくり見入ってしまった。このひとつの映画から、たくさんの名曲が誕生している。TVか何かで見たのだが、中尾ミエと伊藤ゆかりだったかな? 「My favorite thingis」(私のすきなもの)の替え歌がを歌っていた。年老いた女性が好きそうなものが次から次に出てくる。うろ覚えだが、「若い男」とか「熱い昆布茶」とか「糠味噌につけたたくあん」とか、いかにも老人が好みそうなものが並らんでいておかしかった。

隣の小さな「パノラマ博物館」も見学すると4時半になっていた。旧市街のほとんど真ん中にある「モーツアルトの生家」を短時間でさっと見て、次は「サウンド・オブ・ミュージック記念館」に。午後6時まで空いていると言う。1階はこの映画の関連グッズを売るショップになっていて、2階に展示があった。この映画の話が、どこまで本当で、そこまでがフィクションなのか私はよくわかっていない、日本に帰ったらじっくり調べてみよう。ただ、家族のコーラスグループがいて、アメリカに亡命したことは確からしい。最初は、アメリカ公演のためにか月だけ滞在するはずだったが、あちこちで大人気となり、そのままアメリカに住み続けることになったのだと言う。

兄弟姉妹の3人だけが存命だと言う。アメリカ・バーモント州の田舎に、その名も「トラップ・ビレッジ」というホテルを所有し営業している。バーモントは自然豊かで、アメリカで私の一番好きな州だ。ぜひ、何年か後には行って泊まってみたい。

映画の最後、ナチの兵隊たちの前で歌うシーンがあった。その会場が記念館からすぐのところにあった。日本語で「祝祭劇場」と言い、ザルツブルグ音楽祭の主会場となっている。この時にトラップ大佐が歌ったのが「エーデルワイス」。この花はスイスの国花、「自由への憧れ」を表現した歌で、ナチへの抵抗を暗示していた。会場のナチの将校たちが皆慌てた顔をするのはそのためだ。

 

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音楽会から家族全員が脱出して、落ち合った墓地が、その会場の先にあった。そこで写真を撮って、のんびりとホテルに帰った。

 

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ホーエンザルツブルグ城塞とドーム博物館

617日(月)朝、ザルツブルグカードを買おうと、近くのQBBオーストリア国鉄)の駅構内にある観光案内所へ。24時間が29ユーロ、48時間38ユーロ、72時間44ユーロ。1日で博物館や宮殿など全部を見学することができるか聞くと、「1日では無理」とのことなので、48時間のパスを購入。市内のバスや路面電車でも使えると言う。

バスでヴォルフガング湖畔のザンクト・ギルゲンやヴォルフガングという町にも行ってみたいと思っているのだが、それにも使えるかと聞くと、パスは市内だけで有効とのこと。

取りあえず旧市街に向かって歩く、右側に緑濃い公園が見えてきた。ミラベル庭園で、ここには宮殿もあるらしい。

庭園を横切ると川に突き当たる。そこを左に向かうと橋があった。マルカート橋らしい。それを渡ると旧市街だった。たくさんの人で賑わっている。宮殿や博物館、寺院もあるようだが、どれがどれかわからない。

すぐ近くの山の頂上に城塞が見えてきた。ホーエンザルツブルグ城塞というらしい。そこにはケーブルカーで行ける。道に迷いながら、ケーブルカー駅を探す。

ケーブルカーに乗る人の行列ができていたので、駅はすぐにわかった。チケットカウンターに並んでいる人たちだ。私はパスを持っているので、このまま乗れるはずだ。行列をすり抜けて一番前に行き、入口にいるスタッフにパスを見せると、入ってもいいいと言われる。パスをスキャンして中に入る。待つこと5分、ケーブルカーが到着したので乗り込む。

数分で頂上駅に到着。ここはザルツブルグ大司教ゲーブハルトが1077年に築き始めた城塞だと言う。以来、増築を重ね、現在の姿になった。当時、神聖ローマ帝国皇帝とローマ教皇が対立していて、ゲーブハルトは教皇派だった。

ヨーロッパには世俗的な頂点に立つ皇帝と精神的な支柱としての教皇がいた。どちらが上位にあるのかで、しばしば対立が起こり、ある時には激しい戦いになった。ある教皇などは、新しい皇帝が誕生する時、頼まれてもいないのに無理やり押しかけ戴冠式を挙行してしまう。冠を被せた方が上位、被せらた方はそれに従う下位にある者ということを世間にアピールしたのだ。何かマンガみたいだ。

そんな対立があったからだろう。この城塞では、司教やお付きの従者の居室を増築するだけでなく、大砲を据え武器庫もつくるなど軍備も増強していったと言う。

中には城塞博物館やライナー博物館など複数の博物館があるようだったが、地図もなく、どこがどの博物館の入口なのかもまるでわからない。迷路のような路地をさまよい歩いていると、何度も同じ広場に出てしまう。

「Tour」という看板があったので、とにかくそこに入って日本語のオーディオ・ガイドをもらって説明を聞く。模型で増築のプロセスを示した展示や罪人に自白を迫った拷問部屋もあった。螺旋階段を上がって塔の上に出ると、ザルツブルグの街並みが見下ろせた。

博物館の出口を出る。ドイツ語が読めないので、とにかく人の群れについていけば、どこかに入れるだろう。暗い通路の中の階段を上がると、また何かの入場口があった。パスをスキャンして入ると、歴代の司教の居室があった部分で、そこも博物館になっていた。

2時間ほど、中世の城塞の中をさまよい歩き、ケーブルカーで下に降りようと頂上駅を探すが、どうしてもたどり着かない。歩いて下に降りる人への表示は出ている。でも急斜面を歩いて降りるなんて絶対に無理だ。

しかたなしに、カフェでアイスクリームを買い、そこの主人に聞くと、「この先に曲がったところだ」と言う。アイスを食べ終わって、左側にあった建物の入口のような門をくぐって少し歩くと、ケーブルカーの駅にたどり着いた。下の駅に着いた時に時計を見たら、もう午後2時半だった。

 

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小さなレストランがあった。ハンバーグやホットドッグもテイクアウトできるらしい。ホットドッグとアップルジュースを頼む。店の向かいにベンチがあったので、そこで食べようと思ったが、他の人が座ってしまったので、店の人に「レストランの中で食べていいか?」と聞くと、「構わない」と言って、親切にもホットドックを載せるお皿をくれた。

レストランの中では、みんなかなり正式な食事をしていたが、私はホットドッグを頬張り、それをアップルジュースで流し込み、「こうやって節約していかないと、いつか自己破産してしまうぞ」と自分に言い聞かせた。

地球の歩き方』を読むと、すぐ近くに寺院の聖堂(ドーム)があり、そこにはドーム博物館があると書いてある。その他にも「レジデンツ」と「レジデンツ・ギャラリー」と称する博物館もあるらしい。「レジデンツ」とは司教の日常の住まいだったところで、山の上の城塞は戦争や動乱などが差し迫った時にだけ避難した場所だと言う。

まず聖堂の中に入る。若い頃からバックパックでいろいろなところを歩き回っているので、これまで入った教会の数は数十に達するだろう。もう飽き飽きしている。最後に入った教会は英国国教会の総本山があるカンタベリー大聖堂だった。ここはいろんな歴史的大事件が起こったところで、とても妙味深かった。

この聖堂の入口にはカウンターがあり、そこに人が座っていた。出て行こうとする人に寄付をするように言っている。透明なプラスチックの箱が置かれていて、その中にはぎっしりと札が詰まっていた。

私は自分の小銭入れの中を探ったが、札は10ドルと5ドルの札が1枚ずつ、コインは50セントが1枚だけだった。5ドルは650円、ちょっと寄付としては高すぎる。でも50セントじゃ少なすぎるし、どうしようと思い、たくさんの人がいっぺんに外に出る時に、その集団に紛れて出るようにした。すると何も言われずに、外に出ることができた。

ドーム博物館への入口の階段は、聖堂を出てすぐ左にあった。受付でパスを提示し「日本語のオーディオ・ガイドをお願いします」と頼んでいる時に、横にいた日本人の中年の女性から「ここはレジデンツやギャラリーも一緒になっているんでしょうか? 入口は別なんでしょうか?」と聞かれた。私も疑問に思っていたので受付の人に聞くと、「全部一緒のツアーです。このオーディオ・ガイドは3つの博物館の解説を続けて聞けます」と言う。

その人は「明日はドーム博物館やレジデンツは閉まっているというので、あわてて来たんですよ」と言う。受付の人に確認すると、「そう、明日は休みなんです」と言う。

その3つの博物館をゆっくり時間をかけて廻ると、もう午後4時を過ぎていた。次に行こうと思っていたのが「ザルツブルグ博物館」。ドーム広場を横切って、外壁に「SALZBURG MUSEUM」と彫ってある建物に行くが、入口がどこにあるかわからない。大きな建物だったので、15分以上かかって歩いて1周したが、入口らしきものがない。同じ建物に郵便局があったので聞いてみると、今日は休みで閉まっていると言う。

もう5時だったので、今日は諦めてホテルに戻ることにした。ザルツブルグパスを買った代金も、今日1日で少しは回収できただろう。

ホテルに帰る途中、iPhoneマップで検索して靴屋を探す。実は3日ほど前から、脚の裏の踵のところが痛くなった。魚の目でもできてしまったのか、これから先の旅はどうしよう?と思っていたら、中敷きに小さい細長い穴が開いていたことがわかった。その穴が足裏を刺激していたのだ。そのためにバンドエイドを貼って応急措置をしていたのだが、接着面が靴下にくっついてしまっていた。そこで新しい中敷き(英語ではinsole)を買って、古い穴の開いた中敷きの上に敷こうと考えたのだった。

実は去年の4月、アメリカのフロリダ半島を旅し、フォートローダデールという港町から大西洋横断のクルーズ船に乗ろうとしていた日の前日、やはり中敷きに穴が開いてしまったことがあり、脚の裏に激痛が走った。その時にも同じように、バンドエイドを貼ったのだが、すぐに取れてしまった。翌日には船に乗ることになっていた。大型船なので、かなり船内を歩き回るだろう(後でiPhoneで歩数を確認すると、毎日、船内を7000歩以上歩いていた)。大西洋を横断してからも、バルセロナ1週間滞在する予定だったので、どうしたもんだろうか?と考えていた。

その時に「そうだ中敷きを買おう」と思い、街中の靴屋を探したが、その日はイースターの祝日で店はみんな閉まっていた。しかたなしに、バスに乗って街の外れのホテルに戻ってきたら、何と通りを挟んだ反対側に「Shoe Warehouse(日本語にすれば「靴の倉庫」)という名の靴屋があったではないか。恐る恐る扉を開けたら営業していた。

店員は1人きり入いなかったし、店内は閑散としていたが、「Do you have insoles?」と聞くと、「Yes」とすぐ目の前を指さしたのだった。

箱から中敷きを出して、靴に合わせてみると、少し大きめのものが見つかった。それをホテルに持って帰って、ヒゲをカットする小さなハサミで切り、大きさを整えたのだった。今回も同じことをすれば良い。

それから1年3か月、iPhoneで探し当てたこの店はとても洒落ていて、中敷きのような中途半端な商品はありそうもない。ヒゲの男性の店員がいたので聞いて見ると、「あそこにある」とまっすぐ前を指さす。なんだちょうど店のど真ん中のラックにかかっているではないか。

「足の大きさは25センチなんですけれど、どれがいいですか?」と聞くと、「アメリカでの寸法がわかるか?」と聞く。「わからない」と答えると、彼は自分が履いていた靴と私の靴の大きさを比較して、「これなら大丈夫だろう」と言ってひとつを選んでくれた。20ユーロ。日本円だと3000円近くになる。痛い出費だが、ずっと足の痛さはもっと痛い。苦痛に耐えながら旅を続けるよりはよっぽどましだろう。

ホテルに帰って、ヒゲ切り用のハサミで形を整えたら、靴にピッタリ収まった。これで一安心だ。我ながら、なんて準備がいいんだろうと自分で自分を褒めてみる。

でも、なぜいつも旅先でこんなことになるのだろうか?